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CARAMEL  作者: 来生尚
約束の期限
21/28

 近衛兵の中には見知った顔がある。

 その人はずっと昔、まだ少女だった頃に恋人だった。

 幼い恋。

 結婚なんていう事が絵空事の綺麗事だった頃、私がまだ小さな村の中にいた頃の話。

 今では幼馴染という一言で全てが片付けられる間柄だけれど、たとえ傍にいても私たちの間には会話は無い。

 貴族の娘。

 それが今の私を表す言葉。その肩書きゆえに、幼馴染との間には永遠に越えられない一線が引かれた。

 水竜の巫女、紅竜の巫女、そして奇跡の巫女。

 過去の私を形容する言葉。

 村娘。貴族の娘。巫女。

 どれが本当の自分なのか、そのどれもが私なのか。そんなことさえも見失っていたような気がする。


 王都に帰り、お兄様やお父様と話をし、彼の今置かれている状況を聞かされた。

 再び幽閉に近い状態にあるらしい。

 それを解く為に必要なのは、彼の婚約者である神殿の最高責任者である神官長を連れてくること。

 お兄様はその条件を聞き、水竜の神殿までは神官長様と同行した。けれど、神官長様は彼と結婚する意志なんて無い。王都に行くつもりもない。

 紅い竜につれられ、再び炎を噴き上げる山の傍にある紅竜の神殿に戻ってしまった。

 残された私たち。手許にあるのは二枚の衣。

 権謀だらけの王城の中、その奥深くに押し込められたままの彼。

 お父様はその手に権力を、私はこの手に彼を手に入れたくて頭を突合せ考える。

 考えて考えて。結論は出ない。

 他国にまで送られた彼の結婚式の招待状に書かれた期日は押し迫っているのに。

「どうしましょうか、お兄様」

「さあて、困ったね。これといった対案も見出せないよ。いっそ陛下を陥れる方が簡単だが、それをあの方は望んではいないからね」

 溜息交じりにお兄様が答える。

 相変わらずテーブルの上にはお茶と色とりどりのお菓子。

 甘いお菓子を齧りながら、お兄様は窓の外を見つめる。

「城下はお祭りムード漂いつつあるが、肝心の花嫁は不在。陛下はこれをどう収めるつもりでいらっしゃるのか。姫君は神殿からは出てこないのにな」

「あれから神官長様のところには」

「ああ。色々手を尽くされているようだよ、陛下は。だが神殿相手に無理をする事も出来ず、本来の窓口であるあの方以外には会わないと姫君も突っぱねていらっしゃるから、どうにも出来ないといったところだろうね」

 ふと思う。

 国王は本当にどうするつもりなのだろう。全く勝算も無くあの時点で招待状を各地に送ったのだろうか。そんなことはしない人に思える。

 裏があるはず。彼が頑なに拒否する事も想定していたはずだろう。

 神官長様があっさり彼と結婚する事に同意すると読んでいたのだろうか。

 もしかしたらそうかもしれない。

 生まれてからずっと長い間婚約者であった二人。

 婚約解消しようと思えば出来たはずだもの。巫女に、神官長になった時に。

 王都を離れ、神殿で生活している10年以上の歳月の間、二人は婚約を決して解消しようとはしなかった。それこそが、国王が二人が結婚に同意すると思った決め手だったのかもしれない。

