033 【恐怖が彷徨う館】番外(その7.5) ソフィーリアside ~一人きりの延長戦~
目の前で重厚な扉が――ギィッ、と軋む音を立てて完全に閉ざされた。
その直前、視界に焼き付いたのは、親友の焦りと怒りが混ざった複雑な表情。
強引な手段になってしまったのは認めますが、私の油断が原因であの状況に陥ったのだから仕方がありません。
けれどティオは絶対に私のせいとは認めないでしょうし、どちらが残るかと話し合った場合、例え丸一日時間があったとしても結論は出なかったでしょう。
特に先程は残り時間も僅かだったので、私の判断は間違っていませんでした。
まったくティオときたら、あの状況を自分の責任などとふざけたことを言って。優しいんだか自分勝手なんだか……少しは人の考えを尊重してほしいものです。
そう、私を見習ってほしいくらいです。
おかげで、アイテムを押し付けて突き飛ばすなんて力技に頼る羽目になったではありませんか。
ティオの自分勝手のせいで、私も自分勝手をする羽目になってしまいまし――あれ?今、何かおかしなことを言ったような?
……いえ、気のせいですね。
他の方なら話し合う余地もありましたが、相手がティオなら、言い争いの原因は100%あちらにあります。間違いありません。私は悪くない。
「……さて、制限時間がゼロになった以上ゲームオーバーになってしまうようですし、急いで目的地へ向かいましょうか」
両手をプラプラと振って手首をほぐす。
さっきまで抱えていた水晶がない分、羽が生えたように手が軽い。これなら十全に動けます。
……ただ、今まで一緒にいた章介さんの声が聞こえないのは、少しだけ寂しいですが。
振り返り、階段へと足を向ける。
すると、それを合図にしたかのように、館内の空気が一変した。
元々淀んでいた空気が、肌に纏わりつくような粘度を増していく。
そして、決定的な異変。
さっきまで不気味な気配が消えていた踊り場の鏡が、再び不吉な光を放ちながら、静かに明滅を始めていた。
「……あれはマズそう、です、ね!」
思考より先に足が動いた。
一気に階段を駆け上がる。
これから何が起こるのか?
観察する余裕なんて微塵もない。
不用心だとは分かっていても、ここに留まるのは『完全にヤバイ』。
私の第六感が、耳の奥で激しく警鐘を鳴らしている。
三段飛ばしで踊り場を駆け抜けた瞬間、鏡の中から数え切れないほどの『化け物』が溢れ出してきた。
あと一秒でも判断が遅れていたら、あの群れに飲み込まれていただろう。
化け物たちは、あまりに千差万別だった。
全身に返り血を浴びた大男。
地面に届くほどの黒髪を振り乱す女。
八本の腕を持つ、異形の人間。
異様に長い手足で四つん這いに走る子供。
溶け崩れた体で苦悶の声を上げる、性別不明のナニカ。
etc.
etc.
肩越しにチラリと視線を投げれば、その数はさらに増殖している。
その多種多様な化け物達は、おそらく私たち以外が今までに生み出してきた恐怖の具現化した姿。
わずか数秒で、階段は異形の群れに埋め尽くされてしまった。
正面を向き、さらに足に力を込めトップスピードへ。
勢いのまま、突き当たりのT字路を曲がろうとして――。
「っ!?」
曲がり角の先、すぐ目の前に二体の異形が手を伸ばしていた。
このままでは激突、止まれば背後の群れに捕まる。
「だったら――!」
私は正面の壁に向かって踏み込んだ。
ぶつかる寸前、垂直の壁を一歩、二歩と駆け上がる。
そのまま壁を思い切り蹴って、化け物の頭上を鮮やかに跳躍。宙返りを決めて着地すると、速度を殺さず再び地を蹴った。
少々驚きましたが、この程度なら朝飯前です。
伊達に普段から王城の警備を撒いてはいませんから。
今のが私とティオの恐怖が生んだ『マリアの化け物』だったら、足が竦んでいたかもしれません。
ですが、所詮はただの異形。
血まみれだろうが内臓がこぼれていようが、私にとってはマネキンと大差ありません。
誰の恐怖かは知りませんが、あの程度、怒ったマリアに比べれば、お腹を見せている子犬のようなものです。
