第9話 勇気
剣を構える私の前に立ちはだかる猛獣3頭。紫苑の体毛を生やした獅子に似た魔獣。彼らは鉄と生ゴミの混じったような刺激臭を口内から漂わせながら、般若のような形相を浮かべて私を待ち構えていた。
この魔獣にはそれなりの知能を有しているのか、ただ無鉄砲に襲いかかってくることはしなかった。
先の魔獣のように単純な突進をするだけでも十分な脅威であるのに、更に知性を持ち合わせているなど最悪としか言いようがなかった。
「ぅぅ……」
込み上げてくる恐怖を勇気で押さえつけられる時間はそう長くはない。今この瞬間でさえ、私は私自身を制御することに必死になっている。
そうなると、ひとまずこの場は短期決戦を目指すのが最適だ。しかし下手に逃げては他の冒険者達に被害がいくかもしれない。
周りを考える余裕は元々ないに等しかったが、いざ逃げの手を考えるとどうしてもその心配で頭が支配される。
そうなれば答えは1つ。魔獣を今ここで倒すこと、それが正解だった。
「……まだ、動かない」
なるべく震えや急な挙動を反射的にしないよう細心の注意を払い、刺激しないようにゆっくりと剣を頭の上まで上げていく。
戦闘の基本すらまだ身についていない私だが、この世界で与えられた剣技の恩恵に勝負の全てを託す。私の出せる力と状況を考慮した、最も単純な動き。そのイメージを脳内で反芻する。
その僅かな時間に訪れた静寂は魔獣達の雄叫びと地面を脚で抉った音により消し去られた。3頭が一斉に私目掛けて突っ込んで来た瞬間、私は銀剣を叩きつけるように振り下ろす。
「──今だッ!」
振り下ろした時には暴風によって私の視界は奪われた。激しい耳鳴りと風を切る音が耳を塞ぐ。
咄嗟に目を閉じてしまったが、私のまぶたの裏には先の魔獣達が鮮血で染まり、顔から胸までの肉が爆ぜた光景が焼き付けられていた。
あの状況からの脱出と敵への攻撃の両立、その答えは「風圧攻撃で自分ごと魔獣を吹き飛ばす」だった。幸いなことに、私の体は欠損していなさそうだった。せいぜい軽く両腕が痺れただけの様子だ。
「成功した! でもっ……」
今現在、私は森を上から見下ろしていた。あの風圧の影響は凄まじく、軽い私の体を易々とここまで弾き飛ばしていた。思いっきり振るったせいか、ドラゴンが飛行していた高度まで押し上げられてしまった。
だが一面を鮮やかな緑のグラデーションで飾る木々の葉を観賞している暇もなく落下は始まる。
「またこのパターンなの!?」
魔獣討伐による安堵と2度目の高所からの落下で冷静さの再獲得に時間はあまり要さなかった。
今回は早くに思考能力を取り戻せたため、早々に着地について考え始めていた。
剣を先程のように風圧を繰り出すレベルで振るうことはまず不可能だった。それこそ、冒険者達が巻き添いになってしまう。
それならば剣を体の下に向けて回すようにして風を起こすのはどうかなどユニークな発想が出てきた。
しかしそれらの方法はどれもとる必要はなかった。なぜなら私は既に自身のスキルの効果で落下速度を減少させていたのだから。
「そうだった、私飛べるじゃん!」
剣技の影響で忘れかけていた私のスキル『浮遊』。滞空時間を増やしてゆっくりと滑空することが出来る能力。
無意識の内に制御出来ているのか、緩やかではあるものの遅過ぎない速度で私は落下出来ていた。
やがて直ぐに足がつきそうな距離まで森が近づいてくると、私は辺りを見回した。木々の隙間からエマや他のみんなを探す。
そしてもう足が木の枝の葉に触れようとした時、エマの赤と紫の帽子を見つけた。
「あっ、あそこにいる!」
今の落下予測地点の付近に彼女と他の冒険者達は集まっていた。
見つけて少し安心した私は木々の枝を剣で斬り、押しのけながら急いで森の中へと戻っていった。
途中で能力を解除してサッと着地を済ませると、地に足が付いた瞬間にエマのいた方へ向かって走り出す。獣道に沿うようにして進んでいき、数分もかからずしてエマの後ろ姿を見つけた。
エマを見つけられた途端に嬉しくなった私は手を振りながら彼女の元へ走り寄る。
「エマちゃん、ここにいたぁ〜!」
「……っ。奏!」
エマは私の声で振り返ると、彼女も私の方に向かって走ってきた。
私は再会に軽いハイタッチでもしようと待ち構えていたが、実際にやって来たのは体全体に伝わる小さな衝撃と少女の肌から感じる体温だった。
「……へ?」
エマは再会してから間もなく、私を強く抱き締めた。私の胸が彼女に引き寄せられることで圧迫される。
エマは私を抱き締めながら、私の後頭部をその小さく細い手で撫でた。その間、彼女は少し大きい声を出してその胸の内を吐き出した。
「心配したでしょ……良かった。無事で、本当に良かった」
エマに強く抱き締められた私は彼女の温もりと背中の上に落ちた冷たい水の感覚を感じた。
ついさっき出会ったばかりの少女が何故私をここまで心配していたのか、こんなに愛情深く私の無事を嬉しく思ってくれているのかは疑問だった。
でもその疑問に私はそれ以上深入りすることはなかった。ただ噛み締めるように、胸を優しく包む感情を味わっていた。
人から受けた無償の愛情に私の心臓は急激に動き出し、そっと私も腕を回して彼女を抱き締める。
忘れかけていた感情が蘇り、戸惑いすら覚える中で私は小さく声を振り絞ってエマに感謝の言葉を届ける。
「……ありがとう、エマちゃん」
再会した相手にここまで喜んでもらえるのも、再会するまでの間に心配してもらったのも、私には非常に久しいことだった。
人の体は温かいものだという事を、この時にやっと思い出せた。




