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第31話 奏 その1

 私の生きた14年間は、狭くて真っ暗な家の中でほとんどを過ごした。

 空き缶やゴミの散乱した部屋、家の中に充満している異臭、照明の切れたリビング。


 死んだように寝転がって、常に飢えと退屈を凌ぐだけの日々。まだそれだけなら良かった。

 けどそれ以上に、私を苦しめた人達がいた。


 この人達がいる時にはいつも、怒号と部屋の物が飛び交っていた。


『おい、ここに置いておいた酒代はどうした!』


『ああん? んなもん朝の内にスッちまったよ』


『ふざけんじゃねぇぞ、このクソアマ!』



 私はこの両親にずっと、小さい頃から虐待を受けてきた。



『お、お父さ──』


『うるせぇなクソガキ!』


 父親はすぐに怒る人だった。普段は無視されるだけだけど、機嫌が悪い時は決まって手を出される。


 自分の子供にも容赦無く、父親は殴ったり蹴りを入れたり、物を投げつけてきた。私の体は、父から受けた傷だらけだった。



『ごふっ、ごべ……ごめん、なざ』


『ったく、体で稼げもしねぇ穀潰しが』


 お腹を蹴られる痛みは慣れるものじゃなかった。私が激痛にうずくまっている間、母親はこっちを見て大笑いしてる。


『アハハー、飛んだ飛んだ』



 これが異常な家庭環境なのは最初から分かってた。


 父親は暴力団の構成員で、麻薬密売もしていたという。直接的な暴力はいつも父から受けてた。

 一方で母親は殴る蹴るといった事はしてこなかったけど、私の面倒は一切見てくれなかった。私のことはたまに玩具代わりに扱うだけ。


 挙句の果てに両親は密売してる薬物に手を付け、年を追うごとにその異常性は増すばかりだった。



『もうこれいらないから、拾って食いな』


 弁当の残りものが私の生命線。踏まれたり汚される前に、犬みたいに食べれば何とかご飯に有りつけた。


 でもそれに飽きた時には、腕や顔に煙草を押し付けられることもしばしばあった。


『きゃあ! やあっ』


『この程度で騒ぐんじゃないよ』



 肌の色は見る影も無く、気味の悪い色に変色してた。赤紫に内出血した脚、腫れた頬、根性焼きとアザだらけの腕、血で汚くなった顔。


 異世界にやって来た時に、自分の本当の顔をやっと思い出せた程。鏡を見る度に、当時は自分の顔を上手く認識出来なかった。



『また冷蔵庫の酒が減ってやがった。俺に隠れて呑んだんじゃねぇだろうなァ!?』


 薬かお酒が切れた時の父は、手に負えなかった。中毒症状のせいで記憶も曖昧になってたから、自分で呑んだことを忘れて八つ当たりもされてた。


『そっ、そんなごとしでな……』


『黙れ! 口答えしてんじゃねぇよ!!』


 だいたいがこんな日の繰り返し、物心ついた時から。


 小さい頃はもう少し、マシだったかもしれない。父親が自分の所属する暴力団の人達に、良いところを見せようとしていたから。

 ただしそれは小学校入学までの話。父親は自分をよく見せる道具としての、幼い私でなくなった途端に虐待が激しくなった。



 両親の喧嘩で家から置い出されることもあった。外にいる間、知らない人達は私を見て変な目を向けてきたのを覚えてる。


『ねぇアレ、あの子。あの家の子供よね?』


『シッ! 聞こえちゃうわ。あそこの旦那さん、暴力団の人らしいから』



 小学校には、3年生までしか通えなかった。登校した回数は、数えられる程度しかない。


 行く度に、私の事を同級生達は遠巻きに見てコソコソ喋ってた。


『ねぇアイツ、なんでいつも怪我してんの?』


『分かんねぇけど、母ちゃんが怖いことになるから関わるなって』



 担任の先生と、教頭先生が話してるところを聞いたこともある。


『先生、やっぱり児相に連絡した方が……』


『下手なことはしないで下さい。あの子の親御さんはここらで有名な暴力団の人間です。報復でもされたら、たまったもんじゃない』



 外の世界の人は、両親を恐れて私の傍に来てくれることなんてしなかった。だから私には、他の人に助けを求めるという発想自体なかったの。



 家の窓は雨戸を閉めて、内側からは木材を打って塞いでた。半ば監禁にも近いような生活は続いて、9歳以降は外に出たことがなかった。


 日に日に増えていく暴力と、一層おかしくなっていく両親。元々希望を抱くということすら知らなかったおかげで、なんとか心を無にして耐え忍んだ。



『うーん、全然漢字読めないなぁ。書いてあることも、よく分かんない』


 勉強出来る環境と資料が無かったけど、勉強はしなきゃいけないものだと学校で習ったからなるべくしようとしてた。

 家にあった雑誌や漫画は意外と良い教材になってくれた。


『アッハッハッハハ、ばかだわこの男ぉ』


 母が観ていたテレビ番組も、私には良い授業になった。



『あっ、この漢字ってこう読むんだ』


 文字や計算、大切だと思うことは新聞やテレビから必死になって学んだ。


 何よりいつも何もしない時間が多くて、暇つぶしが欲しかったから。



 父親は仕事で外に行くことあるから、毎日は帰って来なかった。そんな時に母親は、ビール缶を片手にテレビを付けたままよく寝てた。



 そんな時、たまたま付いてたテレビで流れてた番組があったの。



『アニ、メ? 何これ』


 深夜に放送してたアニメ。その内容は、平凡な少年がある日突然、異世界に飛ばされるというものだった。



『異世界、転生……』


 私がそのアニメの存在を知った当時、異世界転生ブームというのがあった。


 異世界に転生、転移したキャラがその世界で活躍するといった作品が数多く世に出回った。



『この男の人、すごい。めちゃめちゃ強いし、女の人に好かれてる』


 異世界でチート能力を得て戦う主人公、異世界で別の種族に生まれ変わってしまうキャラ、愉快な仲間と一緒に冒険に出かけるストーリー。


 新鮮だった。私の狭い世界にない物語が、画面の奥に広がっていた。



『凄い、面白い……』


 その日から私は、異世界転生アニメを見るのが唯一の楽しみになったんだ。青い画面の向こうに広がるファンタジーの世界が、私の生きる喜びになってくれた。



 これが私と、異世界転生との出会いだった。

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