「どうするおつもりなんでしょうね、陛下は。相手のいない結婚式をなさるおつもりなんでしょうか」

 うーんとお兄様が唸り声を上げつつ、また一つお菓子に手を伸ばす。

「頭脳労働担当じゃない俺にはわからんな。全くの無策というわけではないだろうが」

 パクっと小さなお菓子を口に放り込みお茶で流し込むと、腕組みをして考え込んでしまう。

 お兄様の頭の中にどのような考えがあるのか。王城へ出かけていったお父様のお考えは。王族に連なるお母様のお考えは。

 いくら無い頭で推測しようにも、本来その手の策略や謀略と縁の無い生活をしていたので、裏の裏までかくような人たちの考えはわからない。

「ああ。そうだ。一つ確認しておこうか」

 突然向けられた視線に首を傾げると、お兄様が口元に笑みを浮かべる。

「全て終わった後も、続けるつもりかな?」

 言っている意味がわからず暫く考え、それからあの事かと思い至る。

「ええ。だって兄妹じゃないですか。お兄様」

 ふふっと笑みを浮かべ、お兄様はその後豪快に笑い声をあげる。

「そうか。ではそのつもりでいることにしよう。どうせならあの方にも泡を吹かせたいしな」

 意地悪げに笑う姿はどことなく楽しそうでもある。

「従順というわけでは無いんですね」

「俺がか? 無い無い。身分は対等ではないが、心まで支配されているわけではないよ」

「じゃあ友達みたいなものなんですか?」

「いーや。幼馴染だろう。そう言うと嫌な顔しそうだなが、あの方は」

「そんなものですか?」

「そんなものだよ。もっとも、振り回されるのはいつもこっちだけどな」

 そう言いつつもお兄様は楽しそうだ。

 彼もお兄様にならと思うところがあったから、私を預けたのだろう。決して裏切らないという確信と自信があったから。

「今回も振り回されてますものね」

「ああ。全くだ」

 笑いながら言われたせいか、その災厄の元が自分であるのに嫌な感じは受けない。

 ポンっと彼がするように頭を軽く撫でるように叩かれるのでお兄様の方を向くと、優しい瞳が覗き込んでくる。

「もういいかい?」

「はい。お兄様」

 目の前に同じ指輪文様の指輪が嵌まった手を差し出される。その手に手を重ね、お兄様のごつごつとした手を握る。

「愚策を弄するしかなかった。すまないな」

「いいえ」

 にっこりと微笑みかけると、お兄様も笑みを浮かべる。

「さあ、喧嘩に乱入しにいこうか」

 紅の衣を翻し、優しい人たちに守られている屋敷の外へと出る。


 正装をしたお兄様と共に、王城へと足を踏み入れる。

 王宮に彩りを添える令嬢や姫君たちが身につけるものとは全く異なる衣を着る私は、通りすがりの人たちに奇異の目で見られる。今は薄いベールのその顔も隠しているのもあり、王城を守る兵士たちも不思議そうに私たちの姿を横目で見つめる。

