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3000年の腐れ縁

 じゅわじゅわ、じがじが。


 油の中であぶくをあげながら揚げられていく唐揚げを眺める。

 

 まるで地獄の亡者たちみたいだ。


 私の職場である地獄には休らぐ場所など、どこにもない。


 どこも熱した油のように熱くて、いまビールがキンキンに冷えている冷蔵庫みたいに凍えそうな寒さ。それが地獄。


 ちらりと見れば、あいつ……善晴はリビングで熱心に白胡麻をすっている。まあ、私がやれって言ったんだけど。胡麻の香り高い、アツアツごま油とネギみじん切りを和えたタレを、揚げたての唐揚げにジュワッとかけていただくのだ。隠し味は、ほんのちょっぴりの麺つゆ。


「ふふん、ばっちりね」


 シエルちゃん特製、油淋鶏(ユーリンチー)


 ほかほかの白飯にのっければ、衣の油をまとったタレが白いご飯をじゅんわり濡らす。アツアツを冷えたビールで流し込めば最高の最高。この私の誘惑に、この3000年間ピクリともしいないカタブツ天使クンを一撃で堕とす(ゆうわくする)のには十分。この油淋鶏で天国を見せてやる。


「わあ、めっちゃいい匂いするなあ」


 にへら、と天使は嬉しそうに微笑む。

 善晴の笑顔は、3000年前と変わらない。


 安心できて。

 柔らかくって。

 私の全てを包み込むような、優しい笑顔だ。


(……なんなのよ、こいつは)


 きゅうと唇を噛む。悪魔の私が、天使である善晴の家でこうして唐揚げを作っているなんて。そんなことが、地獄に知れたらタダでは済まないだろう。まさか敵と通じているなんて。


 通じている、なんていうものではない。


 毎朝のように家に忍び込んで、二度寝に誘惑。

 職場に凸してサボりに誘惑。

 帰りには美味しいお酒と栄養満点ハイカロリーな食事に誘惑。


 いやね、と。地獄の番人たちは諭すだろう。

 ――いやいや。完全にお前、アイツのこと好きだろ!!、と。

 クラスメイトを囃し立てる中学生のように、そう叫ぶに違いない。


「それでも、」


 からりと揚がった唐揚げを鍋から引き上げながら、思わずぽつりとこぼす。


 それでも。


 私は、善晴に対してそう振る舞わずにはいられない。


 だって、そう。


 この関係は3000年前に決定づけられた。私がかつて、人間から悪魔へと堕ちたそのときから、ずっと続いているのだ。




***



 その午後、荒野には雨が降っていて、私は死にかけていた。



「ああ、そんな……どうして」


 照りつける日差しと、動かない身体。

 死にかけた自分がみた幻だと、そう思っていた。


 真っ黒い羽根を背中から生やした男はシエルに囁いた。


「命を救ってやろうか」


 と。

 私は、一も二もなく飛びついた。


 だって、それは仕方のないことなのだ。

 親に捨てられて、幼い頃からお腹がペコペコで、足の裏をボロボロにしながら戦乱から逃げ出して、挙げ句の果てには人買いに攫われて――そうして、逃げ出そうとしたらこれだ。何にもいいことがないまま、誰にも優しくして貰えないまま、荒野で干からびて死ぬなんて。


 そんなの、耐えられなかった。


「命を救ってやろうか。……お前の魂と引き換えに。その、世界を恨み、世界を呪うお前に名前を与えてやろう」


 その言葉に、こくりと頷いた。

 血を吐くように呟いた。


「呪ってやる……こんな、馬鹿みたいな世界。全部呪ってやる」


「そうだ、お前はそれでいい」


 ハッと、我に返って見たときには。

 目の前に佇んで いた黒い羽根の男は、煙みたいに消え失せていた。

 そして、私の背中には。


「え、え、えええええ〜〜っ!!???」


 絶叫した。

 嘘でしょう。


「どうして、なんで……なんなのよっ、これッ!!!!!」


 醜く黒い、蝙蝠の羽が突き出ていた。


「こんな、嘘よ……私がどうして、悪魔? になんて……」


 何も。

 何も悪いことなんてしていないのに。

 何も、良いことだってなかったのに。


 どうして、私がこんな終わり方をしなくてはいけないのか。

 なんで、どうして――許せない。


 ちっぽけな女で、貧しかった。……とはいえ、それは珍しいことではなかった。


 今に比べたら人類全体が貧しかった。争いと飢えは世界中に転がっていて、私はそれを運悪く拾い上げてしまっただけにすぎない。そういう意味では、現代社会万歳だ。今でも争いと飢えは存在するけれど、それでも人間が生きるチャンスの総量は増えたのではないだろうか。


 かつての世の中で、私は極めて平凡な人間だった。もしも特異な点があるとしたら、そう。私が。際立って素直だったことだろうか。言い換えれば、そう、……馬鹿だったんだ。


 悪魔が目の前に現れたときも、取り引きを持ちかけられたときも、私はそれを疑うこともしなかった。疑う余裕すらなかったと言ってもいいかもしれない。あるいはそう、疑うことに疲れていたのだ。


「どうして、私だけ」


 悪魔の甘言に騙された私は、気づけば悪魔になっていた。

 身体は元気で、嘘みたいに飢餓感も疲労感も無くなっていた。


 けれども、私はすでに人間ではなくて。


 命を永らえる代わりに地獄の眷属として、これから長い長い時を生きなくてはいけないのだと――魂で理解した。


「どうしてなのよぉ……っ」


 気がつけば私はひとり、膝をついて泣いていた。


 地獄のために人間を誘惑して回らなくてはいけないと、なぜか頭ではわかっていたけれど。そのときには、ただただ泣くしかなかったのだ。

 



