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由無し一家番外編  作者: しめ村
辺境の人々の日々
13/13

辺境主都の比較的平穏な日常

「由無し一家」本編の続きにあたる内容です。


 ぼくは魔術師エミ・ケイセイの使い魔です。名前はゴーディアスです。

 元の生き物は生まれたての山羊でした。今でも、正式に使い魔になった時の姿だった仔山羊の姿をしています。ご主人との歩幅の差が大きいので、普段は走ってついていくか、ご主人の外套のフードの中や肩の上に乗っています。

 ご主人の作業中は、お邪魔にならないように、少し離れたところでいつでもお役に立てるように待機しています。今もそうしているところです!

 ヴォジュラ領主邸使用人宿舎の割り当てのお部屋で、もうすっかり身支度を整えて鞄の中身を確認していたご主人の楽しそうな横顔を、ぼくがきれいに寝具を畳まれた寝台の上でとぐろを巻いて見守っていると、朝ごはんを食べに行っていた部屋の同居人が戻ってきて明るい声をかけてきました。

「お、ケイセイ、ついに行くか?」

 今年からご主人と相部屋になったデューイは、ご主人より少し年上で遊び好きの陽気な雰囲気の人です。ご主人と比べると大きいものの、この土地の人間としては一般的な体格と薄茶色の毛色の男性です。

 彼は掃除道具を手にしていました。ご主人とデューイはお休みの日のお部屋のお掃除をかわりばんこにしていて、この巡りはデューイの番なのです。

「はい。ついに行ってきます!」

「お前この前から楽しみにしてたもんな。それにしたって持ち物昨夜から何回確認してんだよ。ガキかよ。とっとと行けよ。掃除の邪魔だ」

 デューイがそう言った時、時を告げる鐘の音が響いてきました。鐘楼が領主邸の近くに建っているので音が近く、大きく聞こえます。二の鐘、朝の活動の時間のはじまりです。組合が開業する時間です!

「では行ってきます! すみませんが、お掃除当番よろしくお願いいたします!」

「おーおー、行ってきな」

 デューイはニヤッと笑って入口まで見送ってくれました。


 鐘二つの時間は、ヴォジュラ領一番の都ヴォジュリスティの市民の多くにとっては、朝ごはんを食べようかという頃合です。そんな中、もう目抜き通りは一足早く活動を始めようという人で賑わっていました。

 威勢のよいあんちゃんやおくさんたちの客引きの喧騒を突っ切り、商店脇の路肩に停まった馬車から次々と荷物を下ろしては一列になって運び入れる熊顔の人足の一団の間を掻い潜り、朝から営業している酒場の扉ごと吹っ飛んてきた荒くれ者を軽やかな足取りで回避し、ご主人は目的地を目指して直走りました。

 そしてご主人が足を止めた時、ぼくは上気した頬のご主人と並んで、目の前の巨大建造物を見上げました。

 ご主人のドキドキワクワクが、ご主人の肩の上に乗り上がっているぼくにも伝わってきます。ご主人がやる気満々で楽しいので、ぼくもやる気満々です。

 人間の生息地を街といいますが、この街に一番多い、飾り気のない灰色の石をくり抜いた大きな建物です。初めてこの街に来た時ご主人が、お世話になるおうちを見て、この世界にもガラスがあった! と感動した木枠の扉や窓が、この建物にも石のくり抜きに合わせて二重に嵌めこまれて隙間を塗り固められています。

 両開きの大きな扉は、全開したら荷馬車でも通れそうです。今は、片方だけ開かれていて、ひっきりなしに人が出入りしています。今は夏で、ヴォジュラの人は暑がりなので、ヴォジュリスティの主だった施設の入口は、出入りの効率を高めるためと外の風を取り入れるために、開放してある所が目立つのです。

 出入り口の上に、壁を穿ってこの建物の用途を記した文字の連なりがあります。

 ご主人は今、ヴォジュリスティの目抜き通り沿いにでっかく聳えるヴォジュラ観光治安維持組合本部前にいます。そう書いてあるのです。ご主人がそう読み取ったから、ぼくにもそう認識できるのです。

 まさにこれから、ご主人は、ここに踏み入ろうとしています。

 ぼくが生まれる前からずっとのご主人の夢は、組合員になることです。別に組合員でなくてもここへの出入りはできますが、活動するためには正式に組合員にならねばなりません。

 ご主人は、勇んで開け放たれた入口をくぐりました。


 中は、高さはそれほどでもありませんが、広さはぼくたちの森の中のおうちがすっぽりと入ってしまうくらいに大きなお部屋になっています。

 入り口から向かって正面から右側は、柱が数本ある他には仕切りのない空間が広がっていて、人間が食事や休憩をする時に座る家具がたくさん置かれています。

 入り口から真っすぐ行った突き当りの奥の壁一面に穴の開いた木材の板が釘にひっ掛けられていて、人間の文字がびっしり。

 ご主人の興味がちらっとそちらに向けられましたが、すぐに何かを探すようにざっと部屋中に視線を走らせました。

 人間もたくさんいて、正面の壁の前にばらばらに立っている人や家具に座っている人、書物台に紙を広げてペンを走らせている人、隅っこで荷物を広げて何やら探しているような人。みんなご主人を見ると、面白がるような様子になります。

 ぼくは人間の顔立ち顔つきの区別はあまりつきませんが、ご主人の感覚を通して伝わってくる気配からはそんな感じがします。ご主人が組合員の平均よりも若くて小さくて弱そうだからだと、ご主人は考えています。

 だいじょぶです、ご主人! 若くて小さくて弱いのは、生き残りさえすればこれから歳を取るにつれて大きくて強くなっていけます! ご主人は生き残るためにたくさん修業してきました! これからは飛翔の時です! ぼくたちの群れの一番強くて大きいおとうさんと次に強くて大きいおにいさんも、そう言ってくれています!

