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幼姫と雨の中の散歩

 外はあいにくの雨模様。

 空からの雫は次から次へと落ちて、葉っぱのトランポリンを跳ねているみたい。

 楽しげな雨粒たちとは裏腹に、スラーはそれを恨めしい気持ちで眺めました。

「今日は一緒にお出かけする日だったのに……」

 呟いて、溜め息ひとつ。

 窓に映る顔が明らかにガッカリしていて、自分でも笑ってしまいます。

 何せ、一緒に馬に乗って、遠くの野原へ行って、お花を摘んで、お弁当を食べて……と前日の夜からいろいろと想像していた楽しいことが、すべて実行できなくなってしまったのですから。

 机の上に用意してある、大小二つのお弁当箱。中身は料理長さんに簡単なものを教えてもらいながらスラーが作りました。

 ちょっと茶色が濃い卵焼きと、足の数がまちまちなタコさんウィンナー。

 そして気合いを入れすぎて石みたいに固くなってしまったおにぎり。

 見た目はいまいちだけど、美味しいと言いながら食べてくれる顔を想像して作っただけに、本当に想像だけで終わってしまいそうな予感がして尚更落ち込みます。

 せめてこのお弁当だけでも一緒に――と思っても、運の悪いことに、降り続く雨のせいで、朝早くに王宮に来られる予定だったお客様の馬車が遅れていると聞きました。

 そのお客様と会ってからとなると、当然スラーとの小さな約束は後ろにずれこむでしょう。

 お昼なんてとっくに過ぎてしまいます。トーン兄さまはお忙しいから。

「あーあ……」

 この溜め息は何度目でしょう。もう数えるのも飽きてしまいました。

 その時、コンコンとノックする音が聞こえました。

 はぁい、と返事をしながら扉を開けると、いつも身の回りのお世話をしてくれる侍女のフィーネさんが立っていました。

「まぁ、スラー様。まだ準備なさっておられないのですね」

 驚いた顔でいきなりそんなことを言われて、スラーはまばたきを何度もしてしまいました。

 どういうことかわからない、と顔に書いてあったようで、フィーネさんがくすくすと笑います。

「陛下が玄関広間でスラー様をお待ちかねですよ。さぁ、お急ぎになって」

「えっ、えっ?」

――だって。トーン兄さまはこれから大事なお客様をお迎えするんじゃ。

 スラーが疑問を口にする前に、フィーネさんがお弁当をササッと鞄に詰めてしまいました。

「さぁさ、こちらにお召し替えくださいませ」

 用意された服は、今着ているフレアスカートとは真逆の、細身のパンツでした。訳もわからないまま、急かされて足をねじ込みます。

 足元に置かれた可愛い長靴と、フリルのついた傘はお揃いピンクの花模様。

「こんな靴ありました?」

 やっと口に出せた質問はこれでした。

 ムジークの王宮に来て長いですが、この長靴は初めて見ます。恐る恐る履いてみると、びっくりするくらいピッタリで。

「陛下が選んでくださったそうですよ。スラー様にお似合いだろうって」

「えっ……」

 さっきから、驚きの連続で心臓が止まってしまいそうです。

 トーン兄さまが、スラーのために。

 そのことだけで、嬉しくてスキップしたい気分になりました。

「湿気で髪が広がりますから、軽く束ねましょうね。パンツスタイルならそのほうが合いますし」

 そう言って、フィーネさんは可愛いリボンを使ってスラーの髪を高い位置で結ってくれました。

 肩よりちょっと下くらいの長さの髪はいつも下ろしているので、何だか首がすーすーします。

「素敵ですわ、スラー様。……さぁ、あまりお待たせしては、陛下がお出かけ前からくたびれてしまいますよ」

 フィーネさんの言い方に、思わず笑いがこみ上げます。

 スラーは急いで鞄を肩にかけると、部屋の外へと飛び出しました。

「ありがとう、フィーネさん! 行ってきます!」

 スラーが走りながら手を振ると、フィーネさんも優しく笑って振り返してくれました。


 ぱっこぱっこ。

 長靴で廊下を走ると、ちょっと変な音がします。でも今日はそれがとってもウキウキする音です。大きな水たまりも、これがあればへっちゃら。

 スラーが玄関広間に着くと、会いたかった人の姿がそこにありました。

「おぉ、スラー! 来てくれたか」

 トーン兄さま。ムジーク国王陛下。この国の中で一番偉い人。

 よその国から来たスラーのことを、最初から家族だったみたいに扱ってくれるひと。

「お待たせして、すみません」

 はぁはぁと息をしながらだと、スラーはそれくらいしか言えません。

 代わりに、目の前のトーン兄さまをまじまじと見つめます。