 背を伸ばし、できる限り優雅に見えるように気をつけつつお兄様の後を一歩離れて付き従う。

 途中、お父様と出くわす。

「来たか。待っていたよ」

 言葉は口にせず、小さく頭を下げて応えると、お父様がお兄様の横を歩く。

 二人に連れられて辿りついた場所、そこには玉座が据えられている。

 広く、天井の高い豪奢な部屋を足音を立てながら最奥中央の玉座の下まで歩いていく。そこにはあの日と変わらない国王の姿がある。

 無表情でお父様とお兄様を見、玉座に背をもたれながら足を組みかえる。

 この部屋に来て国王と対峙しても、不思議と平常心が保たれている。

 紅の衣とベールの力は偉大だわ。ここにいなくとも、背後に竜がいて守られている気がするもの。

「ご苦労であった。おぬしらの働きに感謝する」

 とても感謝しているとは思えないような機械的な言い方ではあるけれど、二人は頭を深く下げる。

「殿下はいずこに」

「呼んである」

 国王は視線を左後方に向ける。

 その視線の先を追うと、幾重にも重なるように垂れ下げられた布の向こうから彼が姿を現す。

 数ヶ月ぶりに見たその姿に、鼓動が大きな音を立てる。

 何も変わっていないようにも見える姿に安心したのと同時に、膝から力が抜けるのではないかと思うほどの虚脱感に襲われる。

 彼を取り戻したいという気持ちが、彼を前にしたら達成されてしまったかのような錯覚さえしてきてしまう。

 ふにゃっと崩れそうな心と体を押し止め、もう一度意を正し、前だけを見据える。

 視界の端に映った彼の瞳が大きく見開くのがわかる。

 ごめんなさい。こんな方法、望んでいなかったの知ってるのに。

「姫、神殿より呼び戻し、すまなかった。ここに戻ったという事は愚弟との結婚に同意してくれたということだな」

 国王の言葉に返事をせずにいると、こほんとお父様が咳払いをする。

「その事ですが陛下」

「何だ」

 冷たい視線がお父様に向けられる。

 お父様はその視線に萎縮する事もなく、ぴんと背を伸ばしたまま国王に言葉を投げかける。

「姫以外は、殿下の相手には認めないという事で陛下のご意向は変わらないのでしょうか」

 ふんっと国王が鼻で笑う。

「そなたの娘の事を言っているのか。愚問だ」

 その言葉にお父様が口元に笑みを浮かべる。それはもしかしたらとても挑戦的と見られるかもしれないような笑い方に見える。

 お兄様はちらっと彼のほうに視線を向けただけで、口を挟もうともせずにいる。

「では娘の処遇、こちらに一任されるという事で宜しいのですね」

「構わん。邪魔さえせねば、命を取ろうとまで思わん」

 にやりとお父様が笑う。

「では娘は娘でも、当家の息子の嫁として、義理の娘に致しましても構いませんね」

 回りくどい言い方になったけれど国王に意図は伝わったようで、まるでしっしと動物を払うような仕草をする。

 王族や貴族に比べたら、どこの馬の骨かもわからないような民草は、国王にとってはその辺の動物と同じという事だろうか。

「好きにしろ」

 お父様が満足げな笑みを浮かべると、お兄様の方に向き直る。

「陛下に感謝せよ」

「ありがとうございます。では結婚のお許しをいただけたということで宜しいですね」

 頭を下げて聞きなおすお兄様を、国王は疎ましげに見つめる。

「何度も言わせるな。そなたの結婚になど我は興味は無い」

 言ってから国王が頬を緩ませる。

「そなたと妹との噂は聞いているよ。大層仲が良いそうだな」

「陛下のお耳にも届いているとは。恥ずかしい限りです」

 もう一度礼をしてから、お兄様は半身を背後に向けて私に真っ直ぐに手を伸ばす。

「というわけだ。今日から俺がお前の婚約者だ」

 その手を取り、彼のほうをちらりと見る。

 彼は顔色一つ変えずに、目の前の茶番劇を見つめている。

 顔色を変えたのは国王のほうだった。

「どういうことだ」

 お父様が私を背後に隠すように、立ち位置をすすっと足音も立てずに変える。

 ぎゅっとお兄様の手に力が籠められる。

 カチャリと金属のぶつかるような小さな音がしているせいかもしれない。

「言葉通りですよ、陛下。この国の至宝は当家がいただきます」

 お父様が袂に隠しもっていた、蒼の衣を広げて私の肩にかける。

「この二枚の衣を身につける資格を持つ者を、当家に頂きありがとうございます」

 慇懃な言い方をしたお父様を、国王は鼻で笑う。

「それが本物だという証拠があるのか? その少し変わった作りの衣が巫女の衣だと証明出来るとでもいうのか」

「殿下にお聞きになられたら宜しいのでは」

 お父様の言葉で、国王は彼のほうに首を回す。

 彼は動かない。何も発しない。

 ふんと息を吐き出すと、国王はまたお父様や私たちのほうを向く。

「奇跡の巫女とは、竜の瞳を持ち、頬に傷を持つ者。そちの娘はそのような特徴を持っておらん。謀るようなその発言。大臣よ、覚悟は出来ておろうな」

 国王は同時に片手を挙げ、部屋の中には甲冑に身を包んだ兵士がなだれ込んでくる。

 その一団と、部屋に同席している大臣たちが輪の中心にいる私たちを凝視する。一挙手一投足、全てを見逃さないような目で。

「殿下。いかがなさいますか」

 国王の言葉には答えず、お父様は彼に声を掛ける。

 能面のように感情のない瞳がこちらを見る。

 しーんと静まり返った室内の中、誰もが彼の言葉を待っているのに、彼は何も発しようともしない。表情一つ変えようともしない。

 沈黙が永遠に続くのではないかと思えるほど、誰も何も発せずにいる。

 もしかして彼は国王によってコントロールされている状態なのかもしれない。

 以前に彼に先王の事を聞いた事があるけれど、その時に薬がどうこうって話していたもの。彼もまた、薬により傀儡に変えられてしまったのかしら。

 不安が過ぎる。

 もう、彼の瞳が私を見ることはないのかしら。あの何も映していないような瞳に輝きが点る事はないのかしら。

 ぎゅっとお兄様の手を握ると、同じように握り返される。

 お互いの手が汗で濡れているのがわかる。

 私と同じように、今、お兄様もこの博打の結果がどうなるのか不安にさいなまれているのかもしれない。

「吟遊詩人は詠う。奇跡の巫女は、二頭の竜に愛された証拠を持つと。蒼の瞳、紅の瞳。竜の声を聴き、竜と共に大空を翔け回る。竜に愛された奇跡ゆえ、彼女は永遠に竜の元から離れない」