 向かって左側は、頑丈そうな壁に仕切られていて、壁に柵の嵌った窓がいくつも切られています。上の壁には窓口の種類を示す看板が取り付けてあって、そのうちのいちばん手前の一つを目指してご主人は歩いて行きました。

 その窓口の看板には『総合案内』と書かれています。

「ごめんください」

 ご主人が緊張して声をかけると、格子窓の向こうにいる人が、物腰柔らかにご主人の挨拶に応じました。

「ようこそ、観光組合ヴォジュラ本部へ。ご用向きをお伺いいたします」

 ご主人は緊張の面持ちで、でもおんなじくらい期待に溢れた気持ちで、姿勢を正して名乗ってから答えます。

「ぼくはケイセイ・エミと申します。今月の講習受講の申し込みに参りました。ゆくゆくは正式な会員登録を前提にしています。どうぞよろしくお手続きください!」

「かしこまりました。今月の講習は14日です。組合登録を目指す方向けの一般教養の部と技能強化の部がございまして、一般教養の部は鐘三つ目から、技能強化の部は鐘六つからとなります」

 ご主人の声は常よりだいぶ上擦っていましたが、受付の人は態度にも表情にも表さず、たぶん誰に対しても同じ事を言っているのだろうと思われる文言を穏やかに言い返しました。ご主人の感想によれば、ぷろふぇっしょなるという称賛に値する対応らしいので、ぼくもそう思うことにします。

「受講料は各部毎20フェルとなっております。両方のご参加では40フェルとなりますが、いかがなさいますか?」

「両方の受講を希望します!」

「では40フェル、お支払いいただきます。お支払いはフェル通貨の他にはシリン通貨のみ受け付けております。シリンですと大2と小3となります」

「フェルでお支払いします」

「……はい、確かに。ではこちらの用紙に必要事項をご記入いただきます。ご記入のお手伝いは必要ですか?」

 お財布を懐にしまいこんでいたご主人は、受付の人の言葉の意味がわからなくてきょとんとしました。

 お財布は布製の巻物型で、紐で首から下げて襟元から出し入れしています。考えつく限りのスリ取られにくさを追求した結果、使い勝手の悪い品物となっていますが、ご主人は故郷のおねえさんが作ってくれたこのお財布を肌身離さず愛用しています。お風呂に入る時にはぼくが預かってご主人の視界の隅っこで待ってます。せきゅりてーは万全です!

「この用紙の、項目毎に後ろの空欄に記入すればよいのですよね? 何かお手伝いいただかないと書けない難しい問題があるのですか……?」

 目を皿のようにして貰った紙を眺め回すご主人のご様子に、受付の人は苦笑したようでした。

「……いえ、そうしていただいて結構です。組合にお見えの方の中には、時々読み書きが不確かな方もいらっしゃいますので、お尋ねすることになっているのです。また、受講料にはこの申込用紙の代金も含まれておりますので、書き損じなどで用紙をお取り換えになりますと追加の用紙代が発生いたします。ご希望の方には、面談しながら代わりにこちらで記入させていただきますが、ご自身でご記入いただけるのでしたら問題ありません。あちらが書物台となっておりますのでどうぞご利用下さい」

 受付の人は心持ち声を潜めてそう打ち明けました。

 つまり、初等教育が完了していない人もやってくるのですね。もしかしたらこの場には、そういった経験を経て組合員になった人もいるのかもしれません。

 このヴォジュラ領は王国全体から見れば辺境です。その更に田舎となると、学問所がなくて読み書きもままならないところもあるのだそうです。

 そういう人に基本的な読み書きや算術を含めた一般教養から、実際に組合員になってから行うことの一部を体験的に学ばせてくれるのが、今回ご主人が申しこもうとしている組合主催の講習というものなのです。ご主人にこの講習の存在を教えてくれた人が、そう言っていました。

 ご主人はごわごわした手触りの紙を捧げ持ち、言われた方へ向かいました。そこには人がいましたが、その人は何も言わずに台に広げていた巻物を半分巻き取って場所を詰めてくれました。

「ありがとうございます。お邪魔します」

 ご主人は先客が空けてくれた場所に自分の書類を置き、紐の付いた共用備品の筆記用具を取りました。人間の街に来てからよく見かける水鳥の羽根の先に金属製のペン先が付いたものです。ご主人はこの筆記用具の扱いが苦手なのですが、それを丁寧さで補っています。

 書類へ記入する事柄は、そんなに多くありませんでした。お名前と年齢と性別、現在の住所とあれば仕事、不在時の連絡先くらいです。組合外部の人が気軽に参加できるようにしてある催しなので、ここでは煩いことは言われません。ただし組合へ正式登録する手続きとなると、申告内容を時間をかけて精査するのでめんどくさいそうです。

 ゆっくり丁寧に書類へ記入しながら用心深く周囲の反応に注意を払っていたご主人の五感は、建物の中にいた色んな人の耳目がご主人に向けられていたことを知覚していましたが、そのうちのいくぶんかは、ぼくにも向かっていました。

 誰ですかね、「非常食」なんて呟いた人は! ぼくは栄誉ある魔術師の使い魔です! その辺の食べたらおしまいのヤギと一緒にしないでいただきたいものです!

 先輩組合員はそれぞれなにかしらの作業中で、それを中断してまで交流を図ってくる人はいませんでした。ご主人も新人ですらない志願者の立場で先輩組合員にすり寄るのはおこがましいという考えから、積極的に話しかけたりはしませんでした。

「……ところで、今回の申請は受講のみですか? 併せて会員登録申請はなさいませんので? 講習の結果次第では登録審査のいくつかを省略できますよ」

 書き終えた書類の提出に再度うかがった受付の人の親切な助言に、ご主人はしょんぼりと眉尻を下げました。

「残念ですが、まだ家族から会員登録を許されていないのです。講習に通うことまでは認めてもらいました。もっと勉強して腕を磨き、父と兄の許しを得られ次第、会員登録申し込みしたいと思います」

