#09.
女神のように美しい女性の目には、欠片ほどの軽蔑も宿っていなかった。
自分を見つめる視線に負の感情が含まれていないのが、一体いつ以来だろうか。
最初は彼女もユルケンと同じ呪われた者だと思った。だからこそ、自分を愛するために来たという彼女の言葉を、思わず信じそうになってしまったのだ。
しかし彼女は呪われた者ではなかった。
生まれつき桃色の目を持つ者など聞いたこともない。勿論、重要な問題ではなかったが。
(呪われた者でないならば……)
結局彼女もまた、貪欲に公爵の城を訪ねてきた利己的な女に過ぎない。
ルシラの愛の告白に、ユルケンの心は冷たく冷え切った。彼に愛を告白した女性がルシラだけというわけではない。
どれほど呪われていようともユルケンは公爵であり、王家の血統を持つ高貴な存在であり、広大な領地を持つ大領主でもあるのだ。
下位貴族からコネを求める裕福な商人、果ては娼婦や農民に至るまで。数多くの女たちが彼のもとを訪れ、言葉だけの告白を繰り返してきた。
ユルケン自身ではなく彼が持つ背景を見て吐き出される愛の言葉は、酷いほどにどれも同じで――。
ユルケンはルシラから関心を収めた。明白な拒絶の込められたユルケンの言葉にも、ルシラは引き下がらずに残った。
彼を見つめる視線は相変わらず柔らかく、腐ち果てた己の手を強く握りしめる彼女の手は、痛いほどに温かかった。
幼い頃のたった一度の出会いについて、ルシラは語っていた。
随分と昔のことではあったが、ルシラの話を聞いているうちに当時の記憶が蘇ってきた。
魔物たちに包囲されながらも、落ち着いた表情を浮かべていた少女がいた。
幼い少女と名門貴族の子供が、たった二人で旅をするなど滅多にないことだ。それに加えて、一人の子供が負傷までしている状態ならば、なおさら奇妙な状況ではないか。
当時も訝しく思っていたのだった。
(怪我ではなく、瞳の色を隠すためだったのか。ならば、なぜ今は目を隠していないのだろう?)
ルシラを思い出しかけたユルケンが疑問を口にしようとした、その瞬間だった。
「……っ!」
突如、目の前が真っ白になり、息ができなくなった。
鋭い鑿で肺を刺されるような激痛が襲いかかった。肺から逆流した血が気道を駆け上がってきた。呑み込もうとしたものの、込み上げてきた血の塊を再び呑み込むことなど不可能だった。
溢れ出た血が、ルシラの白い頬を濡라した。
謝りたかったが、言葉が出てこない。全身を刺し貫く激痛に動くことすらできなかった。
死ぬほど苦しいのに死ぬことすらできない苦痛に、頭の中が真っ白になる。
この激痛はいつ終わるのだろうか。こんな姿を見せられたのだから、ルシラも逃げ出すだろう。ユルケンは両目を閉じ、苦痛に耐えた。
すべては取るに足らないことだ。
自分の傍を離れていく人も。この痛みも。いつものことなのだから。
ところが、ユルケンの予想とは裏腹に、ルシラは彼の傍を離れなかった。
誰もが触れることすら拒む己の身体を、躊躇うことなく支える姿がにわかには信じられなかった。
夢でさえ、これほど都合の良い出来事は起きない。ならば一体、これは何だというのか。
まともに思考を巡らせることができたのは、ここまでだった。
いつ気を失ったのかも分からないまま、ユルケンは深く暗い深淵へと落ちていった。
***
明るく温かな光がまぶたに降り注ぐのを感じながら、ユルケンはゆっくりと目を開けた。引き開けられたカーテンの向こうに見える朝日が眩しかった。
朝日を見るのがいつ以来か分からない。それ以上に、なぜカーテンが開けられているのだろうか。
呪いにかかって以来、ユルケンは一度たりとも明るい光の下に身を置いたことがなかった。使用人たちも、彼の部屋だけは絶対にカーテンを開けないはずだった。
(思考が……まとまらないな)
今目が覚めたばかりのせいだろうか? なかなか状況が把握できなかった。いや、目が覚めて間もないからぼんやりしているのではない。
「睡眠」というものを取ったのが久しぶりすぎて、順応できていないのだ。
ユルケンはそこで初めて、自分が「眠って」いたということに驚愕した。
(どうやって……?)
眠ることができたというのだ? ユルケンにとって睡眠とは、苦痛の中で悶え苦しんだ末に気絶するように意識を失うことだった。
目覚めてからもこれほど平穏な朝を迎えたことなど、呪いにかかって以来一度としてなかった。
理解しがたい状況の中、反射的に右手を持ち上げようとしたユルケンは、己の手になにかが引っかかっていることに気づき、視線を落とした。
そして、己の手を強く握りしめたまま眠っているルシラを見て、息を呑んだ。一瞬で頭の中が真っ白に染まった。ワンテンポ遅れて、昨夜彼女の前で意識を失ったことを思い出した。
空いている左手で顔を覆ったユルケンは、声もなく溜息を吐き出した。
口にも出せないほどの醜態だ。それなのに、なぜ彼女はまだここにいるのだろう。それに加えて……。
(どうして手を……握っているのだ)
もしかして、自分が安らかな眠りにつくことができたのは、彼女のおかげなのだろうか?
そんなはずはないと分かりつつも、触れ合う手のぬくもりが温かく、思わず馬鹿げた考えが頭をよぎった。
乱れた灰色の髪が朝日を浴びて、白金色に染まっていた。
ベッドにでも寝かせてやれればいいのだが、現在のユルケンの体力では不可能に近いことだろう。
自嘲気味な笑みを浮かべたユルケンは、彼女が目を覚まさないよう注意しながら掛け布団をかけてやった。
いや、かけてやろうとした瞬間だった。
「……!」
閉じられていたルシラの目が、開かれた。




