第17話 ゴミ掃除って、そっちのゴミじゃない
剣が振り上げられた。
俺は目をつぶった。避けられない。走れないし受け止める力もない。
だが剣は落ちてこなかった。
代わりに空から何かが降ってきた。
巨大な石の柱。焼け焦げた旗。ひしゃげた鎧。折れた十字架。教会の紋章が入った門の一部。
それが雨みたいに降り注いだ。
俺の前に三人が降り立った。
全身が返り血で真っ黒だった。
「……遅くなってすまぬ、あるじ」
ノクトが言った。
「言われた通り、外のゴミはすべて片付けてきた」
――は?
待て待て待て。
俺が言ったのは家の周りの瓦礫を拾っとけって意味だ。木っ端とか割れた皿とか、そういうやつだ。
なのにこいつら、なんで教会の門を持って帰ってきてるんだ。
完全に俺の指示の出し方が悪かった。
だが今さら「勘違いだ」なんて言える空気じゃなかった。
「ば、馬鹿な!」
審問官が後ずさった。
「一歩でも動けば町民の呪印が――」
「……呪印?」
セシルが眼鏡を押し上げた。
「ああ、あんな初歩的な術式。君たちが無駄話をしている間に全部書き換えさせてもらったよ」
審問官の顔が凍りついた。
ノクトが兵士たちをゆっくりと見回した。
「――で。この男たちは、不燃ゴミでよいか」
「分別はいい! やめろ! 誰も燃やすな! 変な匂いが出てまたご近所から苦情が来るだろうが!」
俺は慌てて止めた。
こいつら本当にやる。冗談じゃなく、本当にやるんだ。
「つーかお前ら」
俺は言った。命の危機は一旦、頭の隅に置いた。
「もうゴミ掃除終わらせたのか。早すぎるだろ。どうせ見えないところに掃き寄せて隠しただけだろ。あとでちゃんとチェックするからな。分別できてなかったらやり直しだぞ」
三人がこちらを向いた。
そして動きが止まった。
ノクトの視線が俺の頬で止まった。
リントの目が、地面に落ちた割れたおたまに落ちた。
セシルが、外したばかりの眼鏡を握りつぶした。
空気が変わった。
息が白くなった。夏でもないのに、いきなり冬になったみたいだった。ノクトの足元の地面が音もなく砂になって崩れていく。
三人はそれきり、俺の顔を見なくなった。
代わりに、目の前に並ぶ鎧の騎士たちを指さして無表情で数えはじめた。
「一、二、三」
「四、五」
「……六十二まで確認」
「おい。何の算数だ、それ」
誰も答えなかった。
リントだけが一度、口を開いた。
「……おっさん。痛かったか」
「え? ああ、これ? かすり傷だ。夜勤で爪引っかかれたときのほうが痛いぞ」
「そうか」
それだけ言ってリントも黙った。
いつもなら「へへっ」と笑うところだ。笑わなかった。
そこから先はあまりよく覚えていない。
覚えているのは音が少なかったことだ。
悲鳴も剣の音もほとんどしなかった。ただ風が吹くみたいな音がして、そのたびに立っている人間の数が減った。
俺は割れたおたまを握ったまま、それを見ていた。
途中で一度、逃げ遅れた若い兵士が俺の足元まで転がってきた。
俺は反射でその腕を引いて起こしてやった。
「走れ。ここにいるな」
兵士は俺の顔を見て、泣きそうな声で何か言った。よく聞き取れなかった。
背後でノクトが小さく息を吐いた。その兵士だけはなぜか見逃された。
――俺は思い上がっていた。
こいつらから家事を取り上げたらニートになる、なんて。
俺の世話なんて、こいつらが持っている力の前ではままごとみたいなもんだ。俺がいなくても、こいつらは生きていける。国だって滅ぼせる。
俺は保護者でも何でもなかった。神様にエプロンを着せて遊んでいただけの間抜けだ。
柄の折れたおたまを、強く握り直した。
それでも。
それでも今日の夕飯だけは俺がよそわなきゃいけないんだ。
なのに。
「……おい」
俺は割れたおたまを三人に見せた。
「これ、折れちまってさ」
三人が初めてこちらを見た。
「せっかくお前らのためにスープ煮ておいたのに。これじゃよそえないだろ。分けられないだろ」
言ってから自分でも情けなくなった。
国が滅びかけてるのに、俺が心配してるのはおたまだ。
だが、これが俺にできる唯一のことだった。
三人の顔から表情が消えた。
ノクトの唇が震えた。
「……分けられない」
「そうだよ。だから買い直さないと」
「わらわたちのせいで。あるじの手から、あるじの一番大事な仕事が」
「いや、百均だぞこれ。また買えば」
届いていなかった。
三人の目は、もう俺を見ていなかった。
「――この世界は」
ノクトが静かに言った。
「あるじの血を流させた。あるじの手から、あるじのものを奪った」
「待て。落ち着け」
「もう、要らぬ」
空が割れた。
俺の頭の上で、本当に裂けた。
リントが竜の姿に戻った。町の屋根より高い黒い体だった。
セシルの周りに、見たこともない数の魔法陣が浮かんだ。
「やめろ! おい! もういいから! 帰るぞ! 飯にするぞ!」
俺は叫んだ。
全力で叫んだ。
届かなかった。
三人は光と闇の柱になって、それぞれ別の方向へ飛び去っていった。
王都の方角。教会本部の方角。国境の方角。
あとには、静かな焼け跡と、腰を抜かした審問官と、俺だけが残された。
俺は割れたおたまを握りしめたまま、その場に立っていた。
「……嘘だろ」
俺は言った。
「俺のご近所付き合いが、なんで世界大戦になってるんだ」
おたまの代わりなんて、百均に行けばいくらでも買えるのに。
もう誰も、そんな話は聞いてくれなかった。
〔壊滅した前線基地の瓦礫の下から見つかった、投函されなかった手紙〕
母さんへ。
もうすぐこっちの任務も終わりそうです。
司祭様は世界を滅ぼす悪魔がいると言っていましたが、実際に行ってみたら、焼け跡と、みすぼらしい空き家と、やせた青年が一人いただけでした。
あの人は倒れた仲間に水を飲ませていました。敵なのに。
たぶん明日には片付いて、故郷に帰れると思います。
帰ったら母さんの豆のスープが飲みたいです。あれを飲むと、冬でも腹の底があったかくなるので。
弟には約束していた木の鳥を持って帰ります。もう出来上がっているので、あとは渡すだけです。
それでは、また。
どうか体に気をつけて。
――(ここで文字は激しく乱れ、以降は判読できない)