さっきの化け物を生み出した方達にも、いずれ教えて差し上げたいです。
本当の恐怖とはマリアのことですよ、と。
『貴方たちが余計なことをしなければ、私も怒る必要はないんですよぉ?』
マリアが聞いたらそう言ってまた怒りそうですが、そんなことを考えている間に、前方の部屋からさらに二体。
鏡からだけではなく、館のあちこちから発生しているらしい。
多数の触手を持つ個体の脇を深く屈んですり抜け、天井に届く巨体の股下をスライディングで潜り抜ける。
間髪入れず、先の部屋からさらに五体。
今度は左右に避ける隙間はない。
ならばと壁を蹴り、窓枠のわずかな段差に爪先を引っ掛けて跳ぶ。
先程よりも高度を上げ、天井を蹴って頭上を飛び越えた。
着地も完璧。
章介さん流に言うなら、文句なしの十点満点というやつです。
思わずにやけてしまう。
私は小さい頃から、体を動かすことが大好きだった。
城の庭を駆け回って木に登り、重力に負けて地面へ落下。怪我をしたのも一度や二度ではない。
お付きの人たちには随分と心配をかけました。
成長し、王族としての自覚を持つようになってからは自重していましたが、それでも軽いトレーニングは欠かさなかった。
……あくまで軽くの範囲で、ここまで激しく動くのは学院時代以来ですけれど。
ですから、この非常事態に不謹慎ながら、気分が乗ってきてしまったのは仕方がありません。
ただ、そのせいで『フラグ』というものを立ててしまったのでしょう。
もしこの場面に戻れるなら、この時の自分を全力で引っ叩いてやりたいです。
私は普段心掛けている淑やかな笑顔とは違い、口角を上げるような笑みを浮かべながら、立体的に化け物の隙間を縫い、目的地へと突き進んだ。
背後を確認すれば、通路は私を追う化け物ですし詰め状態。ざっと見ても百体は下らない。
戻るのも止まるのも不可能。走り抜けるしかない。
突き当たりに、三階へと続く階段が見えてきた。
このまま一気に駆け上がろうとしたその時『コツ、コツ、』と上階から降りてくる影が見えた。
逃げ場のない狭い階段の途中に化け物。
普通なら当然、詰み。
けれど、影は一つだけ。
私なら、駆け上がりながらでも躱せる。
足に力を溜め――私は、余計な一言を口にした。
「甘い、甘すぎます!一体程度で私が捕まるとお思いですか!?私を捕まえたければ、マリアでも連れてきてください!」
その一言が、致命的だった。
後に、私は激しく後悔することになる。
階段に足をかけた瞬間、踊り場を曲がった化け物の姿が、はっきりと目に入った。
「……こひゅっ」
足が地面に縫い付けられたように止まる。たたらを踏み、喉から情けない音が漏れた。
降りてきたのは、能面のような無表情に、見開かれた瞳孔。 ――私が最後の部屋で別れた、『マリアA』だった。
完全に、目が合った。
マリアの姿をしたソレは、大きく開いた目を、さらに見開き――。
襲いかかってきた。
「うぎゃぁああああああああああああ!!!!!!!!!!!!?」
喉が裂けんばかりの絶叫。
私はマリアAに背を向け、元来た通路を全力で駆け戻る!
目の前には追ってきた化け物がひしめいているが、もはや関係ない。
あの状態のマリアか、有象無象の化け物の群れか。
どちらかを選べと言われれば、私は迷わず化け物を選ぶ。
間違いなくティオもだ。
通路はネズミ一匹通れないほど密集している。
おそらくさっきよりも数を増やしているだろう。
だが、背後には『マリアの化け物』がいる。
止まるという選択肢は、私の脳内から消滅した。
『戻るわけにはいかない』なんてさっきの考えは、すでに記憶の彼方。
再び頭上を越えようと壁を蹴るが、群れが厚すぎて一度の跳躍では足りない。
(ならば、こうです!)
一度大きく化け物達の頭上へと跳躍するが飛距離は全く足りず、化け物の群れの中へと落ちていく。
化け物達が私の動きを追うように頭上を見上げる。
私はそんな化け物の頭を踏みつけ――再び跳んだ!
