EP 6
大家の土下座と、覇王の連帯保証
「金を出せぇ!! 泥棒猫!!」
ビュンッ!
商人ギルドの一人が投げつけた硬い石が、ポポロ特区の広場に飛び出してきたキャルルの額を掠めた。
「痛っ……!」
赤い血が、彼女の白い肌を伝ってダボダボのスーツの襟を汚す。
「キャルル!! 貴様ら、大家に石を投げるとはどういう了見だ!!」
信長が怒号を上げ、警棒を抜いてキャルルを庇おうとする。
だが、キャルルはその信長の背中をグッと押し留めた。
「ダメよ、信長! 店子に手を上げちゃダメ……!!」
キャルルは、額から血を流したまま、何百人もの暴徒と化した商人たちの前に、完全に丸腰で進み出た。
商人たちは一瞬怯んだが、すぐにお金への恐怖が怒りに変わり、再び怒号を浴びせかける。
「ふざけるな! 日本の銀行が口座を凍結したんだぞ! お前ら特区の幹部が裏で手を引いてるんだろうが!!」
「違うわ!! 私たちも今、全力で原因を調べてるの!!」
キャルルは声を張り上げた。
「アンタたちの不安はわかる! お金がなくなれば、明日のご飯も食べられない! 仕入れもできない! ……でも、だからって、私たちがアンタたちを見捨てて逃げるなんて、絶対に思わないで!!」
キャルルは、泥だらけの地面に、ドサリと両膝をついた。
そして、額を地面に擦りつけるようにして、深く、深く頭を下げた。
「——三日!! 三日だけ待って!!」
「お、大家さん……!?」
商人たちが息を呑む。
誇り高き獣の戦士であり、多国籍企業の社長である彼女が、平社員どころか顧客の前で、泥に塗れて土下座をしているのだ。
「必ず、絶対に……アンタたちの預けたお金は、利子をつけて全額返す!! だから、この村を……自分たちの手で壊さないで!! お願い!!」
キャルルの、一切の計算もプライドも捨てた、純度100%の「大家の意地」。
その悲痛な叫びに、振り上げられていた商人たちの拳が、ゆっくりと、戸惑うように下ろされていく。
「……大家さんは、俺たちに嘘をついたことはねえ……」
一人の商人が、ポツリとこぼした。
赤山天人が流した「デマ」による不信感が、キャルルの流す血と涙によって、強引に相殺されようとしていた。
同時刻。防衛司令室。
キャルルが血を流して稼いでくれているその「数分」の間に、力武と輝夜は、異世界の歴史上、最も狂った【資金調達】の交渉に挑んでいた。
モニターの向こうには、レオンハート・ホールディングスCEOのアーサー王と、サイラス専務の姿がある。
『……正気か? 力武義正』
サイラスが、信じられないというように眉をひそめた。
『貴様らの口座が凍結されたのは知っている。このまま放置すれば、特区は自滅する。……なぜ、敵対関係にある我々が、貴様らの信用を担保するために我が国の国庫(魔石)を貸し出さねばならんのだ。我々は、貴様らが潰れた後に特区を制圧すればいいだけのこと』
「それをやれば、アンタたちは永遠に日本のタヌキ(若林)の掌の上だぜ」
力武は、画面の向こうのアーサー王を真っ直ぐに睨みつけた。
「口座の凍結も、デマの拡散も、全部日本側の『見えない暗殺者(赤山)』の仕業だ。……俺たちがここで潰れりゃ、特区は日本の完全な直轄地になる。アンタたち獣人は、日本の『資本の首輪』に一生怯えながら生きていくことになるぞ」
力武は、ガリッと飴玉を噛み砕いた。
「ライオンのオッサン。アンタは、俺たちの『相互確証依存』の覚悟を気に入ってくれたはずだ。……その盤面を、顔も見せねえ陰湿なハッカーもどきに、横から掻き回されたままでいいのかよ」
サイラスが反論しようと口を開いた、その瞬間。
「——サイラス。黙れ」
アーサー王の重い声が、テント内の空気を制圧した。
アーサーは、葉巻の煙をゆっくりと吐き出し、黄金の瞳に『静かなる激怒』の炎を宿した。
「……私の前で。私と契約を結ぼうとした相手(輝夜)の背中を、見えざる毒矢で撃つ小ネズミがいるということか」
