46、「生きよう」では生きづらい
私だけではなく、人にはあまのじゃくが住んでいて、キャッチフレーズの逆のほうに向かっていく性質があるように思えます。
やってはいけないと言われるとやりたくなるような性質です。
やってみようの掛け声に対して、周りの多くがうんざりしているというケースは少なくありません。
素直さ、性善説が賛美される世の中です。
しかし、実際には人の心には鬼が宿っています。
あまのじゃくは多くの人が背負う鬼の1種類ではないでしょうか。
あまのじゃくとうまく付き合っていこうと思うと、逆のフレーズが必要になります。
生きようではあまのじゃくの力によって、かえって生きるのが辛くなってしまいます。
あまのじゃくを考慮するなら、「死のう」が大事だと私は考えています。
私自身何度も死のうと思いました。
いま振り返ってみて思うことですが、「死のう」という感覚は「生きよう」から生まれたものかもしれません。
生きようで無理が祟って、「死のう」という気持ちになっているのです。
そして、死のうと思うと、やはりあまのじゃくが出てきて、最終的にこんな感じになりました。
「あと1日だけ色々考えよう」
次の日に改めて死のうと思っているうちに、1日また1日と時が経過してしまって、いま私はここにいます。
人生何とか前に進もうと思ったら、純粋に前に進むだけでなく、あまのじゃくの意見をうまく聞き入れていく必要があると思います。
「死のう」なんて言うとはばかられますが、この「死のう」こそがあまのじゃくの魔力で反射させたときに「生きよう」に変化するものです。
あまのじゃくの魔力なんて科学的じゃないと言われますが、心理学ではそういう性質は確認されています。
反射の性質を活かしていかないと、「生きよう」が跳ね返って2倍のダメージの「死のう」に襲われてしまいます。
あまのじゃくを利用するなら、ある程度、賛美されないキャッチフレーズを掲げていくことが大事です。
「欲しい」という感情でも、あまのじゃくは確認できます。
子供のころ、私の学校ではポケモンが流行っていまして、友達が次々に金銀のシリーズを手に入れたのですが、私は出遅れていました。
親がなかなか買ってくれなかったので、金銀で遊ぶ友達を尻目にずっと緑をプレイしていたのです。
そこで、私は強がってこう言っていました。
「別に欲しいなんて思ってない」
すると、どんどん欲しくなってしまうのです。
ところが素直に「欲しい」と言っていると、別になくてもいいかなと緑で遊ぶことに抵抗が無くなりました。
欲しいものが手に入らないとき、「別にそんなものいらない」と言うとあまのじゃくの反射魔法が飛んできます。
欲しいものは素直に欲しがったほうがいいです。欲しがっているうちに、別に今持っているやつでいいやと妥協しやすくなります。
私はずっとモテませんでした。本当にずっとモテない人生でした。
そこで、彼女がいる同級生に対して、こう思っていたのです。
「女子と付き合ってもレベルの低い学生生活になるだけだ。どうせ結婚まで行けずに別れるだけだ」
すると、あまのじゃくが活き活きと魔法を唱えてきました。みるみるうちに彼女が欲しくなってしまうのです。
ところが彼女が欲しいと素直に思うと、できないんだからしょうがないやと割とあっさり非モテ童貞を受け入れることができてしまうんです。
うーん、それは良いことなんでしょうかね?
生きるのが辛いときにカラ元気で「生きよう」と思うと、あまのじゃくの雷が飛んできます。
どんどん死にたくなっていくのです。
生きるのが辛いときは素直に「死にたい」と強く思うことが、あまのじゃくの雷を回避するコツです。
死にたいと願うと、たいていこうなります。
「待ってればいつか死ぬわけだし、別に今すぐ死ななくてもいいんじゃないか」
すると、勝手に生きるしかなくなっているのです。
鬼にはさまざまな種類があります。
あなたの意思とはさかさまのほうに連れて行くあまのじゃく。
あなたを激怒させるかんしゃく鬼。
あなたを色欲の虜にするサキュバス。
あなたを無気力にする活力を吸い取る鬼。
鬼なんて科学的根拠がないとされますが、私は人間の性質を鬼に例えたとすれば、十分に科学的根拠のある話だと考えています。
自分の中にさまざまな鬼がいて、その鬼があなたの人格に影響を与えています。
「自分がダメなのは鬼のせいだ」
と鬼のせいにすれば、少しは心が軽くなります。自分のせいだと責めると鬼の思うがままです。ある程度は鬼のせいにしてしまいましょう。
日本にはさまざまな鬼退治の話があります。
桃太郎が一番有名でしょうか。
節分の豆まきもそうです。「鬼は外、福は内」
私たちはもしかしたら自分の魂に取り付いた鬼を退治するために、こうして生まれてきたのかもしれません。
肉体の中に鬼を閉じ込めて、死んだときにきれいな魂だけが天国に向かい、鬼は肉体と一緒に地球にとどまるという話です。
鬼の呪いを解くための道、それが人生だと思えば、人生のやりがいも少しは出てきますし、鬼を捨てるための死なら、死ぬ運命をもう少しポジティブに捉えられる気がします。
鬼って悪い者扱いばかりされますが、鬼のおかげで成り立ってることもあると思います。
恋する気持ちは素敵と言われるとおり、サキュバスに憑りつかれていることはある種の幸せであったりします。
鬼というのは何か極端な強い熱を与える存在です。
扱い方が難しい人間みたいなものだから、うまく活用できればいいこともあると思います。
平和というのは鬼とうまく付き合っていくことなのかなと思います。
鬼がいなければ争いもありませんが、恋のすばらしさもありません。
鬼がいれば争いが絶えませんが、恋のすばらしさなどがあります。
うまく付き合いながらでも最後は地球に肉体ごと鬼を残してさよならです。
この世界にはそういう意味で鬼が溢れています。
厄年とか鬼門という言葉がありますが、鬼が憑りつく現象なのではないかと思ったりもするんです。
みなが脱ぎ捨ててきた鬼たちが宿り主を探していま地球上を右往左往しているのです。
目には見えない鬼です。ある日勝手に憑りついて居座るようになるから厄介ですね。
でも、鬼を助けてあげる気持ちがあれば受け入れられるかもしれません。
鬼を受け入れてあげられる人間こそが、本当に素晴らしい人間なのではないかと思います。
鬼さん、こちら。手の鳴るほうへという言葉がありますが、鬼を歓迎できる人は真の人格者です。
鬼をたくさん迎え入れて、こう言いましょう。
私の人生がダメなのは鬼をたくさん養っているからだ。
私は無職だけど、鬼を養う一家の大黒柱なのです。
そんなふうに思っとかないと、人生正気でいられませんからね。
私はこれからも鬼ブリーダーとしてやっていきますよ。




