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CARAMEL  作者: 来生尚
婚前旅行は波乱万丈
5/28

 彼と一緒にいることを後悔するまでに、そう時間は掛からなかった。

 現在進行形で後悔している。

 なぜかって?

 それは彼がスパルタ教師に変身したからよ。

 意気揚々と、自分で言うのは恥ずかしいけれど恋人として村を出たまでは良かったわ。

 幸せはそこでおしまいよ。

 もしも吟遊詩人がこのことを詩にするなら、そのところまでで終わりにすべきだわ。二人は永遠に幸せに暮らしましたって。

 手に手を取って二人でどこに行くのかと思ったら、隣国へ行くという。

 約1ヶ月の船旅。往復2ヶ月。

 彼の自由時間は3ヶ月だと聞いたのに、移動で2ヶ月よ。

 しかも船。途中下船は不可能。逃げ出したいって言っても、逃がしてもらえるはずもない。

 更に最悪な事に、知り合いがいるかも知れないからといって、彼は部屋から一歩も出ようとはしない。

 だから二人っきりの部屋の中で、お互いだけしか話し相手もいないわけ。

 煮詰まるわよ、最高に。

 話すことなんて、3日もすれば無くなるわ。

 それにね、甘かったわ。彼と一緒にいるという事の意味の認識が。

 彼と一緒にいるという事、それは……。

「考え事禁止。食事中は他に気を逸らさない。それと、今のナイフの使い方雑」

 下を向いていたと思っていた彼が、お小言を発する。

 もうやだ。こんな罰ゲームみたいな食事。

 溜息をついて、手にしていたナイフとフォークを置く。

「ごめん。ちょっと外に出てくる」

 彼の返答も待たず、立ち上がって船室の中を横切る。

 もうとても食事なんて気分じゃない。それに何もせずに部屋にいるだけだからお腹が空きようもない。

「どこ行くんだよ」

 問いかけられたけれど答える気力も無く、静かに扉を閉める。

 奥まったところにある船室から通路を通って甲板に出る。

 ゆっくりと進む船の上、ぼーっと空と海の交わるところを眺めている。

 おかしいな。

 好きな人といるのって、こんなに苦痛なものだったかな。そんな事無かったと思うんだけれどな。

 何でこんなに息苦しいんだろう。

 こんなはずじゃなかったのに。

 それは彼が王族だからなんだろうか。今の国王の弟で、直系王族だから?

