1(シズク)
仮想西暦2060年3月某日(3日前) 午後7時過ぎ
「(なんで私、地面に倒れているんだろう?)」
それが白鳥雫の、人間として行なった最期の思考だった。
いたって普通の人生を歩んできた、はずだった。
普通の両親に生まれ、普通に公立の学校に通い、人付き合いも普通。こんな風に、血だまりに倒れる理由など無い、はずだった。
この日も、今朝は定時に起きて朝食をとり、仕事に行く父親を見送って、友達と行きつけのゲームセンターに遊びに行き、午後は部活動の引継ぎの為に登校。先日卒業した先輩たちを祝う追い出しパーティに参加して、後は普通に帰るだけ、そのはずだった。
その帰り道に、公園の茂みから猫の鳴き声が聞こえてこなければ。
それが海上都市を騒がせている、殺人鬼の罠でなければ。
「にゃ~ごぉ。・・・ヒヒ、なかなかの名演技だったろう、お嬢さん?」
自分の血を下品に啜りながら呟かれた、敵の声が耳に届く前に、雫の命の炎は消えてしまった。
しかし、幸か不幸か。この吸血行為が原因で、その消えた炎が再び彼女の体に宿る事となる。
それは、事件から3日後。彼女の棺が火葬炉へ入れられた直後だった。
*****
現在
『易占奇術』3階『占い処-アカツキ-』
「・・・目が覚めたら、自分の身体と周りが燃えてて、慌てて暴れまわったら、あちこち壊れて外に出られて・・・」
いまだに自分の置かれた状況に困惑しているのか、たどたどしく話す雫に、ヨミチが助け舟を出して話を引き継いだ。
「厚さ5㎝の鋼鉄製耐火扉を蹴破って、この子は転がり出てきたんだ。参列者がバラける前だったもんで、その場は大混乱だったらしいよ。でも、この子のクラスメイトが状況を早く飲み込んでね。祭壇のシーツをひっぺかして消火したり、焼け落ちた死装束の代わりに供えられてたジャージを着せてあげたりしたらしい」
その後、火葬場職員の通報により駆け付けた警察によって彼女は保護されたという。
「それがなんでウチに?・・・まさかヨミチさん、とうとう誘惑に負けて人さら・・痛ぁ!?」
「んなことするかい!あたしゃ確かに『夜道怪』だが、今のご時世で『仕事』以外に能力使う気は無いさね!!」
場を和ませようとしたのか、洒落になってない冗談を口にした卓也の額に、己のポーチを直撃させながら、ヨミチは啖呵を切る。
『夜道怪』は『夜道の怪』とも呼ばれる、埼玉県の伝承。白い装束をした僧侶の姿で、夜に出歩く子供を攫うとされている。
魔族にも人間の法が適用される現代では、それは立派な『未成年者略取誘拐』となってしまうが、ここは人と魔が共存する特区。街を管理する代表者たちは『夜道怪』が合法的に生活できるよう伝承の解釈を変え、『夜に出歩く子供を保護する』、要は生活安全課の補助員という役職を、『夜道怪』に与えたのである。
「あの、・・・私は誘拐されたんじゃないんです。ヨミチさんは、両親から私を助けてくれた、恩人なんです」
「両親って?」
ヨミチを庇った雫の言葉に、ミカは首をかしげる。が、数日前に夫婦がここを訪れた時の様子を思い出し、はたと気づく。
「もしかして、『反魔族主義者』だった?」
こくりと頷き返した少女に同情の視線を向けながら、ヨミチが説明する。
「特殊な事例ではあるけど、まだ高校生ってんで、この子は簡単な聴取の後、家に帰れる予定だったんだ。なのにあの夫婦、ロビーで面を合わせた途端、この子を『魔物』呼ばわりして引き取りを拒否した。あげく、母親の方は受付のプレートでこの子に殴り掛かった」
そこまでするか、という呆れを漏らしたのは、3人の誰だったか。その呟きを拾った雫は苦い顔でありながら、無理をして微笑んだ。