 彼の声が部屋の中に響き渡る。

「それが、奇跡の巫女。歴代の巫女の中でも唯一二色の衣を纏うことを許された存在」

 コツン。彼が一歩踏み出す。

 規則正しい足音が、目の前で止まる。

「俺はそんな偶像が欲しいわけじゃない」

 耳元に囁くような小声で言った彼の手が、ベール越しに私の頬を撫でる。

 すーっとお兄様の手が私の手を離し、お兄様が彼を見つめる。

 二人が何か目配せをしたかと思うと、国王に背を向けた彼がにやりと笑みを浮かべる。

「大臣の娘が奇跡の巫女か否か。それはどうでもいいことです。俺は彼女以外いらない。肩書きや氏素性で人を判断したりしない。それがお気に召さないのなら、この地位、この命返上いたしましょう」

 国王に向き直った彼が私の手を取って宣言すると同時に、兵士たちが一斉に私たちに手に持った武器を向ける。

 こんな緊迫した状況なのに、お父様もお兄様も彼も不敵な笑みを浮かべている。

「気に入らんな」

 国王はそう言うと立ち上がって、私たちを汚いものを見るかのような蔑んだ目で見る。

「こんな茶番に付き合っておられん」

 言うと片手を挙げて、兵士たちに攻撃の指示を出す。

 隠し持っていた短剣を懐から出したお兄様は一本を彼に渡し、正面の兵士たちにその剣を向け、お父様と彼が左右の兵士と対峙する。

 じりじりと兵士たちに追い詰められ、窓際まで追いやられる。

「本気でやるのか」

 背を向けたままでお兄様が早口で問う。

「まさかお前」

 彼が目を見開いて私の顔を見る。

「うん。ごめんね」

 小さく謝りの言葉を告げた後、彼の手を振りほどいて窓枠に登る。

 パタパタと風に揺らされて衣が揺れる。一歩後ろに足を踏み出せば、高い塔から体が落ちる。

 窓枠に立ったまま、片手でベールを剥ぎ取って窓の外に投げ、国王に微笑みかける。

「竜を敵に回しますか?」

「偽者の巫女を騙る者に何が出来る」

 明快な答えに思わず笑みが零れる。

「確かに偽者ですよ。今は、ね」

 だって今の私は巫女じゃないもの。当然神官長でもないもの。そのどちらでもないのに、そのフリをしているだけだもの。

 目の前に立つ彼の腕が、窓枠から私を下ろそうと腰に回される。

「そんなことしなくていい」

 彼を見下ろして、国王に向けた微笑みを投げかける。

「私は言ったわ。あなたを手に入れる為なら過去を明らかにする事なんて別に構わないって」

「お前はそんなこと望んでないだろ?」

「そうね。だけれど、そうしてでも欲しいの。あなたと一緒にいたいの。私のワガママ聞いてよ」

「何をこそこそと話している」

 国王の怒りの含まれた声で顔を上げ、もう一度国王の顔を見る。

「もし私が巫女だったなら、彼を下さいますか、陛下」

「ああ、巫女ならばな」

 にっこりと微笑み、そして心の中で叫ぶ。紅き竜の名を。

 禁じられた名前。

 来て。ここに。一度だけ助けてくれるなら、今、助けて。

 心の中で何度も何度も唱える。

 私を助けて。彼を手に入れる為に。

 そんなに沢山子供を産めないかもしれない。だけど彼以外の子供は欲しくない。私は彼がいいの。一生一緒にいる相手は彼じゃなきゃ嫌なの。

 今ここで助けてくれなかったら、私の血はここで途絶えるんだからね。

