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思いがけない言葉で、俺は自分の欲していたものを手にする事が出来たのだと知る。
正直なところ、不本意なんだがアイツには勝てないと思っていた。
彼女がとてもアイツを好きだったことを知っている。幸せそうな笑みも、アイツを失った後の抜け殻みたいな姿も全部目の当たりにしたから。
何もかもを捨ててもいいからアイツと一緒にいることを選んだ日、俺には何も出来なかった。
その姿を見送るしか出来なかった。
決して手をこまねいて見ていたわけではないのに、手のひらの中から彼女がすり抜けていってしまった。
自分に向けて欲しかった笑顔は、全部アイツのものだった。
そして彼女はアイツを忘れない。きっと一生胸の中に大事に大事にアイツとの思い出を取っておくのだろう。
アイツが彼女の前からいなくなってから、もう4年になろうとしているのに、俺はアイツには勝てない。
彼女は俺の為に全てを捨てようとはしてくれない。
俺と共にいる為の努力を、決してしようとはしてくれないだろう。
諦めていた。今は選べないと言われても仕方が無いのだと。
それは自分自身の問題で彼女を責める謂れも無く、ダメだと言われたら、3ヶ月という自由時間はあるものの、悪あがきはしないつもりでいた。
「一緒にいてもいい?」
そう言われた時、どういう意味なのかわからないというか、言葉が耳を通り過ぎていった。予想していた答えと違いすぎて。
「私が他の誰にもあなたを渡したくないの。だからどこにも行かないで」
嬉しすぎる返答に顔がにやけるのを抑えられず、そんな間抜け面を見せたくもないので彼女を抱きしめた。
腕の中に納まった彼女がふふっと笑い声をあげるのが堪らなくて、唇を重ねた。
超ロマンチックな場面だったわけだ。
吟遊詩人がいたら、クライマックスだぞ、ある意味。
なのに何でやたら酒臭いんだよ。
ぷんぷん匂うなんてもんじゃない。酒そのものだ。
やられた。
彼女を総評して「ビックリ箱」と言った人物がいるそうだが、言いえて妙だ。
何をやらかすのか想像もつかない。
まさかこんな愛の告白現場に、酒のにおいを漂わせてくる女がいると思うか。普通いないだろ。
寝られなくてって目の下にクマを作ってくるなら、まだ可愛いもんだ。寝られなかったといえ、酒飲みすぎだ、馬鹿。
そこで脱力していてもしょうがない。
精一杯の気力を振り絞って、午後に迎えに行くと伝えた。
さーて、本格的に休暇に入りますか。
宿営地である、彼女の村の傍の宿場町まで戻り、腹心の部下を呼ぶ。
「影の準備は出来ているか」
「出来ておりますが、お使いになられるのですか」
「ああ。俺はここから別行動するから、後はお前に任せる」
部下は頭を抱えるような仕草をし、これ見よがしの溜息をつく。
言いたいことがありそうなので聞いておこう。
話を促すでもなく、机の上に肘をついたままで部下を見ていると、思いっきり睨みつけてくる。いい度胸だ。
「本気で休暇に入られるおつもりですか」
「半分は仕事だ。他国の情勢も見に行かなくてはいけないからな」
「……それはついででしょう。で、同行してくださることになったのですか、かの方は」
かの方とは彼女の事。宝石の人と呼ばれることもある。
表立っては誰も彼女の事は知らない。俺にとって特別な存在がいるという事は周知の事実だが、その相手が誰であるのかは目の前の部下だけが知っている。
彼女が何故俺の目に留まったのか。そして彼女が七年という長い間、何をしていたのかも。
けれどその全ては今は隠し通さなくてはならない。
俺と一緒にいる。
言葉にすればとても簡単な事のように思えるかもしれない。事実、彼女は言葉をその額面通りに考えているだろう。
しかし実際にはそれなりの困難が伴うだろう。
それを跳ね返すだけの強さ、覚悟。
そういったものを今の彼女が持っているとは思えない。
そしてその全てを覆すだけの隠し玉を彼女は持っているけれど、恐らくその手を使おうとはしないだろう。
「ただの村娘」の彼女が、王子の俺と一緒にいる。
その事がどれだけの批判を呼び、彼女を排除しようとするか。そして彼女自身を傷つけるか。
