表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
CARAMEL  作者: 来生尚
補完篇~舞台裏の策略~
28/28

 大臣の話を玉座に座って聞いていると、大臣の背後でカタンという音がする。

 大臣の背からかなりの距離がある扉が開閉されたようだ。

 溜息を押し殺し、少し顔がにやけた大臣の話を神妙な面持ちを保ったまま聞き続ける。

「ではわたくしはこれにて失礼致します」

 大臣の退出の挨拶と入れ替わりに、タタタっと駆け寄る足音が近付いてくる。

 何度ここには近付くなと言っただろう。

 すれ違った時、大臣は微笑ましそうに目を細めて挨拶をする。それを軽く交わして玉座へと一直線に走り寄ってくる。

 目の前にいるのが一人になると、思いっきり顔を顰めて溜息を吐く。しかし全く堪えた様子は無い。

「執務中だ。何しにきた」

 この国において彼だけが持ち得る青よりも青い蒼の瞳を持つ少年が、頬を上気させてキラキラと瞳を輝かせながら語りかけてくる。

 全くこちらの思惑など気にも留めていない様子で。

「ここにいてもいいですか、陛下」

 これでもかと言わんばかりの溜息を吐き、蒼い瞳の少年の髪を撫でる。

 最近大人ぶったところを見せたがる少年フレッドは、ぷいっとその手を払う。

「両親はどうした」

「二人してアンジェリンを見せに神殿に行きましたよ。もう2歳になるし、そろそろ遠出しても構わないかなって父様が言っていました」

 あの馬鹿は……。何でこの子を置いていくんだ。

 往復二ヶ月の旅の間、この子の面倒を誰が見ると思っているのだ。それにこの子が寂しがらないとでも思っているのだろうか。

「何故お前は行かなかった」

「だって行きたくなんかないです。つまらないし。それよりも陛下や王妃様と一緒にいるほうが楽しいもん。じゃなかった、楽しいです」

 言い直す様子に、我知らず笑みが零れる。

 実の父に似ず、とても利発な子に育ってくれている事が嬉しく、同居する子供らしさが愛らしく思える。

「そうか。ここにいてもあまり楽しい事は無いと思うがいいのか」

「はいっ」

 破願し、フレッドが首を大きく縦に振る。

 いつもこの笑顔に負けてしまうのだ。甘すぎると側近には言われるが、この甥を無下にする事は出来ない。

「まだ執務が残っている。玉座の横に立っているだけだ。ただし姿勢は正したまま、微動だにする事は出来ない。出来るか?」

「はいっ」

「いい子だ」

 ポンっと頭を撫でると、まるで猫がするように嬉しそうに首をくねらす。

 退屈な時間を過ごさせてしまうだろう。

 しかし、いつかこの椅子にこの子が座った時、なんらかの役に立つだろう。

「次の大臣を入れろ」

 衛兵に声を掛けると、一歩離れた場所でフレッドは直立姿勢の体制を取る。

 重厚な音を立てて扉が開き、白髭を蓄えた大臣が頭を垂れたままゆっくりと進み寄る。

 その顔を上げた瞬間、大臣の顔が好々爺のものに変わる。

 しかし、臣下の立場を良くわきまえた大臣は、あっという間に険しい表情へと変える。

「ご報告致します。本年の出来高の予測を申し上げます」

 分厚い冊子を捲る手を、片手を上げて制する。

「報告はよい。まずは孫に挨拶をしてはどうだ」

 肘掛にもたれ掛かりつつ大臣の顔を窺うと、恐縮しきりの表情で頭を垂れる。

「ご配慮ありがたく存じます。しかし陛下の御前にて、そのような事を致しますのは、娘も宮様も本意では無かろうかと思いますゆえ、別の機会を設けさせて頂き、その折にでも王子とご挨拶させて頂ければ幸いにございます」

 形式なのか、真意なのか。

 この狸爺の本心を掴むのは容易ではない。

「フレッド、このように言っているが」

 こちらの様子を窺うでもなく、フレッドは目の前の大臣へと玉座を下りて歩み寄る。

「お爺様、お元気でしたか。最近お見掛けしていなかったので心配していました。伯父様には良くお会いしているのですが」

「王子のお心に留めていただき、ありがたく思います。しかし王の御前でございます。もし爺の事をお気に掛けてくださるのなら、どうぞ爺を呼びつけてください。さすれば、すぐにでも王子の下に馳せ参じます」