 だから助けて。私を助けて。

 彼が欲しい。

 心の中で念じていると、遠くで聞き覚えのある羽音が聞こえる。

 自然と笑みが零れる。

「下さいね。絶対に」

 言って、足を一歩背後に踏み出す。

 ぐらりと世界が揺れる。

 浮くような、叩きつけられるような感覚が全身を襲い、謁見の間と呼ばれる部屋がある塔から身体が遠ざかっていく。遠くで悲鳴を聞いたような気がした。

 どんどんと加速して、地面が近付いていく。

 だけれど怖くなんて無かった。絶対に助けてくれると信じていたから。

 急降下する身体が止まり、ふわりと空へ持ち上げられる。

「がうっ」

 抗議するような目と声に安心を覚える。

「来てくれてありがとう」

 紅竜の爪に引っ掛けられたまま語り掛けると、紅竜はペロンと舌を出す。

 ああ、ちょっと怒ってる。確実にこれ、嫌なことされるコースだ。

 予感は当たり、ちょっと爪に引っ掛けられているという不安定な状態で、思いっきり空へと上昇される。

 ぶんぶんと揺らされる身体と、あまりにも心許ない宙吊り状態に思わず叫び声をあげてしまう。

「怖いぃっ。怖いからやめてぇぇぇぇっ。ごめんなさいー!!」

 叫ばずにはいられなかった。

 体面とか、今の状況とか全部すっぽ抜け、恐怖で震え上がる。

 ふんっと紅竜が鼻息を吐き出し、王城の屋根の上にゆっくりと降下する。

 屋根の上に下ろされ、竜の頬を撫でる。

「ありがとう。来てくれて」

 竜は舌を出して、頬を舐め上げる。

 柔らかくて温かい舌にされるままになっている。巫女であった時に感じていた幸せな時間を思い出す。

 命が尽きるまで、本当は一緒にいたかったね。

 言葉は伝わらないけれど、でも目の前の紅の竜も同じように思っていてくれると思う。

 竜の舌が頬から首元へ伸び、ぞくっとした感覚に襲われる。

 えー。食べるの?

 口に出さずに聞くと、その目が笑う。

 ああ、やっぱり食べるつもりなんだ。この後ヘロヘロになるのかな。

 食べるといっても頭からがぶりと食べるのではなく。竜が食べるのは人間の生命力。巫女であった時のように目一杯食べられたりはしないと思うけれど。容赦はしてくれないんだろうな。

 食後の面倒を考えると嫌な気持ちが先に立ちそうなのに、今は竜といられる巫女疑似体験の時間に幸せを感じる。

 竜の巫女とはその声を聴き、人に竜の言葉を伝える者。そう定義されている。

 今の私は当然竜の声なんて聴こえない。

 ただ、巫女のもう一つの側面である「生贄」の部分を体現しているに過ぎない。

 傍から見たら、滑稽な光景なんだろう。

 そんなことを考えながら、紅竜の顔に頬を寄せていると、ほんの少しの時間で紅竜の舌が離れていく。

 あれ、そんなにすぐに終わっちゃっていいの?

 問いかけるように見た紅竜の目が細められる。そして、くいっと首を塔の方へと向ける。

 何をさせるつもりだと聞いているかのように。

 ああ、今の食事はその対価って事なのね。

「私の瞳の色を戻して」

 竜はぶんぶんと首を横に振る。それは出来ないって事なのかな。

 何やら言葉を発するように吼えた後、紅竜は前足を目の前に差し出す。

 乗れって事?

