DAY1:発災 Part1
午前7時30分。
いつも通りの朝だった。
アラームを止め、半分眠ったままスマートフォンを手に取る。
通知は、いつもより多かった。
ニュースアプリを開く。
-【速報】日本国内で新型狂犬病ウイルスの感染者を確認-
思わず目が覚めた。
「確認された地域は東京都、大阪府、愛知県。いずれも国際空港を有する地域です。
政府は午前7時、非常事態宣言を発令。国民に対し、不要不急の外出を控えるよう呼びかけています。」
「……マジかよ」
とうとう日本にも入ってきた。
数日前まで、テレビの向こう側の話だった。
アフリカ。中東。南アジア。
それが今は、日本国内で感染者が確認された。
SNSを開く。
ニュースよりも、こちらのほうが情報は早かった。
ただし、まともな情報だけではない。
『感染者、マジで人食ってるらしい』
『これもうゾンビだろ』
『噛まれた奴がまた人を襲ってる』
『警察が撃ってるけど止まらないって』
『デマだろ』
『動画上がってるぞ』
動画を開こうとしたところで、画面が固まった。
「……重いな」
通信障害でも起きているのだろうか。
俺はスマートフォンを置いた。
幸い、現在地周辺では感染者は確認されていない。
とはいえ、安心はできない。
俺は昔から防災が好きだった。
水、食料、携帯トイレ、ライト、電池、衛生用品。
最低でも二週間程度は、家から出なくても生活できる程度には備えてある。
だが、それでも――
「……水、もう少し買っとくか」
念のためだ。
そう思って、車のキーを手に取った。
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午前9時00分
近所のスーパーマーケット。
駐車場に入った瞬間、違和感があった。
「……多すぎないか?」
平日の朝とは思えないほど、車が多い。
店内も同じだった。
カートを押した人間が、あちこちを行き交っている。
米。
水。
缶詰。
インスタント食品。
レトルト食品。
トイレットペーパー。
カップ麺。
誰もが同じようなものを買っていた。
考えることはみんな同じらしい。
俺も必要なものをカゴに入れていく。
水。
缶詰。
米。
インスタント食品。
サプリメント。
それから、家に足りなかった衛生用品。
レジには長蛇の列ができていた。
会計を済ませ、外へ出る。
そのときだった。
「……え?」
駐車場の奥。
人だかりができていた。
何かの事故だろうか。
そう思った。
だが――
違った。
一人の男が、倒れている人間に覆いかぶさっていた。
そして、その首に噛みついていた。
「……何やってんだ、あいつ」
最初は意味が分からなかった。
周囲から悲鳴が上がる。
誰かが警察に電話している。
誰かがスマートフォンで撮影している。
男は顔を上げた。
口元が真っ赤だった。
その目は、普通の人間の目ではなかった。
「……ゾンビ?」
自分でも馬鹿みたいな言葉だと思った。
だが、次の瞬間。
駐車場の反対側から、さらに悲鳴が上がった。
そして――
パァン!
乾いた音が響いた。
銃声。
警察官が拳銃を構えていた。
もう一発。
パァン!
感染者の胸に命中する。
だが、倒れない。
「……嘘だろ」
警察官が後ずさりする...
感染者が飛びかかった。
そして――
「うわぁぁぁぁっ!」
警察官の腕に噛みついた。
周囲が一斉に逃げ始める。
俺も逃げた。
考えるのは後だ。
車まで走る。
買ったばかりの荷物を後部座席に放り込む。
ドアを閉める。
エンジン始動。
アクセルを踏み込んだ。
バックミラーを見る。
駐車場では、人々が我先にと逃げていた。
その中を、何人もの感染者が走っている。
「……マジかよ」
その瞬間、俺は理解した。
これはニュースで言っていた「感染症」なんかじゃない。
――俺たちの日常は、今日で終わった。
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午前10時00分
なんとか自宅まで戻ってきた。
道路は酷い有様だった。
事故車。
放置された車。
走り回る人。
叫び声。
遠くから聞こえるサイレン。
幸い、自宅周辺にはまだ感染者らしき姿はない。
急いで部屋に入り、玄関の鍵を閉める。
チェーンもかける。
ベランダ側の窓も確認。
鍵は閉まっている。
俺の部屋は集合住宅の三階。
そう簡単には入ってこられない。
「……よし」
息を吐く。
買ってきた荷物を床に置く。
それから、テレビのリモコンを手に取った。
ニュースを見る。
画面が切り替わる。
キャスターの表情は、明らかにいつものニュース番組とは違っていた。
『現在、政府は――』
そこで映像が一瞬途切れた。
砂嵐。
数秒後、別の映像に切り替わる。
映っていたのは、東京駅だった。
大量の人間が走っている。
その中に、警察官。
救急隊員。
そして――
人間に襲いかかる感染者。
『繰り返します。これは訓練映像ではありません』
キャスターの声が震えている。
『現在、東京都内では――』
突然、映像が切れた。
画面が真っ黒になる。
「……おい」
数秒後。
画面中央に、赤い文字が表示された。
-Jアラート 国民保護に関する情報-
俺はリモコンを握ったまま、動けなくなった。
そのとき。
外から、誰かの叫び声が聞こえた。
「助けてくれぇぇぇぇ!」
俺は窓に近づいた。
カーテンを少しだけ開ける。
道路の向こう側。
一人の男が走っている。
その後ろには、三人。
いや――四人。
全員、異様な速度で男を追っている。
そして、逃げた男を捕まえ、男は必死に振りほどこうとする。
「やめろ! 離せ!」
だが、相手は離さない。
肩に噛みついた。
「――ッ!」
男の絶叫が住宅街に響き渡った。
続けて二人、三人と感染者が群がっていく。
「……」
俺は動けなかった。
テレビで見た映像とは違う。
目の前で、人間が食われている。
現実だった。
男がこちらを見た。
目が合った。
「助け……」
その声が途切れた。
感染者の一人が、男の肩にもう一度噛みついた。
俺は反射的にカーテンを閉めた。
「……無理だ」
助けられない。
助けに行けば、自分も感染する。
それくらいは分かる。
元自衛官だった頃なら、状況を整理して、周囲を確認して、行動を決める。
だが今は違う。
武器もない。
装備もない。
相手が何なのかすら分からない。
ただ一つ分かっているのは――
噛まれたら終わる。
俺はスマートフォンを取り出した。
119。
指を止める。
電話してどうする?
救急車が来たところで、感染者に襲われるだけじゃないのか。
110。
同じだった。
警察も既に対応しきれていない。
なら――
「家に籠もるしかない」
俺はそう呟いた。
その直後。
玄関の外から、物音がした。
ドン。
「……?」
もう一度。
ドン。
何かが、玄関扉にぶつかった。
俺は息を殺した。
ドン。
ドン。
そして――
ガチャ。
ドアノブが回った。
「……おいおい」
鍵は、掛かっている…




