【第41話】作戦会議(参加者:俺)
【第41話】作戦会議(参加者:俺)
土曜日。午前九時。自室。
議題:告白の方法について。
議長:黒瀬湊。
参加者:黒瀬湊。
書記:黒瀬湊。
傍聴人:なし。
全会一致で議論を開始する。反対意見は出ない。出るわけがない。一人だから。
机の上にルーズリーフを広げた。シャーペンを握った。告白の方法を書き出す。ブレインストーミングだ。とにかく量を出して、そこから絞る。ビジネス書で読んだ手法だ。ビジネス書を読んだことはないが、なんとなく知っている。たぶんテレビで見た。
書いた。
一、手紙。
古典的だ。だが確実に伝わる。文字は声よりも裏切らない。書き直せる。推敲できる。完成度を高められる。
──三秒で却下した。
俺の文章力で手紙を書いたら、読書感想文と同じ構造になる。「僕はこの本を読んで、すごいと思いました」。「僕は神代さんに会って、好きだと思いました」。小学三年生の作文だ。提出先が違う。
二、LINE。
現代の告白ツール。文面を考える時間がある。送信前にプレビューできる。顔を見なくていい。
──五秒で却下した。
俺は「おやすみ」の四文字に十八分かける男だ。金曜は奇跡的に八秒で打ったが、あれは短文だからだ。告白の文面を打ったら、たぶん三時間かかる。三時間かけて完成した文面が「好きだ」の三文字だったら、制作効率として最悪だ。時給換算すると一文字あたり一時間。書道家でもそこまで遅くない。
しかも文面だと温度が伝わらない。「好きだ」の三文字は、声で聞くのと画面で見るのでは密度が違う。絵文字をつけたら余計に軽くなる。スタンプは論外だ。告白をスタンプで済ませたら人間として終わりだ。
三、電話。
声は伝わる。顔は見えない。折衷案。
──二秒で却下。
俺は電話が嫌いだ。対面より嫌いだ。相手の表情が見えない分、沈黙の圧が倍増する。電話で告白したら、「好きだ」と言った後の三秒間の沈黙で心臓が止まる。救急車を呼ぶ暇もない。
四、プレゼントに手紙を添える。
行動で示す方式。クッキーのときのように。飴のときのように。言葉が出ないなら、物で伝える。
──却下ではないが、保留。
問題がある。何を渡すのか。アクセサリーは重い。お菓子は軽い。本は趣味がわからない。花──花を渡す男子高校生。ハードルが宇宙に到達している。宇宙飛行士の選抜試験より難しい。
五、直接言う。
書いて、止まった。
これだ。結局、これしかない。金曜の夜にそう決めたはずだ。「出たとこ勝負でいい」と。「拙くてもいい」と。「原稿は作らない」と。
わかっている。わかっているのに、方法論に逃げている。「どうやって言うか」を考えることで、「いつ言うか」を先延ばしにしている。
手段の検討は思考の隠れ蓑だ。銃弾の種類を吟味しているうちに戦争が終わるタイプの兵士だ。
ルーズリーフを見た。五項目。全部却下か保留。会議の成果:ゼロ。議事録に「成果なし」と記入する。議長として恥ずかしい。参加者としても恥ずかしい。書記としても恥ずかしい。全員が俺だから、恥ずかしさの総量は三倍ではなく一倍だ。一人三役だから当然だ。
◇
午後一時。リビング。
母がテレビを見ている。父は仕事。
テレビでドラマの再放送をやっている。恋愛もの。男が女に告白している。夕焼けの屋上。「好きだ」。女が泣く。「私も」。エンドロール。
簡単そうに見える。あれは脚本がある。NGが出たら撮り直せる。俺にはない。脚本なし。リハーサルは鏡の前で四割。人生は一発撮りだ。フィルムは巻き戻せない。
──相談するか。
一人では堂々巡りだ。
候補一:八代凛太郎。
友人。話しやすい。恋愛の知識は豊富(本人談)。火曜の屋上で背中を押してくれた。信頼できる。
──だが問題がある。
八代に「告白する」と言った瞬間、その情報は五分以内にクラス中に拡散する。五分は甘い見積もりだ。三分かもしれない。あの男の口はザルだ。ザルどころかネットだ。網目が広すぎて何も留まらない。
最悪のシナリオ:八代が拡散→クラスメイトが知る→昼休みに保健室前に野次馬→告白が公開処刑になる。
却下。
候補二:白石杏。
保健室の常連。二人の関係をよく見ている。女子の視点からアドバイスをくれる可能性がある。
──だが問題がある。
