12月 君と約束
2014..03.09 誤字訂正
“結婚しようか”
旅行の終わりタクさんはそう言った。でもそれは私に向けたものではなく、独り言の様で返事を躊躇ってしまった。
あれからその事には触れず、一ヶ月が過ぎ今日は世間が浮き足立つクリスマスイブ。
今年は日曜がクリスマスにあたり金曜が祝日なため、正月前の嬉しい3連休だった。連休前の夜にはタクさんも私もそれぞれ部の忘年会があり連休初日はふたりのんびり部屋で過ごすはめになった。
そして、連休2日目ものんびりと寝坊して午後からひとりで駅向こうのケーキ屋さんへと足を運んでいた。
駅前の通りから一本入った所にあるケーキ屋さんはクリスマスイブとあっていつも以上に賑わっていた。
ショーケースに並べられた色とりどりのケーキ。
ショートケーキにモンブラン、チーズケーキ、フルーツタルトにガトーショコラ。どれも、美味しそうで迷う。ここのケーキはどれを食べても美味しいので私もタクさんも気に入っていた。
今日は特別と自分に言い聞かせて、目が合った店員さんに4種類のケーキを頼む。
「ありがとうごさいました。」
元気のいい店員さんの声に送られながら、店を後にする。
夕食までにはまだ時間があり、久しぶりにこちら側に来たので少し寄り道する事にした。ケーキは保冷剤を余分にいれてもらったから大丈夫だろう。
ケーキ屋さんから歩いてすぐの同じ通りにある公園のベンチに座った。
風は冷たいが今日はいい天気で、公園には子ども達の笑い声で溢れていた。
今頃タクさんは家のキッチンで悪戦苦闘しているころだろう。ベンチから公園脇にある白いマンションが見え、ふと懐かしい事を思い出した。
社会人2年目の冬。2年目に上がったので以前よりも少なくはなったが、手が足りない時はPC修理に相変わらず駆り出されていた。
クリスマスイブのその日も、関東事業部から連絡があり修理に出向いていた。
「桐嶋さん今夜の予定は?」
修理も無事に終え用紙に作業内容を記入していると、ちょうどこれから外回りへ出掛ける同期の三浦くんが話しかけてきた。
「いや…とくには。」
ちらりとタクさんの席を見ると、彼と目が合った。
「じゃぁ飲み会来ない?」
「え?」
その誘いに思わず、彼から目をそらし三浦くんの顔を見る。嬉しそうにニコニコと笑う顔が目の前にありドキッとした。
「独り者の飲み会あるからロビーに18時半ね。」
「ちょっと…」
それだけ言うと、人の返事も聞かず三浦くんは外回りへと出掛けてしまった。
もう一度彼の方を見ると、彼はPCへと視線を戻していた。
関東事業部を後にして、自席へと戻りひとつため息を落とす。
私が知っている
恋人と過ごすXmasは
恋人の為にプレゼントを用意して
いつもよりも少しお洒落をして
待ち合わせの場所へ向かう道も
いつも以上に輝いて見えるのが
Xmasだと思っていた
彼とふたりで出かけるようになって9ヶ月…特に付き合おうと言われた訳ではないが、世間一般的に恋人がするような事は一通り済ませてしまった。
最近では、週末になれば彼の家で過ごす事が自然と多くなっていた。
思えばこの9ヶ月は、私の知っている恋愛とは違うものでいつも余裕の彼に追いつこうと背伸びしていた気がする。
クリスマスの予定だってジングルベルが街で流れ出す頃には自然と話しているものだと思っていた。なのに、今日の昼休みになっても携帯はメールの着信を伝えてこなかった。
彼の為に買ったプレゼントも結局、家に置いてきてしまった。
頭を切り替えPCに向かうが、思い浮かぶのは先程の眉間に皺を寄せて私を見る彼の顔だった。
今日はクリスマスイブとあって定時前になると周囲が浮き足立つのがよく分かった。しかし、18時を過ぎても私のケータイは鳴ることはなかった。いつまでもこうしている訳にも行かないので仕方なく帰り支度を済ませてロビーへと向かった。
三浦くんは朝と変わらない笑顔で待っていた。
「お疲れ。」
「お疲れ様。えっと他の人は?」
飲み会と聞いていたのに三浦くんの周りには誰一人として立っていなかった。
