EP 1
青天の霹靂、あるいは老狸の独壇場
「……リバロン。あれ、何かしら?」
ルナミス、アバロン、レオンハート。三大勢力が睨み合う大陸マントルシアの最前線「緩衝地帯」。
その片隅にひっそりと息づくポポロ村の村長、キャルルは、ウサギの長い耳をピクッと動かしながら、ポッケから取り出した苺ミルク飴を口に放り込んだ。
彼女の視線の先——昨日まで果てなき水平線が広がっていたはずの東の海上に、異様な光景が広がっていた。
「はて。蜃気楼か巨大な水棲魔獣かと思いましたが……どうやら、本物の『鉄の島』のようですな」
人狼族の執事リバロンが、どこからともなく淹れた極上の紅茶をキャルルに差し出しながら、涼しい顔で答える。
彼らの並外れた動体視力と視覚は、海の向こうに浮かぶ灰色の巨大な鉄の船(イージス艦)と、さらにその奥、霞の向こうにそびえ立つ、ガラスと鋼鉄で出来た異常な高さの塔群(東京の摩天楼)を正確に捉えていた。
「鉄の島に、ガラスの山……魔法の気配は全然しないけど、なんか変な匂いがするわね」
「ええ。油と、そして……酷く血生臭い、焦燥の匂いです」
キャルルは人参柄の刺繍が入ったお気に入りのハンカチで口元を拭うと、背中のダブルトンファーを軽く叩いて、ニヤリと好戦的に笑った。
「ふーん。ま、どこの田舎者か知らないけど……ウチの村のルールを守れないなら、顎を砕くまでよ」
それが、剣と魔法のファンタジー世界が、現代兵器と資本主義の怪物(地球)と初めて目が合った瞬間だった。
——同時刻。地球、日本近海。
海上自衛隊・出雲艦隊打撃軍、旗艦『いずも』艦橋。
「……CIC(戦闘指揮所)より報告! レーダーの誤作動ではありません! 繰り返します、誤作動ではありません! 日本のEEZ(排他的経済水域)境界線の外側、太平洋上に、突如として未知の巨大な陸地が出現しました!!」
オペレーターの悲鳴に近い報告が、艦橋の静寂を切り裂いた。
無理もない。衛星画像とレーダーが弾き出したその陸地の面積は、約769万平方キロメートル。オーストラリア大陸とほぼ同等の質量が、津波一つ起こさずに、海上にポンと「湧いて出た」のだ。
「総員、第一種戦闘配置。対空・対水上レーダー最大出力。……だが、俺の命令があるまで、火器管制レーダーの照射は一切禁ずる」
どよめく艦橋を、低く、腹の底に響くような声が制圧した。
出雲艦隊打撃軍・総司令官、坂上真一(50歳)。
彼にはパニックの気配すら微塵もなかった。かつて暴走族を束ねた凶悪な面構えはそのままに、しかしその眼光は、極限まで研ぎ澄まされた北辰一刀流の剣士のそれだった。
坂上は双眼鏡を下ろし、ポケットの中でコーヒーキャンディの包み紙を指で弄りながら、分厚いガラスの向こうの「未知の大陸」を睨みつける。
(……見えん。見えんが、感じるのう。途方もない『気(闘気)』が、あの大地全体から立ち昇っとる)
それは、彼が剣の修行の末に身につけた、常人には感知できない武人の直感だった。
あの島には、イージス艦のシステム戦すら凌駕しかねない「何か」がいる。祖父の代から続く軍人の血と、『五輪の書』で培った精神が、坂上に「迂闊に手を出せば死ぬ」と告げていた。
「提督、防衛省より緊急通信! 総理官邸への出頭命令です!」
「了解じゃ。……野郎ども、俺が戻るまで絶対に先走るな。相手の『間合い』を見極めろ」
坂上は海将補の制帽を深く被り直すと、振り返ることなくヘリポートへと歩き出した。
——さらに数十分後。東京、総理官邸・地下危機管理センター。
「アメリカはどう言っている!? CIAの報告は!? ロシアや中国が新兵器の実験をしたんじゃないのか!?」
日本の最高権力者である内閣総理大臣が、顔を真っ青にして喚き散らしていた。
閣僚たちがパニックに陥り、情報局が飛び交う怒号で機能不全に陥る中——部屋の最奥、最もふんぞり返った革張りの椅子で、一人だけ悠然と紫煙を燻らせている男がいた。
与党幹事長、若林幸隆(60歳)。
「……幹事長! ここは禁煙……」
「ええじゃろ。世界がひっくり返っとるんじゃ。これくらい大目に見い」
若林は秘書の制止を片手で払い除けると、ショートホープならぬ愛煙の『ピース』を深く吸い込み、ゆっくりと天井に煙を吐き出した。
彼の手元には、使い込まれた『孫子』と『資本論』の文庫本が無造作に置かれている。
「総理。慌てなさんな。アメリカも中国も、今頃ウチと同じようにウンコ漏らしてパニックになっとるわい」
「わ、若林先生……! しかし、あれだけの質量ですぞ! もし未知の軍事国家だとしたら、我が国は一溜りも……!」
「馬鹿か、お前は」
若林のドスの効いた広島弁が、地下室の空気を氷点下まで凍りつかせた。
かつて法曹界と政界の裏を全て力と交渉でねじ伏せてきた、本物の「妖怪」の顔がそこにあった。
「危機じゃと? 冗談じゃねえ。……これは、神様が日本に落とした特大のボーナスじゃ」
若林は立ち上がり、巨大なモニターに映し出されたマンルシア大陸の輪郭を、短い指でバンッと叩いた。
「よーく地図を見い。このバカデカい大陸は、太平洋を塞ぐように現れた。つまり、アメリカの空母も、中国の潜水艦も、この大陸に阻まれて身動きが取れん。そして、この新大陸に最も近く、最も有利な位置にあるのは……他でもない、我が日本じゃ」
総理が、ゴクリと唾を飲み込む。
「武力で制圧する必要なんぞ皆無じゃ。相手が未開の土人だろうが、軍事国家だろうが関係ない。我々が真っ先に『独占的な窓口』となり、この新しい市場を経済と法律で絡め取る。太平洋の『関所』を日本が独占するんじゃ」
若林はニヤリと、獲物を見つけた老狸のように嗤った。
「アメリカの軍事力も、中国の金も、全て日本を通してしかこの大陸に入らせん。……ピンチではない。我々日本が、今日からこの世界の『胴元』になるんじゃ」
その時、危機管理センターの重厚な扉が開き、海風の匂いを纏った坂上が入室してきた。
防衛省の制服を着た歴戦の猛将と、スーツ姿の老獪な政治家。
かつて広島の裏社会と法廷で繋がり、今は国家の矛と盾となった二人の視線が交差する。
「……シン。待っとったぞ」
「若林先生。アレはヤバいです。並の軍隊じゃ、足元をすくわれますよ」
「分かっとる。じゃから、お前の出番じゃ」
若林はピースを灰皿に押し付け、目をギラつかせた。
「戦争はコスパが悪い。……シン、自衛隊(武力)は使わず、お前の知恵で、あの巨大な大陸に『出島』を作れ。骨の髄まで、日本株式会社が買い叩いてやるけえ」
未知の魔獣、魔法、闘気が支配するファンタジー世界に対し、現代日本の「老獪なオジサン」たちが、容赦のない「大人の戦争」を仕掛けようとしていた。