 足を見てから顔をあげると、がうっと吼えられる。早く乗れと言わんばかりに。

 前足に乗ると、ゆっくりと竜は空へと上昇していく。

 眼下には竜の姿に驚いたのだろう、沢山の人が庭にいるのが見える。王宮の窓という窓に、人が張り付くようにして竜を見つめている。

 そんなことは全く気にしない様子で、竜はさっき私が飛び降りた窓を覗き込む。

 その大きな顔で視界が塞がれているので、一体部屋の中がどんな風になっているのかはわからない。

 彼は、お父様は、お兄様は、みんな無事なのかしら。兵士たちに傷つけられていないかしら。

 すーっともう一度竜が上昇すると、前足が窓の方へと向けられ、私の前には心配そうな顔をした彼の顔が飛び込んでくる。

「無茶しすぎ」

 呆れ声で私のほうへと手を伸ばす。

 その手を掴もうかどうか悩んで竜の顔を見上げると、竜は窓の中に足の先を入れる。

 わかったわよ。早く行けってことね。

 彼の手を借りて部屋の中に降り立つと、竜が咆哮をあげる。

 つんざくような咆哮に両手で耳を押さえると、ひらりと身体を翻し、竜は大空高くに上がっていく。

 その遠ざかる姿に心の中で声を掛ける。ありがとうって。

 咆哮が消えた部屋には、国王のバカ笑いと言っても過言でもないくらいの笑い声が響き渡る。

 ぎょっとしてそちらを向くと、涙目になりながらおなかを抱えて笑っている。

 何が起こったのだろう。頭おかしくなったのかと思うくらいの豹変ぶりに、彼の顔を見上げる。

 苦笑いを浮かべ、彼はお父様とお兄様を見つめる。

 お父様は溜息をついて頭を抱える。

「なかなか面白かったよ。肝が据わっているな、弟よりもずっと」

 氷のような冷たい表情ではなく、国王は穏やかな表情をしている。

 二重人格なんじゃないかと疑いたくなる位、自分の見ている光景が信じられない。

 パチンと指を弾き、兵士たちに部屋を出るように促すと、次いで部屋の中の大臣や貴族たちを人払いする。

 部屋の中に静けさが戻り、国王と彼、お父様とお兄様と私という5人だけになると、国王が玉座から立ち上がる。

「噂どおりのびっくり箱だな」

 目の前まで来ると国王が笑いながら話しかけてくる。

 警戒して身体がこわばってしまうけれど、誰も国王を止めようとしない。

 害は無い?

 ううん、この裏で何か考えているのかも。本気で私を殺すつもりだった人よ。

 国王の言葉に誰も答えようとしないので彼の顔を見ると、彼も苦笑交じりの顔をしている。

 一体、何が一瞬のうちに起こったの? やっぱり二重人格なんじゃないの。

「まさかあそこで飛び降りるとは思わなかった。大臣の策か?」

「いえ。竜を呼ぶとしか聞いておりませんでした。あのような大胆な事をするとは夢にも思っておりませんでした。騒ぎを起こしてしまいまして、申し訳ございません」

 丁重に頭を下げるお父様を、国王は片手で制する。

「構わない。なかなかいいお披露目になっただろう」

 お披露目?

 意味がわからなくて彼を見上げると、お父様が私の頭を撫でる。

 その手の先のお父様の顔は、泣き笑いのような表情をしている。

「全ては陛下の手の上で踊らされていたのだよ」

 え? ええっ?

 どういう意味なの。彼が幽閉されていたりしたのも、もしかして嘘? 断食だとかなんだとかっていうのも。

 きょろきょろとお父様や彼、そして国王の顔を見比べていると、国王がくくっと笑い声をあげる。その仕草や笑い方が彼にそっくりだ。

「すまないね。弟がなかなか覚悟が決まらないようだったので色々手回しした。君が本物の奇跡の巫女かどうかも知りたかったしね」

「それって、もしかして、全てご存知だったという事でしょうか」

「んー。どうだろうね。ただ奇跡の巫女の奇跡というものの正体を知りたくてね。本当に奇跡を起こせるなら起こして貰わないと、目で見たものしか信じられない主義だから」

 豹変した国王がさらりと言う言葉の意味が、あまりよく理解できない。というより、考えたくない。

「まあいい。インパクトとしては最高だった。竜が王城に降臨し、王家に妃を差し出した。いいシナリオだろう」

 国王は背を向けて玉座に向かって歩き出す。その姿を見送っていると、彼が私の手を握る。

「奇跡の巫女、何故陛下の妃になさらないのですか」

 彼の問いかけに、玉座に座りなおした国王は肘掛に肘を置きながら答える。

「我が妃は隣国の姫である。その地位を脅かすような存在は国家の大憂になりかねん」

 もう一度冷酷な国王の仮面を被り、声の温度や質までも変えたまま私を見る。

「叶うなら、式の時に竜を呼べ。そうすればお前たちの願いは叶えられるであろう。以上だ」

 カンっと音を立てて立ち上がり、国王は幾重にも重ねられたカーテンのような布の向こう側に姿を消す。

 静まり返った玉座の前で立ち尽くしていると、彼に肩を抱かれる。

「行こう」

 彼に促され、お父様とお兄様と共に部屋を後にする。ものすごい肩透かしを食らったような気がする。

 結局国王は私たちがひた隠しにしようとしていたものを表に出させる為に、こんな大芝居を打ったという事なの?


「お前は馬鹿かっ」

 王城の中の彼の部屋に通されると、思いっきり大声で怒鳴られる。

 いきなり怒鳴られて腹が立ち、怒鳴り返す。

「バカって何よ。バカって」

「じゃあ言い方変えてやる。ど阿呆」

 バチバチとお互いの視線の中央で火花を散らしていると、視界を遮るように鍛えた背中が目の前に立つ。

 お兄様?

