14、どうせみな死ぬんだから生きることに意味はない
不老不死に成功しなければ、人はみな死んでしまいます。
ならば、生きる意味はないと言わざるを得ないのではないでしょうか。
正直、私は反論できません。たしかに死ぬとわかっていて生きてもしょうがない気がします。
ちょっと逆のことも考えてみましょう。
死ぬことに意味があるのかという話です。
死ぬのは怖いです。わざわざ怖いところに自ら進んでいく意味もまたないのです。
生きる意味はないけれど、怖い死に自ら近づくことにもまた意味がないのです。
待っていれば死ぬのだから待っていればいいわけです。
自分から行動しなくても死に関してだけは必ずたどり着けるのですから。
生きることに意味がないのですが、死ぬことにも意味がないのなら、時間が流れるのを待っているしかないという平凡な結論に至りました。
むなしい考え方にも見えますが、生の中で取る数々の選択肢に唯一の正解もないとなれば、気楽に構えられるとも言えます。
何を選択しても死に向かうので、どれも平等です。
私はずっと間違った選択肢を取り続けたと人生に後悔することが多かったのですが、正解も間違いもなく時間が流れるのを待っているしかないとなれば、後悔する必要もないと思うようになりました。
失敗を嘆き苦しむのは生物の性分ですからしょうがないのですが、冷静になったときに、それは失敗ではなくただ時間が流れているだけと考えると救われた思いです。
こうやって言い訳めいたことを積み重ねて何とかやぶれかぶれで完走を目指すのが人生なのではないかと思いました。
そう考えると、人生というのは修行のために用意された何かのプログラムなのではないかと思ったりもします。
天才物理学者ホーキング博士が、この宇宙がシミュレーションである確率はちょうど50%だとおっしゃっていたのですが、人生を誰かが作ったのだとすると、苦しみを身を染みてわかり、やぶれかぶれになりながら突破することを前提に作られているのではないでしょうか。
だとすれば、かなり苦しい人生も報われるんですよ。
厳しい人生を何とか完走してシミュレーションを出たら、今度はもっといいシミュレーションができるかもしれないと期待が膨らみます。
科学的根拠はまだありませんが、本当に宇宙はシミュレーションなのではないかと思います。
宇宙というものがあまりにうまくできすぎている気がするのです。
偶然出てくるようなパターンにしては配列が作為的すぎるように見えるのです。
誰かが作った「耐えがたきを何とか完走する修行プログラム」とすれば、自分の人生はひょっとしてかなりいい人生だったのでは?
何も手に入らない人生でしたが、そのもどかしさや苦しさ、そしてそれに対する言い訳など、色々生み出す人生でしたから。
どんなに苦しい人生でも何とか死にたどり着いて、その後のいいシミュレーションを味わえるなら、人生には意味があったと言えるようになりそうです。
人生を作った人が神様とすれば、神様というのはプログラマーがたくさん雇われた会社か何かなのではないかと勝手に思っています。
今のうちに要望を出しておこうかな。
この人生終えるまでに、路線を大きく変更した平和でうまくいく人生プログラムを作っといてください。
それをモチベーションに耐えていこうと思います。