 ヴォジュラでは、年配の家族の権威が他領よりも大きいのだそうです。父や兄がダメと言うからダメ、ということで大抵のことは納得してもらえます。

「そうですか。頑張ってくださいね。正式な組合員として仕事をご紹介できる日をお待ちしています」

「はい! ありがとうございます、頑張ります! 失礼いたします!」

 ご主人は扉をくぐる前に、その場にいたたくさんの組合員の先輩たちに真っ直ぐ向き直り、腰を折ってお辞儀をしました。


 建物を出ると、道を挟んだ向こうで雑踏に埋れているにも拘わらず一際存在感のある肉厚の人間が振り向いて、片手を上げました。

 ぼくたちの実家に毎月荷物のお届けにやってくる赤毛の一族の家来の人で、お名前はジェスロといいます。

 傍らには彼の愛馬のディクサドンがいます。長めの毛に覆われていても筋肉の緩急がくっきりと見て取れる惚れ惚れする馬体と、人の頭よりおっきな蹄のマズリ馬です。

 ジェスロの正面には、道端に簡単な調理道具とそれで作った食べ物を並べている、屋台という人がいます。見れば、何かを食べている途中だったみたいで、手には何も刺さっていない串を何本も持っていて、口の周りの短いお髭に汁が付いて濃い色になっています。

 そういえば、ご主人が書類を書いている時に、四の鐘の音がしていました。そろそろお昼時です。

 ご主人は無駄遣いはしない主義なので、ごはんは必ず宿舎の食堂で配給食を食べます。おかわりはできませんが、親切なおかみさんたちが多めによそってくれたりおまけをくれたりと、ご主人がひもじい思いをせずに済んでいるのが幸いです。

 屋台さんに串とお金を渡したジェスロは、ぼくたちに近づいてきました。

「よう、憧れの組合はどうだった?」

 背丈は人間としてはそれほど高くないのですが、体は筋骨たくましく分厚くて、ずっしりと大きく見えます。口を大きく開けて白い歯を見せ目尻を下げる顔のお肉の動きが大きくて感情表現豊かなので、ぼくにもなんとなくですが表情がわかるのです。ご主人の認識を読み取って答え合わせしてみても、今は笑っていると見て間違いないようです。

 ご主人と感覚を共有していないとお知り合いの感情一つ察知できないぼくは、普段から人間を観察する時にはご主人頼みです。ですからぼくの人間の様子の受け止め方は、ご主人の感性そのものなのです。

 ご主人は建物の中では抑えていた興奮と感動を爆発させ、身振り手振りを交えて熱く語りました。

「緊張しました! 同じくらい興奮しました! 思い描いていた組合の雰囲気と大体同じでした! 中にいる人たちも皆さん百戦錬磨の強者という雰囲気で、じろじろ眺めたりしないように我慢するのが大変でした! 早く腕前を上げて、一人前の組合員になりたいと改めて思いました! 講習の日が楽しみです!」

 二人並んで歩き出しました。ディクサドンは手綱を引かれるままに大人しくついてきます。いつもたくさんの荷物やジェスロを載せている広い背中に、今日は鞍に引っかけられた鞄一つだけです。

『今日は、気楽なお出かけですか?』

 ぼくは、ご主人の肩からせいいっぱい伸びをして首を上げ、ディクサドンに話しかけました。

『いんや、あちこちお店回る用事だぁ』

 ディクサドンはのんびりと答えました。ご主人の森の中の実家をはじめとして、辺境の森のかんりにんという人々の物資の手配は、この人たちのお仕事なのです。ひと月に数日しか街にいませんが、その間もこうして街中を走り回っています。

「ジェスロさん、講習のことを教えてくださって、本当にありがとうございました!」

「はは、今の職場に来る前は組合員やってたこともあったからな。厳しい父兄の妨害に遭い組合登録ならずしょぼくれてる後輩見てたら、そーいやそんなのもあったなと思い出したってわけよ」 

「ジェスロさん、それは違います、妨害ではありません。父と兄はぼくが分不相応な勇み足で命を落としたりしないように、ぼくの将来を案じて大事を取ってくれているのです。二人がこれくらいの腕っぷしがあれば自分の命を守れるとみなして約束した条件を満たせない、ぼくの力不足です。その水準の設定も、父と兄はだいぶ妥協してくれているのです。これ以上贅沢を言っては聖霊の罰が下ります」

「お前さんが心からそう信じてることと、ジェオの奴が過保護拗らせて目が曇ってることはよーく伝わってきた」

「兄は過保護ではありません、どちらかというと放任主義です。優しくて、責任を果たすことに誠実でいるだけです」

「これを聞いた奴の面を拝んでみてェよ」

 ジェスロは遠い空を仰ぎながら平板な声で言いました。

「午前の部は座学が主のようですので、少しお高くなりますが雑記帳くらい用意して行った方がいいでしょうか。ああ、それを組合にいる間に思い付いて訊いておくべきでした! ジェスロさんはどう思いますか? 他領から取り寄せた紙の雑記帳なんて相当の贅沢品になってしまいますが、使うべき所で使った方が長い目で見れば良い買い物のように思います。実際の組合のお仕事では、書きつけなんてしている暇はないのでしょうか?」

「あん? お前午前の部も取ったの? お前にゃいらねぇだろ。ありゃあ学力足りねえ奴に読み書き計算とか地図の読み方教えたり、街の施設機能やら郷土史紹介とかの、ド田舎出身とか領外から来た奴向けの一般教養だぞ」

「そういうお勉強は大好きです! 特に地理や歴史はいつでも自信が足りません!」

「そりゃあ胸張って言うこっちゃねえなぁ。んで、お前さんこれからどーすんだ? 今日一日休みだろ」

「……もしやジェスロさんは、ぼくを心配して様子を見に来ましたか?」

「いんや。実はお前さんが留守してる間に、ちと用ができて呼びに来た。ただ、急ぎじゃねえから予定があるなら消化してから帰りゃいいぞ」

 ご主人はちらっとジェスロの四角い顔を見遣って、思案しました。二人が今いるのは、まっすぐ北に向かえば領主館への最短経路となる目抜き通りです。すでに二人は北へ向けてのんびりと歩いていたのですが、ご主人は心持ち足を速めました。