「まあまあ、その位でいいじゃないですか。別に妹も悪気があってしたわけではないのですから」

「申し訳ありません。私共の稚拙な策のせいで、娘を危険に晒しましたこと、お詫び申し上げます」

 お父様にも庇われると、彼はふんっと横を向く。

「隠し通したまま妃に迎えるつもりだったのに、余計な事を」

 苛立たしげな彼に、お父様がコホンと咳払いをする。

「その件ですが、殿下」

「何だ」

「陛下は殿下に全てを白日の下に晒す事を望んでおられました。ですので、遅かれ早かれ娘の過去については明らかになったのではないでしょうか」

 むすーっとした表情で彼が腕を組む。

「それを明らかにしなくては、俺は妃すら好きに選べないのか?」

「そうではないでしょう。より殿下のお立場を強固にする為に、陛下はその事を望んでいらしたのではないかと推測致します」

 はあっと溜息をつくと、彼はソファに腰掛ける。

「わかったよ。これ以上彼女を責めない。悪かった」

 にっこりとお父様が微笑み、お兄様に目配せする。

「では、御前失礼致します」

 お父様は深く頭を下げ、彼の部屋から姿を消す。一緒に部屋を出るかと思ったお兄様は隣に立ち、私の手をぎゅっと握る。

 その様子に、ぴくりと彼が眉を動かす。

「もう大丈夫だよ。お前は何も心配しなくていい」

「お兄様。ありがとうございます」

 ポンっと私の頭を撫でるお兄様に微笑むと、お兄様もにっこりと笑う。

「良かったな」

「はい」

「おい、ちょっと待て」

 ほのぼのした空間が、彼の不機嫌極まりない声で壊される。

「何ですか。邪魔しないで下さい」

 お兄様が眉をひそめて彼を睨むようにすると、彼が立ち上がってお兄様の手を私の頭から払う。

「あんまり触るな」

「嫉妬ですか」

 ぷっと吹き出すお兄様に、彼が思いっきり顔をしかめる。

 彼の不機嫌をさらっと流し、お兄様が豪快に笑う。

「いやいや、いい表情ですね。めったに見られないそんな顔を見られただけで、十二分に妹を貰う価値はありましたよ」

「お兄様?」

 くしゅっとお兄様が頭を撫でる。

「お前はずーっと俺の妹だ。ずっと続けるんだろう。この兄妹ごっこ」

「ごっこじゃありませんよ。お兄様」

 にやりと笑って、お兄様が彼を見る。

「だそうですよ。というわけで、兄妹愛の邪魔はしないで下さいね」

 笑いがこみ上げてくるのが堪えきれない。思いっきり顔をしかめた彼が、もう一度お兄様の手をパチンと音を立てて払う。

「触るな。とっとと出てけ」

「はいはい。いいですよ。お邪魔虫は消えて差し上げますよ。ああ、何かあったら大声で呼ぶんだよ。すぐに飛んでくるからね」

 彼に言った後に付け足すように私に言い、お兄様は部屋の扉に手を掛ける。

「何もないから、仕事に戻れっ」

 腹立たしげに言う彼を笑い飛ばし、お兄様は部屋の外へと姿を消す。

 残されたのはあからさまに不機嫌な彼と、笑いが止まらない私。

 肩を揺らして笑う私の両頬を、彼がむにっと掴んで左右に引っ張る。

「痛いって」

 本当は痛くなんてないけれど痛いっていうと、彼の手が離れる。

「笑いすぎなんだよ」

 ぎゅーっと両腕の中に痛いほどの力で抱きしめられる。

 息苦しい位の窮屈さに、思わず顔をしかめる。

「何で待ってなかったんだよ」

「全然迎えに来ないから、迎えに来ちゃった」

 誤魔化すように言うと、彼の額がこつんと私の額に当たる。

「たまには俺の事信じて待ってろよ。本当に。でも、ありがとうな」

 額を離し、緋色の衣に彼が触れる。

 季節なんてまるで無視した、ただただ優美に見えるように作られた巫女の正装と呼ばれる薄衣。他を寄せ付けない為の衣に彼が触れ、ドキっと胸が跳ねる。本来なら誰も手を触れる事が出来ない巫女を着飾る為のものなのに。

