第一話 ──マキナードのありふれた日──
昼前のマキナードは、いつも通りの喧騒に包まれていた。
行商人の声。パン屋の甘い香り。ギルド前で屯する冒険者たち。
トリグレアの事件から一カ月。
街は、あの騒ぎが嘘だったかのように日常を取り戻している。
僕はというと──グラン=リュミエルに戻るつもりでいたのに、
気づけばロウとの同居が続いていた。
最初は「一週間だけ」のはずが、出て行こうとするたび
ロウに真剣な顔で引き止められて……そのまま、ずるずると。
最近ではヨゼフの鑑定屋に呼ばれる日が増えている。
毎日じゃないけど、前みたいな手伝いじゃないから給金も出る。
ヨゼフは相変わらず働きたがらないんだけど、
僕が来る日だけは必ず店を開けている。
今日もギルドから依頼された鑑定品を並べ、最終確認をしていた。
鑑定書にサインをして封に詰め、蝋を垂らして印璽を押す。
「うわぁ、これリンのハンコ? スゲェ~、カッコいいじゃん!」
勝手に椅子を逆向きにして跨り、背もたれに肘を預けて覗き込んでくる影。
ハニーオレンジの瞳をキラキラさせ、印璽を興味津々に眺めている。
長い銀髪を緩く結び、右目に眼帯をした美丈夫──ローランドだ。
「……ロウ、邪魔」
わざと冷たく返したのに、ロウは嬉しそうに首を傾け、
さらに覗き込んでくる。
「いいじゃんよ。こんな暇な店ほっといてさ、どっか出掛けようぜ」
「見てわからないのか? 僕は忙しいんだ」
目も合わさず答えたのに、ロウは気にした様子もなく
にやっと笑って顔を近づけてくる。
「怒んなよ~。もしかして、ストレス溜まってる? 発散しに行く?」
「行かないよ。忙しいって言ってるだろ」
「そんなに蝋垂らしたいなら……そういう店行くか?」
「……バカかよ!」
思わず蝋を投げるふりをする。
「あっ……顔は止めて……」
ロウの妙に柔らかい声が店内に落ちる。
「そんな声出すな!!」
顔が熱くなるのをごまかすように、鑑定品をまとめて店を飛び出した。
外の空気がひんやりと頬に触れる。店前で深呼吸をひとつ落とす。
……落ち着け、僕。
早く帰らないと、またヨゼフに文句を言われる。
大通りには出ずに、裏道を急いだ。
ロウに遊びに誘ってもらえるのは嬉しい。
でも、いつも最後に酒場やいかがわしい店に連れて行こうとする。
酒は得意じゃない。
飲めないわけじゃないけど、美味しいと思わない。
綺麗な色なのに、どうしても苦い。
それに、すぐ酔いが回ってロウに迷惑を掛けてしまう。
本人は気にすんなって言ってたけど……僕が嫌なんだ。
ああいう女性の店も正直苦手だ。
毎回断ってるのに、しつこく誘ってくる。
僕が逃げるように帰った後、ロウはいつもどうしてるんだろう。
……別に気にしてるわけじゃないけど。
そんなことを考えているうちに、ギルド前に着いた。
扉を開ける。
いつも通りのざわめきが耳に入る。
もう嫌がらせをしてくる者はいない。
──ロウが一度、派手にやり返してくれたからだ。
あの日、ギルドが一瞬で静かになったっけ。
「鑑定品、届けに来ました」
奥のカウンターに声を掛ける。
領収書と鑑定代金を待っていると、職員が眉を顰めた。
「リンクさん、一つ足りないよ。小さな箱に入れてあった魔石なんだけど」
「え?」
確かに鑑定した記憶がある。
ここに来るまでに落としたなら気づくはずだ。
もしかして、慌てて出てきたときに置き忘れたのか?
「ちょっと見てきます!」
急いでギルドを後にした。
考えるより先に、足が店へ向かっていた。
✦ 作者より
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