「いいえ、すぐ帰ります。ここではお聞きしない方がいいですか?」

 すると、ジェスロは喉の奥でくっくっと変な笑い声を上げて、ご主人の背中を肉厚の掌で叩きました。筋骨たくましいジェスロの親愛の表現はバンバンと痛そうな音がします。しっかり体を鍛えているご主人でなければ、よろけて躓いているところです。

「いい子ぶりやがって。折角の休みの日くらい子供らしくできんのかね。別に機密事項じゃねぇよ。宿舎のお前さんの部屋に泥棒が入ったんだ」

「それは急ぎのお報せと言いませんか!?」

「大丈夫だよ、何も盗られてねえから。下手人もその場で捕まってて犯行を認めてるし、逃げる心配もいらん。戻ったら聞き取りやなんかで時間食うから、用があるなら済ませてから帰りゃいいさ」

「そういうわけにはいきませんよね!? 色んな人を無駄に待たせますよね!? すぐ帰ります! 報せてくださってありがとうございました! 失礼いたします!」

 ご主人は慌ただしくヴォジュリスティの通りを走り始めました。

「おー、じゃあなー」

 ジェスロの姿が、あっという間に人ごみに紛れて見えなくなりました。

 ご主人、急いでお帰りですか? ぼく、大きくなりますか? ぼく、お役立ちですよ!

 ぼくはご主人の騎獣も兼ねているので、ご主人とご主人の荷物を背中に乗せて最高速度で走り続けられるくらいの、大きく頑丈な形態をとることができるのです! 辺境の隅っこの森の中の実家から、ここまでぼくに乗って街まで出てきたのですよ!

 ご主人はぼくのやる気を察して、心の中で否定の意を返しました。

 目抜き通りの賑わいの真っただ中にいるぼくたちの周りには、大勢の人間が行き交っています。馬に乗って移動する人も珍しくありませんが、ぼくは仔ヤギの姿なので悪目立ちしてしまうのです。ご主人は急いでいても極力派手な振る舞いはしたくないのです。ジェスロは急がなくていいと言ってくれましたし、今はその言葉に甘えることにしたようです。

 なので、人や物にぶつからないように走って、領主邸に帰りました。

 ヴォジュリスティの大通りには馬連れで血相を変えて走り回っている人なんていくらでもいるので、使い魔連れの少年一人が全力疾走しているくらいでは、街の人の目に奇異に映ることはないのです。



「ごめんください! 資材部集配五班のケイセイ・エミです! イズリアル様の直属のジェスロ・アグエアス氏から、戻るようにとお言伝をうかがって戻りました!」

「通用符を拝見」

 領主邸の使用人用の勝手口にご主人が駆け込むと、四人一組で常駐している門番が、ご主人が差し出した使用人用の通用符を受け取り、少し待つように告げて門番詰め所に入っていきました。

 待っているこちらからは見えませんが、詰め所内で全使用人の通用符を照合する帳簿をわさわさと捲る音がします。使用人は外出する時にここで通用符を受け取り、帰って来た時に返却する決まりです。誰がいつからいつまで外出していたかを記録しておくのだそうです。

「確認完了した。ケイセイ・エミは、至急、本館の警備部本部へ参るべしとのお達しだ」

「はい!」

 本館というのは領主一族が暮らしていて、それを補佐する文官や武官の中でも偉い人が集まってお仕事をしたりする場所です。ご主人が従事している荷運びは偉くなくてもできるお仕事なので、本館に立ち入ることはありません。初めてこの街に来た時に領主様とお話しさせていただいたのと、あとは去年の冬に領主様のお嬢様やそのお友達に呼ばれてお傍に上がった時くらいです。

 そういえばお嬢様も、ご主人のおねえさんを知っているみたいです。ご主人と初めて会った時、『お姉様はお元気でいらして?』と尋ねられました。一目で血縁関係を見抜かれる程、似ているのでしょうか。ぼくにだって、ご主人とおねえさんの区別くらいはつきますけれど。お嬢様はその後もご主人と手合わせをしたがっては、ご主人に忖度とは何ぞやと深く考えさせたりしていました。決して悪い人ではなかったのですが、ちょっと扱いに困る感じの人でした。

 使用人の宿舎に入って本館への連絡通路を抜け、今度は本館を守っている兵士から本館への入館許可を得る手続きを踏んで指示された場所に行くと、そこには実家のおにいさんがいました。

 なんだかぴりぴりして張り詰めた空気の場所だなと思ったら、その空気の中心に静かに座っていたのです。ぱっと見そこにいることがわからないくらいひっそりとしているのに、そこに詰めている兵士たちがどうしても意識してしまい、それが流れを作って渦を巻くのです。

 実家のおとうさんとおにいさんは、そういうところがとてもよく似ています。

「お兄様、ただいま帰りました! ぼくを待っていてくださったのですか?」

「ああ。せっかくの休みなのに災難だったな」

 笑顔でご挨拶をするご主人におにいさんは手短に答えて、ぐっと声を低めました。

「事態が変わった。また移動する」

 おにいさんが先に立ち、ぼくとご主人、それと兵士三人がついていくことになりました。おにいさんへの畏怖はともかくとして、忠実かつ勇敢に職務を果たすのがヴォジュラ兵士の誇りです。

 おにいさんは早足で、どんどん人通りの少ない方へ進み、どんどん暗い所へと階段をいくつも降りていきました。

「盗っ人は地下牢だ。おまえの剣を盗もうとしたようだが、付与されていた保護の魔法が発動して隔離するしかなくなっている」

 人気の少ない所へ移ったところで、おにいさんは振り向かず進みながら口を開きました。兵士の耳を憚って、実家の内情が漏れそうなことには触れません。例えばおねえさんのことなどです。

 ご主人には同じ親から生まれた姉がいます。変異してご主人とは種族が異なりましたが、二人は今でも仲良しです。

 そのおねえさんが、年末の里帰りをしたご主人に、自作の魔法の剣を贈りました。ご主人のお役に立つようにと、たくさん魔法を込めたんだそうです。吸い込まれそうな真っ黒の中に星空みたいにたくさんの色がきらきらしている不思議な剣です。ご主人はこんな目立つ物使えないし街では真剣を持ち歩くには許可が必要になるからと断ったのですが、使わなくても所持していればお守りになるからと熱心に促され、じゃあ持ってるだけならと受け取ったのでした。

 あの剣が原因で事件が起こってしまうなんて……実はぜんぜん意外ではありません。

 いつか何かが起こるという気はご主人もしていました。だからご主人は産廃剣と名付けた(おねえさんはその名付けに抗議していましたが、ご主人は聞き入れませんでした)その剣を自室の物入れの奥にしまいこんで、誰にも見せずにいたのです。

 でも、支給品の鍵の付いていない物入れなので、覗こうと思えば覗けてしまいます。つまり、下手人は意図して他人の物入れを漁ったということです。なんと不届きな輩でしょう!

