EP 2
覇王のテストと、相互確証依存
「……覚悟、ですか」
ヒビの入ったマホガニーのテーブルを挟み、日野輝夜は静かにアーサー王の言葉を反芻した。
獅子王の放つ威圧感は、嵐の夜の海のように深く、重い。
「いかにも。理想を語るのは容易い。だが、大国の重圧と、現場の血みどろの欲望に挟まれた時、その理想は容易く千切れる」
アーサーは、葉巻を灰皿に置き、テーブルの上に一枚の羊皮紙を滑らせた。
「我が国が『魔石加工プラント』の共同建設に合意する条件だ。……精製された魔石エネルギーの【供給量および価格の決定権】は、100%、我がレオンハート・ホールディングスが握る。日本側に拒否権は与えない」
「なっ……!?」
力武義正が、思わず席を立ち上がりかけた。
「ふざけるな! それじゃあ、アンタたちの胸先三寸で、日本のエネルギー供給をいつでもストップできるってことじゃねえか! そんな一方的な『生殺与奪の権』を渡すような契約、ウチのタヌキ親父(若林)が絶対に承認しねえぞ!!」
「ならば交渉は決裂だ。帰れ」
アーサーは冷酷に言い放った。
「対等な共生などと言いながら、結局は『資源の蛇口』を自国でコントロールできなければ安心できない。……それが、貴国に潜む強欲(太陽)の正体だろう。そのような国と、我ら獣が背中を預け合うことなど不可能だ」
力武の額から、滝のような冷や汗が流れ落ちる。
アーサー王の仕掛けた【テスト】。
日本の国益(太陽)を守ろうとすれば、共生(月)の理想が崩れ、交渉は決裂する。かといって、アーサーの条件を呑めば、日本は完全にレオンハートの属国扱いとなり、若林幹事長によって輝夜は即刻クビ、特区は軍事制圧される。
(……詰みだ。あちらを立てればこちらが立たず。トレードオフの限界点だ……!)
力武の脳内演算がショートしかけた、その時だった。
「……お受けします。その条件で構いません」
凛とした声が、テント内に響いた。
輝夜だった。
「か、輝夜さん!? 何言ってんだアンタ!!」
「輝夜……? 本気なの!?」
力武とキャルルが同時に悲鳴を上げる。
サイラス専務すら、予想外の即答に怪訝な顔をした。
「……ほう。本国の国益を無視して、我々に首輪を預けるというか。貴女にそこまでの権限があるとは思えんが」
アーサーが目を細める。
「ええ。資源の供給決定権は、そちらに100%お渡しします。……その代わり」
輝夜は、手元のタブレットを操作し、新たな条項を契約書に【追加】した。
「プラントの心臓部である『超高精度マシニングセンタ(工作機械)』の保守・メンテナンス権限、および交換部品の供給は、我が日本国が【独占】します。……代替品は、この異世界のどこを探しても存在しません」
「……何?」
「プラントは、定期的なメンテナンスと日本の特殊な潤滑油がなければ、わずか一ヶ月で完全に機能停止します」
輝夜の言葉に、テント内の空気が凍りついた。
「魔石の供給を止める権利は、そちらにあります。日本を干上がらせることはいつでも可能です。……ですが、もしそちらが不当に供給をストップすれば、我々は即座に【プラントのメンテナンス】を停止します」
輝夜は、真っ直ぐにアーサーの黄金の瞳を見据えた。
「そちらが資源の蛇口を閉めれば、プラントは死に、貴国に巨額の負債だけが残る。……こちらが部品の供給を止めれば、日本のエネルギーは枯渇する。……つまり、互いに『相手を裏切れば、自らも確実に死ぬ』という状況です」
「……ッ!!」
サイラスが、息を呑んで後ずさった。
力武の口の中で、転がっていたキャンディが、無意識のうちに奥歯で挟まれていた。
——ガリッ!!!
(……す、すげえ……!! この女、頭のネジがブッ飛んでやがる!!)
