20 魔王襲来③
黒甲冑を殴ったら、黒い毛玉が飛び出してきた。
客観的に見ると不思議すぎる光景だと、ボク自身ですら思う。
その事態を正面から目撃した大貫さんは、呆然として空中で動きを止めている。
ザイラスくんやマリナさんも、状況を飲み込めていない。
白熱した戦場だったのに、一瞬で静寂に包まれた。
でも反撃の好機だ。
むしろ、ここからがボクの本領発揮とも言える。
黒甲冑姿に慣れてきたとはいっても、行動が制限されてたのも間違いない。
視界は狭まるし、本体からの毛針も飛ばせない。
謂わば、小毛玉頼りの戦いしか出来なかった。
だけど、ここからは全力が出せる。
正体がバレたとか、そこらへんの問題は後で考えよう。
大貫さんも隙だらけだし、今なら―――、
「……五十鈴くん?」
え? あ、はい。片桐五十鈴ですが?
って、あれ? なんだか大貫さんの気配が変わってる?
こっちを凝視はしているけど、さっきみたいに殺気のこもった眼差しじゃない。
空中で、呆然と立ち尽くしている。
その顔は徐々に赤くなってくる。両手を頬に当てて、口元も緩んでいた。
戦おうっていう気迫も、あっという間にしぼんでいく。
「あ、あの、私、そのぅ……ごめんなさいぃぃっ!!」
姿勢を正して頭を下げる。
すぐに身を翻すと、同時に閃光を放った。目眩ましだ。
とはいえ、さほど強烈な光じゃない。
咄嗟に反応できたので、視界を塞がれもしなかった。
だから飛び去っていく大貫さんの後姿も丸見えだった。
いや、飛び去るというか、正確には森の影に逃げ込んでいったんだけど。
……どうしよう? 状況が理解できない。
とりあえず辺り一帯の森ごと焼き尽くして攻撃するべき?
だけど戦いを続ける雰囲気でもないような?
「片桐くん……なのか?」
警戒の混じった声を投げてきたのは、ザイラスくんだ。
いくらか距離を保ったまま、瞬きを繰り返している。目眩ましにやられたらしい。
『そうだよー』
丸めた毛先を振って、無害っぷりをアピールしておく。
ボクの予定では、まだこの姿を見せるつもりはなかった。
話を聞いてもらえる余地はあると思うけど、やっぱり正体が魔獣となると、敵対する可能性は跳ね上がりそうだから。
『色々と事情説明は、後回しで』
「……ああ、そうだな。まずはアデーレさんの方が問題か」
そう。どうして急に逃げ出したのか、さっぱり分からない。
ついさっきまで殺気を溢れさせてたのに。
ボクの正体には気づいたみたいだったけど……あれ? それもおかしくない?
大貫さんは、この毛玉姿を見て、ボクが誰なのか判別したことになる。
分身は偽者だって言ってたのに。
もしかして、本体じゃなかったから?
本体の方に対しては、一目で正体を見抜いてみせた?
うん。有り得ないね。
どんな凄腕毛玉鑑定士なんだ、っていう話だし。
謎は残ってるけど、まあ、とりあえず―――、
『いまなら、話ができそう?』
「……そうだね。まだあそこに居るみたいだから」
ザイラスくんが、眼下の森をちらりと窺う。
そこから大きな魔力反応が感じ取れる。よく観察すると、木陰からこちらを覗いている大貫さんの姿も見て取れた。
「悪いけど、片桐くんにお願いしていいかな?」
『ボクが? 逃げられたばかりだよ?』
「でも他の人だと、きっと話にもならないと思う」
むぅ。そうかな? そうかも。
いっそ、このまま放置でも―――っていう訳にもいかないか。
森の中、ぽつんと浮かぶ一体の毛玉。なにをするでもなく佇んでいる。
傍目には、そんな風に見えるだろう。
だけど少し離れた木陰から、女の子の声が流れてくる。
さらさらと風に揺れる綺麗な銀髪も、その声の出所から覗けていた。
「あの……それでね、帝国のネズミから……魔術で作り出した、使い魔みたいなものなんだけど……そのネズミが聞いてたの。五十鈴くんが見つかったって……」
太い樹木に身を隠しながら、大貫さんがちらちらと顔を窺わせている。
というか、こっちを覗き見してる。
ああ、なんかこの感覚も懐かしい。随分と昔の気もするけど。
こっちを見つめてはいても、近づいて来ようとはしないんだよね。
『帝国の情報も筒抜けってこと?』
「う、うん……だけど帝国なんて、どうでもいいの。えっと……五十鈴くんを探すためにね、すっごく頑張ったんだよ」
魔力文字で問えば、くねくねと身悶えしながらも答えてくれる。
重要な秘密じゃないのかっていうことまで、あっさりと。
とりあえず、ここに来た経緯はなんとなく分かった。
ついでに色々と聞き出しておこう。
『いま魔族って、帝国と戦争してるよね?』
「うん……だって、五十鈴くんを隠してると思ったから……」
『放っといていいの?』
「あ、そうだね……魔王やめるって、あいつらにも報せておくね」
え? ちょっと待って。
なんでいきなり、そんな話になってるの?
『ちょっと待った』
大貫さんは、懐から小型の魔法装置を取り出していた。
たぶん、通信するための物だろう。
でもいきなり魔王やめるとか言うより、他にやってもらいたいことがある。
ザイラスくんたちから頼まれていたことだ。
『戦争、止められない?』
「え? えっと……五十鈴くんは、止めたいの?」
『その方が、色々と都合がいい』
「じゃあ、止めるね。そうしたら……あの、誉めてくれる?」
んん? 誉める? それもまた意味が分からないね。
そもそも戦争始めたのは大貫さんだって聞いたし、元に戻すだけなんだけど……。
まあ、難しいことは放っておいていいか。
『えらい。すごい。さすが大貫さん』
「ぅ……うん、ありがとう。それじゃあ、あいつらに連絡するから……」
大貫さんが、あらためて魔導具を動かそうとする。
その時、がさりと物音がした。
そちらへ振り返ると、ザイラスくんが控えめに手を振っていた。
その顔には警戒心が露わになっている。近づいていいのかどうか、迷っている様子だ。
「そろそろ、いいかな? 自分もアデーレさんと話をしたい、ん―――!?」
ずんっ!、と重々しい音が響いた。
地面が窪む。ザイラスくんが濁った声を上げて膝をつく。
同時に、何枚かの魔法障壁が発動したのが見えた。
だけど攻撃を防ぎきれなかったみたいだ。
凄まじい重力がザイラスくんを捉えて、押し潰そうとする。
なんとか耐えてはいたけど、動けなくなったところへ、大貫さんが飛び込んだ。
そして、勢いよく蹴りつける。
「私と五十鈴くんの邪魔してんじゃないわよ! 殺すわよ!?」
「ちょっ、待っ、やめ―――」
転がったザイラスくんを踏みつける。
二度、三度と。ありありと殺意が込められている。
有言実行だね。って、感心している場合でもないか。
とりあえず、止めよう。
こんな調子での話し合いって、かなり難易度高そうだ。