杏は善意の塊だ。善意の塊は制御できない。杏に「告白する」と言った瞬間、善意が暴走して「澪ちゃん、湊くんがね──」と全部報告する未来が見える。見えるどころか確定している。因果律の向こう側にある必然だ。
最悪のシナリオ:杏が報告→澪が知る→告白のサプライズ性がゼロ→保健室で気まずい空気→朝倉先生がコーヒーで胃を壊す。
却下。
候補三:柊栞。
口は堅い。水曜に「応援しています」と言ってくれた。──だが柊に相談すると、調査報告書に追加される。「黒瀬湊、告白を計画中。すべて未定」。あの分厚いファイルの最終ページに俺の恋愛進捗が記録される。却下。
候補四:朝倉先生。
大人。冷静。「わかるまで大事にしなさい」と言ってくれた。──だが先生に「告白したいです」と相談するのは進路相談みたいだ。「先生、俺の将来の希望は神代澪です」。進路指導の先生が泣く。却下。
結論:相談先なし。一人で決めて、一人で実行する。
会議時間:四時間。成果:ゼロ。少なくとも「相談しない」が決まった分だけ、選択肢が一つ減った。減算の前進。
◇
日曜日。
一日中、何もできなかった。
正確に言えば、何もしていないわけではない。部屋で問題集を開いた。一問目を読んだ。「次の英文を和訳せよ。"I have been thinking about you."」──思考がフィルターになっている。全ての英文が告白に見える。
スマホを開いた。澪からのLINEは金曜夜の「おやすみ」が最後だ。日曜は来ていない。送るべきか。何を。「おはよう」か。日曜の昼に「おはよう」は遅い。「何してる?」は踏み込みすぎだ。「ブランケットありがとう」──金曜の話を今更? タイムラグが二日。通信障害か。
結局、何も送らなかった。
夕方、鏡の前に立った。金曜の続き。十一回目。
「……好きだ」
出た。金曜より少しだけ声量が上がった。壁の向こうには聞こえないが、ドアの前に人がいたら聞こえる。進歩だ。ドア前の攻略完了。次は一メートル。その次は三メートル。最終的には三十センチ──保健室の、隣の席。
十二回目。十三回目。声は出るようになった。唇が形を覚える。舌の位置が定まる。筋肉の動きとしては単純だ。
だが鏡の中の自分が相手だから言える。鏡は答えない。受け入れも拒絶もしない。
十四回目。声が詰まった。鏡の中に神代さんの顔を想像した瞬間、喉が閉じた。
──ダメだ。本番の難易度は鏡の五十倍だ。ゲームのノーマルモードとルナティックモードくらいの差がある。セーブもロードもない。残機ゼロ。
◇
月曜日。教室。
一時間目が始まる前。八代が話しかけてきた。
「黒瀬、週末何してた?」
「……別に」
八代が眉を寄せた。
「別にって顔してねえぞ。隈がすごい」
寝ていない。正確に言えば、眠れなかった。日曜の夜、布団に入ってから三時間、天井を見ていた。天井に「好きだ」と二十回唱えた。天井は何も答えなかった。鏡と同じだ。相手がいない告白は永遠に完結しない。
「……寝不足」
「テスト勉強?」
八代が首を傾けた。
「……まあ」
嘘をついた。テスト期間ではない。だが本当のことは言えない。「告白の練習をしていて眠れなかった」は、人間として情けなさの天井を突き破る回答だ。
八代が何か言いかけて、やめた。火曜の屋上以降、八代は踏み込みすぎないようにしている。あの日「ズルいのはやめろ」と言ってから、八代は待っている。俺が動くのを。俺が自分で決めるのを。
わかっている。だから余計に、動けない自分が歯がゆい。
◇
昼休み。保健室。
ドアを開けた。
「湊くん♡」
月曜の最初の一撃。金曜のブランケット以降、この声の破壊力が倍増している。自覚した心臓がフィルターを失った。全弾直撃。防御力ゼロ。
「……おう」
隣に座った。弁当箱を出した。神代さんも弁当箱を出した。
「月曜だから気合い入れたよ♡」
蓋を開けた。豚の生姜焼き。副菜三品。彩りが完璧だ。赤、緑、黄。信号機だ。三色揃っている。栄養バランスまで制御している。この人は俺の健康管理を前線基地レベルで遂行している。
「……すごいな」
「ありがとう♡ ──あ、五日目♡」
五日目。「すごいな」の連続記録が更新された。もはや挨拶だ。「おはよう」の代わりに「すごいな」。日本語の使用法として完全に誤っているが、この保健室内でのみ通用する方言だ。
「……うまい」
神代さんが嬉しそうに目を細めた。
「嬉しい♡」
──この会話。この、いつもの会話。