「あぁ…ふたりだけじゃだめ?」
その言葉が何を意味するのか分からないほど私だって鈍感ではない。
「俺は桐嶋さんとふたりでクリスマスを過ごしたいんだけどだめかなぁ?」
何も答えない私に三浦くんは今度ははっきりと誘って来てくれた。いつもの笑顔ではなく真面目な表情に冗談ではないと分かった。どう返答するべきか悩んでいると、急に手首を掴まれ後ろへ引っ張られた。
「ダメだ。」
見上げれば彼が隣に立っていた。
「主任⁉」
三浦くんの驚く声がロビーに響いた。ロビーを歩いている人々の視線が自然とこちらへ向けられた。
「悪いな、三浦。…ユキ行くぞ。」
彼はそれだけ言うと、いつの間にか手首から肩に回された手はそのままに歩き出し会社を後にした。
「長原さん?」
やっと2人が腰を降ろしたのは、彼が住むマンションの脇にある公園だった。ここに来るまでの間彼は終始無言で、眉間には深く皺が寄せられていた。
「拓馬」
無言に耐えかね声を掛ければ、そう一言返ってきた。
「え?」
「だから、長原さんじゃなくて拓馬って呼んで欲しい。」
いつもの余裕たっぷりの笑顔ではなく、厳しい表情に思わず視線を逸らしてしまった。気まずい雰囲気の中で目に留まったのは、彼が住む白いマンション。先週もあそこで仲良く過ごしたのに、今この時間は苦痛でしかなかった。ぼんやりと眺めていると、隣からため息と謝罪の言葉が聴こえて来た。
「ごめん、俺余裕ないな。」
「いえ、そんな事は…。」
少しだけ眉間に皺の寄った彼の横顔をみて否定するが、あるよとすかさず返されてしまった。
「不安だったんだ。」
彼は、独り言のようにぽつりぽつりと話してくれた。
いつも彼が誘うばかりで私からは一度も誘わなかった事。
私はお人好しだからたとえ嫌だと思っていても断れなかったんじゃないか。
そして、私から誘って欲しくってX'masの予定はわざと聞かなかった事。
結局、私を三浦くんから奪うように会社から連れ出してしまった事。
そのどれもが今まで私の見て来たいつも余裕で大人の彼とは違い、本当の彼を見れた気がして心が震えた。
「好きです。私、長原さんの事が好きなんです。」
考えるより先に言葉にしていた。夜の公園に響いた声は想像以上に大きく、思わず首をすくめてしまった。
「ありがとう。」
暫くの静寂の後、いつもの優しく暖かい彼の声が降ってきた。顔を上げれば、彼の顔が目の前まで来ていた。
「あ…」
あと数cmで唇が重なるという時にある事を思い出した。
「何?」
怪訝そうに聞く彼の眉間には少しだけ皺が寄っていた。
「プレゼント買ったんですけど、家に置いて来ちゃいました。」
いつもよりもずっと皺がよく見える距離から、彼の肩を押して少しだけ離れた。
「じゃぁ、名前がいい。」
少し何か考えていた彼は、そんな事を言い出した。
「名前ですか?」
「桐嶋さんのことユキって呼ぶから、桐嶋さんも俺のこと拓真って呼んで欲しい。」
この9ヶ月お互い名字で呼んできた。何度が気まぐれに呼んでくれた事はあったが、あんなに大勢人がいる所で呼ばれたのは初めてだった。先程の場面が一瞬で蘇り、治まったはずの鼓動がまた少し速くなった。そして、名前を呼ぶのを今か今かと待つ彼の視線でさらに鼓動は速くなる。しかしそれは、昔からの友達でさえ呼び捨てにした事のない私にとってハードルの高いものだった。
「拓真…さん。」
案の定上手く言えない。彼の顔色を伺うが、納得していないようだった。
「タク…さん。」
これが精一杯と首を横に振れば、彼の腕が伸びてきてすっぽりと胸の中へと収まった。
「ユキ、俺もユキの事が好きなんだ。」
腕を彼の背中へと回した時、そっと耳許で彼の声が聴こえた。
携帯のバイブで思い出から今へと意識が戻る。辺りを見回せば、遊んでいたはずの子ども達は居なくなり夕暮れの公園へと姿を変えていた。メールの送り主は晩ご飯の完成を伝えるタクさんだった。すぐ帰るとだけ返信して、ベンチから立ち上がる。