 ご主人は頭を抱えました。

「あれをですか……魔法ということはやっぱり、あの声がするやつですよね……? 街に帰ってきた時の検問で、とてもいたたまれない思いをしました……」

「……そうだろうな」

 重たそうなおにいさんの口ぶりに、どこか呆れとも疲れとも取れるような気持ちが滲んでいるのは、おねえさんが関わっているからなのでしょう。

(こんな時間差で問題発生かい! まじでねーちゃんが張り切って魔法使うとロクなことが起こりくさらん!)

 ご主人の心の声は、王国の人間が話す言葉とは違う響きをしていて、とても悪態じみています。けれど、おねえさんが悪さをしようとして魔法を使うわけじゃなくて、ご主人を愛しているからこそだと理解しています。ご主人の口が悪いのは、心がおねえさんへの愛で満ちているからです。人はそれを甘えと呼ぶそうです。

 兵士のうち記録係だという筆記用具を手にした一人が、更に詳しく説明してくれました。

「下手人は資材部食品3班所属デューイ・バラー。知っていることと思うが、貴殿の相部屋の男だ。バラーは、捕縛直後この剣は自分の物だと主張していたが、後に窃盗を認めた。今年ゆきわたりの月7日の街の検問通過記録で、この剣がケイセイ・エミが持ち込んだ品であることは確認されている。その後バラーに譲ったということは?」

「デューイさん……? いいえ、譲っていません。部屋の物入れの奥にしまって、誰にも見せたこともないのです。少なくとも、ぼくからは」

 ご主人は茫然と呟きました。その口調からふつふつと確信と憤りが吹き零れてきます。

 歳の頃が近く明るく気さくなデューイは、ご主人とも気が合っているようでした。その人が、ご主人の私物を盗んだのです! ご主人が今感じている憤りの半分は、街に出てくる前に人間は悪意ある生き物だから警戒を怠るなと忠告をもらっていたにも拘わらず、隙を作った自分へのものです。

「細かな事は後で聴取に応じてもらわねばならぬが、今はまず、剣の魔法を解除してもらうのが先決。よろしく頼む」

 兵士はそう結んで、移動しながらの会話をいったん打ち切りました。

 途中から、廊下がとても狭くなって、まだお昼過ぎなのに本部から持ってきた手燭の灯りだけが光源になってしまう程に暗くなってしまいました。ご主人はまっ暗闇でも見通せる魔法のかかった耳飾りを付けていますから足を踏み外す心配はいりません。おにいさんにとっても暗闇は恐るるに足りないもので、一切躊躇のない足取りで一行を先導しています。兵士たちは灯りを頼りに、足元に注意しながら歩いています。

 みんなの足音がやけに大きく響き渡ることが、印象に残りました。

 広さはそれほどでもないけれど、とにかく深ーい大空洞が地下にずーっと続いていて、空気の流れも感じることが出来ます。ところどころ壁面に通路が掘り抜かれていて、更にお部屋を設けられているようで、扉の連なりが見えます。

 この広い領主邸の敷地内に、こんなにも地下深くに下りられる場所があったなんて、ご主人もぼくも知りませんでした。

 いいえ、ご主人は、領主のお城にはきっとこういう場所があるに違いないと想像していました。予想が裏付けられましたね、さすがはご主人です!

「だいぶ深く潜りましたね。一体どこまで行くのですか」

「地下六階の独房だ。声がだんだん大きくなっていったのだ。そのうち同じ階層の人間全員に知れ渡るほどの大声で喚き散らすようになって、他の囚人まで殺気立つ始末でな。やむなく誰もいない階層に移した」

 兵士の説明を測りかねてご主人が首を傾げた、ちょうどその時です。ぼくらの足音と話し声の反響音の中に、違う人の声が混ざってきました。

「どろぼーっ……!」

 こんな場所には似つかわしくない、甲高いおんなの人の声です。ここにいないはずの、おねえさんの声です。

 ご主人が目を剥きました。

「……ここ、まだ地下五階ですよね……? こんなに大きくなったのですか!?」

 確かに、地下六階から聞こえてくるというなら、とっても大声です。半年とちょっと前にこの街の検問を通った時、荷物を検めていた兵士が産廃剣を手に取って発動した際には、こんな広範囲に響き渡るような大声ではありませんでしたよ?

「どろぼーっ! どろぼーっ! この人はどろぼーです! この人の罪を糺して下さい! 盗まれた物を持ち主に返してください!」

 おねえさんの声はどんどん近付いています。そしてどんどん大きくなっています。空洞に掘り抜かれた通路の一つを曲がってその奥へと進み始めた頃には、もうぼくたちがお話をしようとして傍で大声を張り上げても掻き消されてしまうくらいの騒音が、絶え間なく通路を満たしていました。

 目的のお部屋だという扉の前に立った時には、狭い通路にぐわんぐわん反響して何重にも耳を打ち、頭を叩かれているように感じられるくらいです。耳はもちろん、頭まで悪くなってしまいそうです。ここに長くいたくありません。

 兵士が扉を開くと、大音響が溢れ出してきて更に威力を増しました。中にいた人は、もう頭まで悪くなってしまっているのではないでしょうか。あっ、扉を開けたこの兵士、耳栓をしてます。どこまで効果があるかはわかりませんが、ないよりましには違いありません。