けれど越えて欲しいと思う。全てに打ち勝ち、俺の横に胸を張って立っていて欲しい。
きっと道は平坦なんかじゃない。むしろ困難が山のように立ちはだかるだろう。
生まれも育ちも違う彼女を、俺の世界に引き込んでしまうのだから。
だからこそ、短い間だけでもいいから、彼女とありふれた毎日を過ごしたいと思う。その為の3ヶ月なんだ。
ただの恋人同士として、沢山の思い出を作りたい。
そして3ヶ月の間に、どんな事があっても俺といたいと彼女が思えるような関係になりたい。
どうせバレるのは時間の問題。
それまでの間、誰にも邪魔されずに過ごしたいというのは我侭ではないはずだ。
「ああ、デートに誘ったら喜んでたよ」
部下の問いにそんな風に答えると、部下はぽりぽりと頬を掻く。
「デートですか。随分長いデートになりそうですけれど、その辺りはご了承いただいているのでしょうか」
「まだ。これから口説きにいく。だから後は任せる」
「随分手際が悪いですね。あなたの割に。まあ何を言っても聞きはしないでしょうから、お好きにどうぞ。その代わり、必ず戻ってくださいよ」
「ああ。わかっている。じゃあ後は頼む」
「畏まりました。お気をつけて」
部下には事前にある程度の説明はしていたので、それ以上無駄口を叩く事も批判される事も無い。
一人になった部屋の中で、二着の服を前にして思い悩む。
昼間の彼女に会いに行くのに、正装にすべきか、それともいつもどおり偽装するべきか。
正装で行ったら、昨日彼女の村に行ったばかりだし、一騒ぎ起きるな。それは面倒だ。
貴族、もしくは豪商程度に見える服を身に着け、そっと宿を抜け出す。
どうも庶民を演じようとしても、滲み出る品格が余計に怪しさを増すらしい。あからさまにお忍びに見えると、部下に言われた事がある。
それならば割り切って、身近な存在を演じた方がまだ良さそうだ。
そもそも貴族も王族も大差ないだろう。
昼過ぎ、カランと店の扉につけた鈴が鳴る。
彼かもしれないと、今日何度期待に満ちた目で顔を上げただろう。
そして今度こそ彼だった。
正装ではないけれど、それなりに豪奢な服装をしている。目深に被った帽子を取り、真っ直ぐに目の前に歩いてくる。
「酒、抜けた?」
「もう臭くはないと思うけど。さっきはごめんなさい」
少し寝たし、身も清めたから大丈夫だと思うんだけれど。どうだろう。
例えば香水とかで誤魔化そうとしても、そんなものをそもそも持っていないし。
「いや、度肝を抜かれただけで、そんなに気にしてないよ。それよりお母さんは?」
彼が私室に繋がる通路の方へ目をやる。母に何か用事でもあるのかしら。何だろう。
「今ご飯食べてると思うけど、呼んでくる?」
「いや、終わるまで待つよ」
「本当に?」
「うん。別に急ぎじゃないし、お食事中に悪いからね」
そんな改まって話すことがあるのかな。もしそうなら、一旦お店の外に休憩中の看板出してくるけれど。
でも何を話すというんだろう。
彼の考えている事がさっぱりわからない。ただとても柔らかい表情をしているから、悪い事ではないのだろうとは思う。
ただ今まで彼と母が話したことなんて無かったから、どうして話そうと思ったのかもわからない。
不安が顔に出ていたのかもしれない。
「大丈夫。何も心配いらない」
カウンターの上に置かれた私の手にその手を重ね、彼が微笑む。
その微笑みと手から伝わるぬくもりが、心強い。本当に何も心配いらないように思えるから不思議。
いつからこんな風に、この人に心をゆだねられるようになっていたのだろう。
思い返せば初めて出会った日から、いつも心の中に自然と入ってくる人だった。そして彼を疑うという事をしてこなかったように思う。
しばらく無駄話をしていると、カランと店の扉が音を立てる。
お客さんなのかなと思って、彼の肩越しに入り口を見ると、そこには母が立っている。
どうして裏からじゃなくて表から入ってくるのだろう。
「休憩中の看板出してきた」
聞く前に母が短い言葉を放ち、扉の鍵を閉め、窓のカーテンを次々に閉めていく。
「王子様が何をしているんですか。ここはあなた様のような方が立ち寄るのに相応しい場所ではありません」
母の先制パンチに、私の手を離して彼が母と向き直る。その横顔は、王子様の顔をしている。
