第108話 海より妻の方が大事
そして、この要衝たる港湾都市の統治と管理は、マルズに一任することに決めた。
陸上部隊を率いて防衛線を支え切った彼の戦功は申し分なく、何より他の武士たちからの推薦があったのだ。
というか……ドレイク町の武士たちに領地を与えようとしても、誰一人として首を縦に振らないのだ。
『領主なんて書類仕事ばかりで退屈な真似、誰がやるもんですか!』
『俺たちは悠様の傍について、もっと強い敵と戦ってレベリングしたいんです!』
目を血走らせる兵たちの姿に、俺は思わず遠い目になった。死にゲー民を育てる意気で鍛え上げた結果、いつの間にか全員が筋金入りの戦闘狂へと仕上がってしまっていたらしい。嬉しい誤算というには些か頭が痛い。
ちなみに百花も、論功行賞の話が出た当初は「私も自分の領地が欲しい!」と駄々をこねていた。
だが、俺が眉を寄せて告げた一言で、状況は一変した。
「領主になったら、領地の見回りや領民の陳情処理で忙しくなって、船に乗って自由に航海へ出られなくなるぞ?」
「……えっ」
「毎日朝から晩まで執務室に缶詰めだ」
「やだ! 絶対やだ! 領地なんかいらない!」
百花は顔を青ざめさせ、あっさりと前言を撤回した。
彼女にはいずれ、新設する海軍――ウィルダム風に呼ぶならば『海上騎士団』が発足した暁に、その要職を任せようと考えている。その時までは、辛抱してほしいものだ。
今回の戦いで際立った武功を挙げた者たちには、相応の報奨を用意した。
勇敢なる戦士たちには『武士』の称号を授与し、さらにその武士たち一人一人に専用の小型船を下賜することを決定した。討伐された魔獣の買い取り代金についても、素材の査定が完了し次第、速やかに全額を現金で支払う手はずを整えてある。
ただし、この恩賞の儀を俺一人の手で済ませるつもりはなかった。最高権力者であるアイリス様の手から直々に下賜された方が、受勲する者たちの誇りにも繋がり、領内の結束もより強固になるはずだ。そのため、正式な式典はドレイク町へ帰還した後に執り行うこととした。
そんな折、ドレイク町を預かる茉莉からの伝令が飛び込んできた。
差し出された書状には、彼女の流麗な筆跡でこう記されていた。
『愛しい旦那様へ、領内の経済規模の拡大が爆発的な勢いに達しており、従来の青銅貨(銅貨)の流通量だけでは日々の商取引を支えきれなくなっております。至急、中額決済を担う「真鍮貨」ならびに高額取引を円滑にする「白銅貨」の早期導入と試作を求めます』
経済の急拡大による通貨不足。船を浮かべてみたいが、妻の願いの方が大事だ。
俺は試作品の鋳造と最終調整のため、すぐさまドレイク町へ帰還する支度を整えた。
◇◇◇
要塞の正門をくぐり、出発のために外庭へと出た瞬間、俺の足はピタリと止まった。
「……は?」
思わず間抜けな声が漏れた。
視線の先には、灼熱の陽炎を纏った愛馬・炎帝が誇らしげに鼻息を荒げていた。
問題は、炎帝そのものではない。彼女の力強い胸板で繋がれている、背後の『馬車』だった。
「な、なんだこれ……!?」
そこに鎮座していたのは、もはや馬車という枠組みを超越し、走る黄金宮殿とでも形容すべき極彩色の乗り物だった。
車体全体を覆うのは、漆黒の魔木に施された精緻極まる彫刻。その至る所に、天を駆ける龍の威厳ある紋章が黄金のレリーフとして惜しげもなくあしらわれている。窓枠や屋根の縁取り、車輪に至るまで、銀の象嵌と磨き抜かれた極上の宝石が散りばめられ、初夏の陽光を浴びてギラギラと眩い光を放っていた。
少し前にドレイク町へと大量に流入してきた『宝石細工師』『金銀細工師』『宝飾師』の職人たちが合流して作った、職人たちの矜持と技術の粋を結集して合作した、悠専用の特注馬車だという。
「いくらなんでも派手すぎるだろ……」
額を押さえながら車輪の足回りに目を落とすと、そこには更なる驚きが待っていた。
車輪は旧来の木製ではなく、しなやかで分厚い黒色ゴム製タイヤが履かされていた。さらに車軸と車体の間には、衝撃を劇的に吸収する金属製のサスペンション機構が完璧に組み込まれている。
タイヤの側面をまじまじと見つめると、前世の地球で名を馳せた某タイヤメーカーを彷彿とさせる、見覚えのある「B」のイニシャルロゴが誇らしげに刻まれていた。
……うん、見なかったことにしよう。職人たちの情熱の現れだ。
恐る恐る取っ手に手をかけ、重厚な扉を引いた。
ギシギシとした不快な摩擦音は一切なく、静かに開く。
車内に足を踏み入れた瞬間、外の過剰な装飾で眩暈を覚えるほどの派手さはなく、それに驚くとともに安心する。
「お……?」
外見の派手さとは打って変わり、車内は驚くほど落ち着いたシックな空間が広がっていた。
深く腰掛けられる上質な革製のシートクッションが対面式で配置されており、大人が四人乗っても十分なゆとりがある。広々とした肘掛けもついており、長旅でも疲れなさそうだ。
壁面には折りたたみ式の木製デスクが格納されており、必要な時に引き出して書類仕事ができる仕組みになっていた。乗り心地への配慮も完璧だ。
「よし、乗り心地を確かめながら帰るとするか」
御者台に向かって合図を送ると、炎帝が力強く歩み出し、馬車は滑るように走り始めた。サスペンションとゴムタイヤのおかげで、路面の悪さをほとんど感じない滑らかな揺れだ。
シートに深く体を預けながら、俺は座席の横に置かれていた木箱を見つめた。
中に入っているのは、職人たちが馬車と一緒に仕立ててくれたという衣装――古代シュメールの王族を思わせる、金糸の刺繍がびっしりと施された豪華絢爛な衣だ。
「うーむ……これ、着るべきか……?」
あまりに派手すぎて着るのに少々勇気が要る。
だが、最近は急激に気温が上がってきており、そろそろ夏服へ衣替えしたい時期でもあった。それに、せっかく職人たちが技術を尽くして作ってくれたものを無下にすれば、彼らの文字通り仕事を奪ってしまうことにもなりかねない。
「よし……着替えるか!」
俺は意を決すると、流れる車窓の景色を背に、新しい夏服へと袖を通し始めるのだった。
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