第28話 贖い
「あなたのその思いは、ちゃんと後世に伝わったわ」
「……どういう意味だ」
顔をしかめ、ジルは驚愕していた。エマは気丈な態度を崩さないまま、彼の知らない歴史を語る。
「転生者達と悪魔の力でこの国は、世界は変わっていった」
少女は言葉を強く放った。理想を求めた末に希望を失った亡者の耳に、しっかり届くようにと。
「今や大陸の国々は行政における権力を分散させて、複数の組織が互いを監視し合ってる。身分に関係無く、能力と人情のある人間だけが政権を担ってる」
それはジル・グリムが世界に抱いた、不条理を払拭する事実だった。
「汚職や不正を働いた貴族や権力者も、この時代ではもう好き勝手出来ない。悪しき権力者を取り締まる組織と、皆の平和と幸福を保証するための法律が生まれたわ」
それはかつて、ジル・グリムと同胞の魂を苦しめた諸悪の根源を断つ、救済の報せだった。
「奴隷への差別と暴力は禁止された。奴隷と平民が共存する自由都市の誕生で、奴隷制度が完全撤廃するその日まで、彼らは生活を保証されるようになった」
それはジル・グリムが、殺戮を用いてでも望んだ理想郷の体現だった。
「教育や王族、虐げられてた当人達の影響で、大衆にはこの言葉が広まった。『蔑む人間と、蔑まれる人間が居てはならない』ってね」
それはジル・グリムという信念に取り憑かれた悲しき怪物が、この世界に求めた全てだった。
あの日全てを失った孤独な人間が、とうの昔に諦めた夢の果てだ。
本に記された楽園の一節でも語っているようなエマの言葉を当然、彼はそう簡単に信じられる筈もなかった。
だがその理想の世界よりも、ジルの耳を疑うような真実が存在した。
「全てはあなたの功績よ、ジル・グリム」
「おれ、の……?」
理解の追いつかないジルは呆気に取られていた。
「汚職や奴隷へ強制労働を強いた貴族や、奴隷商人達を殺して回ったあなたの事件をきっかけに、世の中の価値観が動かされたの」
男の体は震えていた。ただ無念を晴らすための八つ当たりに、無意味と感じながらも止めなかった愚行が、よもや時を経て世を変えたなんて。
「あなたがした事は、許されないこと。でもそれは、世界があなたにそうさせてしまった悲劇でもある」
まるでその全てを見てきたように、エマはジル・グリムの行為を否定し、そして肯定する。
「あなたの事は大陸中の歴史書に刻まれて、この悲劇を繰り返さないようにと、ジル・グリムの名は象徴になった。あなたの信念は、人々の心に届いてたの」
彼の怒りは、願いは、無駄にはならなかった。ジルの心を汲み取った人間は、彼の知らないところで後世にその正義を伝えたのだ。
「悪人は、この先も消えることはない。だけど、1人でもそんな人間を生まないために、1人でも虐げてられる人を減らそうと、私達は動いてる」
この時代を代表して、ジル・グリムの意志を継いだ少女が1人、彼の目の前に立っていた。
凛とした乙女の瞳には、静かに燃える正義が確かに宿っている。
「……そうか」
そう呟いて安堵したように見えたジルだったが、思い出したようにハッと息を漏らす。
「だが、たとえ俺の行動が認められたとしても。何処まで行こうと私は悪人だ。子供を利用して、あまつさえ無慈悲に殺す……」
「あなた、嘘が下手くそよ」
「……は?」
突然の指摘にジルは目を白黒させた。エマは呆れたように吐息を零すと、この部屋へ来る前に見たものの詳細を語る。
「保護した子供達の状態を見れば分かる。誰一人やせ細った子も、元気の無い子もいない。服だって監禁されてたとは思えないほど清潔だった」
エマの分析を耳にしたジルはどこか落ち着かない様子を見せた。
「それは術式の特性のせいだ。正常な魔力回路でなければ、あの術式は作動しない」
「また嘘。魔術師だったら、知ってるでしょ? 人間の肉体や魔力回路を効率良く、人形のように利用する方法ぐらい」
反論の1つもせず、ジルはまた黙り込む。
「人を殺すことに罪悪感があるから、奪ってきた命の重みを知ってるから。あなたは悪人の肩書きを名乗ってるだけ」
「そんな、こと……」
「あなたはそんな自分が許せない、優しい人間」
エマは最初からこの男の存在も、この男がどんな男かも知っていた。彼が語らずとも、過去と子供たちがジル・グリムという男を物語っている。
「あなたはずっと、子供たちを愛していたんでしょう」
彼女の推察に何も言い返せなかったジルは、諦めたようにそっと目を閉ざした。
「さあな、その答えは俺でさえ見つからない」
深い溜め息がジルの足元で転がる本のページを捲った。
パラパラと紙が風で揺れ、次のページに変わった途端にジルは左手を眺める。
「計画を壊された今、俺に生きている理由がない。あっちで何人も待たせているんだ、先に失礼する」
光を失った男の目には、紅に輝く魔法陣を乗せた手が映る。魔法陣は古代文字を編み始め、ジル自身に向けた魔法陣が形となっていく。
希望の潰えたジルは、最期に魔術師らしい死に方を望んだ。
「まだあんたを、死なせはしない」
冷たく発したエマの声がジルに聞こえたと同時だった。
魔法で自害を目論んでいた男の胸に、深々と刃が吸い込まれた。
魔法が彼の命を絶つより先に、飛び込んで来たエマがジルの胸にナイフを突き立てたのだ。ナイフは深くまで刺さり、エマの手はジルの肋骨の中で蠢いた。
「がはッ──!」
瞬間的に到来する激痛に意識は飛びかける。しかしその痛みはあっという間に引いていき、彼の意識は保たれる。
エマは隠し持っていた魔石を1つ、彼の体内に落とした。魔石はジルの中で手を離されると、石の根を張って彼の体内に寄生する。
「A級指定聖遺物『環聖石』。自分の魔力回路を代償に、百年の命を与える不死の、そして不殺の魔石」
ジルは胸を貫かれた痛みが一瞬だけ引く感覚を得た。しかし耐え難い激痛が更に彼へ襲いかかる。
エマは一切の躊躇なく、彼の中でナイフを何度も動かした。飛び散る血が自身の腕や顔を汚すことを厭わず。
声にならない叫びを上げて、ジルは未曾有の痛みに悶えた。
「今、あんたの脊椎に傷を付けてる。これで四肢は、二度と使えないでしょう」
残酷に言い放つエマは手を止めることなく、ジルへ待ち受ける現実を宣告する。
「もうあんたは魔力を練ることも、その手で魔法陣を描くことも、自分の足で歩くことさえ出来ない」
「〜ッ!!」
遂に痛みの限界を超えたジルの意識は彼方へ飛ぶ。永遠にも感じる十数秒を耐え抜き、ジルは白目を向いて失神する。
「ベッドの上から見ていて、初代。あなたが変えた物を、私達が変えていくこれからの世界を」
ナイフを引き抜いたエマは血に染った顔で彼に願う。もうこの言葉が聞こえてないと知りながら。
「殺した人間と、あなたの側から去っていった人達の分まで」
魔力回路の全て、そして両腕と下半身を動かせなくなった男は仰向けに倒れ込む。
破れていたジルの胸は塞がり、服の赤しみを除いて傷の痕跡は消失する。
鉄の処女は転がる生きた抜け殻を見下ろす。
この男が、あの時に別の道を選んだ自分だったかもしれない。そう考えを巡らせながら。