「うちの娘にご用ですか。すみませんが色々噂が立つと面倒なので、お引取りいただけますか」
そんな母の言葉もニコニコしながら聞いている。彼の心中が読めない。
「人の口に戸口は立てられません。娘が戻ってから、色々厄介な事もありました。王子様がこちらにお見えになられた事が知れたら、また人が押し寄せる事になります」
「どのような不利益があったのでしょうか」
彼は少しだけ眉をひそめ、母に話を促す。自分の話したいことを今は話す気が無いらしい。それがどんな内容なのかはわからないけれど。
「娘はこの国にとって重要な仕事をさせていただく幸運に巡りあえましたが、それによって娘の血を欲する人が大勢やってきます。中にはこの家の娘こそがと、娘が持つ二つ名を口にして」
「そうでしたか」
「国は娘を守ると約束してくださいましたが、実際に守ってくれたのは村の人たちです。もう皆さんのご親切に甘えてばかりではいられません。どうかこれ以上娘の周りをかき回さないでやってください。お願いします」
深く頭を下げる母の姿が、普段の母の姿とは全く異なっていて、何て言ったらいいのかわからない。
私がしていた「仕事」は特殊で、それを出来るのはごく一部の人間に限られている。
突然変異だった私は例外で、多くは過去に「仕事」をしていた祖先を持っていることが多い。
だから、私の血を欲しいという人は多い。未来にその「仕事」が出来る子孫が欲しいから。
私はここにはいないことになっているのに、それでも私を求めてやってくる人は後を絶たない。
それでも村の人たちが誤魔化してくれたり、時には身体を張って守ってくれているので、すごく感謝している。
けど、それは周りには負担だったのかもしれない。
「ではお嬢さんをしばらくお預かりしても宜しいでしょうか」
彼が思いもかけないことを言い、母はその言葉に首を傾げる。
「どういう意味でしょう。それは返すご意思がおありになると思ってもよろしいんですね」
ふわりと彼が笑う。
そして笑った後には、王子様の雰囲気がかき消されている。
「娘は毎日のように手紙が来るのを楽しみに待っています。その相手はあなた様なんでしょうか」
「だとしたらどうなさいますか。お母様は」
母は俯き、沈黙が流れる。
この何ともいえない居心地の悪い空間がいたたまれなくて口を開こうとすると、彼に視線で静止される。
何も口を挟むなと。
「斜に構えている場合じゃないな、この場合」
独り言のように彼が呟く。その声は母までは届いていないかもしれない。
「俺は彼女が好きです。彼女を俺にくれませんか」
何もかもが凍りついた。私も、母も。
彼だけがこの空間の中で、いつもと変わらぬ笑顔を浮かべている。
「私、そんなの聞いてない」
声が震えてしまう。そんな事、私、言われてない。
ただ一緒に行こうとしか。
「散々言っただろ。俺と一緒にいて欲しいって」
コツンと痛くない拳で私を叩いて、再び彼は母と向き合う。
目を見開いていた母が、ふーっと溜息をつく。
「あなた様以上に、娘を守れる存在はいないかもしれませんね」
思わず頬が緩むけれど、母はまだ険しい顔をしている。
「けれど娘はあなた様に相応しいような娘では無い事を、重々承知しております。もし遊びでしたら、これ以上娘が傷つかないうちに手を引いてください。お願いします」
必死な様子の母に胸を打たれる。
そんな風に心配してくれるなんて思ってもいなかった。
元々あまり口数が多くなく、村に戻ってきてからはどことなくギクシャクした感じがして込み入った会話をしたことも無かったから。
「遊びだとは思っていません。遊びならお母様にわざわざ挨拶も致しません。本気で彼女を欲しいのですが、お許しいただけますか」
彼の言葉に涙が溢れ出し、両手で必死に口元を押さえる。
そうしないと嗚咽が漏れてしまうから。
「ばーか。何泣いてんだよ」
彼の腕が私の頭を抱え込むように抱きしめ、肩口を涙が塗らしていく。
こんな風に彼が言ってくれるなんて想像した事も無かった。
大手を振って彼の横にいてもいいんだって言われた気がして、嬉しくて涙が止まらない。
母の大きな溜息に、彼がまた母のほうに向き直る。片手は私を抱いたまま。
「娘はもう返さなくて結構です。どうか娘をよろしくお願いいたします」