 中にはデューイが一人で壁に繋がれていました。すっかりくたびれた様子で蹲り、片手で頭を覆っています。

 もう片方の手には、長い棒状の物が握られています。ご主人の産廃剣です! 盗品をこんなところにまで持ち込んでいる……わけではなく、手放すことができないのです。検問の時もそうでした。

 デューイはご主人を見ていませんでした。表情は既にうつろになっていて、涙と鼻水とよだれで顔中べしゃべしゃになっています。

「この人はどろぼーです! この人の罪を糺して下さい! 盗まれた物を持ち主に返してください! この人はどろぼうです!」

 なにしろ、この狭くて暗い地下の小部屋で、ご主人風に言うならば壊れたチクオンキのように同じことを途切れることなく繰り返すこの声に晒され続けているのです。ご主人が出かけてすぐ犯行に及んだとして、それからずっとなら、もう鐘が二回鳴っていて、そろそろ三回目が鳴るくらいの時間が経っています。きっともう頭が悪くなっています。

「あの剣を止めてくれ! 検問記録によれば、貴殿にしか止められぬとあった!」

 本部からついてきた兵士の一人が急にご主人の肩を掴んで揺すりました(呼びかけだけではどろぼう非難の声に掻き消されてしまい聞こえないのです)、ご主人の肩にいたぼくは飛び上って転がり落ち、おにいさんの掌に受け止められました。

 おにいさんはそのまま、ご主人の外套のフードの中にぼくをそっと入れてくれました。

『ありがとうございます、おにいさん』

「ああ」

 さて、兵士の言った通り、このデューイを非難するおねえさんの声は、彼が握る剣から発せられています。そういう魔法を、おねえさんがかけたのです。剣に魔法をこめたのも、剣の持ち主をご主人に定めたのもおねえさんです。おまじないの全てが、ご主人を中心にまとまっているのです。要を欠けば魔法が乱れるのは当然です。

 ご主人は暴力的な音響に顔をしかめながらもデューイに近づいて行って、鞘の上から剣を握りました。

 デューイは反抗しませんでした。もしもご主人に攻撃してきたら、ぼくが飛びかかってガブリとやってやるところだったのですが。普段は隠していますが、ぼくは鋭い牙も爪も生やすことができるのです! ぼくは主をお守りするために研鑽を怠らない、良い使い魔です!

 デューイの指から力が抜けて、産廃剣はご主人の手に移りました。途端に剣は何事もなかったかのように沈黙しました。

 急に訪れた静寂が、不思議と耳に痛く感じます。

 おにいさんが無言で、ぶわりと気霜を立てました。兵士二人も安堵の息を深々と吐いています。

 ご主人は、少しの悔いの残る声で呟きました。

「もっと急いで戻ってくるべきでした。すみませんでした」

 ここまでデューイに煩わされた兵士たちや、そしてたぶんですがデューイ本人に対しての呟きです。

 ご主人のせいではありませんよ。兵士たちはお仕事でやっています。どろぼうをした者が悪いのです。

 一番後ろで筆記用具を手にして一部始終を記録していた兵士が、ご主人に取り成すように話しかけました。

「始めのうちは、このような大声ではなかったのだ。この剣が魔化された品でその魔法が反応したであろうことは、その場に駆け付けた誰もがわかった。この声のおかげで周りの人間が一斉に駆け付け、部屋でうろたえていたバラーをすんなりと確保できたのだからな。身体検査も済ませてある。この剣の他には何も盗んではおらぬようだが念のため、後ほど部屋の私物を、特に小物を検めてもらいたい」

「承知いたしました」

「また、彼の処遇に関して貴殿には意見する権利がござる」

 兵士が見下ろしたデューイは、俯いたまま茫然としています。もしかしたら気絶しているのかもしれません。

 ご主人は傍に屈みこんで彼を助け起こしました。やはり気絶しています。

「大事にしたくはありません。できれば、この人を牢から出して、休ませてあげたいです。裁きの法についてはぼくはよくわかりませんが、穏便な決着を望みます」

「待て、ケイセイ」

 滑り込むような静かな声は、おにいさんです。

「ここはヴォジュラだ。誰もが自らを利する機を窺っている。情けにも意義あるものと無用なものがある」

「…………はい。それでは、問題を先送りにするだけになってしまうということですね?」

「そうだ」

 ご主人のお心を束の間捉えていた感傷を、おにいさんは見抜いていました。

 ご主人がおねえさんの魔法でひどい目に遭ったデューイに同情すれば、彼は自分の行いを棚に上げてつけこんでくるかもしれません。温情をかければ、悪さをしても許されると勘違いをして、同じ事を繰り返すかもしれません。もっと悪ければ、逆恨みをして仕返しをしてくるかもしれません。本人に盗人としての立場は突き付けておくべきだとおにいさんは言っているのです。

 実家のおとうさんが言っていたことを、ご主人は思い出していました。一度悪いことをすると、水が自然に下に流れて溜まって淀んでいくように、人間も悪い方へ楽な方へと落ちて行って腐ってしまうのだと。その積み重ねが、やがて引き返す道を見失わせ、おとうさんをおたずね者にしたのだと。歯止めをかけるのなら早いうちがいいのではないでしょうか。

「ゴーディアスもそう思いますか?」

「メエ!」

 はい、思います!

「この街にはこのくらい手癖が悪いやつはいくらでもいて、小さな失せ物程度は騒ぎにもならん。今回は騒ぎにこそなったが、その剣は仕事を果たしたのだ」

 ご主人に、街の人間を信用してはならないと一番熱心に言い聞かせてきたのはおにいさんでした。その理由の一端を間近に体験することが出来たというわけですね。

「……確かにその通りです。お兄様、ありがとうございます。やはりちゃんとヴォジュラの法に委ねて、処罰していただきたいと思います。兵士さん、お願いいたします」

「了解した。では、まず上に参ろう。状況と双方の立場はほぼ明白ではあるが、調書は作成せねばならぬ」

 兵士たちはデューイを壁に繋いでいた鎖を外して担ぎ上げ、来た道を引き返し始めました。ぼくたちもそれに続きます。やってくる時とは順番が逆になりました。

 ぼくとご主人が把握している限り、ヴォジュラの法はどろぼうに不寛容です。戦って勝者が敗者から奪うのは許されますが、それにも作法や良し悪しがあって、果たし合いには届け出が必要ですし、一方的に他人の物を奪うための私闘はご法度です。闇討ちや暗殺を含む謀略は唾棄の対象ですが、代理決闘士を雇うのは問題とされません。ただし戦う力や経済力に格差がありすぎたりしても名誉ある決闘とは見做されません。昔はもっとずっと野蛮だったという果たし合いの慣習を取り締まる掟を、領主一族が苦労して少しずつ浸透させてきたのだそうです。辺境領ヴォジュラの文明化は着実に進んでいるのですよ!