「俺、お前がこれ着ている時にあんまりいい思い出無いんだよな」

 ぼそっと呟くので顔をあげると、にやりと彼が笑う。

「思い出の上書きでもさせて貰おうか」

「な、何企んでるの?」

「なーいしょ」

 くすくすと笑いながら目を細め、彼が私の髪を撫でる。

「とりあえず何日分好きって言おうか」

「言いたいだけどうぞ」

「じゃあ、言わない」

 言い方が気に入らなかったのか、彼はぷいっとそっぽを向いてしまう。手を離して体を離す彼に手を伸ばすと、にっこりと綺麗な顔で微笑まれる。

「俺のこと好き?」

 好きって答えようかと思ったけれど、はたと考え直す。何で私が言わなきゃいけないの。彼が言う番じゃないの、この場合。

 でも、そんなことはどうだっていいか。

 両手を伸ばして、彼の首に腕を回す。

「好き。どこにも行かないでね。一生一緒にいてね。もう離れるのは嫌よ」

 背に回された彼の腕にぎゅっと力が篭る。

 窒息するんじゃないかっていうくらいの力強さが嬉しい。ずっとずっとこの腕の中に帰ってきたかった。

「好きだよ。ササ」

 彼が私の名を呼んだ瞬間に笑みが零れる。

 もうその名は禁忌じゃない。隠さなくてもいいんだ。誰にも憚らず、彼の傍に私は私のままでいていいんだ。

 例え私が奇跡の巫女でも、ただの村娘でも構わないんだわ。ただのササを彼は受け入れてくれているのだもの。これからは、それを周囲も受容してくれるのだろう。

「大好きよ、ウィズ」

 にっこりと微笑んだ彼の唇が重なる。

 優しく触れる唇を離すと、彼の瞳が私を覗き込む。

「俺、ササがウィズって呼ぶ声好きだな」

「ずっと前にもそんなこと言ってたね」

 ちゅっと音を立てて彼の唇に一瞬だけ唇と重ねると、彼が目を細める。

「お前だけだ。俺を名で呼ぶのは。お前しか俺の名を呼ばない。あの時、初めて会ったあの時から俺はお前の事選んでいたんだよ」

「うっそ。それ、そう言っとけばカッコイイから言ってるだけでしょ」

 くすくす笑うと、彼が気まずそうか顔をする。

「そういう事にしておけよ、バカ」

 コツンと額が音を立ててぶつかったかと思うと、息も出来ないほどのキスが降って来る。

 小さな村の夜明け前の道で会った、態度のやたらでかい人。

 不審者かと思っていたら、なんとなんと王子様で、私が巫女になるのを見届けに来た人だった。

 この国の支配者の一人である竜の代弁者である巫女と、もう一人の支配者である国王の代弁者である祭宮な彼。

 表裏一体の対の関係な私たちは、巫女として祭宮として接してきた。

 業務上のパートナーであった私たちの間に、いつの間に恋が生まれたのだろう。

「ねえ」

 キスの合間に彼に問いかける。

「ん?」

 唇を少し離し、彼が私を見つめる。

「これからどうなるんだろうね」

 恋どころではなかった7年。恋人未満だった1年弱。恋人になったかと思ったら離れ離れの数ヶ月。

 これからの私たちはどうなっていくのだろう。

「二人はずっと幸せに暮らしましただろ。吟遊詩人的に言うと」

 笑いながら言う彼の言葉がひっかかる。

「詩はもういい。いらない。奇跡の巫女の詩なんて、大げさで嘘ばっかりじゃない」

「だから唇尖らすなって」

 再びキスの波に攫われる。翻弄されるばかりで意識が遠のいていく。

 ずっとずっと二人は幸せに暮らしました。

 本当にそんな風になれるといいな。もう波乱万丈はいらないもの。平凡な毎日で十分幸せ。彼さえいれば。

 紅の衣も、蒼の衣も、まやかしで隠してある竜の瞳も、永遠に表に出したくない。

 奇跡なんて起こせない。運命なんてもので決め付けられたくない。手の中にある温もりだけを大切に生きていけたら、それでいい。

 時に甘く、時に苦く、ずっと溶けない恋があれば、きっと吟遊詩人の詩で詠われるよりも幸せになれるはずだわ。

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