 彼と並んで歩くのに相応しいようにならなきゃいけないという理屈はわかる。

 立ち方、歩き方、話し方。食べ方、飲み方。

 全てが至らないのはわかる。

 けれど「どうして」「何で」という考えが頭をもたげる。

 今のままの私じゃ、彼の隣には相応しくない。

 それを他の人に言われるならまだいいよ。言うのが彼自身なんだもん。

 どうして私を選んだのって言いたくなる。

 何でそこまでしなきゃいけないのって言いたくなる。

 私が選んだ彼、私が好きな彼は、王族の仮面を被っている彼なんかじゃないのに。

 それなりの格好をして、立ち居振る舞いを学ぶ為にと与えられた服一式。

 とても汚すのは忍びない服で、甲板に直接腰を下ろすなんて出来ないし、どこかに寄りかかるなんてことも出来ない。

 煌びやかなという形容とは違って、どこと無く華美な装飾は控えめなんだけれど、素材とか仕立てとかがまるで違う服。

 過去にしていた仕事の服とも、またちょっと違う。

 けれど、貴族が常日頃普段着として着ている服なんだろうなという感じかな。

 甲板を行き交う人たちが、遠巻きに私のことを見ている。

 場違い感は拭えない。きっと今の私がしているような格好の人たちは、ここには立ち寄らないのだろう。

 私だって本来ならそちら側の人間なのに。

 そんなこと、考えたって仕方の無いことだわ。

 溜息が零れる。

 何度も何度も溜息が漏れる。

 一度飛び出してしまったら、戻る勇気が無くなってしまった。

 足がこの場に縫い付けられてしまったかのように、一歩も動けなくなってしまった。

 何をするでもなく、ぼーっと空を眺めていると「わあっ」っと歓声が上がる。

 なんだろうと思ってその方向を見ると、空を優雅に巨大な生き物が泳いでいる。

 紅色の竜。

 何でここに。

 大地からは結構距離が離れていると思うのだけれど、どうしたのだろう。

 思わず両手を竜へと伸ばしかけ、そしてやめる。

 手を伸ばして何になる。

 目を伏せ、なるべく竜を視界に入れないように甲板から船の中へと足を向ける。

 ドン。

 俯いて歩いていたせいで、前から来た人と思いっきりぶつかる。

「すみません」

 咄嗟に謝ると、相手の人が苦笑いを浮かべる。

「いえ、私も余所見をしておりましたから。何か生き物が空を飛んでいると聞きましたが、ご覧になられましたか」

 物腰や話し方や身なりで、相手がそれなりの身分の人だという事はわかる。

 彼のおかげで、そういった部分にも目が配れるようになったのは幸いなのかどうなのか。

「ええ、今ならまだご覧になれると思いますよ。では失礼致します」

 丁寧に頭を下げ、相手の横をすり抜けようとすると、再び声を掛けられる。

「あなたはあの空を翔る生き物に興味が無いのですか。皆熱狂しているようですが」

 すれ違いざまに問われ、足を止める。

 さっきよりもずっと近い距離で見上げた相手の視線が、まるで値踏みしているかのように感じるのは気のせいだろうか。

 上流階級の人間が、そのように不躾な事をするはずがないのに。

「興味が無いわけではありませんが、髪がべたつくのが嫌ですし、間近で見るのは恐ろしく感じますから」

 そのどちらも本当は気になんてならないんだけれど。

 返答が面白かったのか、目の前の相手はくくっと笑い声をあげる。

「珍しい方ですね。あなた方の国ではアレは神なのでしょう」

 あなた方の? という事はこの目の前の人物は異国の人間なのだろうか。

「ええ。でもちらっとでもお姿を拝見できましたし、それで満足致しましたの。おかしいでしょうか」

「いや、あっさりしているなと思いまして」

「そうでしょうか。空を飛ぶお姿を近年拝見できるようになりましてから何度か目にした事がございますので、もの珍しいとも思いません」

「なるほど。お時間をとらせて申し訳ありませんでした。よい旅を」

「いいえ。よい旅を」

 相手が甲板に消えるのを確認してから、通路を歩き出す。

 歩き出した先には、不機嫌顔の彼が立っている。

 何してるのなんて聞くのは愚問よね。

 腕組みして立っている彼の横をすり抜けようとすると、ぐいっと腕を掴まれる。

「今の知り合い?」

「いいえ。知り合いではありません。どうかなさいました?」

 何故か崩した態度の彼に対し、思いっきり習ったとおりの礼儀作法で対応する。

 それが気に入らなかったのだろう。しかめっ面で私を睨みつける。

「何話してた」

「あなたには関係ありません。それにご心配なさるような事は何もありませんわ。ですからそのような難しい顔をなさらないで」

 うん、上手く言い切れた。嫌味もフォローも。

 どうよ。私だってやれば出来るのよ。どうだと思って見上げると、彼の顔はさっきよりももっと険しい。

 何よ。何か間違ってたっていうの。

「悪かったよ。謝るから」

 何を謝るって言うのよ。別に謝られるようなことは何もされてないわ。

「いいえ。結構です」

 その後の言葉は言わせて貰えない。

 ぐいっと引っ張られたと思ったら、視界が思いっきり塞がれた。

 ぎゅっと抱きしめられた腕の中、やっとの思いで顔を上げる。

「ねえダメだってば。知り合いがいたら困るんでしょ。離して」

 咄嗟にいつもどおりに話しかけてしまったことを後悔する。それなのに、彼がちょっとだけほっとしたような顔をする。

 どうしてそんな顔するの。

 とりあえずこの状況はまずい。船に乗った時からずっと部屋も出ず、誰にも会わないようにとしてきたのに、こんな所でボロが出たら彼が困るじゃない。

 知り合いがいたら不味いんでしょう。

 今ここに自分がいることがわかったら、煩わしい事態になるんでしょう。

 身を捩って、彼の腕の中から逃れようとする。

「そちらのご婦人は嫌がっておられようにお見受け致しますが」

 さっきの人?