「その時、ヨミチさんが助けてくれたんです。母はそのまま、署員の方に取り押さえられて、父はいつの間にか、姿を消していました」
「・・・なるほど、それで後の対応に困って私たちを頼った、と?」
「普通なら児童相談所あたりが担当するべきなんだろうけど、この子みたいなケースは初めてでね」
「確かに、『死んだ人間が生き返る』なんて、魔族特区でも滅多にないからなぁ」
眉間にしわを寄せた卓也が、天井を仰ぎ見ながらこぼす。
「そうなのですか?でも、人間から魔族になる例は少なくない、と聞きますけど」
それに雫が不思議そうに問い返した。
自分が特別だと気づいていない少女に、似て非なる経験をした青年は説明する。
「確かに、世界が魔族と魔術を『公認』して30年。それまでおとぎ話だった魔族と人間の結婚や、事故・故意を問わず後天的に魔族化する事は珍しく無くなった。俺も2年前、腹を大きく抉られて、ミカに吸血鬼化してもらう事で生き延びたクチだ」
そしてシャツを捲まくり、腹筋の割れ目から右半分を覆う傷口を見せる。その時、彼のとなりに座る女性がそっぽを向いた事に、雫は気付かなかった。
シャツをもとに戻しながら、卓也は続ける。
「だけど、雫さんみたいに『完全に死んだ状態』から、魔族として生き返るなんて事は、自然な現象としては滅多にない。そう見えるケースでも、実は仮死状態だったってオチがつく。人為的に魔術で蘇生させる、という話も聞くと思うけど、あれは9割フィクション。実在する魔術では、死体を操り人形にするか、ナニカを憑依させて動かすやり方もあるが、あくまで『人の形をした血肉と骨の塊を動かしている』だけ。決して本人を甦らす訳じゃない」
「いわゆる『ゾンビ』や『フレッシュゴーレム』だ。有名どころでは『フランケンシュタイン博士の怪物』がそれにあたる。だが、雫嬢の場合は違うだろう。きちんと記憶も人格も生前のままだし、何よりそれら『ネクロマンス』との繋がりもなさそうだ。アレは現代じゃ、死体損壊の罪で捕まる代物だが・・・」
「同級生にオカルト研究会の部員が居ますけど、さすがに犯罪は・・・」
ララが挙げたゾンビ説は、雫も笑って否定した。
「では雫ちゃんが仮死状態だった、って可能性が浮かぶけど、これも否だね。運ばれた病院の医者と解剖した法医学の先生、ダブルチェックで、人間としての彼女が死亡している事は証明されているでしょう?」
「私も、事情聴取の時、自分の死亡診断書を見せられました。そういえば、アレをどうするかも、警察の皆さんは悩んでましたね」
「さっきも言ったけど、一般的には魔族化しても、死んだ事にはならないからね。戸籍の記載をいくつかいじる程度で済むんだ。・・・まぁ、戸籍の方は『危難失踪』での手続きが応用できそうだから、あまり気にしなくてもいいかも。・・・となると、俺たちがしてあげられる事は・・・」
天井を仰ぐこと数秒、ふと卓也は立ち上がると、壁の本棚から電話帳を取り出し、事務机の黒電話へ手を伸ばした。
「『連合』への連絡?」
ミカの問いかけに、受話器を耳へ当てながら、卓也は頷いた。
「そう。警察では、事情聴取だけだったんだろう?なら、今のところ俺達ができるのは、雫さんを『こっち側』のお偉方へ引き合わせる事ぐらい。それにあそこなら、『生き返り』の原因を調べてもらえるかも」
そして、心地よい金属音が鳴るダイヤルを回しながら、卓也は依頼人である少女に微笑みかける。
「大変な目に遭って来たけど、もう大丈夫。弊社『易占奇術』のサービス満足度は、島内ランキングで毎期ベスト10入りしておりますので」
「・・・えっと、はい」
何が大丈夫なのかよくわからず、雫はとりあえずの愛想笑いを返す。
しかし不思議と、彼女の心は、目覚めてから今までの間で一番、安らいでいた。