逃亡
ゆっくりとした永遠が数瞬に込められていたのだと思う。
リボンは解かれていった、しかも、俺の記憶と友人の記憶の様々な情景は溶け合っていった…友人は知らないが俺はそうだった。並んで驚くべき情景が俺を支配していった…
俺でもなく友人でもない新しい記憶…或いは眠っていただけの情景…記憶。
俺と友人はかつて意識を共有していた一つの存在であったのだろうか?
それほどに二つの意識はピッタリと重なり合い、違和感がなかった。
その二つが重なれば重なるほどに意識や記憶が鮮明に蘇ってきた…
俺は、やはり友人の言うように、研究所のリーダーなのである、そう思われたし、とても不思議な事だが、その研究内容も事細かに脳裏に焼き付いた。
俺は間違いなく研究員で、彼を引き抜いた研究所のリーダーなのであった。
そして混入する新たな意識が。
それは恐ろしいものだった。
顕微鏡の部屋で倒れていた男…死体。
その死体は、どうやら俺が知っている誰かが…殺したものである、という認識…或いは友人が…それとも俺自身が……
パンドラの匣…
開けてはならぬ記憶の匣…
もしくは、パラレル世界の扉。
意識が世界へと引っ張られていく…
俺は…そしてリンクされた友人はようやく、別様の世界へと到着したようである…
部屋だった…
やはり、ここは…友人の部屋…
ぼんやりと意識は回復していく…
彼はどこだ?
いつものように会話の最中で覚醒していくのではなかったのか……
ハッキリと回復して、部屋を見渡す、すると…
「!」
死んでいる、友人は倒れている…俺は袋に入った鍵を持っていた……
「どうして…」
そう。
俺は鍵を持っていた。
それは頑丈な袋で破ろうとしても破けようがない…
それは未来世界からの贈り物で、現世界では加工できない発明品である。
それは現在の科学技術では破ることが出来ずに、無論それを開発することなど出来なかった…
俺はそれを大量に未来世界から持ち出したのか?
部屋の机の上には大量にそれが並んでいたのだ。
否。
それは彼が大量に仕入れたのかもしれない…
俺と彼とは口論をしていたようで。
ひょっとするとこれこそが彼と俺とのいさかいの原因だったのかも知れない…
因果はどうだってよかった。
真相だけを俺は…あと一歩を進んで知ることが出来さえすればいいんだ…
すなわち…
血に染められた鍵入りの袋……
試しに、その袋で部屋のいろんな物体に撫で付ける。
それは驚異的な切れ味だった。
俺はこれを使い、友人を惨殺したんだろう…
血に濡れてべと付いたリボン……
部屋を去ろうか…
俺は殺人を犯した、パラレル世界で…否、恐らく、因果律はどこへ逃げ去っても俺を追い詰めるだろう…
俺は、パラレル世界へと、友人の殺人を、逃避行していたに違いない…
ならば。
「…何故だ!」
友人の部屋のドアノブはいくら回してみてもピクリとも動かない。
無意味なことだと解っていたがドアを押しても引いても左右に動かしてもやはりピクリともしない。
「これは内鍵だ!あの密室と同じで…」
顕微鏡の殺人者は、どうやって逃げおおせたというのか…
密室殺人鬼のトリック!!
俺は発作的に友人宅の押し入れを物色にかかった…
「あった!」
それはすぐに俺の目に飛び込んだ。
顕微鏡…
俺は縋るように…それが神であるように…啓示を求め…背徳の…全能感をこの身へと撞着するかのように、狂った、激しい、欲望と憧憬に誘われて、俺は無心で鍵の袋をセットしたその顕微鏡のレンズへと顔を近づけていった……
部屋…
やはりそこには死体が…そして!
犯人だ!
顔は…見たこともないような顔をしていた…
しかし。
犯人はまだ逃げてはいない……
さて、どうやって…どうやって逃げおおせる……?
顔も見たこともない殺人鬼の運命は、すなわち同じく殺人鬼である俺の運命に等しかった!
俺は逃すまいと必死で凝視していた…
そして!!
犯人は迷う素振りもなく、部屋の隅に離れた所からもう一度死体へと近づいた。
そしてポケットを…探っていた……
袋…
それはいかにも、鍵の入った袋だった!
「もうひとつ…あるというのか……」
犯人の犯行に使った血塗られた鍵の袋とは別に、もうひとつの鍵の袋が、死体のポケットにはあった…
そして、犯人はやはり迷いなく…
リボンを解く!!!
するすると解かれていくリボン…
みるみる間に…彼は部屋から消えてしまった……
俺はようやく理解した…
犯人は…殺人を犯した…パラレル世界の無数の犯人たちは…逃れようのない因果律へと正面から向かっていく……
犯人は…一時的な安穏を求めて…別世界へと逃亡するのだ…
鍵の袋のリボンを解いて……
どこへ逃げたって降りかかるであろう殺人者としての運命…逃れられない因果律…
俺は…死体と成り果てた友人のポケットを探り、鍵の袋を探り当て、一時の安穏と…因果律とを行き来しながら、簡単に解けそうな蝶結びのリボンに手を掛けて、それでも簡単には解きかねているのであった……




