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聖血のロゼル  作者: チョコレートスターフィッシュ
第3章

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挿話。ギルドと宿屋にて。

ギルド内。

扉をくぐった瞬間――

空気が、わずかに揺れた。

視線。

あちこちから、自然と集まる。

「……あれって、まさか……」

「雪月花の……?」

「綺麗な人……」

「背、高いんだな……」

ひそひそとした声。

隠しているつもりでも、隠しきれていない。

ディアはそれらをすべて“聞こえている”。

だが――

一切、反応しない。

歩調も、視線も、そのまま。

ただ前へ進む。

その時。

ひとりの影が、進路に立った。

若い女。

装備もまだ新しく、ぎこちない。

駆け出しの冒険者だ。

「あ、あの……ディアさん……!」

声が震えている。

ディアが、わずかに視線を落とす。

「……何か用かい?」

淡々とした声。

女は一瞬びくりとするが、意を決したように続けた。

「わ、わたし……大ファンで……!」

「憧れてます!」

一気に言い切る。

顔は赤く、今にも泣きそうだ。

「さ、サイン……いただけませんか?」

差し出された紙とペン。

ディアは一瞬だけ、内心で息を吐く。

(……またか)

だが表には出さない。

口元に、にこりと“形だけ”の笑みを浮かべる。

「ありがとう」

柔らかい声音。

「サインはこれに書けばいいかい?」

「あ、はい……!ありがとうございます……!」

半ば泣きそうな顔で、何度も頷く女。

ディアはペンを受け取り、さらりと走らせる。

迷いのない筆運び。

慣れた手つきで、名前を書き終えた。

紙を返す。

「はい」

「……っ!ありがとうございます……!」

深く頭を下げる女。

ディアは軽く手を上げ、それ以上は言葉を交わさず通り過ぎる。

(……A級になってから、増えたな)

内心で、わずかにうんざりとする。

(冒険者は、アイドルじゃないんだがな)

視線を背中に受けながら、そのまま階段へ。

迷いなく三階へ上がる。

廊下の奥。

一つの扉の前で足を止め――開けた。

中は静かだった。

「やぁ、ディア」

声がかかる。

部屋の中央。

ソファに腰掛けていた女が、ゆるく顔を上げた。

赤い髪。

長く伸びたそれを、雑に一つに束ねている。

鋭い目つき。

だが今は、どこか力の抜けた、私的な表情。

雪月花のリーダー――シエルだ。

「武器のメンテナンスは終わったかい?」

ディアは扉を閉めながら答える。

「ああ」

軽く肩を回す。

「やっぱりグラントさんは腕がいいよ。他の職人じゃ、なかなかこうはいかない」

シエルが小さく顎に手を当てる。

「ふむ……」

視線がわずかに逸れる。

「ならば次は私も頼んでみるか」

一拍。

「ドワーフは野蛮で好きではないんだがな」

ディアは肩をすくめた。

「職人の腕に、野蛮かどうかは関係ないさ」

軽く流す。

そして――少しだけ声の調子を変える。

「それより」

シエルの目が、わずかに細くなる。

「ランドさんが言っていた“噂の新人”に会ったよ」

一拍。

「驚いたよ……あれは、いい」

その言葉に、シエルの空気が変わる。

「……ほう」

椅子に深く座り直す。

「僅かの間にDランクに昇格したという、あの新人か」

視線が鋭くなる。

「どんな印象だ?」

ディアは少しだけ思い出すように目を伏せる。

「うちのお転婆魔女と……いい勝負だ」

さらりと言う。

だが、続けて――

「いや……魔力量なら、上かもしれない」

シエルの眉が、ぴくりと動く。

「うちのお転婆が“平常状態”の時の話だがね」

その一言で、意味は十分だった。

シエルはゆっくりと息を吐く。

「それ程か……」

小さく笑う。

「いや、お前が言うんだ。間違いはないだろう」

だがすぐに、視線を戻す。

「しかし……驚いたな」

「その子はパーティを組んでいるんだろう?」

ディアは頷く。

「ああ」

「会ったのは一人だけだが」

少しだけ肩をすくめる。

「彼女のリーダーは“さらに強い”と言っていたよ」

シエルの目が、わずかに光る。

「……面白い」

ディアは続ける。

「この目で見てみたいもんだ」

一拍。

「一応、招待はしておいた」

視線を少し横へ流す。

「来てくれるといいんだが」

シエルは腕を組み、天井を仰ぐ。

「お前がそこまで言う実力の冒険者なら……」

口元が、わずかに歪む。

「うちに入ってくれれば、我々の目標にまた一歩近づけるんだがな」

ディアは静かに首を振る。

「慌てても仕方ないさ」

落ち着いた声。

「この都市で冒険者をしているなら――」

一拍。

「遅かれ早かれ、必ず関わることになる」

シエルは小さく息を吐いた。

「……違いない」

そして、ふと思い出したように聞く。

「どんな容姿だ?」

ディアはわずかに笑みを浮かべる。

「青い瞳の、可愛らしい子だったよ」

一拍。

「……なんだか、不思議な空気を感じた」

シエルの視線が、静かに細まる。

「不思議……ね」

小さく呟く。

その目は、すでに興味を捉えていた。




宿の部屋。

昼下がりの光が、ゆるく差し込んでいる。

静かだ。

外の喧騒は遠く、ここだけが切り離されたような空気。

ロゼルは椅子に深く腰掛けたまま、ぼんやりと天井を見ていた。

その時――

「……くしゅんっ」

小さなくしゃみ。

一拍。

「……誰か噂してやがるな」

鼻を軽くこすりながら、ぽつりと呟く。

誰に聞かせるでもない声。

しばらく、そのまま黙る。

そして、ふと。

「……アゼリアのやつ、なかなか帰ってこねぇな」

視線だけが、扉の方へ向く。

返事はない。

当たり前だ。

「道にでも迷ったか?」

小さくぼやく。

少しだけ間を置いて――

「……厄介ごとに巻き込まれてなきゃいいが」

眉が、ほんのわずかに寄る。

椅子から体を起こしかける。

「様子、見に――」

言いかけて、止まる。

「……いや」

背もたれに、また体を預けた。

息を一つ吐く。

「好きにさせるか」

目を閉じる。

「……あいつは、真面目すぎる」

ぽつり。

「俺のことばっか気にしやがるし」

小さく鼻を鳴らす。

「ありゃ親鶏にくっつく雛だな」

一拍。

口元が、わずかに緩む。

「……可愛い子には旅を、ってやつだ」

うん、と一人で頷く。

納得したように。

静けさが戻る。

ロゼルは何気なく、手を横へ伸ばす。

いつもの位置。

皿の上。

――空。

指先が、何も触れない。

一瞬、動きが止まる。

ゆっくりと視線を落とす。

皿。

パンくずすら、ほとんど残っていない。

「……」

数秒の沈黙。

「……ない」

現実を確認するように呟く。

もう一度、皿を見る。

「……全部、食ったか」

思い出す。

さっきまでの味。

卵のコク。

きゅうりの、あのカリッとした歯応え。

「……まじかよ……」

力の抜けた声。

誰もいない部屋に、ぽつんと響く。

静かすぎるくらいの午後だった。




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