国王と別離への序曲(4)
火の粉が舞う。崩れた花壇や柱が見える。
人々の穏やかな話し声は悲鳴に変わり、いつもの平和なムジーク王宮の庭の光景は影も形もなかった。
俺の国を踏みにじられた悔しさに奥歯を噛みしめながら歩みを進める。
「!? ちょっと、何やってんの、出てこないで!」
氷の壁を盾にしたヘオンが精霊魔法の詠唱を中断して叫ぶ。
俺は警告を無視して近寄り、一言問うた。
「魔法障壁は」
「纏ってた闇魔法は剥がせたけど、飛竜自体の侵入は防げないし、飛竜の吐く炎も精霊由来じゃないから用を成さない。僕が魔法を使うのに邪魔だから解除したよ」
つまり俺が魔法を使っても問題ないということか。
ヘオンほど多彩な展開はできないが、王気による優位性は技術の不足を補える。
「手応えがなくて参ったよ。痛覚ないのかな」
悔しそうに呟くヘオン。
その左腕がだらりと力なく下がっているのを見て、息を呑む。
「怪我を、しているのか」
「……尻尾がちょっと当たっただけ。大したことないよ」
左腕を隠すように身体を捩って、ヘオンは口元に笑みを浮かべる。
その言葉が強がりなのは、夜目にも分かる脂汗からも明白だった。
俺の胸が悲嘆と憤怒に軋む音が聞こえる。ソファラに続いてヘオンまでも。
傷つけられたのが俺の身なら、痛みにはいくらでも耐えられるというのに。
「無理はするな、下がっていろ」
「口が動けば大丈夫、まだやれる」
「下がれ。これは命令だ」
俺は語気を強める。苦々しい表情で、ヘオンが俯いた。
「……っ、何だよ、こんな時ばっかり……!」
素直でない弟が、国を、王宮を、皆を――俺を守ろうとしてくれているのは痛いほどよく分かる。
だが、その思いに甘んじてただ守られているだけというのは、どうしても我慢できそうにない。
「ありがとう、ヘオン。後は俺に任せておけ」
「任せろって……馬鹿? 死ぬ気なの?」
「俺が行かなければ収拾がつかないだろう? すまないが、炎から皆を守ってくれるか」
唖然とする弟に、苦笑してみせる。
いくらヘオンが膨大な魔力を持つとはいえ、これだけの飛竜を相手に攻撃と防御を展開し続けたなら相当消耗しただろう。貴重なフォルスをこれ以上無駄に縮ませてほしくはなかった。
三匹の飛竜は地上に降り立ち、取り囲む騎士たちを低い咆哮で威嚇していた。
口腔内に溜めた炎を吐き出すたび、熱風がマントを巻き上げる。
シャープの指示で一歩、また一歩と後退していく騎士を横目で確認し、俺は前に歩み出た。
飛竜に対峙する恐怖よりも奥底から湧き上がる怒りが上回って、怖気づこうとする身体を奮い立たせる。
息を吸い込み、腹の底から声を張り上げた。
「ムジーク王国国王、トーン=スコア=ムジークだ! グランディオ皇国皇帝グラッセ、俺との対話をご要望ならば、ただちに攻撃をやめさせよ!」
中央に陣取る、他より一回り大きい個体。
その背に跨っていた男が何かを唱えると、飛竜たちが口元の炎を燻らせた。
男は従者の補助を受けながらゆっくりと地面に降りる。
肥えた丸いシルエット、ふんぞり返った足取り、野卑に歪んだ表情。
二年前から少しも代わり映えしない、皇帝グラッセその人だった。
「遅いではないか。待ちくたびれたぞ、ムジークの嫡男よ。――おっと、今は国王か」
わざとらしく言い直す、年齢の割に甲高い声。
周囲は静まり、火が燃える音のみが響く中で、尚更その声は嫌悪感を伴って耳にまとわりつく。
「貴国とは今後一切の関わりを絶つ、と宣言したはずだが。伝わっていなかったか?」
俺が切り出すと、グラッセは腰に手を当て、