アーサーにとって、他国を侵略し奪い合うことは「誇り高き歴史の営み」だ。
だが、盤面の外から、法律とシステムの隙間を突いて、誰も血を流さずに相手を社会的抹殺に追い込む赤山のやり方は……覇王の美学に対する『決定的な侮辱』であった。
「……人間の暗殺者(赤山)は、私の『誇り』を計算に入れていなかったようだな」
アーサーは、不敵な笑みを浮かべ、サイラスに命じた。
「サイラス。我が王国の備蓄魔石の30%を、即座にポポロ特区へ『現物輸送』せよ。……これを担保として、特区内にレオンハート王国保証の【独自通貨】を発行させる」
「へ、陛下!? 備蓄の30%といえば、国家の屋台骨が揺らぐほどの莫大な資産ですぞ! それを、今にも倒産しそうな敵の会社に貸し与えるなど、経済のセオリーから完全に逸脱しています!!」
サイラスが青ざめて叫ぶ。
「セオリーなど知らん。私は王だ」
アーサーは立ち上がり、モニター越しの力武と輝夜を見下ろした。
「日本のタヌキに伝えておけ。……『私の獲物に、小賢しい手で横槍を入れるな』と。……三日間だけだ、力武。三日の間に、その見えざる小ネズミを盤面から引きずり下ろしてみせろ!」
「……ッ! ハッ、ありがてえ!! 恩に着るぜ、覇王サマ!!」
力武が、歓喜の声を上げてキーボードを叩き始める。
日本のカネ(円)が凍結されたなら、異世界の絶対的な資源(魔石)を担保にして、特区独自の経済圏を無理やり回す。
赤山天人の描いた「日本から切り離せば死ぬ」という完璧な論理の檻を、アーサー王の『誇り(計算外の巨額投資)』が力尽くで破壊した瞬間だった。
地球、東京・霞が関。
若林の執務室で、優雅にミネラルウォーターを飲んでいた赤山天人の手が、ピタリと止まった。
彼の手元のタブレットに、信じられない情報が次々と表示され始めたのだ。
『警告:ポポロ特区への資金枯渇予測が外れました』
『レオンハート王国より、莫大な魔石の現物が特区内へ搬入されています』
『特区内で、魔石を裏付けとした独自の信用決済が開始されました。暴動は鎮静化傾向にあります』
「……なんだ、これは」
赤山の、完璧なUIとして張り付いていた微笑みが、初めて、ほんのわずかに崩れた。
「レオンハート王国が、なぜ自国の資産をリスクに晒してまでポポロ・コミュニティを救う? 合理的なメリットが全く存在しない。……私の構築した行動予測モデルに、このような変数は……」
「カッカッカッカッ!!!」
ソファに座る若林幹事長が、腹を抱えて大爆笑した。
「どうした天人! お前の完璧な算盤が、大きく狂ったようじゃのう!!」
「……幹事長。これは……」
「これが人間であり、獣じゃよ!!」
若林は、嬉しそうに葉巻を咥え直した。
「カネやシステムだけでは計算できん『意地』や『誇り』。……一見すれば無駄で非合理な感情が、時に国家の論理すら飛び越えて奇跡を起こす。輝夜と力武は、アーサー王の『魂』を味方につけよったわ!!」
若林は、赤山を面白そうに睨み据えた。
「さあ、どうする天人? お前の『見えない処刑』は防がれた。盤面は振り出しじゃ。……月光の反逆を、お前の絶対零度の論理で、もう一度封じ込めてみせるか?」
赤山天人は、手元のタブレットを静かに閉じ、漆黒の万年筆を胸ポケットにしまった。
「……なるほど。システム外の『非合理な感情』ですか。私の最も苦手とする領域ですね」
赤山の瞳から、光が完全に消え去った。
「ですが、感情というものは、外部からの『より強いストレス』によって容易に崩壊します。……彼らが理屈を超えた繋がりを見せるというのなら。私は、その繋がり(コミュニティ)の根幹を、物理的に『遮断』させていただきます」
赤山の底知れぬ虚無が、次なる、そして最悪の「一手」を打ち放とうとしていた。
異世界と現代日本を跨ぐ、フィクサー同士の死闘は、いよいよ最終局面へと突入する。




