旅の道連れ。来襲。
「……ここから」
「出られるのか?」
小さく呟いた声だった。
だが奈落では、それさえ妙に大きく響く。
しばらく沈黙が続いた。
アゼリアが静かに答える。
「分かりません」
少しだけ間を置く。
「この階層の構造も……覚えておりませんので」
少年は小さく舌打ちした。
「だろうな」
期待して聞いたわけじゃない。
少年は歩き出した。
骨を踏む。
パキッ。
乾いた音が奈落に響く。
その背に向かって、アゼリアが声をかける。
「……あの」
少年は止まらない。
「なんだ」
「お願いがございます」
足が止まる。
カンテラの光が揺れた。
その光の中に、骨の修道女が立っている。
影が石壁に長く伸びていた。
少年は振り返る。
「なんだ」
アゼリアは丁寧に頭を下げた。
「わたくしを」
少し言葉を探す。
「ご同行させていただけませんでしょうか」
少年の眉がわずかに動く。
「……は?」
アゼリアは顔を上げる。
骨の顔には表情はない。
それでも、声はどこか遠慮がちだった。
「先ほど申し上げました通り」
「わたくしは多くの記憶を失っております」
「自分が何者なのか」
「なぜここにいるのか」
「それすら分かりません」
奈落で水滴が落ちる。
ポツン。
ポツン。
アゼリアは続けた。
「……わたくし一人では」
少し俯く。
骨の指が修道服の袖をそっと握った。
「長く生きられないと思います」
少年は腕を組む。
「魔物だろお前」
「……おそらくは」
「信用できると思うか?」
「思いません」
少年は小さく息を吐いた。
正直すぎる。
だが――
心の中で考える。
(怪しい)
(どう見ても魔物だ)
骨の修道女。
記憶喪失。
奈落を彷徨っていた。
まともな存在じゃない。
(だが……)
少年は視線を細めた。
(こいつは俺を看病していた)
借りがある。
それに――
奈落の暗闇を見回す。
骨の山。
湿った空気。
果ての見えない迷宮。
(この迷宮を一人で抜ける)
(無理だ)
ここは浅い階層じゃない。
遠征隊が潜る場所。
一流の冒険者でも――
簡単に命を落とす。そんな場所。
(俺一人じゃ詰む)
協力者は必要だ。
信用できなくても。
それでも。
アゼリアが小さく言った。
「……ですが」
少し沈黙する。
奈落は静かだ。
ポツン。
ポツン。
水滴の音だけが響く。
アゼリアは小さく続けた。
「……一人は」
ほんのわずか声が弱くなる。
「少し寂しいのでございます」
少年は数秒黙った。
それから。
「……はぁ」
深くため息をつく。
頭を掻いた。
「勝手にしろ」
少年は歩き出した。
骨を踏む。
パキッ。
パキッ。
後ろでアゼリアが慌てて頭を下げる。
「ありがとうございます」
少年は振り返らない。
だが声だけ返す。
「ただし」
少し低い声。
「死んでも知らねえ」
アゼリアは静かに頷いた。
「承知しております」
それから少し間を置く。
「ですが」
少年が面倒そうに言う。
「なんだ」
アゼリアは少しだけ嬉しそうだった。
「あなたと一緒なら」
小さな声。
「……少し安心いたします」
少年は何も言わない。
ただ歩く。
骨を踏む。
パキッ。
その後ろで、アゼリアの足音が続く。
コツ。
コツ。
奈落の奥で風が鳴った。
ヒュウ……
少年は暗闇を睨んだまま言う。
「……一応聞く」
アゼリアが顔を上げる。
「はい」
「戦えるのか」
奈落の闇が揺れる。
アゼリアは少し考えてから答えた。
「分かりません」
それから骨の手を胸に当てる。
「ですが」
「お役に立てるよう、努力いたします」
少年は小さく鼻を鳴らした。
「努力ねえ……」
その時だった。
奈落の奥。
暗闇の向こうから――
ガリ……
何かを噛む音が聞こえた。
少年の目が細くなる。
「……」
アゼリアが小さく言う。
「聞こえます」
奈落の闇の奥で。
ガリ。
ガリ。
何かが骨を噛み砕いていた。
暗闇の中で、
ゆっくりと――
何かが動いた。
奈落の奥。
さらに深い闇の中で――
ドスン。
重い足音が響いた。
骨喰いたちが一斉に動きを止める。
少年の目が細くなる。
(……なんだ?)