「確かにそう聞いたが、余はそれを了承した覚えはない」
くくく、と笑いながらそう言ってのけた。
元々まともな人間だとは思っていなかったが、こうも躊躇なく非道を行えるものなのか。俺とは考え方が根本的に相容れない。
「スレイアはどこだ。愚王ヴェルテの娘が他国でおめおめと生き長らえているのは見苦しい、余が直々に沙汰を下しに来たぞ」
「そんな娘はいない。仮にいたとしても罪のない子供を差し出すわけがないだろう」
「しらばっくれるのが下手だな。……まぁいい。後でゆっくり探すとするか」
グラッセは鼻を鳴らして、隣の巨体を見上げた。
「どうだ? 余の可愛い飛竜たちに蹂躙される気分は。フェルマータ王家の飼っていたものとは強さが桁違いだろう。余がここまで育て上げたのだ」
自慢げに語るグラッセの手に、既視感のある丸い物体が握られていた。
ゴツゴツした皮に、血のような色をした紅い実――麻薬植物パシオネだ。
昼間見たそれよりも数倍大きく、グラッセがそれを軽く放り投げると飛竜が目の色を変えて食いつき、ガリゴリと音を立てて咀嚼した。
途端に、巨大な金の瞳が剣呑な光を帯びる。
「パシオネの実を使って、飛竜たちをも操っているのか……!」
清廉だったフェルマータの象徴を汚された気がして、怒りに拳が震える。
薬漬けになった者が禁断症状から抜け出せず苦しみ続けることを思い出し、今の俺にこの飛竜たちを救う術がないことが、さらに暗澹たる気分にさせる。
グラッセは片眉を上げ、感嘆の声を漏らした。
「ほう、ムジーク国王はパシオネの効能をご存知か。ならば話が早い」
ばっと両手を広げて。
「ムジーク王国はこれより、我がグランディオ皇国の領地とする! 奇跡の花、そして極楽の果実がもたらす快楽と共に、全てを受け入れよ!」
横暴な宣言に戦慄する。
やはりまだ、諦めていなかったのだ。父と母の命を奪っただけでは飽き足らず、スラーとこのムジーク王国そのものを手中に収めるつもりで、グラッセは着々と準備を進めていた。
飛竜を操れるという圧倒的な戦力を見せつけて、俺たちを平伏させるために。
ここで屈服しては、全てが終わる。
俺の大事な国を、民を、魂を、力と薬で支配するなどあってはならない。
平穏に生きる幸せを奪う権利など、与えない。
「――俺の半身に等しいこの国を、貴様などに渡してなるものか!!」
断固たる決意を込めて、叫ぶ。
するとグラッセはさらに俺へと指を突き付けてきた。
「ではムジーク国王、貴様には消えてもらおう。頂点に立つ者は二人要らぬ」
シャープが槍斧と盾を構えて俺の前に躍り出る。
グラッセが再び何事かを呟くと、三匹の飛竜が一斉に首をもたげた。
こちらに狙いを定め、喉の鱗の隙間から灼熱色の光が透けて見える。――来る。
精霊語を頭の中に思い浮かべる。
俺が護るべき命と、憐れな飛竜たちの命を天秤にかけ、防御で耐え凌ぐよりも先に仕留めることを選択した。
腰の剣を抜き、刃を天に向けて眼前で構えた。
ムジーク国王に代々受け継がれるこの剣は、精霊王の加護により剣身に王気を宿す。
王の身体の一部となって、精霊の力を思うがままに纏うことができる。
《……雷よ。我が剣に集い、竜の鱗を切り裂く刃となれ》
空に向かって閃光が迸り、激しい雷の力を抱いた長大な剣となって周囲を明るく照らす。
それを正面に構えると、飛竜も赤熱した口腔をこちらに向けて開いたところだった。
俺がシャープと同時に地面を蹴り、まさに炎が放たれるその瞬間。
「――やめてください!!」
声が、響き渡った。