もう一度だけ、白いマンションに目をやる。あの日のXmasもあの1DKのマンションで2人仲良く過ごした。週明けはロビーでの一件をたくさんの人に聞かれ2人の仲が社内にばれてしまったが、それも今では同僚達との笑い話になっている。
駅まで戻ってくると、改札前にあるコンビニが目に入った。昔はよくあそこでタクさんの帰りを待ったていた事を思い出す。
駅を抜けて今タクさんが住んでいるマンションへ向かう。マンションの一本手前の道を曲がった所にあるカフェは最近私とタクさんのお気に入り。休日は遅めの朝食を摂りながら、近所の高校から聞こえてくる軽音楽部が鳴らす流行りの曲を当て合うのがちょっとした楽しみ。
マンションを通り過ぎれば毎年花見に行く公園もある。
もしも…この先タクさんと別れる事になったら、私はここにはもう二度と来ないだろう。それくらいこの街のどこを見てもタクさんとの想い出で溢れかえっている。
「ただいま。買って来たよ。」
「おかえり。よし、晩飯にするか。」
リビングの扉を開ければ、タクさんがダイニングテーブルにシチューを並べている所だった。4年前のXmas、公園を後にした私たちはケーキ屋とスーパーに寄りあの白いマンションでタクさんの手料理を初めてご馳走してもらった。あまりにも私が嬉しそうに見えたのか、それ以来Xmasは年一度だけタクさんが手料理を振舞ってくれる。
「美味しい。」
目の前で料理の出来栄えをソワソワと気にしているタクさんに素直な感想を伝える。
「ありがとう。」
ホッとしたような顔に思わずこちらも顔が緩んでしまう。
作ってくれるのは毎年あの時と同じシチューだが、私にとっては何処かの高級レストランに行くよりもずっとご馳走だ。タクさんが私の為に作ってくれる。それが何よりも嬉しい。
夕食を食べ終えタクさんが食器を洗っている間に、昼間買ってきたケーキをリビングのローテーブルに並べる。
ソファに腰をおろしタクさんがやって来るのをぼんやりTVを見ながら待つ。
この後は、ケーキを食べながら夕食のお返しに今度は私がタクさんに約束をあげる事になっている。
初めの年は名前を呼ぶこと
一昨年は年末を一緒に過ごすこと
昨年は勝手に人のものを食べないだった
今年は…行き先を連絡するかな。
今年の始めに黙ってアメリカへ旅行していた事を帰国してからずいぶん怒られた。確かに、いきなり音信不通になれば誰だって怒る。私も十分反省したのであれ以来なるべく出かける時は行き先を告げるようにしているけれど、うっかり忘れている時もある。
一瞬別の言葉が頭をよぎったがそれはないと頭の中から追い出し、別の予想を立てていると後ろからタクさんの腕が伸びてきた。
「ユキ、約束をくれ。」
ぎゅっと抱きしめてくれる腕にそっと右手を添える。
「今年は何?」
ドキドキと速くなる鼓動に耳を傾けながらそっと尋ねる。
「もう、ユキの部屋に帰らない約束。ユキこの部屋で一緒に暮らそう。」
優しく甘く囁かれたその言葉はずっと待ち続けていたもの。だけど、何故だか落胆と言う言葉の方が今の気持ちにはしっくり来た。
「それは…。」
どういう意味?そう尋ねようと首を後ろに捻りかけた時、タクさんの指がそっと私の左手を撫でた。
タクさんの指先を追えば、私の薬指へと視線が向いた。
そこにはいつの間にかはめられていた指輪がひとつ。
「結婚しよう。」
タクさんの言葉が耳を通り抜け頭の中で響き渡る。
左手薬指にはめられた指輪をみつめ、言葉の意味を噛みしめる。
その輝く石にぽとりと落ちた自身の涙に私も女だったんだと悟った。
結婚なんてどっちでもいいと人には言っていたが、本当は誰よりもその言葉を欲していた。この涙の意味はきっとそう言う事だろ。
体を回転させソファに膝立ちになりタクさんと向き合う。両手を広げ、力の限りタクさんを抱きしめる。私の気持ちが少しでも伝わるように。
「ありがとう。」
今、私は世界で1番幸せな女
やっとここまできました。残りもあと一月のみとなりました。更新は遅くなるかと思いますが、必ず完結させますのでもう暫くお付き合いよろしくお願いします。