 何時間。



 何日。




 ――いや、何ヶ月経ったかも分からない。




 それほどの長い時間、荒野で泣いていたか分からない。


 声が。


 あいつの声が、私の耳に届いたのだ。





「少女よ。どうしたの、こんなところで。……って、あれ。悪魔!? うわ、やべっ、何やってんだ?」


 輝く白い衣。

 少し退屈そうな表情を作るタレ目に、ひょいっと通った鼻筋。

 優しそうな、表情。


 じっと目を細めると、背中に輝くばかりの(私のぼろくて黒い羽根とはまるで違う)純白の羽。

 頭上に輝く、光の輪。


「……て、天使さま?」


 私は思わず声を上げた。

 神々しい姿は、神様の御使いに違いなかった。


 優しそうだし、とってもきれい。


 だけれども、そのぶん私は後ずさる。


「ん、あれ? 悪魔だよな、君?」


 目の前にやってきた天使(仮)は、むむむと首を傾げた。


 私はそんな小さな動きにも、思わず身を硬くしてしまう。


 だって、そうだろう。


 天使様は、神さまの使いだ。

 悪魔は天使に滅ぼされる。


 みんな、そんなこと知っている。


 あの謎の男の甘言に騙された私は、自分の命を永らえることと引き換えに悪魔になってしまった。もしかしたら、あのまま餓死していたら、天国に召されたかもしれないのに。



 涙が、出てきてしまう。


 私ってば本当に運がない。


 幸せなことなんて全然ない人生。

 悪魔になってしまったうえに、その後すぐにこの天使様に殺されるんだ。


 苦しいのかな。


 痛いのかな。


 そんなことを思っていると、目の前の天使様はとても困ったような顔をして、ひょいっと私に手を差し伸べたのだ。


「ほら、立って。というか、立てるかい?」


「あの……わたしのこと、助けてもいいんですか? 悪魔、ですよ」


 私の言葉に、天子様はもっと困った顔になって口をへの字にする。


「そこは目をつぶってくれよ、こんなところでへこたれている悪魔を調伏したって、なんの誉れにもならないしさ。僕は、ヨシュア」


 ヨシュア。のちのちは善晴なんて名乗る天使様が、当時名乗っていた名前だった。


「ほら、これ。少しかじったら元気になるんじゃないか?」


 彼が懐から取り出したのは、固く焼いたパンだった。


 もうお腹はすいていないけれど、久方ぶりに食べるパンは美味しくて、ぽろぽろと涙がこぼれてきた。


「あり、がとう……ございます、ひぐっ、ぅえっ」


「悪魔が天使に感謝なんてするもんじゃないよ。じゃあ、僕はこのへんで」


 飛び去る天使を見上げながら、パンをかじる。


 行かないで、と言えなかった。


 だって、私は悪魔になってしまったのだ。


 美味しいものとかたくさん食べたかったし、ふかふかの寝床でたっぷり眠ったりもしたかった。大人になったら甘いお酒を飲んだりして。


 大好きな人と、私が作った美味しいごはんを一緒に食べたかった。


 ただそんな、当たり前の幸せが欲しかっただけなのに――、


***



「……エル? おい、シエル?」

「え?」


 ぼんやりしてしまっていた。

 すっかり濃い色に揚がった唐揚げを、慌てて引き上げた。


 完璧な揚げ加減よりも、ちょっとだけ火を入れ過ぎてしまっている!


「わ、わたしとしたことが考え事をしていたわ。くうぅ、一生の不覚!」


「ええ、悪魔の一生は長いぞ!?」


 善晴が、すかさずツッコミをいれてくる。


「まあ、いいわ。特製ソースをかけたら、少しの失敗くらいどうってことないんだから!」


 そう宣言すると、善晴のおなかが「ぐぅっ!」と鳴った。


 善晴は、すこしバツが悪そうに鼻の頭を掻く。


「すっかり、お前の誘惑にハマってしまっているのかもな」


 と、天使はぼやいた。


「昔は、ちくちくするワラのベッドで眠って、固い種無しパンをかじっていても全然大丈夫……っていうか、食事をしようなんていう気持ちにもならなかったのに」


 そして、善晴は冷蔵庫からよく冷えたビールを取り出す。


 ぷしゅうっと小気味の良い音がする。


 私は、その指先を見つめる。


 そう。善晴は、わたしの命の恩人であり、この3000年の腐れ縁を始めるにあたって手を差し伸べてきてくれた男だ(天使に性別はないらしいけれど)。


 人間から悪魔に堕ちた自分が、どうにかこの世界でやっていけているのは、あの日善晴が差し出してくれた固いパンがあったから。


 だから。


 誘惑にハマってしまっているのかも――なんて。


 そんな、嬉しいことを言われてしまっては。


「ん、なんだ。シエル、お前顔が赤いぞ?」


「へ? あ、酔ってるだけ!!」


「まだ一口も飲んでなくないか!?」


 善晴は言って、きれいなグラスに注がれた琥珀色のビールをくれた。


 彼の手にも、同じグラスが握られている。


「キッチンドランカーだなんて、悪魔的ね」


「言うなよ。つまみ食いが一番うまいっていうの、最初に教えてきたのはお前だろ」


 にやり、と微笑みあって揚げたての唐揚げをお行儀悪く指でつまむ。


「それじゃあ。今日という日に」


「乾杯を!」


 合縁奇縁の腐れ縁。


 3000年経っても、30000年経っても。


 美味しいごはんと、楽しい乾杯を。


 そのために私は、あなたをずっと誘惑し続けてやるんだから。

おしまいです。


思いつきで書き始めた短編ですが、こういう『ふたり』が私は好きです。お読みいただき、ありがとうございました。

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