1、40歳という人生の境目
不惑と呼ばれる40歳に私もまもなく突入することになります。
ネガティブに捉えるなら、人生の先が見えたかなという感じ。
ポジティブに捉えるなら、ようやく自分のベストポジションに定着できたという感じ。
私は精神の病をはじめとする不健康を理由に生活保護を受ける立場にあります。
生活保護がベストポジションというのはいささか恥ずべきことのように思いますが、同時に歳を取ったのか、それほど大きな恥ずかしさは覚えていません。
自分がちっぽけな存在ということを受け入れるのは辛いですが、その辛さは年を取ってだいぶ緩和されました。
もう少し別の言い方をしますと、辛いというより虚しいという感じです。
歳を取って思ったことは、辛いということを「鋭く」ではなく「鈍く」捉えるようになったということです。
若いころは針で刺されるような辛さが多かったですが、歳を取ると、木づちで殴られるようなズンとした辛さに感じられるようになっていきました。
若いころは「くやしい」と感じていましたが、いまは「もうどうにもなりません。ギブアップ」という感じになっています。
それはいいことなのでしょうか、悪いことなのでしょうか。
ただ、40歳になって、自分の人生は何だったのかと言うふうにも感じ始めました。
このままじゃいけないというような感じがあって、それでエッセイを書き始めました。
エッセイを書けば解決するとは思えませんでしたが、他に何も思いつきませんでした。
自分の人生の何かを残したいと思ったのです。当然、有名人のようになれないことは承知していますが、どこかで誰かに何かが残したいと。
わがままな話をさせてください。
私がエッセイを書くのは世のため人のためではありません。
自分の何かを残したいという己の欲望です。
それは愚かな欲望でしょうか。
もちろん、私も世のため人のためになるエッセイにしたいと思います。ですが、どうすればそうなるのか、その方法は全然わかりません。
自分が書けることしか書けませんし、読んでくださる方にしか目に留まりません。
どうすれば多くの人に読んでもらえる文章になるかもわかりません。
もし、そんな方法論があっても、自分はきっと実践できないと思います。
昔から折り紙の鶴の折り方を読んでも鶴にはなりませんでしたし、教科書を読んでもテストで高得点だったことはありません。
ならば、おとなしく寝ているべきでしょうか。ですが、愚かなことに欲望はあります。
能力はなくとも欲望は出てきてしまい、やっぱり何かを残したい。
ジレンマもありましたが、欲望が勝り、エッセイを書こうと決心しました。




