EP 8
兵站という名の魔法
パチパチパチパチパチパチパチパチッ!!
ポポロ村の広場に、異常な速度で弾かれる算盤の音が響き渡っていた。
商人のニャングルは、額から滝のような冷や汗を流しながら、首から下げた黄金真鍮の算盤を弾き続けていた。彼の猫耳は極度の興奮でピンと立ち、尻尾は毛を逆立てて膨らんでいる。
「……アカン。計算が合わん。バグっとる……!」
「どうした、猫の兄ちゃん。カレーが辛すぎたか?」
ハイライトの煙を燻らせながら笑う坂上に、ニャングルは血走った目を向けた。
「提督はん、アンタら……この『カレー』っちゅう料理の原価、ホンマに分かっとるんか!?」
ニャングルは算盤をバンッと叩いた。
「ええか!? この複雑な香辛料、ルナミス帝国の貴族に売れば一皿で銀貨数枚は堅い! それを500人分タダで配っただけやない! この白くて甘い穀物(米)! トライバードの肉より柔らかい牛肉! これだけの物資を、魔法のポーチも使わずに空から運んできよった!」
ニャングルはゼエゼエと息を荒らげ、広場の端に鎮座するSH-60K哨戒ヘリコプターを指差した。
「魔法のポーチは高価なアーティファクトや。ハンドバッグサイズで牛一頭入るが、大陸全土でも数は限られとる。せやけど、アンタらはあの『鉄の鳥』一機で、ポーチ何十個分もの荷物を一瞬で運んできたんやぞ!? もしあんなモンが何十機、何百機と束になって押し寄せてきたら……!」
「……大陸の経済は、一瞬で崩壊しますね」
ニャングルの言葉を引き継いだのは、静かに口元をナプキンで拭っていたリバロンだった。
彼のティーカップの横には、一粒の米すら残さず綺麗に平らげられたカレー皿が置かれている。
「私はかつて、ルナミス帝国で軍需物資の管理に携わっていたこともありますが……戦争において最も恐ろしいのは、前線の魔法使いの数でも、竜騎士の突撃でもありません。『腹を空かせた兵士に、いかに温かい食事と武器を届け続けるか』……すなわち、兵站です」
リバロンは、冷徹な人狼の目で坂上を見据えた。
「数万の兵士を飢えさせることなく、魔法も使わずに瞬時に展開し、維持できる力。……提督。貴方たち地球の真の武器は、先ほどの『鉄の杖(銃)』などではなく、この圧倒的な『供給力』そのものなのですね」
「ご明察じゃ、執事殿」
坂上は深く頷き、紫煙を吐き出した。
「我が国は、コンテナという統一された規格の鉄の箱で、一度に何万トンもの物資を海と空から運ぶことができる。魔法なんぞに頼らんでも、大陸の地形や気候を無視して、欲しいものを欲しい場所へ、欲しいだけ届ける『システム』が完成しとるんじゃ」
ゴクリ、と。ニャングルが喉を鳴らした。
商人の彼にとって、坂上の言葉は「金貨の山」が喋っているようにしか聞こえない。もし自分がこの「日本」という超巨大な物流システムと専属契約を結べれば、ゴルド商会のトップ(プラチナランク)すら一瞬で出し抜ける。
「……で? 提督はん。そのバカでかい『システム』を使って、アンタらはこの村で何がしたいんや? いや、何を『要求』するんや」
ニャングルの問いに、坂上は悪びれもせずニヤリと笑った。
「簡単なことじゃ。このポポロ村を、我が日本国とマンルシア大陸を繋ぐ『出島(特区)』に指定させてもらう。地球の物資はこの村を通してのみ大陸へ輸出し、大陸の資源もこの村を通してのみ日本が買い取る。……ウチらが要求するのは、その『独占取引の許可』じゃ」
広場が静まり返る。
それは、あまりにも巨大なビジネスの提案だった。ポポロ村が、地球という未知の超大国と、マンルシア大陸全土を結ぶ「唯一のゲートウェイ(関所)」になるという宣言。
「……ふーん。なるほどね」
その静寂を破ったのは、カラカラとスプーンを皿に置く音だった。
村長・キャルル。
彼女は2杯目(大盛り)のカレーを綺麗に完食し、満足げにウサギの耳を揺らしていた。
「美味しいカレーの恩はあるけど……提督のおじさん。アンタ、ウチらのこと舐めてるでしょ」
「ほう?」
キャルルは立ち上がり、坂上の目の前まで歩み寄った。
身長差は圧倒的だが、彼女から放たれる月兎族の覇気は、歴戦の猛将である坂上すら肌がヒリつくほどに濃密だった。
「アンタたちの『兵站』ってやつが凄いのは分かったわ。でもね、それって要するに『ウチの村を、日本の物流センター(倉庫)代わりに使わせろ』ってことでしょ?」
キャルルは、背中のダブルトンファーの柄をトントンと指で叩く。
「ウチの村を通したい国は、日本だけじゃないわ。アンタたちがこれだけのモノを持ってるなら、アメリカ? とか中国? って国は、もっと凄いモノを持ってるかもしれないじゃない。……ウチらがわざわざ『日本』だけを特別扱いして、独占権をくれてやる理由がどこにあるの?」
キャルルの空色の瞳が、試すように坂上を射抜く。
(……見事じゃ。圧倒的な物量を見せつけられても、全く呑まれとらん)
坂上は内心で舌を巻いた。
普通のファンタジー世界の住人なら、地球の技術や美味い飯を見ただけでひれ伏すだろう。だが、彼女はポポロ村の「地政学的価値(ここを通らなければ大陸に入れない)」を盾に取り、完全に主導権を握り続けている。
「私たちが許可を出さなければ、アンタたちは大陸に一歩も入れない。村人に手を出せば、即座に三国に助けを呼ぶわ。……さて、日本のトップさん。ウチらが『他でもない日本』を選ぶメリット、ちゃんと用意してあるんでしょうね?」
「……ククッ、ハッハッハ!!」
坂上はたまらず、声を上げて笑った。
背後で信長が「親父、相手を怒らせるな!」と焦っているが、坂上は構わず笑い飛ばした。
「最高じゃ。お嬢ちゃんみたいな強欲で賢い『大家』がおってくれて、本当に助かったわい。話が早くてええ」
坂上はエプロンのポケットに手を突っ込んだ。
そして、キャルルの目の前に、キラキラと光る「小さな包み」をポンと放り投げた。
「っ……?」
キャルルが見事な動体視力でそれを受け取る。
それは、地球のスーパーで売られている、ピンク色のパッケージに包まれたキャンディだった。
「……何、これ」
「ウチの5歳になる娘、千姫のお気に入りじゃ。『苺ミルク飴』という。……さっきから舐めとるその飴玉より、ずっと甘くて美味いぞ」
坂上はタバコの煙をゆっくりと吐き出し、交渉の「本命」を切るべく、鋭い眼光をキャルルに向けた。
「それを味わいながら聞いてくれ。なぜ、アメリカや中国ではなく、我が『日本』でなければならないのか。……俺たちが提供できる『最高の用心棒』の理由をな」




