2(Laura)
仮想西暦1812年 初夏
オーストリア シュタイヤーマルク地方 某所
旧カールステン城
庭の池で蓮の花が見ごろを迎えている古城の前に、1台の馬車が到着した。
事前に時間を知らされていたのか、門前では使用人たちが出迎えの準備を済ませていた。
2人の女性を筆頭に並ぶ使用人たちは、皆そわそわと待ちきれない様子で、中には涙ぐんでいる者もいるほど。
それほどまでに、彼女たちは心待ちにしていたのである。
自分たちの仕える少女が、数年前の恐ろしい事件の傷を癒し、この古城へ帰ってくることを・・・。
そしてその焦燥は、馬車の戸が開けられ、中から親子が降りてきた時点で爆発した。
「「la jeune fille(お嬢様)!」」
筆頭にいた2人は、フランス語で叫ぶと、人目もはばからず駆けだした。
その声が馬車まで届くと、御者から荷物を受け取っていた娘は、駆け寄ってくる2人の姿をみとめ、とたんに満面の笑みを浮かべて、こちらからも駆け寄る。
「マダム・ペロドンっ!マドモアゼル・ド・ラフォンティンっ!」
蒼い瞳から涙をこぼし金色の髪を振り乱しながら、娘は、途中で立ち止まった恰幅の良い使用人の胸へ飛び込んだ。
「ただいまぁ!会いたかったわ。ねぇ、今夜はスープをつくってよ。私の好きなカボチャのスープ!もうパスタも海の幸もこりごり」
「まぁ、ローラお嬢様ったら。では残念ながら、お夕食はワインとパンだけになってしまいますよ。せっかくカルプフェン(魚のフライ)をご用意しましたのに」
マドモアゼル・ド・ラフォンティンは、そう悪戯っぽく告げた。
するとローラは、まぁ、と驚くしぐさで2人から離れると、前言を撤回する。
「久々のスティリア料理ですもの。今すぐにでもいただきたいわ」
「あらあら、4年間のイタリア旅行ですっかり、おてんば娘に逆戻りしてしまったのですね。これは再教育せねば」
「なら、紅茶の作法からですわね。直ぐに用意させますので、お嬢様は先に食堂へいらしてください」
マダム・ペロドンは、ローラを城の中へと促した。
ローラは頷くと、会話の間に他の使用人が運んできていた荷物を持つ。
そして反射的に、背後へと声をかけた。
「さぁ、いきましょうカー・・・あっ」
しかし、ローラの視線の先には、誰もいない。
「(あれから、5年も経ったのに・・・)」
もうこの世に居ない人影を探してしまった自分に気づくと、ローラの心中に、言葉に出来ない感情が、染みのように湧いた。
「・・・・お嬢様?」
ずっと立ち止まったままのローラへ、マダム・ペロドンが心配そうに声をかける。
「・・・ううん、何でもないわ」
誤魔化すように、持った荷物をより重そうに引き摺りながら、ローラ・は階段を上がった。
******
数ヵ月後
古城と言えど、カールステンは未だにその設備の多くが健在であった。
普段の質素な生活には必要のない区画も人手を使って整えれば、他の貴族を歓待するのに十分格好がつくようになる。
故に、療養旅行によって延期されていた、ローラの伴侶探し(要は婚活)も、候補者を招いての舞踏会という形で行われる運びとなった。
しかし・・・
*****
舞踏会当日 夜
「・・・ですので、我が領地は今後百年は安泰なのです。クライン嬢にも不自由のない暮らしを・・・・」
「まぁ、それは素敵ですわね(お父上の経営に興味すら抱かず、毎日遊び呆けているくせに)」
袖の下からカンニングペーパーが見えている青年貴族の言葉など、ローラの心には届いていない。
やがて、ローラの父クライン卿との歓談を終えた青年の父親が、息子をつれて離れていった。おそらく、与えられた客間で手応えを確認するのだろう。
「(・・・はぁ、どうして私、こうも殿方にときめかないのでしょう?)」
「・・・どうした?ローラ。具合が悪いのか?」
憂鬱な表情の娘を気遣い、クライン卿が声をかけた。
ローラは差し出された真水を一口含むと、躊躇いがちに頷く。
「ええ。先程から6人もの殿方と立て続けにお話ししましたので、疲れました。少し、部屋で休んで来ますね」
そしてローラは1人で、自室へと戻った。
*****
しばらくして ローラの自室