 振り返って確認しようとしたけれど、頭ごと抱え込まれて阻まれる。

「痴話喧嘩ですので、お気になさらず」

「……痴話喧嘩のようには見えませんでしたが。まずは手を離されてはいかがです」

「愛しい妻を抱くのを、何故他人のあなたに指図されなくてはならないのです」

 ボンと頭から煙が上がった気がした。

 そんな言葉、聞いたことないよ。愛しい妻だなんて。

 それに私、彼の妻なんかじゃないのに。

「それはそれは、大変失礼致しました。しかし目の毒ですから、それは他のところでなさってはいかがです」

 ふっと彼が鼻で笑う。

「ご忠告痛み入ります。では行こうか」

 彼が私に最近見せなかった笑顔を向ける。

 くそう。こんな時ばっかり。

 悔しいからとびっきりの笑顔を作って差し上げるわよ。

「ええ。行きましょうか、あなた」

 これでどうよ。100点満点じゃない?

 腕を彼の片腕に絡めて笑顔で見上げると、対外用の笑顔で私を見つめ、それから声を掛けてきた人物へと視線を移す。

「お騒がせ致しました」

「いいえ。よい旅を。カイを持つ方」

 彼の目が一瞬鋭くなるけれど、それはもしかしたら私じゃなきゃ気付かないような程度だったかもしれない。

「お気をつけてお戻り下さい。異国の友人のご子息」

 本当はにやりと笑うところなんだろうけれど、すごくすごく優しく微笑んで、彼が視線を私に向ける。

 まるで今の遣り取りは無かったかのように。

「何を見ていたのかな」

「海を。そうしたら紅色の竜が空を飛んでいましたの。すごく綺麗でしたわ」

「そうか。それは見てみたいね。部屋の窓からでも見えるだろうか」

「どうでしょう。見えるといいですわね」

 茶番劇は部屋に戻るまで続き、重厚な扉が閉められると彼がバリバリと頭を掻く。

「お前は、よりによって一番メンドクサイのを引っ掛けやがって」

 ポンと上着を投げ捨て、彼が溜息をつく。

「あれはこれから行く国の王族。しかも現王の息子だ」

「え?」

 じゃあ彼と似た立場って事?