 食えない爺さんだ。

 王への配慮を見せつつ、孫に会う機会を増やす事に余念が無い。

 両親不在の今、少しでもフレッドを取り込もうという魂胆か。いや、そのような裏を考える必要はないのだろうか。

「わかりました。今は父様も母様もいないので、陛下と王妃様に相談してからお爺様と会う機会を作る事にします」

 くくっと笑いが漏れてしまう。

 どうやらフレッドのほうが、大臣の一枚上をいったようだ。

 血が繋がっていないというのに、どこかフレッドはこの大臣に似た二手三手先を読んだような対応をする事がある。

 今回の事は決して大臣の事を疑ってという事ではないのだろうが、王である自分の体面を考慮して結論を出している。

 ここで「じゃあ明日」などと子供じみた事を言わないのが、フレッドの利点であり欠点でもあろう。

 誰に似たんだか。本当に。

 自分が望んで生まれてきたこの子を、我が子のように可愛くも思い、次代の王として育てなくてはという重圧もある。

 そのことにまだ本人は気付いていないかもしれないが。

 全てはフレッドの両親が結婚する以前から計画していた事だ。


「兄上。いい加減諦めてください」

 ブー垂れながら、両脇を近衛に固められて弟は書類の山の処理に追われている。

 様子を少し窺いに来たら、この悪態。

「これを全部処理したら解放してやると言っているだろう」

「処理するにも、印章が無いので出来ません」

 毎日この遣り取りだ。嫌になる。

 指輪を兼ねている弟の印は、恋人の指に嵌まっているという。

 しかし実際にこの目で確認したが、恋人の指には無かった。仮に恋人が持っているとしても、自分の目の前にあからさまに出すほど愚かではないか。

「印など後で押せる。全てに目を通してサインをしたらどうだ。そうすれば愛しい娘に会いに言っても良いと言っている」

 ぐうの音も出ないようだ。

 拒絶していたら解放されるとでも思っていたのか、この愚弟は。

 認識の甘さと見通しの無さ、ついでに付け加えるなら楽観的過ぎるところがある。

 それが人間味溢れているといえば聞こえはいいが、統治者としては落第点をつけてもいい。

 が、自分と同じ血を引くだけの事はあって、いざとなった時の冷徹さはあるが。

「ああ、大祭には出させてあげるよ。ついでに姫の説得にあたってくれると助かるね。国内外に招待状を送りまくっているから頼んだよ、祭宮」

「俺は彼女以外を娶る気はありませんが」

「彼女が姫よりも優れていると誰もが認めるなら、王としてその婚姻を認めてやらなくもない。少し考える事だな」

 溜息交じりに言うと、弟は何か言いたげに睨みつけてくる。

 早く全てを表に出せ。

 お前がじたばた足掻いていても、問題の解決にはならない事を、早く悟る事だ。

 弟には数年来愛している女性がいるというのは、この王宮において公然の秘密。しかし相手が誰かがわからない。

 さして興味が無かったので放っておいたが、状況が変わり調べ上げた。

 なるほど、表に出ないわけだ。

 事実を知り、弟がそのような相手を選んだ事を、天の采配に感謝した。

 これならば次代の王を得る事が出来る。

 ほくそ笑んだ。

 誰にも口に出すつもりはないが、生殖機能を失ったらしいので子は為せない。あくまでも「らしい」という話で、もしかしたら子が誕生する事もあるかもしれない。

 しかしそれは万に一つの賭けだ。

 弟が無事に恋人との間に子を為し、その子の頂に王冠が輝く事になれば、次代の王には他国の血が入らない。

 外戚として猛威を振るうつもりであろう隣国の者たちに、一泡吹かせることが出来る。

 この国は自主自立を保ったままでいられる。

 まあ別に姫を娶ってくれても構わないのだが、建国以来始めて二頭の竜に仕えた巫女。巷では「奇跡の巫女」なんて呼ばれている巫女を母に持つ王子ならば、王家への民の忠誠心も強くなるだろう。