力武の背筋に、恐怖と歓喜が入り交じった戦慄が走った。
輝夜が提案したのは、冷戦時代に米ソが構築した『相互確証破壊(MAD)』の経済バージョン——【相互確証依存】だった。
一方が絶対的な優位に立つのではなく、互いの「急所」に刃を突きつけ合ったまま、永遠に握手をし続けるという、最も残酷で、最も強固な平和の形。
「……これが、私の『月』の覚悟です」
輝夜は、微塵も怯むことなく言い切った。
「誰かが一方的に支配する『太陽』のシステムには、必ず反逆が起きます。……だからこそ、私たちは互いの重力(弱点)で強く縛り合い、決して離れられない軌道を描くのです。……アーサーCEO。これが、人間の知恵が到達した、真の共生です」
シン……と。
中立テントの中に、静寂が降り降りた。
アーサー王は、じっと輝夜の顔を見つめていた。
その黄金の瞳の奥で、数百年先を見据える歴史観の歯車が、凄まじい速度で回転している。
やがて。
「……フッ。……カッカッカッカッ!!!」
獅子王は、天を仰ぎ、腹の底から愉快そうに大爆笑した。
「見事だ!! 人間の娘よ! 弱肉強食のジャングルすら生ぬるく思えるほどの、完璧な『鎖』の提示! 太陽の光ではなく、すべてを絡め捕る月光の引力! ……気に入った。貴女のその覚悟、確かに受け取ったぞ!!」
アーサーは、自らの懐から、王家の紋章が刻まれた万年筆を取り出した。
「我らレオンハート・ホールディングスは、株式会社ポポロ・コミュニティ、並びに日本国政府との『対等な合弁事業』に、ここに合意する!!」
「……やった……!!」
キャルルがウサギの耳をピョンと跳ね上げ、信長が力武の肩をバンバンと強く叩く。
輝夜も、張り詰めていた緊張の糸を少しだけ緩め、安堵の息を吐き出そうとした。
歴史的な条約が、結ばれる。
誰も血を流さず、誰も搾取されない、真の共生の世界が、今まさに誕生しようとしていた。
——だが。
アーサー王のペン先が、契約書の署名欄に触れようとした、まさにその【1秒前】だった。
ピィィィィィィィッ!!!
テント内に、けたたましい電子アラームが鳴り響いた。
一つではない。
力武義正の胸ポケットに入っていた暗号化スマートフォンと、サイラス専務が持っていた特注の魔導タブレット。
両陣営の「経済の心臓」を管理する端末が、同時に、真っ赤な【緊急警告】を点滅させたのだ。
「……なんだ!? 決済システムに異常か!?」
力武が慌ててスマホを開き、血相を変えた。
「な、なんだこれは……! ポポロ特区内の『商人ギルド連盟』の代表口座が……一斉に凍結されてる!? 融資元の日本のメガバンクから、強制的な『資金引き揚げ』が実行されてるぞ!!」
「こちらでも同じ報告が上がっている!」
サイラスも、信じられないものを見る目でタブレットを睨みつけた。
「我が国が特区に向けて発送した『魔石の先物取引分』の輸送ルートが、何者かによる意図的な通報で、ルナミス帝国の税関に全量差し押さえられた!! このままでは、特区の経済は今夜中に完全にショート(破綻)するぞ!!」
「……どういうことだ、輝夜。日本政府の裏切りか?」
アーサー王の黄金の瞳が、剣呑に細められる。
署名欄から、万年筆が離れた。
「ち、違います!! 幹事長からは、そのような指示は一切……!!」
輝夜が顔面を蒼白にする。
彼女の構築した完璧な「法と算盤の結界」が、何の前触れもなく、全く見えない角度から致命的な一撃を食らったのだ。
武力ではない。魔法でもない。
それは、すべてが「偶然のシステム・トラブル」や「事務手続き上のミス」を装った、極めて悪質で、逃れようのない【社会的な抹殺】。
東京・霞が関の暗闇の底で。
若林幸隆という絶対的な太陽の陰に潜む、非暴力の処刑人。
赤山天人が、胸ポケットから漆黒の万年筆を取り出し、静かに盤面へ介入を開始した瞬間であった。




