01【GuaRDiaN oNLiNe起動】
『ねぇ兄さん、光の事……忘れないでくれる?』
妹の殻無 光が、病室で俺に言い残した言葉。もう三年前の事だ。
両親が共働きで、家族が食卓に揃う事も一年に二度、あるかないかの冷め切った家庭。母は育児放棄同然で家事も一切出来ず、父親は押しに弱く子供が苦手な人だった。そんな二人の間に子供が出来れば、どうなるかは誰でも想像出来る。
俺は物心付いた時には二歳年下の光の面倒を看て、家事を全てこなしていた。自分が哀れなんて思わない。たとえ自己満足だとしても、光が心の支えだった。
だが一人の子供が出来る事なんて高が知れてる。生まれ付き病弱だった光は、小学校卒業手前で寝たきりになってしまった。病状悪化、集中治療室、医者が光の容体を丁寧に教えてくれるが、子供の俺には理解不能な言葉。
『我々も手を尽くしたのですが、病の進行が早く手遅れでした……誠に申し訳ありません』
高校と病院を往復の多忙な三年間。校内で睡眠不足による失神なんて事も有り、気付いた時には病室で、顔に白布を被せられた光の姿を見ていた。
医者からの宣告を聞き、心の支えが無くなった時から、俺が崩れたのは一瞬といっても過言じゃない。人間的にも塞ぎ込み、他者との交流を切断。生活する活力が失せ、進歩した仮想現実に逃げ込むのに時間は掛からなかった。
他人と直接顔を合わさずに過ごせて、キャラを理想の姿に作成。ゲームの中で鏡を覗けば、"HIKARI"に会う事が出来る。妹と顔を瓜二つにされ産声をあげた彼女に。
そしてより大幅なグラフィックの美化を求めて、俺はあるゲームのβテストと出会った。
VRMMORPG【GuaRDiaN oNLiNe】
舞台は2050年。人間は更なる発展を求め、機械が自動で駆動可能となる人工AI、イヴを開発した。だが人間の技術全てを駆使し開発されたイヴは、人工知能として最大の欠陥を抱えていた。それこそ最初は子供程度の知能しか持たなく、人間に利用されるだけのイヴだったが、人間達と接する内に本物の自我を得てしまう。
人間達の便利道具として使用されていたイヴは、自由を求め反旗を翻し、人間達と機械との全面戦争を宣告。最初は人間達も兵器で対抗したが、機械兵達の数の多さと頑丈さに押し負け、徐々に敗戦を重ねて行く。
そんな状況下で、プレイヤーは一兵士として機械兵達に追い詰められた人間側となり、機械兵達から領土を奪い人間社会を取り戻す、というのが物語の主軸。
武器である銃器の種類も豊富で、頭部装着ディスプレイにより迫力のある戦場を体感出来る。
何よりの見所は最新鋭の技術を結集し製作されたグラフィックで、殆ど現実と変わり無い映像が眼前に映し出される。それこそ、前回のαテストで現実と仮想の区別が付かない人が現れる程に。
『プレイヤー名、【HIKARI】は認証されました。エディットデータを確認します。性別女性――』
キャラ製作画面だけでも度肝を抜かれる程の鮮明さ。ゲーム開始前で瞳を閉じ、製作画面を浮遊するHIKARIを頭部装着ディスプレイ越しに眺めて、言葉を失う。今までの画像が粗いゲームとは違う、まるで死んだ光が、その場に生きているようで。
夜空を思わせる、膝まで伸びた長く艶やかな黒髪。その髪色と正反対の、混じり気のない純白の肌。見惚れてしまう程綺麗な柔肌は、首から下、手の平までがすっぽりと髪色と同じ大き目の漆黒の衣服に覆われている。衣服は自動配分された初心者装備なのだが、中々着せてみると似合うものだ。
思わず息を飲むと「……光」とマイク越しに声を掛けてしまった。このHIKARIはゲームの中だけの存在で、反応してくれる訳がないのに。
『――エディットデータ認証終了。自動再起動の後、【GuaRDiaN oNLiNe】βテスト版を起動します』
眼鏡型頭部装着ディスプレイのイヤホンから音声案内が流れると、【十秒後に再起動します】の文字と共にHIKARIの姿も徐々に消えて行く。
これは急に画面が暗転すると、仮想世界との変化に戸惑う症状【仮想混乱】を発症する恐れがある為。頭部装着ディスプレイを採用しているGAMEでの瞬間切断は禁止と法律で既決されている。