 普段のキリッとした王様の衣装と違って、襟元の開いたラフな服装です。飾り気がなくても、やっぱりどこか品があります。そして。

「あ、長靴」

 トーン兄さまの足元にも、長靴がありました。

「スラーとおそろいですね」

「雨と言えば長靴、だろう? スラーも似合っているぞ」

 褒めてもらえて、心がぽっと温かくなります。

 ありがとうございます、と言うと、トーン兄さまは満足そうに頷きました。

「さぁ、出かけるとしよう。馬で遠くに行くことはできないが、雨だからこそ見られる景色というのも美しいものだぞ」

「でも……大丈夫なのですか?」

 ん? と首を傾げるトーン兄さま。

 でもすぐにスラーの言いたいことが分かったようで、笑顔を向けて答えてくれました。

「道が悪くて到着時間が読めないので、明日に延期してほしいと申し入れがあった。俺としても願ったりだ、何せスラーとの約束があったからな」

 そう言って、トーン兄さまは行こう、と手を差し出してくれました。

 スラーは嬉しくて、飛び上がりたい気持ちをおさえてその手を握ります。


 玄関を出ると、目の前はすぐ雨の世界でした。

 地面を跳ねた雨粒が長靴に当たりますが、ちっとも冷たくありません。

 広がったスカートが濡れる心配もありません。パンツスタイルを選んでくれたフィーネさんに、心の中でお礼を言います。

 トーン兄さまが、器用に片手で紐をほどいてバサッと傘を開きました。

 真似しようとして、今さっき繋いだばかりの手を思い出しました。

 スラーは、同じように片手で傘を開くことはできません。

 できれば、このまま手を繋いでいたい。このぬくもりを離したくない。

 でも、せっかく用意してくれた傘。可愛い長靴とお揃いの傘。

 どうしよう……と悩んで動けないでいると、トーン兄さまに顔を覗き込まれました。

 またスラーの顔に何か書いてあったのか、にっこりと笑いかけられます。

「二人で一つずつ傘をさしたら、遠くて声が聞こえにくくなりそうだな。俺の傘に一緒に入ろう」

 思わぬ提案に、心臓がドキッと踊りました。

 広いお庭で、二人一緒の傘の下。スラーの傘は閉じたまま、先端が水たまりをトンと蹴ります。

「そういえば、今日は髪を結んでいるんだな。可愛いじゃないか」

 こんなに近くて、こんなに嬉しいことを言ってくれて。

 繋いだ手から心臓の音がトーン兄さまに伝わってしまうのではないでしょうか。

 そんなことを思うと余計にドキドキが速くなってしまいます。

「何せ久し振りだからな。どんなことを話そうか、昨日の夜からずっと考えていたんだ」

「トーン兄さまも? スラーも話したいこと、いっぱいあります!」

「そうか、それは楽しみだ」

 ぱっこぱっこ。ぱっこぱっこ。

 二人の長靴の音が、まるで合唱のように一つの傘の中で響いていました。


「おっ」

 庭園のあずまやに向かう途中、トーン兄さまがふと足を止めました。

 気づかず一歩二歩と進んでしまったスラーの手を優しく引いて、濡れないようにと身体の近くに寄せてくれます。

 繋いだ手は離れて、その代わりに肩のところがぽわりと温かくなりました。

「見てみろ、綺麗だぞ」

「わぁ、ほんとだ」

 示してくれた指先を辿ると、ちょうど目の高さくらいに小さな青い花が咲いていました。

 雨の季節に咲く花は紫陽花が有名だけど、今はちょっと時期外れです。

「なんていうお花なんでしょう」

「うーん、俺もそこまで詳しくないからな。今度シドにでも聞いてみるか」

 苦笑いしながら、トーン兄さまは腰をかがめました。

 低くなった傘の下で、息遣いが伝わるくらい顔が近くにあります。

 スラーは、トーン兄さまの横顔を見つめました。

 透き通った、ロイヤルブルーのひとみ。

 他にもたくさん咲いている中で、名前も知らない小さな花に目を留めて微笑む表情に、胸の奥が温かくなります。

 青って冷たいイメージのある色だけど、とても優しくて、あたたかな、あお。スラーの大好きな。

「ん? どうした?」

 長い時間じーっと見てしまっていたらしく、トーン兄さまが不思議そうな顔でこちらを向きました。

 心を惹きつける綺麗なあおのひとみの中に、スラーが――スラーだけが映っていて。

 その瞬間、とても恥ずかしくなって顔が一気に熱くなるのがわかりました。

「ご、ごめんなさい、なんでもないですっ」

 慌てて前を向き、もう一度花を見つめます。

 青い花びらの上で、まあるい露がきらきらと輝いていました。

「……本当に、きれいですね」


 それは、スラーの大好きな『あお』と似ていて。

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