暗闇の奥で、
巨大な影がゆっくりと動いた。
ズル……
骨の山を踏み崩しながら、
それは姿を現す。
骨喰い。
だが――
大きさが違う。
普通の骨喰いの倍以上。
長い腕は太く、
筋肉が縄のように盛り上がっている。
裂けた口から、
骨の破片がボロリと落ちた。
濁った目が、
ゆっくりと少年を見下ろす。
周囲の骨喰いたちが、
距離を取る。
まるで――
道を開けるように。
アゼリアが小さく言った。
「……群れの主でございます」
少年は肩を回した。
「なるほどな」
巨大骨喰いが唸る。
「ギィィィ……」
次の瞬間。
ドンッ!!
巨体が地面を蹴った。
奈落が揺れる。
巨大な腕が振り下ろされる。
少年は横へ跳んだ。
ドゴォン!!
骨の山が砕け散る。
少年はそのまま踏み込んだ。
ドゴォッ!!
拳が巨大骨喰いの顔面に叩き込まれる。
巨体がよろめいた。
だが倒れない。
「ほう」
少年は少しだけ笑った。
「普通のやつよりは頑丈か」
巨大骨喰いが怒りの咆哮を上げた。
「グオォォォッ!!」
腕が振り回される。
骨が弾け飛ぶ。
少年は距離を取った。
その時。
後ろからアゼリアの声がした。
「……止めます」
少年が振り返る。
アゼリアの骨の指が、
ゆっくりと地面を指していた。
青白い光が広がる。
奈落の骨の山が震えた。
ガタガタガタ……
そして。
ドシャッ!!
骨の山が崩れ、
巨大な骸骨が立ち上がった。
人骨が何体も絡み合った、
歪な巨体。
四本の腕。
太い骨の脚。
空洞の目が光る。
少年の眉が上がる。
「……でけえな」
アゼリアが静かに言う。
「抑えます」
次の瞬間。
骨の巨体が飛び出した。
巨大骨喰いに飛びつく。
ドガッ!!
骨の腕が首に絡みつく。
もう一本が胴を押さえた。
巨大骨喰いが暴れる。
「グオォッ!!」
牙が骨を噛み砕く。
バキッ!!
骨の腕が折れる。
だが――
残った腕がさらに締め上げる。
完全には動けない。
少年は周囲を見回した。
骨の山。
折れた武器。
朽ちた槍。
錆びた剣。
(……使えるな)
少年は一本の槍を拾う。
錆びている。
だが問題ない。
構える。
そして――
投げた。
ドゴォッ!!
槍が空気を裂く。
次の瞬間。
ドスッ!!
巨大骨喰いの肩を貫いた。
「グオォッ!?」
少年はもう一本拾う。
剣だ。
投げる。
ドシュッ!!
胸に突き刺さる。
さらに一本。
折れた槍。
ドゴォッ!!
腹に突き刺さる。
巨大骨喰いが暴れる。
骨の巨体が軋む。
アゼリアが声を上げた。
「今です!」
少年は最後の武器を拾った。
大きな剣。
刃は欠け、
錆びついている。
だが重さは十分だ。
少年は一歩踏み込む。
肩をひねる。
そして。
全力で投げた。
ドゴォォォッ!!
剣が一直線に飛ぶ。
次の瞬間。
ドスンッ!!
巨大骨喰いの胸を、
完全に貫いた。
「グォ……」
巨体が震える。
骨の巨体が離れる。
巨大骨喰いは数歩よろめき――
ドォン!!
奈落の骨の山に、
崩れ落ちた。
動かない。
奈落が静まり返る。
ポツン。
水滴が落ちた。
アゼリアが小さく息を吐く。
「……終わりました」
少年は肩を回した。
「みたいだな」
しばらく沈黙。
それからアゼリアが言った。
「助かりました」
少年は鼻を鳴らす。
「お互い様だ」
少し間が空く。
それから少年は言った。
「そういや」
アゼリアが顔を上げる。
「はい?」
少年は頭を掻いた。
「まだ名乗ってなかったな」
カンテラの光が揺れる。
少年は言った。
「俺の名前は――」
少しだけ口の端を上げる。
「ロゼインだ」
アゼリアは小さく頷いた。
「ロゼイン」
そして静かに言う。
「覚えました」
奈落の奥で、
風が小さく鳴った。
ヒュウ……
骨の山の中で、
二人は初めて
互いの名前を知った。