 恋は盲目というやつなのか、弟にはそういった政治的な一面が見えていないようで、頑なに恋人の素性を隠したがっているが。

 王族と類稀な巫女の恋。

 建国王と始まりの巫女のような恋だと脚色して流布してやろう。

 その為には全てを公にする必要がある。とっとと弟が現実に気付いてくれるといいのだが。

 先の大戦で、人心は王家から離れてしまったと言っても過言ではない。

 特に沿岸部や地震や火山の被害にあった地域で根強い。

 その民の心を取り戻すには、手っ取り早く神である竜を王家に取り込むことこそ最善の策であると、少し考えればわかることだが。

 女一人に振り回されて、情けない事だ。


 天から竜が舞い降りる。

 王家にその寵姫を差し出すために。


 こちらが描いていたシナリオとは全く異なった結末が訪れた。

「もし私が巫女だったなら、彼を下さいますか、陛下」

「ああ、巫女ならばな」

 何をしでかすつもりなのか、神官長のフリをした弟の恋人がにっこりと微笑みながら問いかけてきた。

 どうやって己が巫女だと、この場合は巫女であったとというのが正確なのだが、証明するつもりなのか、非常に興味深い。

 巫女でなくては竜の声は聴こえない。

 竜の声を聴く者こそ、巫女と呼ばれるものなのだ。

「下さいね。絶対に」

 その言葉を残し、窓からその身を天に投げ出した。

 部屋中に響くいくつもの悲鳴と、バタバタと窓辺へと駆け寄る兵や大臣たち。

 何をしたのか、あの娘は。

 実際の時間よりもとても長く感じた時間、表情を変えないまま烏合の衆を眺めた。

 ここで表情を変えてはならない。王として。

 玉座にどっかりと座ったまま、横に立つ妃の手を握り締める。

 妃は顔を青褪めたまま、娘の消えた窓を見つめている。

 どのくらいの間があったのだろう。今でも、非常に長い時間だったように思え、なのにとてもとても短い一瞬の間しかなかったかのようにも思える。

 窓の外には大きな得体の知れないモノの姿が現れ、空高くへと消えたのか、一瞬にしてその姿が見えなくなる。

 窓辺の人々は一斉に窓を開けて、その姿を目で追う。

 あれは一体なんだったのか。

 玉座からはその姿は見えない。

 呟くような声で、その正体が紅の竜である事を知る。

 竜が何故現れたんだ。

 二色の衣に袖を通す事を許された娘を助ける為か? ならば娘の声を、竜は今なお聴き続けており、娘もまた竜の声が聴こえるというのか。巫女でもないのに。

 ぞわっと寒気がし、鳥肌が立つ。

 紅の鱗に覆われた巨大な顔が窓の外からこちらを窺っている。

 弟は動じることなく、両手を窓の外に伸ばし、娘を抱きとめる。

 娘を渡してしまうと竜はまた天空へと翔けていく。

 唖然としたままでいると、ふいにぎゅっと王妃に手を握られる。

「あれが竜という生き物なのですね。陛下」

 隣国の出である妃は竜を見るのは初めてだ。この国の生まれである自分もであるが。

「ああ、あれがこの国の支配者である竜だ」

 カタカタと小刻みに震える身体で青褪めた顔のまま、妃はまっすぐに窓辺の二人に目を向ける。

「竜の姫なのですね。祭宮の選んだ方は」

 竜の姫。それはなかなかいいネーミングセンスだ。噂を流布する時に使わせてもらおう。

「そのようだな。苛めすぎてお怒りになられて出てこられたかな、紅竜様が」

 ぶるっと身体を震わせ、妃が顔を歪める。

「ならば早く二人を認めて差し上げたらいかがです」

「そうだな」

 もとよりそのつもりであったが、妃の提案に乗ったフリをする。

 異様な空気に包まれた部屋の中の空気を一変させるべく、わざと大きく笑い声をあげる。

 ぎょっとした周囲には気付いたが、余裕のある王として、竜の登場程度で呑まれてはならない。

 臣下の者たちを下がらせ、弟たちと話をした後、玉座を下りる。