俺は今、この「いつも」の中にいながら、この「いつも」を壊そうとしている。「好きだ」と言った瞬間、この日常の空気は変わる。良い方向に変わるかもしれない。悪い方向に変わるかもしれない。どちらにしても、今のこの温度はもう同じには戻らない。
怖い。
金曜の夜の決意が、月曜の昼に揺らいでいる。
いや──揺らいでいるのではない。決意は変わっていない。「伝える」は決まっている。揺らいでいるのは時間軸だ。「いつ」が決まらない。「今日か」「明日か」「来週か」が、脳内議会で延々と審議されている。可決も否決もされない。議事進行妨害。フィリバスター。政治の世界でしか聞かない言葉が脳内に出現した。
生姜焼きを噛んだ。味が薄い。──いや、味はいつも通りだ。俺の味覚がおかしい。脳のリソースが告白シミュレーションに九割五分割かれていて、味覚に回す余力が残っていない。
「湊くん、今日なんか変だよ?」
神代さんが俺の顔を覗き込んだ。近い。三十センチが二十センチになった。目が合った。切れ長の目。睫毛が長い。瞳の中に俺の顔が映っている。赤い顔が。
「……変じゃない」
「変だよ♡ 目の下、黒いし。ちゃんと寝た?」
隈。バレている。寝不足の証拠が顔面に刻まれている。隈は嘘をつけない。口は「別に」と言えるが、顔は正直だ。
「……ちょっと寝付きが悪かっただけ」
「そうなの? 大丈夫?」
心配している。声のトーンが甘さから少しだけ真剣さに寄った。保健室モードの中の、本気の部分。
「……大丈夫」
大丈夫ではない。お前のことが好きで眠れなかった、とは死んでも言えない。死因:恥死。墓碑銘:「告白できず逝去」。享年十七。
神代さんが鞄の中からポーチを出した。何かを取り出した。小さなチューブ。
「はい、これ♡ 目元用のクリーム。隈に効くやつ」
「……ありがとう」
受け取った。手が触れた。一瞬。木曜の手繋ぎの記憶が瞬時に再生された。全身の血液が顔面に集合した。緊急招集。心臓がサイレンを鳴らしている。
神代さんが「ふふ」と笑った。俺の反応を見ている。楽しそうに。
──この人は、わかっているのか。わかっていないのか。俺が今どういう状態なのか。金曜に手を繋いでから、俺の内部で何が起きているのか。
たぶん、半分はわかっている。半分はわからないふりをしている。この人はそういう人だ。
朝倉先生がデスクで書類を書いていた。こちらを見ない。見ないことで見守っている。あの人の「見ない」は「見ている」だ。養護教諭のパッシブスキル。発動条件:保健室内で生徒が甘い空気を出したとき。効果:存在感をゼロにする。
弁当を食べ終わった。箸を置いた。
──今、言うか。
心臓が跳ねた。「今」が頭をよぎった。今。ここで。月曜の昼休み。保健室。隣に神代さんがいる。朝倉先生もいる。条件は──整っていない。朝倉先生がいる。告白は二人きりでするものだ。たぶん。ドラマではそうだった。
──違う。条件のせいにするな。
朝倉先生がいなくても、言えない。言えないから条件を探しているんだ。「今日は朝倉先生がいるから」「今日は昼休みが短いから」「今日はまだ準備ができていないから」。全部言い訳だ。
金曜に決めた。「伝える」と。方法は出たとこ勝負でいいと。
──なのに、出たとこに行けない。出たとこの前で足踏みしている。スタートラインに立ったまま、号砲を待っている。号砲は鳴らない。号砲を鳴らすのは俺自身だから。自分で鳴らすピストルの音を自分で待っている。永遠に始まらないレース。
チャイムが鳴った。
また、言えなかった。
「じゃあ、放課後に」
「うん♡」
◇
放課後。保健室。
英語の宿題を開いた。教科書の長文を読んだ。一行目。"She waited for him every day."──彼女は毎日彼を待った。
教科書まで共謀しているのか。宇宙が俺に告白を促している。教科書も、テレビも、天井も、鏡も。全員がグルだ。
隣で神代さんが数学の問題を解いている。シャーペンの音が聞こえる。紙の上を滑る芯の音。小さく息を吐く音。考え込んで、こめかみをとんとんと叩く音。
金曜に気づいた癖。気づいてからは、ずっと聞こえる。拡張された聴覚。恋をすると五感が鋭くなるのか。それとも相手のことだけ鋭くなるのか。
「……湊くん」
「……ん」
神代さんが少し心配そうな顔をしている。眉がわずかに寄っている。
