濁った魔石
骨食いの主が、ゆっくりと崩れ落ちた。
ドォン……
骨の山が揺れる。
乾いた音が奈落に長く響いた。
それきり、
動くものはなくなった。
ロゼインはその場に立ったまま、
静かに息を吐く。
拳がじんじんと痛んでいた。
骨食いの主の胸には、
錆びた剣が深く突き刺さっている。
ロゼインは歩み寄った。
柄を握る。
そして、
ぐっと引き抜いた。
ズブッ
鈍い音がした。
その奥から――
コロン
小さな石が転がり落ちる。
闇の中で、
淡く光っていた。
「……魔石」
アゼリアが静かに言う。
ロゼインはそれを拾い上げた。
手の中で転がす。
濁った光を放つ小さな石。
「やっぱりな」
低く呟く。
「強い魔物は、たまにこれを持ってる」
その瞬間だった。
骨食いの主の体が、
サラ……
崩れ始めた。
肉が灰のようにほどけ、
骨の山の上へ静かに散っていく。
アゼリアが言う。
「……消えていきます」
ロゼインは魔石を軽く持ち上げた。
「魔物はな」
「強い個体ほど、体を魔力で無理やり保ってる」
魔石を見せる。
「その核がこれだ」
周囲を顎で示す。
「抜かれると――」
骨食いの主の体が、
音もなく崩れきった。
「こうなる」
奈落に沈黙が落ちる。
アゼリアは魔石を見つめていた。
そして言う。
「ロゼイン」
「ん?」
「その魔石を……」
少し遠慮がちに続ける。
「わたくしに頂けませんでしょうか」
ロゼインが眉を上げる。
「使えるのか」
「分かりません」
アゼリアは正直に答えた。
胸骨に手を当てる。
「ですが、わたくしの体は魔力で保たれているようです」
「取り込めば」
少し間を置く。
「何か変化があるかもしれません」
ロゼインは魔石を放った。
「試してみろ」
アゼリアが受け取る。
骨の手で魔石を包む。
次の瞬間――
ボッ
眼窩の奥の青い炎が、
一瞬だけ激しく燃え上がった。
胸骨の奥でも、
同じ青い炎が揺れる。
奈落の闇の中で、
その光は鋭く瞬いた。
魔石が淡く輝く。
そして――
スッ
それは胸の奥へ吸い込まれるように消えた。
青い炎は、
ゆっくりと元の静かな灯りに戻る。
ロゼインが聞く。
「どうだ」
アゼリアは自分の手を見る。
指を動かす。
骨が小さく鳴る。
「……分かりません」
だが続けた。
「ですが」
「魔力が少し満ちた感覚があります」
ロゼインを見た。
「もっと多くの魔石を取り込めば」
「わたくしは、もっとお力になれるかもしれません」
ロゼインは鼻を鳴らした。
「期待しとく」
その時、
体がわずかに揺れた。
「……っと」
足元の骨が鳴る。
アゼリアが近づく。
「大丈夫でございますか」
ロゼインは手を振る。
「平気だ」
だが胸の奥が妙に熱い。
さっきの戦いの余韻が、
まだ体に残っている。
ロゼインは息を吐いた。
「……まあいい」
周囲を見回す。
骨の山。
死んだ冒険者の装備が散らばっている。
ロゼインは少し黙った。
それから骨の山を見て言う。
「……悪いな」
小さく頭を下げる。
「借りる」
骨をどけ始めた。
ガラガラと音が鳴る。
しばらくして、
革鎧を引っ張り出した。
軽い装備。
女性用のサイズだ。
ロゼインは自分の体を見る。
華奢な肩。
細い腕。
「……まあ」
鎧を当てる。
「これなら動ける」
その時だった。
カンテラの火が
チッ
小さく揺れた。
そして――
消えた。
奈落が闇に沈む。
ロゼインが舌打ちする。
「くそ」
その瞬間。
淡い光が灯った。
アゼリアの骨の手の上に、
小さな光の球が浮かんでいる。
ロゼインが言う。
「魔法か」
「はい」
アゼリアが答える。
「先ほどの魔石の影響かもしれません」
奈落がぼんやり照らされる。
ロゼインは骨をさらにどけた。
その下から、
折り畳まれた紙が出てくる。
広げる。
迷宮の地図だった。
アゼリアの光がそれを照らす。
ロゼインの指が線をなぞる。
入口。
第一層。
第二層。
さらに下。
そして――
指が止まる。
ロゼインの眉がわずかに動いた。
「……ちっ」
小さく舌打ちする。
アゼリアが聞く。
「何か分かったのでございますか」
ロゼインは地図を見たまま言った。
「悪い予感が当たった」
指で叩く。
そこに書かれていた。
第二十一階層
ロゼインはゆっくり息を吐いた。
奈落の奥を見る。
闇は、
どこまでも続いている。
「この場所は…」
声が少し低くなる。
「深層だ」
静かな沈黙。
水滴が落ちる。
ポツン。
ポツン。
ロゼインは地図を畳んだ。
そして言った。
「……俺たち」
少し間を置く。
「とんでもない場所にいるようだ…」
アゼリアの光だけが、
石壁をぼんやりと照らしている。
ロゼインはしばらくその場に立っていた。
地図を腰に差す。
それから、
ふと自分の手を見る。
拳を握る。
骨食いの主を叩き潰した拳だ。
だが――
痛みはない。