 いつかこの玉座に座る者が、巫女の血を引いていると良い。どうやらその願いは叶えられそうだ。


 護岸に作られた巨大な台座に、弟とその妃が姿を現すと、対岸の観衆からは一斉に歓声があがる。

 この国がまた竜と王族によって支配される事を印象付けるのには好都合であろう。

 宮妃であり皇太弟の妃が巫女出身ゆえに、竜は王族を見放していないと民は思うだろう。

 心からの笑みが漏れる。

 兄王を廃し玉座に就いた日から、心から笑った日は無い。

 これで安心だ。全て描いたシナリオどおりに進む。

 後は弟夫妻に子が出来る事だけだが、どうやら100人子を産まなくてはならないと紅竜に約束したそうだから、それは何とかなるだろう。

 一度は傾いたこの国が立て直され、更なる繁栄の礎を築く。

 自分に課せられた王としての使命は、これで十二分に果たせるだろう。

 とは言え次代に期待するだけではなく、王として玉座に座る間、国の建て直しに最善を尽くしていくが。

 王の命に民が快く応じるようになるだろう。それだけでも復興は早くなる。

 並び立つ弟とその妃の横に立つ。

「竜は来ないのか」

 妃がにっこりと笑って振り返る。

「気まぐれなんです。呼べば来ないでしょうし、呼ばなければ来るでしょうし。ただこちらが来て欲しいと願っている事はわかっているでしょうから、陛下のお望みどおりにはならないかと思われます」

 にこやかに嫌な事を言ってくれる。

 弟は笑みを崩さないものの、視線だけでこちらに謝罪をしてくる。

 これでは大変だ、弟も。

 正直者なのは構わんが、少しは王に対する配慮なりも覚えるべきであろう。兄のような浅慮で器の小さい王が相手ならば、今頃どのような事になっていたか。

 兄とは違い、全く腹が立たない。しかしこの妃がこれから王宮の魍魎どもに利用されたりする事が無いよう、処世術を身につけさせなくてはならねばと危機感を覚える。

 揚げ足を取ったり、くだらない事で言質をとった気になるからな、あの古狸どもは。

 笑顔を貼り付けたまま対岸の民に手を振り続けていると、一瞬視界が暗くなる。

 何だと思って顔を上げると、誰もが一斉に空を見上げている。

「竜だっ」

 その歓声がこちらの岸でも、対岸でも広がっていく。

 天空で竜が一度旋回し、あっという間に翻してその姿を消してしまう。

 しかし興奮は王都中を包み、弟と妃に向けられる歓声はより一層大きくなっていった。



 二月後、フレッドの両親が玉座の前に頭を垂れる。

「このたびは陛下に並々ならぬご迷惑をお掛けし、大変申し訳ございませんでした」

 帰還の挨拶よりも先に謝罪か。ならば置いていくな。

「構わぬ」

 短い返答の後、片手を上げて衛兵たちを下がらせ、その足音が全て消えてから玉座を下りる。

「いくらフレッドが残ると言っても、親であるお前たちが子を置いていくなどどうかと思うが」

 二人は顔を見合わせ、妃がにっこりと自分に微笑みを向ける。

「フレッドはわたくしたちよりも陛下のほうがお好きなようです。もう十分にわたくしたちの親としての任は果たしました。まだ幼い息子ですが、陛下に全てをお任せしたいと考えております」

 思わぬ妃の言い分に、フレッドはその顔を硬直させる。

「あなたは今日から陛下の傍で帝王学を学びなさい。いいわね、レツ」

 彼女だけが蒼い瞳の少年をレツと呼ぶ。

 呼ばれたフレッドはその蒼い瞳を涙で振るわせる。

「どうしても? どうしても陛下のところに行かなきゃいけないの?」

 胸に抱いた眠っているアンジェリンを弟に渡し、彼女はフレッドをその腕の中に抱きしめる。

「いい、良く聞いてね。レツを手放すのは本意ではないわ。でもね、あなたがいつか立派な王様になる為には、わたくしたちの傍にいるだけではいけないの。陛下のお傍でしか学べない事も沢山あるわ」