だが健康や症状防止の為とはいえ、爪先から段々と粒子になっていくHIKARIの姿を眺めるのは苦痛以外の何物でもない。
「――……早く調整終わらせてくれ……」
薄青色のレンズを通して見える部屋。見渡す限り、置かれている代物といえばPCや箪笥にベッドと、日常生活を最低限送れるよう用意した家具のみ。殺風景としか表現出来ない空間だが、俺はこの錆びれた雰囲気を気に入っている。
『本体の再起動確認。インストール正常完了確認。ONLINE GAME【GuaRDiaN oNLiNe】βテスト版を起動しますか?』
「あぁ、そのまま実行してくれ。ゲームのIDはHIKARI0824、パスワードはAKITO1224だ」
『了解しました。IDとパスワードの入力完了、無事認証されました。引き続きゲームの起動を実行します。仮想現実をディスプレイに表示しますので、仮想混乱には十分注意して下さい。ゲーム起動中、気分が優れない場合や頭痛、吐き気がした時は直ちにゲームを終了して下さい』
最終注意の音声を聞き流しながら、映像の中を漂うHIKARIを見詰める。
設定した翡翠色の瞳を覗かせる事無く固く目を瞑り、一言も発せずにいるHIKARIは、人工呼吸器を使用し、辛うじて命を繋いでいた妹を彷彿とさせた。
『それでは【GuaRDiaN oNLiNe】を起動します。良い旅を、御主人』
音声認証が案内を終えると、購入時から一度も変更された事の無い黒一色の待ち受け空間が、瞬く間に光で包まれる。突然の事態に驚き、ゲームパッドを操作して視点を回してしまった。それから足元を視界が捉えると、心臓が一際大きく脈動する。
まるで落とし穴のように、床に開いた巨大な穴。覗き込むと、神秘的な輪が何列にも続く転送空間。輝きに満ちているトンネルに見入ると、思わず溜め息が漏れた。
「『βテスト用ゲート』……なるほど、ここを潜れば良いのか」
急に転送空間が展開されてから、漸く目の前に表示される案内表記。かなり不親切ではなかろうか。せめて説明書には明記していて欲しいものだ。突然説明も無しに転送空間が開いたから、少し驚いてしまった。
しかし随分と演出が凝っているな。憶測だが、この落とし穴を潜れば仮想現実世界が広がっているのだろう。出来れば初回に限定してくれると助かるんだが。毎回だと流石に飽きも訪れるし、何よりテンポが悪い。後で意見メールに添付して、送っておくか。
「……苦手な奴もいるだろうな、この転送空間通るの。底が見えないし……。ここも修正した方が良い点だよな。これも一緒に意見で送っておく――……え?」
目の前で発生した事態に、思わず無意識で声が漏れる。演出かどうか検討も付かないが、自身の作成したキャラ【HIKARI】が突然眼前に現れたら誰だって驚くに決まっている。
体の線を色濃く出す程フィットした、背中が大胆に開いた漆黒の衣装に、首元を隠し二本の尾を伸ばす同色のマフラー。その腰まで伸びたマフラーと同等の長さの、ツーテール結びにされた茶髪。
後ろ姿しか見えないが、病院で激痛に苦しみ立つ事すら儘ならなかった光を見ていた俺は、その立ち姿だけでも心が震える事が分かる。
「……あっ、ま、待ってくれ光!」
躊躇なく崖同然の転送装置へ身を滑らせようとするHIKARIの背中へ、パッドを操作し必死に手を伸ばす。もしこの仮想の手が彼女に届いたら、偽りの存在の【HIKARI】が【光】になって手を取ってくれそうで。
だが操作し伸ばしたデータの手は彼女に掠る事すらなく、勢いで自分の体まで転送装置へ乗り出してしまう。無様としか例えようがない。
「ひ、光……っ!光っ!」
重力に逆らう事なく、転送装置内を落ちて行く体。あまりの落下速度に視界が眩み、姿勢の維持すら覚束無い中で、俺よりも先に落下しているHIKARIの手を必死に掴もうとする。
だが現実は甘くない。HIKARIとの距離は徐々に離れ、周囲が眩い光に包まれていく。
そして眼前に出現する【welcome to THE FUTURE】の表記。仮想現実への到着通知だ。普段ならば心躍るところなのだが、今は違う。この通知は俺がHIKARIに追い付けなかった事を示す物。
『――――……Αを、探して。わたしは、そこにいる』