 ご主人は初めてそれを知った時、奪われないようにするためには強くなるしかないと、決意を新たにしたものでした。

 デューイがご主人の持ち物を欲しいと思っていたとしても戦いを挑んでこなかったのは、自分に正当性がないと認めていたということです。あと、たぶんですが、戦ってもご主人に勝てないと知っていたからでもあると思います。

 ヴォジュラ領主邸の使用人には武芸の心得も求められ、定期的に武術の講習を受けなくてはならないのです。その中で、自分より強い者と弱い者が自然とわかるようになります。遊び好きのデューイは体格こそ恵まれていましたが、使用人の中でも弱い方でした。

 それでもあえてどろぼうをしたというのは、そういうことですよね。そもそも普段は見ることもない同居人の物入れの中身に手を触れたなら、どろぼうをする意思があったのです。兵士の説明通りなら、見咎められて盗品を自分の物だと偽って言い逃れようともしています。

 ため息をついて兵士たちの数歩後ろに続くご主人の更に後ろから、おにいさんが低い声で話しかけてきました。

「そもそもおまえに不利益を被らせる要素とは徹底的に戦うように作られているのだ。何カ月もかけて知恵を絞りでき得る限りの手を打っていた。おまえのためにそこまで腕を磨いて正確に力を使いこなしたことを褒めて感謝してやれ」

 おにいさんは主語を省きましたが、おねえさんを弁護しました。おにいさんもおねえさんのどうしようもない欠点はよくよく理解していますが、ご主人と同じ境地ゆえに見限ることはできないのです。

「この事態は、いっそ暴走癖が仕事をした結果なのではないでしょうかと、ぼくは思わざるを得ません」

 口では悪態を吐きながらも、ご主人の心にはおねえさんへの感謝がちゃんと生まれています。ぼくにはわかります。たぶんおにいさんもわかっています。

「今回の目的は、他者の手に渡った剣をおまえの正当性を明らかにしつつおまえの手に返すこと。誰にも聞こえないような環境に移せば、聞こえるようにする。その手段が声量を大きくしていくことや盗人の体を乗っ取ることだったのだろう……恐らくな」

 おにいさんの、全部わかっているはずなのに取ってつけたような「恐らく」が白々しいです。でもおにいさんは人間の魔法については無知ということにしているので、推測の形を取るのです。

「……ちょっといいですか、お兄様。体を乗っ取るとは、どういうことですか?」

 すごく不吉な予感を覚えて硬い声で訪ねたご主人に、おにいさんは呆れとも感嘆ともつかない声で言いました。

「その通りの意味だ」



 隣の部屋の下男セルデンは、お仕事に行こうとして忘れ物に気付き部屋に戻ったところに突如響き渡った「どろぼう!」と叫ぶ甲高い女性の声に驚き(しかもここは独身男性専用宿舎です)、咄嗟に忘れ物ではなく棍棒代わりの椅子を担ぎ、現場に駆け付けました。

 ご主人たちのお部屋の上の階にいる友人を訪ねて階段を上ろうとしていた兵士のゲイルは、非番の時でも片時も放さない長剣をいつでも抜けるように構えて現場に突入しました。

 洗濯籠を抱えて裏庭を通過しようとしていた洗濯女中のパリエロは、籠の底に取り付けている短剣を抜き、籠を放り捨てて窓に走り寄りました。

 彼らが見たのは、叫ぶ剣を手にうろたえ、もぎ放そうと腕を振り「黙れ、黙れよ!」と喚いていたデューイでした。

 デューイは逮捕されて間もないうちは、兵士が話してくれた通り、産廃剣を自分の物だと主張したそうです。

 すると産廃剣は、それまでただどろぼうどろぼうと繰り返していた言葉を変化させ、今自分を所持している者は自分の所有者ではない、本当の持ち主から盗まれたのだと言うようになりました。

 するとデューイは、いや部屋の掃除の最中に荷物を移動しようとして触ったらこうなったのだと、言い訳のしかたを変えました。

 相部屋のお掃除は今までご主人とデューイが交代で行ってきましたが、こんな騒ぎが持ち上がることはありませんでした。お互いの荷物入れの蓋を開けて中身をべたべたと触るようなお掃除の仕方は、ご主人もデューイもしてこなかったはずなんですが、変ですねえ?

 産廃剣はデューイの言い分に抵抗するかのように、この者は所有者ではない、盗んだのだと、とにかく繰り返しまくったそうです。

 小一時間も経たないうちに、デューイは声に根負けして自分が剣を盗んだと認めました。

 ご主人がいつも私物の管理をきっちりとしていて大きなお買い物もしている様子がないので小金を貯めこんでいるに違いないと考え、ちょうど所持金が心許ないところでちょっと借りようと物入れを覗いたら、珍しい真剣が大事そうに奥にしまわれているのを見つけて真っ先に手に取った、と。遊ぶお金欲しさだったそうです。

 手に取った途端叫び出したのは周知の通り。同時に、産廃剣はデューイの手から離れなくなったのです。

 持ち主の元に戻るまで発動し続ける魔法なのですから、罪を認めたところで容赦してやる道理もありません。本人も手放そうと苦心していたようですが、彼はもちろん、他の誰にも引き剥がせなかったのだそうです。

