16、明日世界が滅ぶとしたら何をするか?
明日世界が滅ぶとしたら何をするか?
歳を取ると、こういう質問に答えるのが好きになりました。
ちょっと横道にそれますが、好きという感覚も歳を取って変わりました。
若いころは、好きというのは「熱中していること、集中していること、笑顔がはじけること」というようなものでした。
いま、好きというのは「なんとなく興味深い、退屈しのぎにはなりそう、他のことをするよりはマシ」というようなものです。
情熱がなくなり、まさに火が消えようとしているところで、かろうじて火を持続させる燃料が「好き」というやつです。
いこった炭火のような感じといえば少しはポジティブでしょうか。
この質問の性悪なところは、明日滅ぶので、時間的猶予は1日しかないということです。
例えば、世界1周旅行なら1日では無理です。
ということは、「完了」を前提にするなら、極めて即興的なものに限定されるということです。
まさに最後の晩餐。即興的なものから選ばされるので、ろくな選択肢はありません。
理想の値ではなく、たった1日で出来ることから選ばされるのです。
だからこそ、この質問から出てくる答えはどれもちんけなものになってしまうのです。
私も「全財産はたいて、うなぎ、メロン、和牛」と答える以外に思いつきません。ああ、メロンが食べたい気分です。笑
ちょっと視点を変えてみましょう。
「即興的な欲望の解消ではないもの」を選択肢に入れてみるのです。
いわば「死後、天国にいけるように祈る」みたいなことでしょうか。
これまでの人生の反省でもいいかもしれません。
私たちは生物ですから、欲望で選択肢を考え始めると「うなぎ、メロン、和牛」以外に出てきません。
そこで欲望とは違うものを入れてみるのです。
そうすると、明日世界が滅ぶとすればという質問に対して、「やっとおれたちは欲望という悪魔から解放された行動が取れる」という謎の前向きな考えが浮かんできます。
いつ死ぬかわからなければ、私たちは欲望に流されるしかないわけです。やりたいこと、食べたいこと、酒、ギャンブル、女と手当たり次第に手が伸びていきます。
しかし、欲望を優先しなくていいとなれば、なんだか温かい時間が取り戻されたような気がするのです。
すると、明日世界が滅ぶのではないにしても、私たちは「欲望から解放された時間」というものを取り入れてもいいのかもしれないと思えるようになるのではないでしょうか。
私も最近「欲望に突き動かされない何かがほしい」という願望を覚えるようになっていまして、そういうものを探しています。
意外と見つからないんですけどね。
しょせんは生物。欲望以外に行動原理を持てないのかもしれません。
いわゆる「人生で一番大切なもの」というやつが見つかりそうな気がして、でも今でも見つからないまま今日も私は生きるしかない世界を生きています。
何かの解決策がほしくて探し始めて、今でも探しているというそんな日々なのです。




