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聖血のロゼル  作者: ハナハル


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3/13

奈落 ― 三日目

冷たい石の上で、ロゼインは目を覚ました。

背中に触れている岩が、氷のように冷たい。

湿った冷気が服を通して、ゆっくりと体の奥に染み込んでくる。

暗い。

相変わらず、光はない。

奈落の闇は、ただ暗いだけではない。

重い。

視界を塞ぐ黒い霧のように、空間そのものが沈んでいる。

人の目では何も見えない。

完全な黒だ。

唯一の光は――

地面のそばに置いた、小さなカンテラ。

その火が、頼りなく揺れている。

油はもうほとんど残っていない。

火は細く、弱い。

少し風が吹けば消えそうなほど頼りない炎だ。

それでも。

それが消えたら終わる。

奈落の闇は、

光のない人間を容赦なく飲み込む。

喉が、焼けるように乾いていた。

舌が口の中に張り付く。

口の奥がひび割れているように痛い。

唾すら出ない。

ロゼインは、震える手で腰の水袋を探った。

革袋は軽かった。

わかっている。

だが、それでも振る。

カサ……

乾いた音だけがする。

昨日、最後の一滴を飲んだ。

わかっていた。

それでも振る。

人間は愚かだ。

奇跡を期待してしまう。

もしかしたら、

ほんの一滴くらい残っているんじゃないかと。

もちろん、何も出ない。

腹も痛い。

二日前から、何も食べていない。

胃が、時折痙攣するように縮む。

腹の奥が空洞になったような感覚。

だが、空腹より辛いのは――

寒さだった。

奈落の空気は冷たい。

地上の冬とは違う。

湿った冷気だ。

肺に入る空気まで冷たい。

吸うたびに、胸の奥がじんと痛む。

服はもう血と泥で硬くなっている。

乾いた血が布を固め、

動くたびに肌を引っ張った。

ロゼインは、壁にもたれた。

石壁は濡れている。

地下水が染み出しているのだろう。

冷たい水が、背中の服にじわりと広がる。

右腕が動かない。

遠征隊が壊滅した時、岩に叩きつけられた。

折れているかもしれない。

指を少し動かすだけで、

鈍い痛みが腕の奥まで走る。

思い出す。

あの瞬間を。

思い出したくなくても、

頭の奥に焼き付いて離れない。

ユニークモンスター奈落鬼バルガス。

あの怪物。

巨体。

人間の二倍はある体。

岩の塊のような筋肉。

そして、あの顔。

鬼。

だが、人の顔でもあった。

歪んだ笑み。

目が細く歪み、

口の端が吊り上がる。

まるで――

子供が虫を潰して遊ぶ時のような笑み。

楽しんでいた。

殺すことを。

Bランク冒険者。

鋼の重戦士。

遠征隊で一番強かった男。

グラド。

大斧を構え、叫んだ。

「来い、化け物ォ!」

通路に声が響く。

鋼の鎧が鳴る。

斧の刃がカンテラの光を反射した。

誰もが思った。

勝てる。

あの男なら。

次の瞬間。

骨が砕ける音がした。

ただそれだけだった。

斧も、鎧も、意味がなかった。

バルガスは片手でグラドを掴み――

岩壁に叩きつけた。

肉が潰れる音。

骨が折れる音。

湿った何かが飛び散る音。

それで終わり。

戦いではなかった。

処刑でもない。

遊びだった。

ロゼインは、頭を振った。

やめろ。

思い出すな。

思い出すと震えが止まらない。

ポタ……

水滴の音がした。

遠くで。

石の奥から響くような音。

ポタ……

ポタ……

ポタ……

静かな奈落の中で、

その音だけが妙に大きく響く。

ズ……

ズズ……

別の音が混じった。

何かを引きずる音。

遠く。

だが確かに聞こえる。

岩の上を、

重いものが擦れる音。

ゆっくり。

ゆっくり。

ロゼインは息を止めた。

耳を澄ます。

心臓がうるさい。

鼓動が耳の奥で響く。

ドクン。

ドクン。

この音だけで、

魔物に気づかれるんじゃないかと思うほど大きい。

カリ……

カリ……

カリ……

今度は別の音。

石を削るような音。

爪か。

牙か。

それとも骨か。

わからない。

奈落では、

何の音なのか分からないことが一番怖い。

奈落には魔物がいる。

それは知っている。

だが、この暗闇では――

何がどこにいるのかわからない。

どこから来るのかも。

どれくらい近いのかも。

それが一番怖い。

ロゼインは立ち上がろうとした。

足が震える。

膝に力が入らない。

体がもう限界だ。

三日。

水なし。

食料なし。

怪我。

寒さ。

恐怖。

体の中の何かが、もう終わりだと言っている。

「……はは」

乾いた笑いが出た。

喉が裂けそうに痛い。

声が掠れる。

「ここで終わりかよ……」

冒険者。

夢。

金。

名声。

全部。

奈落の石の上で終わる。

誰にも知られず。

誰にも見つけられず。

ただ骨になる。

その時だった。

風が吹いた。

奈落の奥から。

ひゅう、と細い風。

冷たい風。

その風に、臭いが混じっていた。

腐った臭い。

古い血。

湿った肉。

そして――

骨の臭い。

ロゼインは顔を上げた。

カンテラの弱い光の先。

通路の奥。

ぼんやりと白いものが見える。

骨。

床一面に。

折れた剣。

砕けた鎧。

錆びた槍。

革袋。

破れたマント。

そして――

大量の骨。

人間の骨。

白く乾いたもの。

黒く変色したもの。

砕けた頭蓋。

ここでも遠征隊が死んだのだろう。

何十人。

いや、もっとかもしれない。

奈落は、

人間を食べてできている。

ロゼインはふらつきながら歩いた。

骨を踏む。

パキッ。

乾いた音がする。

装備があれば。

水があるかもしれない。

食料が。

何か。

何でもいい。

生きるためなら。

その時。

骨の山の奥で。

カチャ……

音がした。

ロゼインは止まった。

呼吸も止まる。

カンテラの光が揺れる。

骨の山の奥。

白いものが、

ゆっくり動いた。

骨が。

動いた。



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