 さすがにその頃には、デューイが紛れもなく盗人で、この剣が魔法の品で保護の魔法が発動しっ放しなのだということは、誰の耳目にも明らかでした。

 しかし確証もなく剣を黙らせる試みの一つとして腕まで切り落としてみるのはさすがに忍びないということで、近くにいる魔術師を呼んで、この剣の周りに音を遮断する魔法をかけたそうです。

 このお屋敷には魔術師資格を持つ人が何人もいますが、たまたま一番早く呼び出しに応じたのは、おにいさんの部署の先輩のハルという人でした。

 ご主人に魔術師の先輩として親切にしてくれて、会う度にぼくをかわいいかわいいと褒めてくれる良い人です。彼の使い魔のルクレシアスは猫から変化した使い魔で、ハルの懐で寝てばかりのぐうたらさんですが、毛艶だけはぼくも羨む美しさです。

 剣には強力な魔法が幾重にもかかっていて、ハルは自分の使えるどんな魔法でも剣本体にはいかなる効果も及ぼせないと即座に見抜き、それでもすぐに代替案を打ち出し実践したのです。魔術師として熟練かつ堅実な腕前の持ち主といえます。剣の周囲の空気に働きかけて音声が伝わらないようにする静寂の魔法を使い、しばらくの間剣の声を封じました。

 そうしたら産廃剣は、今度は自分を握ったままのデューイの体を乗っ取ったというのです。

 彼の口から私は泥棒ですと言わせ、それを繰り返すようになったといいます。本人も言いながら慌てていたそうですから、彼の意思による自白ではなかったのでしょう。

 その時は本部の一室で聴取の途中で、記録係が何を訊いても私は泥棒ですとしか返事をしなくなった……というよりは、それ以外の言葉を喋れなくなっていたようです。

 そんなことを続けているうちにデューイはすっかり参ってしまい、取り調べにも障りがあるということで、ハルの魔法は解いてもらいました。

 そして持ち主であるご主人へお報せの人を送り(たまたま近くを通りかかって、これから街へ出るというジェスロがハルに頼まれて引き受けたということだそうです)、事態の進展を待つことにしました。

 その間、周りの耳を憚って個室に一人入れていたら、剣の魔法はこのまま隠匿されるとでも判断したのか、声がどんどん大きくなっていって、ついには辟易した兵士たちによって地下の独房に隔離されました。

 そうしたらますます剣は声を大きくしていき、ぼくたちが行った時には地下空洞の一階層分を埋め尽くすほどの大声になっていた、というわけです。

 ご主人が行くのがもっと遅かったら、きっともっと大声になっていたのでしょう。



 ご主人のお部屋の荷物の中で、他に紛失物はありませんでした。

 聴取というものにも行って来て、ご主人が簡単な受け答えと意思表示をした他は、おにいさんが話してくれたことと大体同じ説明でした。

 おにいさんはご主人が帰ってくるちょっと前に出先から戻ってきて騒ぎを知ったと言っていましたが、何か厄介事が持ち上がったら即座に対応してくれるつもりで待機していたに違いないと思います。ちょっと前に知ったという割には、事情に詳しすぎました。

 産廃剣に関しては、赤毛の領主一族のイズリアルという人を含めて口裏を合わせて、「故郷の家族がごみ溜めの中から掘り出し、お守りに持って行けと持たせてくれたら自分が持ち主に定められてしまった由来不明の品」という、本当だから嘘を判別する魔法を使われても引っ掛からない、という設定にしてあります。

 故郷についても、辺境近くのレアボワという小村出身と言っておけば独自に調べられても大丈夫という、イズリアルさんと取り決めた暗号になっているのです。

 ここまでしていただいているのですから、あとはちゃんと自分で自分を守る手立てを講じねばなりません。

 今回のことはよい勉強になったと、ご主人は前向きに考えることにしました。



 おにいさんの気がかりは他にもありました。

「あれの対策はかなり多岐に渡ってこの剣に刻まれているようだが、見落としがないわけではない。例えば、この剣を手に入れるために、持ち主であるおまえを殺せば剣の呪いを無効化して奪えるのではないかと考える輩は必ず出てくるだろう。おまえに剣の解呪を迫るために、どうにかして弱みを押さえようといらん努力を重ねる奴も現れるかもしれん。おまえはこれまで以上に用心して人間社会に身を置かねばならないぞ」

「ぼくが魔法をかけた剣じゃないのですから、ぼくにだってどうしようもないんですけれどね……」

「今にして考えれば、バラーの腕を切り落としたところで剣が鳴き止んだとは到底思えん。もしもおまえを害したとして、それで何が起こるにしてもまんまと剣をせしめるという展開にだけはなるまいが」

「その場合、今回以上に迷惑な事態になるということだけは想像に難くありません。ぼくだってお姉様が無関係の人々に災厄を撒き散らすような事態を招きたくはありませんから、もうこの剣は、次の里帰りに持って帰って突き返します……」

 どっと疲れて肩を落とすご主人を、おにいさんは困ったような笑顔で励ましました。

「おまえを守るものであることは確かなのだ。今のおまえの器では扱いかねるというのなら、いったんそうするのもいいだろう。だが何より肝心な事は、ケイセイ、おまえ自身がこれからも用心を絶やさず、もっと強くなることだ。あらゆる艱難辛苦を撥ね退け、他者の支援を得ずともおまえの守りたいものを守れるように」

「……はいっ! 頑張ります!」

 人間は同族と同じ共同体で暮らすにも面倒な取り決めがたくさんあって生きづらそうだなあと、ぼくは時々思います。それでもご主人が街で過ごすことを望むなら、ぼくはついていくだけなのです。

憧れの冒険者への道のりは思いの外遠いようです。

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[一言] 本編の方もちょくちょく読み返しております! 丁寧なお答えありがとうございます。 なるほどそういうことなんですね~ このシリーズは設定に奥行きがあるというか世界観に立体感があって読んでて気持…
[良い点] ジワジワと更新されていて嬉しいです! [気になる点] ゴーディアスがお馬のディクサドンと会話していましたが使い魔は種族関係なく意思の疎通ができるということですか? お父さん(お兄さん)が異…
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