 何でこの船に同乗しているの。一体どういう事なのかしら。

「お前は王族ホイホイか。全く」

 ぐしゃっと頭を撫でられたかと思うと、次の瞬間には怒鳴られる。

「そんなことより、黙って出て行くな。しかもなかなか戻らなければ、何かあったんじゃないかって心配になる。しかも竜まで飛んでたら」

 何かを言い返そうと思うよりも早く、彼が言葉を紡ぐ。

「いや、俺も悪かった。しかも怒鳴るような事じゃないな」

 ドカっとベッドに腰掛けた彼が、ちょいちょいと手招きをする。

 彼の座った目の前に立つと、彼の右横をポンポンと叩く。

 促されるがままに座ると、彼の指が頬に触れる。

「俺が色々焦りすぎてた。誰にも文句言わせたくなくて、ついついムキになってた。ゴメンな。デートしようって誘ったのに、これじゃ修行だったな」

 苦笑交じりに言う彼は、私の好きな彼の顔をしている。

「ねえウ……」

 本当の名を呼びそうになると、彼の指が私の唇に触れる。それ以上は言わないように。

「そうやって呼ばれるの好きだけどね、今はまだそれで呼んじゃダメだよ。咄嗟にその名前が口から出なくなるまでは」

「二人きりでいるのに?」

 問いかけると彼が困ったように眉をひそめる。

「今だけだから」

 言い聞かせるような彼の態度に、何を言っても無駄なんだと悟って溜息をつく。

 そんな私の頭を撫でて、彼が唇を指でなぞる。

 びくっと肩を揺らすのを見て、彼がにやりと笑う。

 嫌な予感がしたので、ポンと立ち上がって近くの一人がけの椅子のほうに座りなおす。

「何で逃げるのかなー」

「逃げてません。ご、語尾は伸ばしちゃいけないんでしょ」

 椅子の肘掛に彼が両手をつき、覆いかぶさるように私のことを見つめる。

 逃げたつもりが追い込まれていた。

「一日中練習は息が詰まるだろうから、時間決めてやることにしよう。だから今はいいの」

「ずるい。そうやって自分だけで決めて」

「そうか? 一応お前の意向も汲んでるつもりだけど。嫌ならやめるから、次からはちゃんと言えよ。キレる前に」

 そう言われちゃったら、何も言えなくなるじゃない。

「……はい」

 ふっと彼が笑う。

「超不満そう。ああ、もう本当に俺馬鹿だよな」

「え?」

「欲しくて手に入れて、そうしたら今度は絶対手放したくなくて、外から奪われる事にばかり頭がいってた。それ以前にお前の心を繋ぎとめる努力をすべきだったな」

「ちょっとスパルタが嫌になっただけで、嫌いになんてなってないよ」

 この閉塞感漂う空間とか、マナー教室が嫌なだけで、彼の事を心底嫌いになったりしたわけじゃない。

 まるで私の心を疑うかのような彼の手に、自分の手を重ねる。

「なあ」

「なーに?」

 至近距離で真顔のままの彼に問いかける。

「本当に俺でいい?」

「今更何を言っているの」

 どうして彼がそんな事を言うのか、さっぱりわからない。

 確かに覚悟も何も足りない私だけれど、彼と一緒にいたいという気持ちに嘘は無いのに。

「むしろ本当に私でいいの? あなたには私以上に相応しい人がいるのに。私は、あなたが思い描くような上品な女性にはなれないかもしれないのに」

 コツンと彼の額が私の額に触れる。

「それでも構わないんだ。お前は俺のたった一つのワガママなんだから」

「え?」

「見失ってた。俺はどうしたいのかを。他の男と話している姿を見て気付くなんて滑稽だな」

 額が離れ、彼の瞳が私を見つめる。

「誰にも渡したくない。離したくない。俺を選んだ事を後悔させたくない」

 ずきりと胸が痛む。

 後悔でいっぱいだった。船に乗ってから今までずっと。

 その事を見透かされたような気持ちになって、何故か泣きたくなった。でもぐっと泣くのは堪える。泣いたら、後悔してる事がばれちゃうもの。

「どうして好きだけじゃ上手くいかないの?」

 鼻で笑った彼が目を細めて私の頬を撫でる。

「そうだな。どうして上手くいかないんだろうな。俺とお前が違いすぎるからか、な」

「どういう意味?」

 まるで突き放されたように感じる。どうしてそんな言い方するんだろう。

「私は初めてあなたに出会った日から、全然身分も立場も違うけれどあなたに惹かれていたのに」

 にやりと彼が笑う。

「それ初耳だな。ゆっくり聞かせて貰おうか」

 やばい。余計な事口走ったっ。

「じゃ、じゃあ、あなたはいつから私のこと好きだったのよ」

 ごまかそうとして聞き返すけれど、彼は意地の悪い笑みを浮かべたままだ。

「知りたいー? 教えてもいいけど、まずはお前が答えてくれたらね」

「嫌っ。嫌、嫌、いやー。絶対に教えないんだから」

 両手で目の前の彼を押し返そうとすると、伸ばした両腕を掴まれてそのまま引っ張られる。

 立ち上がると彼の腕の中に捕らわれる。

「一目惚れ?」

「なわけないでしょっ」

「じゃあ俺の人柄の良さか」

「自分で言わないでよ。もうっ」

「だってお前は言ってくれないんだろう」

 そう言われると逆に言わなきゃいけないような気になってくるけれど、ここで言ったら彼のペースに乗せられてるだけだわ。

 冷静に冷静に。

「どうしても言って欲しいっていうなら考えるわ」

 それも回答として間違っていたかしら。

 ふんっと彼が笑う。

「じゃあ言いたくするからいい」

 腰に回っていた腕が、ウエストの辺りを撫でる。

「ひゃっ。くすぐったーっい。やーめーてー」

 こしょこしょとくすぐられ続け、悶絶して倒れこみ、ついには言わなくてもいい事まで言わされる羽目になる。



 好きから始まったはずなのに、好きだけじゃ解決しない。

 けど、好きって事を確認出来たら、すごく色んな事が出来そうな気がするの。

 困難を乗り越える原動力が「好き」だから。

 だからずっと好きでいさせてね。ずっと好きでいてね。

 悔しいからそんな事は言わないけどね。

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