部屋には独り、というなかで、ローラはそっと窓の外を眺めていた。
ガラスの向こうには、昔遊び場にしていた広い野原が見えた。
そして脳裏には、5年前のある時期に、そこである少女と語らった思い出が浮かんだ。
本当は忘れ去らなければいけない、忌まわしいはずの記憶。
しかしなぜかローラには、先程の青年貴族たちとの会話よりも、その記憶の方が愛おしく思えた。
そしてついに、その名を口にする。
「・・・カーミラ」
父の知己の娘を殺し、自分の事も狙った悪魔の化身、吸血鬼。
その言葉の全てが、獲物を安心させるための嘘、蚊が血を吸うときに出す痛み止めと同じだと、彼女を葬った男爵はローラを諭した。
けれど・・・
「この世界の、いかなる殿方との交わりも、貴女との思い出には劣ってしまう。いえ、そもそも、あの時から私は、男になにも感じなくなった。そして・・・」
そのときだった。突然部屋の扉が、外からノックされた。
「・・・どなた?」
「あの・・・エミリーです。ハロルドの妹の。て、手紙を拾って、それで・・・」
問い掛けに応じたのは、ローラよりいくらか若い、少女の声だった。
「どうぞ、鍵は開いているわ」
部屋の主の許しを伝えると、扉は遠慮がちに開かれ、長い髪を後ろで括った、そばかす顔の少女が入ってきた。
先程、カンニングペーパーを仕込んで見合いに臨んだ青年の妹だ。城に到着した際、兄妹そろって、父親である伯爵から紹介された。
そしてそのあと、ローラは彼女に与えられた客室に、扉の下の隙間から、小さなメッセージカードを仕込んでいた。
「あの、ご用件は?」
こちらを警戒しながら尋ねてくるエミリー。まるで狼を前にした子羊のようなその姿に、ローラの内で、妖しい感情が起こる。
「ふふ、そう怖がらないで。ひとつ確認したいことがあったの」
部屋に一つだけのテーブルと、その上のチョコレートを勧めながら、ローラは語りかけた。
「確認、ですか?」
「私、半年前までイタリアに旅行で滞在していましたの。そこである時、貴女を見かけたのよ」
「っ!?」
イタリア、その言葉に、少女はブルリと震えた。が、それを誤魔化そうとした。
「な、なんの、事でしょう?わたしは、ウィーンから外へは、一度も・・・」
「『オリーブの枝』の看板。『パラス・アテナの宿』、だったわね」
「なっ、どぅして・・・わたしを、脅迫するおつもり!?」
逃げ出そうか迷い始めるエミリーに、ローラは優しい笑みを向け、首を横に振った。
「安心して、そんなつもりはないわ。だって、私もその時、隣の部屋を使っていたのですもの」
「え?・・・それでは、あなたも・・・『百合の花を愛でていた』?」
一転して緊張を解き、更にはベッドへと意味深な視線を向けるエミリー。
ローラは彼女の問いに頷くと、部屋の戸に鍵をかけ、エミリーをベッドへと誘った。
そして2人は、『禁断の愛』を交わした。
*****
「ああ、やっぱり・・・そういうことなのね」
隣で呼吸を荒くし失神寸前の状態でいるエミリーをよそに、ベッドから抜け出たローラは、その身体を、窓の外の満月に見せつけるように仁王立ちになると、独り言を呟いた。
そして、歪んだ笑みを浮かべながら、心の内を吐露する。
「男よりはマシだったけど、やっぱり物足りないわね」
そして、部屋の片隅に置かれた化粧台へ近寄ると、その三面鏡の中央の一枚に手をかける。
すると、鏡は隠し扉になっており、中には一冊の本が納められていた。
イタリア旅行中に、父に隠れて購入した古い書物。革製の装丁は不気味に赤黒く、仄かに鉄さびと脂の臭いがする。故に、香水の多く置かれた化粧台を隠し場所とした。
「・・・カーミラ。あなたにもう一度会える方法、ようやく見つけたわ。ルーマニア語で書かれていたから、翻訳に苦労したけれど」
その書物の表題は『吸血鬼の起源』、吸血鬼がなぜ存在するのか、どのような特性を身に付けているのかを記した研究書だった。
「嗚呼、あなたと今一度まみえるためならば、私は全てを捧げよう。必ずあなたを、この世に・・・・」
ローラの瞳が狂気に染まる。と同時に、墨汁のように濃い雨雲が、月を覆い隠した。