「今日、元気ないね」
「……元気はある」
神代さんが唇を尖らせた。
「嘘♡」
嘘ではない。元気はある。体力的には問題ない。問題なのは精神のキャパシティだ。告白の計画でメモリが常時九十五パーセント消費されている。残り五パーセントで日常をこなしている。タスクマネージャーが悲鳴を上げている。
「ほんとに大丈夫? なんかあったら言ってね?」
言ってね。
言いたい。言いたくてたまらない。お前が好きだと言いたい。金曜から三日間、ずっと言いたい。鏡にも天井にもルーズリーフにも言った。言っていないのは本人にだけだ。
「……うん」
また「うん」で逃げた。
杏が来た。ドアを開けて、二人の空気を一瞬で読んだ。
「……なんか、空気重くない? 喧嘩?」
「してない」
神代さんが人差し指を振った。
「してないよ♡」
杏が「ふーん」と意味深に笑った。何か察している顔。この人の察知能力は要注意だ。柊の調査力とは別の方向に精度が高い。
杏は鞄からお菓子を出して、三人で分けた。ポッキーだ。何の変哲もないポッキーが、俺には爆弾に見えた。心臓の過剰防衛。迎撃ミサイルが飛んでもいないミサイルに向けて発射されている。
杏が十五分で帰った。「じゃあね〜。仲良くね〜」。その「仲良くね」に、五千兆円分の意味が込められている気がした。
保健室に二人と朝倉先生。いつもの構成。
告白は──今日もできなかった。
帰り際、いつものように立ち上がった。鞄を持った。
「……また、明日」
「じゃあ、放課後に」のバリエーション。少しだけ変えた。「また、明日」。明日の約束。未来の約束。
神代さんが少し驚いた顔をした。そしてふわりと笑った。
「……うん♡ また明日♡」
その笑顔が、金曜の三番目の笑顔に少しだけ似ていた。分類できない笑顔。保健室モードでもなく、外の顔でもない。
廊下に出た。冷たい空気。十一月の月曜の夕方。
手のひらを見た。空っぽだ。何も握っていない。木曜のあの温度は、もう記憶の中にしかない。
──明日こそ。
月曜に言えなかったことを、火曜に言う。
……と、金曜にも思ったし、土曜にも思ったし、日曜にも思った。「明日こそ」の連続。先延ばしの無限ループ。for文の終了条件が設定されていない。永遠に回り続ける。
だが──何かが違う。
今日、神代さんの「ほんとに大丈夫?」を聞いたとき、胸の中で何かが引っかかった。
俺が悶々としている間、この人は心配している。俺のことを。寝不足を。元気がないことを。いつも通りじゃないことを。
俺が告白を先延ばしにするたびに、この人の心配が一つ増える。
「ズルいのはやめろ」。
──やめる。やめなきゃいけない。
先延ばしは、ズルだ。決意したのに実行しないのは、ズルだ。この人を心配させたまま「明日」「明日」と繰り返すのは──八代が怒る種類のズルさだ。
家に帰った。鏡の前。十五回目。
「好きだ」
出た。月曜の十五回目は、声量が土曜の三倍になっていた。壁を貫通する。隣の部屋に届く。
──だがまだ、鏡の中だ。鏡を超えなければならない。鏡の向こうには、切れ長の目と、甘い声と、三番目の笑顔がある。
ベッドに座った。スマホを見た。LINEを開いた。
何を打つ。「好きだ」ではない。さっき却下した。LINEで告白はしない。
だが──約束はできる。
日時を決める。場所を決める。それだけでいい。内容は出たとこ勝負。金曜にそう決めた。決めたなら、せめて「いつ」と「どこ」だけは確定させろ。
打った。
『明日、放課後、時間ある?』
送信。制作時間──十二秒。金曜の八秒よりは遅い。だが三十分よりは速い。内容に対して、十二秒は奇跡的な速度だ。
既読がついた。三秒。
返信。
『あるよ♡ 保健室?♡』
保健室。そうだ。保健室だ。ここが始まった場所だ。告白する場所として、これ以上ない。図書室でも屋上でもない。保健室だ。
打った。
『うん。保健室で』
送った。指が震えた。心臓が壊れた。
返信。
『楽しみ♡ おやすみ♡』
楽しみ。
この人は「楽しみ」と言っている。何が起きるか知らないのに。俺がどれだけの覚悟を込めてこのLINEを打ったか知らないのに。
──いや。
知っているかもしれない。この人は、半分はわかっている。
『おやすみ』
送った。制作時間、三秒。
──火曜日。放課後。保健室。
先延ばしの終わりが、決まった。