母が固い表情のまま彼に告げる。
見上げた彼の横顔には笑みが浮かんでいる。
「ちょっと待ってて」
彼が私のことをそっと離し、母の前に立つ。
「今はまだ表には出来ませんが、必ずお嬢さんが表に立つ日が来ます。その時にはぜひお越し下さい」
静かに母は首を左右に振る。
「このようなみすぼらしい私が娘の身内と知れたら、それが娘にとって良い結果をもたらす事はないでしょうから、そっと遠くから見守らせていただきます」
「かしこまりました。しかしこれが今生の別れとはならぬよう、手配する事は構いませんね」
今生の別れという言葉に、母の眉がぴくりと動き、先ほどまでの決意に満ちた目が揺らぐ。
「ええ、可能であれば。よろしくお願いします」
涙腺が決壊したのではないかという位、涙が溢れ出してくる。
私が選んだ「彼と一緒にいる」ということは、母との別れをも含んでいたんだわ。
そんなすぐに思い当たりそうな事なのに、全然考えもしてなかった。
母がいう「お役目」に付いた時、必ずここにもう一度帰ってくるのだと思っていた。母にもう一度会えるのだと。
けれど今回はそういうわけにもいかないかもしれない。
王族というのがどういう存在で、彼がその中でもとびきりの存在だという事はわかっているから。
両手で顔を覆い泣いていると、ポンと肩を叩かれる。
彼かと思って顔を上げると、母がいつもどおりの無愛想な顔をしている。
「あんたが子供の頃好きだった吟遊詩人の話みたいだね。いつか王子様が迎えにくるよ、だっけか」
すごく小さな子供の頃に好きだった話、覚えていたんだ。
「良かったね。あんたのところに王子様が迎えに来てくれたじゃないか。幸せにおなり」
ポンポンと肩を叩くと、母が今にも崩れてしまいそうな歪んだ笑みを浮かべる。瞳が揺れているのも、唇が震えているのも、隠しようが無い。
瞬きをした瞬間、母の瞳から涙が零れ落ちる。
「どこにいても、何をしていても、あんたの幸せを願っているよ。自慢の娘だよ、あんたは」
ぎゅっと母の胸に抱きしめらると、堪え切れなくて、両手を母の背に回して声を上げて泣く。母にこんな風に抱かれたのは一体いつ以来なんだろう。
母を恋しいと思うような年じゃない。
だけど今は泣きたい気持ちでいっぱいだ。
親友が嫁いだ時、入り婿だったけれどやっぱり泣いていたのを思い出す。
親から離れるというのは、結構哀しくて辛いものみたい。
村を出るのに日中は目立つからという理由で、俺はその夜まで彼女の家で初めて過ごした。
小さな村の小さな店舗兼住居。
王城の中のように何もかもが行き届いているわけではない。
でも居心地のいい温かい空間で、実直な彼女を作り出した背景に少しだけ触れたような気がする。
夜が更けて、路地を行き交う人々がまばらになった頃、彼女の手を引いて村を離れる。
村の入り口の門を過ぎた時、ふいに立ち止まって彼女の顔を見る。
その瞳は涙で一杯だ。
「どうする。今ならまだ戻れるけど」
俺の顔を見上げた彼女が、涙を一筋流す。
本当に俺、しょっちゅう泣かしてる気がしてきた。少しはこれから泣かさないで済むようにしよう。
「戻って欲しいの?」
彼女の言葉に微笑みを返す。
「そんな事、俺がいつ言った?」
「言ってない」
ポンと彼女がその体を俺に預ける。
おいおい、ここ一応往来なんだけど。全く人の目が無いわけじゃないぞ。
でも、まあいいか。今日くらいは。
彼女をぎゅっと抱きしめて、腕の中で泣く彼女の背を撫で続ける。
俺と一緒にいるために、色々なものを捨てなくてはならない彼女。その痛みを少しでも共有したいと思う。受け止めていきたいと思う。
「ありがとう。俺を選んでくれて」
心の底からその言葉が出た。沢山のものを捨てさせてごめん。
「とりあえず、今晩は飲み明かすか」
「また酒臭いとか言わない?」
涙交じりで鼻声の彼女が、くすくす笑いながら顔を上げる。
「言うかもな。でも今日は飲みたい気分だから付き合えよ」
「超上から目線。いいよ、付き合ってあげても」
「お前のほうが上から目線だろ」
涙の代わりに笑いが零れる。お互いに笑い合うと、幸せが広がっていく。
手を繋いでどこまでも歩いていけるような、そんな気さえしてくるのが不思議だな。