「そんなのわかってるよぉ」

 涙を零さないように、フレッドが唇を食いしばっている。

 ここは自分がそのような事をする必要は無いと言ってやるべきか。

「どこにいても、あなたは私の最愛のたった一人の息子よ。大丈夫、辛くなったらいつでもいらっしゃい。あなたの為に、いつでも扉の鍵は開けておくわ」

「……アンジェリンがいるから、僕がいらないわけじゃないよね」

 ふふっと彼女が笑う。

「当たり前じゃない。レツはレツ。リンはリンよ。大好きよ。ずっと本当は手許に置いておきたいくらいよ。ただね、あなたの父様では教えられない事のほうが多くて」

「おい。さりげなく俺を貶めるな」

 弟が眉をひそめるのを、彼女は無視する。

「同じ城の中に住んでいるし、離れるわけじゃないわ。将来王となる為には、一宮家の王子でずっといるわけにはいかないのよ」

「……うん」

「あなたは王になるべくして生まれたの。わかるわね」

 彼女からその言葉が出るとは思わず、目を見張る。

 こちらの様子に気付いたようで、彼女はフレッドの肩を抱いて俺の前に立つ。

「大切な息子です。どうぞよろしくお願いいたします」

 ぺこりと頭を下げる彼<女は、一体どんな思いでフレッドをその手許で育て続けていたのか。

「何故、今なのだ」

 ふわりと彼女が笑う。

「もう、私たちには教える事が尽きてしまったからです。フレッドが生まれた日にお約束いたしました。いつかこの子を陛下にお渡しすると」

「そうだったな」

 フレッドが生まれた日、誰にも言っていない秘密を彼女に漏らした。

 もしもこの先、自分と王妃の間に子が生まれなかったら、その子を貰えないかと。

 産後で弱っていた彼女の耳には届いていないかと思っていたが、虚ろな意識で聞いていたとはな。

 あまりにも身勝手な言い分なので、弟にもその事を告げられずにいたが、この二人の間では既知の事実だったのだろう。

 彼女自身、もう子は産めないというのに潔い限りだ。

「すまなかったな」

 こちらの謝罪など、どこふく風といった雰囲気だ。

「今後の事は陛下にお任せしますが、今日だけは息子を返して下さいね。久々に会った息子に、お土産話もしてないのですもの」

 今日から陛下のところにと言っておいて、まだ舌の根も乾かぬうちに、全く。

「ああ、好きにしたらいい。それに日中はこちらに寄越せばいいが、それ以外はお前たちと共に過ごさせてやれ。別に養子など要らぬ。どうせ否が応でも、そこにいる馬鹿が玉座に就く意思が無いのだから、フレッドが次の王になる事は確定している」

 馬鹿と言い切られた弟は、そんなことを言われても飄々としている。

「愛妻家なので」

 短い返答に全てが籠められていることはわかっている。

「陛下、そろそろ神官長の交替を視野に入れ、人選をして頂きたく存じます」

 弟の言葉の意味を知るこの場にいる者は、一斉に弟の妃へと視線を向ける。

「もう十二分に王宮での時は楽しませて頂きました。まだ幼い娘の事は心配ですが、夫と陛下が傍にいて下さるのですから、安心して行く事が出来ます」

 神殿を束ねる神官長になる資格を持つのは、現状では彼女しかいない。

「いいのか?」

「ええ。この日が来ることは嫁いだ日より、覚悟しておりましたから」

 全てはあの日描いたシナリオ通り。だが心が痛む。

 奇跡の巫女が王家に嫁ぎ、そしてまた神殿に長として戻る。王家は神殿さえもその手中に収める事が出来る。

 そうだ、これが望んでいた未来。

 しかし弟の腕の中で眠る姪と、彼女の服の裾を掴む甥に申し訳ないという気持ちが芽生える。

「またここに戻る日が来ると信じております。それがアンジェリンと入れ替わりではないと良いと願っておりますが」

 赤よりももっと赤い紅の瞳を持つアンジェリン。

 いつかきっと彼女が巫女になるであろうと、王宮にいるすべての者は思っている。

 母であるサーシャの両目の色は、二人の子へと受け継がれ、アンジェリンの瞳の色は紅竜の色。

 描いたシナリオよりも上出来であるはずだが……。

「……わかった。この件は追って指示する」

「畏まりました」

 弟夫妻とフレッドが臣下の顔で頭を垂れる。


 玉座に一人残り、思う。

 王家の運命の糸は、いつも竜に握られているのだと。

評価をするにはログインしてください。
この作品をシェア
Twitter LINEで送る
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