「おきゃく」いうがは、宴会のことやきねぇ。
よく、県外の方に高知のイメージを聞くと、「酒豪が多い県」という答えが返ってきます。
たとえば、酒豪が多い県と言うと、私などは沖縄や福岡、鹿児島、新潟や岩手などをイメージしてしまうのですが、テレビなどで特集される「酒豪の多い県」の中にはたいてい高知もランクインしていて、どうやら全国に酒豪の名をとどろかせているようです。
確かに高知は、酒豪というか、お酒が好きな県民は多いです。なにしろ、発泡酒の売り上げが全国一位だったなんてことも聞きますし、県内には酒造メーカーが19社(だったと思う)もあります。ほかにも、宴会が大好きなせいで、「はしけん」や「べくはい」「献杯」「返杯」などなど、「お客文化」(高知では宴会のことを「おきゃく」と言ったりします)という、独自の文化も発展しました。
この、宴会を指していう「おきゃく」という言葉は、他県の方にとっては馴染みのない言い方かもしれません。しかし、私が子供だった頃は、普通に使われていた言葉なんです。家にお客さんを呼んで宴会するところから「おきゃく」と言うようになったようなのですが(正式な由来については知りません)、私が子供だった頃、披露宴や法事の後で催す会食(当然お酒が出ます)も「おきゃく」と言いましたし、神祭の日は、友達や学校の先生などに「今晩は神祭やき、おきゃくに来てください」と案内していました。
この、神祭(じんさいと読みます)というのは、いわゆる神社のお祭りのことです。「おきゃく」をするのは主に秋祭りの日で、高知の田舎のほうではわりと最近まで、神祭の日に氏子の家で「おきゃく」をしていました。秋祭りの日に、その神社の氏子の家々では御馳走をこしらえ(この御馳走は、皿鉢料理と言って、直径が60~70センチほどの大皿にお寿司や揚げ物、煮物、果物など、様々な料理を盛り付けたものがメインです)、親戚や、お世話になっている方、友人などを呼び、訪れるお客さんたちに御馳走をふるまうのです。そしてこの神祭の「おきゃく」は、誰が来るのかわからないっていう、他県の方には想像もできないようなアバウトな宴会でした。
たとえば、神社の氏子であるAさんが、神祭の日に友人を自宅に案内したとします。で、Aさん宅に「おきゃく」に行ったその友人は酒を呑んでもりあがり、まったく面識のないお隣のBさん宅に、いきなり「おきゃく」に行く……なんてことが、当たり前のようにあるんです。もちろん、Bさん宅は、Aさん宅とおなじ神社の氏子ですから、当然御馳走をかまえて「おきゃく」をしているわけですね。やってきた見ず知らずのAさん宅の客人に、「ようきたねー」と、にっこり笑って酒を出す。
残念ながら最近は、過疎による高齢化や不況等の影響もあってか、神祭の日に家で「おきゃく」をする家庭は少なくなってしまったのですが、
「おきゃくの時は、隣の隣の、知らんおんちゃんも友達や」
というのが、神祭の日の宴会でした。
「酒が楽しいに呑めるがやったら、それでえいやいか」
ってのが、高知流。無礼講とは、少し違います。ちゃんと、目上の人には敬語で喋ります。しかし、知らん人も、知っちゅう人も、お酒の席では関係ない。ただただ、楽しく呑むのが好きなんです。
だから、飲み屋で隣に座っただけで、話しかけたり、話しかけられたりしますし、お酒を注いだり注がれたりなんてこともよくあります。たまたま隣に座っただけのおじさんにビールを御馳走してもらったのに、
「おごってくれたおんちゃんの名前は知らん。初めて合うた」
なんてことも度々。酒をおごって何とかしてやろうなんていう下心は、高知では粋じゃありません。
おかげで夜の街には酔っ払いがあふれ、私はべろべろになって、記憶をもなくしてしまうのですが……(苦笑)。
「はしけん」というのは、じゃんけんのような、箸を使用した遊びのことです。
「べくはい」というのは、置くと不安定だったり、穴のあいている盃などのことで、酒を注がれると膳の上に置くことができないため(つまり、直ちに呑み干さねばならないという)、他人を酔わせて自分も酔いたい高知県民にはうってつけの盃です。
で、この盃で「献杯(自分の盃を相手に差し出し「まあ、一杯」と、酒を注いで相手に呑ませます)」やら、「返杯(献杯された盃の酒を飲み干し、相手に盃を返して「まあまあ、おまんも一杯」と酒を注ぎます)」などをすると、酔っ払いがたくさん出来あがるという、高知特有のシステムです。
※「献杯」「返杯」は、「べくはい」に限らず、普通の盃でもよくします。