ロゼインはわずかに眉をひそめた。
あの魔物の体は、
石みたいに硬かった。
普通なら拳の皮くらい裂ける。
だが。
指を曲げる。
拳を握る。
何ともない。
むしろ――
妙に軽い。
「……妙だな」
アゼリアが振り向く。
「どうされました」
ロゼインは拳を軽く振った。
「さっきの奴」
骨食いの主が崩れた場所を顎で示す。
「石みたいに硬かった」
もう一度拳を見る。
「なのに、傷一つねぇ」
アゼリアは少し考えた。
「それは……」
「良いことでございます」
ロゼインは苦笑する。
「まあな」
拳を軽く握る。
骨が小さく鳴る。
その時だった。
胸の奥に残っていた妙な熱が、
ふっと消える。
ロゼインの表情がわずかに変わった。
「……あれ」
アゼリアが近づく。
「ロゼイン?」
ロゼインは目を閉じる。
ゆっくり息を吸う。
意識を体の奥へ沈める。
戦闘のあと、
冒険者が必ずやる確認。
体力。
怪我。
そして――
魔力。
だが。
ロゼインの眉が深く寄った。
「……おい」
目を開く。
「アゼリア」
「はい」
ロゼインは少し首をひねる。
「俺の魔力」
手を開く。
握る。
「感じねぇ」
アゼリアの光が揺れた。
「消耗したのでは」
ロゼインは首を振る。
「違う」
壁に手をつく。
「そういう感じじゃない」
言葉を探す。
「……空っぽだ」
奈落に沈黙が落ちる。
水滴が落ちる。
ポツ……
ロゼインは小さく息を吐いた。
「命は助かったが」
拳を軽く握る。
「何か持っていかれたらしい」
だが。
体は軽い。
さっきの戦いを思い返す。
骨食いの主。
あれを真正面から叩き潰した。
普通なら無理だ。
ロゼインは自分の拳を見る。
「……代わりに」
小さく呟く。
「妙な力が残ったな」
アゼリアが静かに言う。
「強くなられたのでしょうか」
ロゼインは肩をすくめた。
「さあな」
奈落の奥を見る。
「化け物みたいな力だ」
少し苦く笑う。
それからアゼリアを見る。
「……そうだ」
アゼリアが首を傾げる。
「はい?」
ロゼインは頭をかいた。
「ちゃんと言ってなかったな」
少し真面目な顔になる。
「助けてくれてありがとな」
アゼリアの青い炎が、
わずかに揺れた。
少し沈黙してから言う。
「わたくしは」
奈落の闇を見る。
「ただ、この迷宮を彷徨っていただけでございます」
骨の手を見る。
「理由も」
「目的も」
小さく首を振る。
「思い出せません」
少し間を置く。
「ただ……」
静かに言う。
「とても、寂しかった気がいたします」
ロゼインは少し黙った。
それから鼻を鳴らす。
「そうか」
それ以上は言わない。
地図を取り出す。
アゼリアの光がそれを照らす。
ロゼインの指が線をなぞる。
第二十一階層。
そして――
少し上。
指が止まる。
「迷宮はな」
ロゼインが言う。
「五階層ごとに“主”がいる」
アゼリアが聞く。
「階層主」
「ああ」
ロゼインは地図を指で叩く。
「二十階層」
奈落の上を見る。
「つまり」
低く言う。
「ここから上に行くなら」
「必ず主の部屋を通る」
奈落は静まり返っていた。
水滴の音だけが響く。
ポツ……
ポツ……
アゼリアが言う。
「避けられないのでございますね」
ロゼインは頷く。
「迷宮はそういう構造だ」
少し考える。
それから周囲を見る。
骨の山。
散らばった装備。
拾った革鎧。
錆びた剣。
ロゼインは剣を軽く振った。
「……装備は最低限」
地図を見る。
「魔力はゼロ」
苦笑する。
「普通なら詰みだな」
アゼリアの光が揺れる。
ロゼインは奈落の上を見る。
「だが」
拳を握る。
骨が小さく鳴る。
「俺は迷宮を何年も潜ってきた」
地図を指で叩く。
「構造」
「魔物の習性」
「階層主の癖」
目が鋭くなる。
「全部知ってる」
アゼリアが静かに聞く。
「勝てるのでございますか」
ロゼインは少し笑った。
「分からん」
剣を肩に乗せる。
「だが」
奈落の奥を見る。
「攻略はできる」
地図を指でなぞる。
第十八階層
「そこにセーフエリアがある」
アゼリアが覗き込む。
「セーフエリア」
「ああ」
ロゼインが言う。
「古い遺跡だ」
少し思い出すように言う。
「石の神殿みたいな場所でな」
少し間を置く。
「真ん中に」
低く言う。
「女神の噴水がある」
奈落の水滴が落ちる。
ポツ……
ポツ……
「そこは魔物が来ない」
ロゼインは地図を畳んだ。
「そこまで行ければ」
剣を握る。
「一息つける」
奈落の上を見る。
「まずは二十階層の主」
静かに言う。
「それを抜ける」
アゼリアが光を前へ向ける。
「では」
「攻略するのでございますね」
ロゼインは歩き出した。
「そうだ」
奈落の通路へ。
コツ……
コツ……
足音が響く。
ロゼインは振り返らず言う。
「迷宮攻略だ」
アゼリアの光が背中を照らす。
二人は奈落の闇へ進んだ。