二段ジャンプ。
さらにもう一体の頭を蹴って、三段。
あともう少し。
しかし、先程私が股下を潜った天井程の身長を誇る巨躯の化け物。
頭上にスペースはない。
どうするか?
その時、脳裏に章介さんの言葉がリフレインした。
《攻撃は最後の手段。追い詰められて後がない時以外は、やめておいた方がいい》
「今がその時ですッ!!!」
全身のバネ、速度、重力。全ての力の流れを右足に収束させる。
「退いてくださいッ!!マリアに追いつかれるでしょうがぁあああ!!!!」
人生五指に入る渾身の飛び蹴りが、巨躯の顔面に突き刺さる。
怪物をぶち倒し、そのまま踏みつけながら着地。背後も見ずにすぐ先の部屋へと滑り込んだ。
この部屋は壁の一部が崩れており、隣の部屋へと移動することが出来る。さらにその隣の部屋へもだ。
この中を通り抜けていけば、三階へ続く階段のすぐそばの部屋までいくことができる。
しかし万が一この部屋の中で化け物に遭遇したら逃げ場がないのと、狭い穴を通り抜けるため移動速度が落ちるということ。
そして私ならば化け物達の隙間を抜けて通路を駆け抜ける自信があったため、最初このルートは選ばなかったのだけど仕方がない。
だけど化け物達がほぼ集結して私を追ってきている現状、このルートに誘導できれば化け物達はこの穴で足止めされて、追っ手を振り切ることが出来るかもしれない。
上手くいけば楽に移動できる。所謂怪我の功名というもの。
背後に気配を感じながら、必死の素早さで部屋を渡る。
最後の部屋で扉に耳を当て、集中。
群れの声が遠ざかり、私が逃げ込んだ部屋へと殺到していく音が聞こえる。
今だ。
扉をそっと開き、音を立てずに階段へ。
さっきは咄嗟の判断だったが、想像以上に上手くいった。
奴らは私に気づかず部屋へ殺到している。
あとはこのまま三階へ行き、目的の場所へ向かうだけ。
「ふっ、所詮は化け物。少々驚かされましたが、私の勝ちですね」
ここで私は再びアホなことを言ってしまった。
私は私に学習という言葉を教えてあげたい。
普段からマリアや章介さんに言われてる気もしますが。
ニヒルな笑みを浮かべ、階段を見下ろす。
そして――また、目が合った。
「……くひゅっ」
漏れた音は、さっきの比ではない。
一瞬意識が遠のきかけた。
目の前の光景を信じたくない。
群れに釣られず、私の行動を見切っていた個体がいた。
それも、二体。
そこには、マリアと、マリアがいた。
能面のマリアだけでなく、三日月のマリアまでもが。
撒いたと思ったら、倍になって帰ってきた。
失神しなかった自分を、今は褒めちぎりたい。
「みぎゃぁああああああああああああああああああああ!!!!!!!!!!!!!!!!!???」
私の悲鳴を号砲に、二人のマリアが凄まじい速さで階段を駆け上がってくる。
それを視認する暇もなく脱兎のごとく逃げ出した。
現在、人生最高速度を更新中。
これを上回る恐怖はおそらくこれからも無いと思う。
寧ろあったらイヤだ。
「うわぁあああ!!何で二体に増えるんですか!?一体はティオの担当でしょう!?こっちじゃありませんよ!!!?」
そこには脱出時の振動イベントで倒れた棚がいくつも重なり通路を塞いでいた。
目指すはそこの右下。
平均的な女性一人ぐらいなら、ギリギリ通り抜けられるぐらいの隙間がある。
そこへ体を滑り込ませた。
少しでも引っかかればゲームオーバー。
けれど、スルリと、上手く通り抜けることができた。
……決して私の体形に、引っかかるものがなかったわけではありません。
胸だって、小さくはないんです。……大きくもないですけれど。
しかし、マリアは違う。
あの胸は一種の暴力だ。貫通炸裂式魔導砲並みの破壊力がある。
胸にコンプレックスを持っている女性は心をへし折られ、場合によっては灰燼と化す。
つまり、あの隙間は絶対に、マリアには通れない!
「これで、時間が稼げる……っ」
安堵した瞬間。
背後からの轟音が、私の希望を粉砕した。
破壊音に反射的に振り返れば、瓦礫の中で片手を振り払った体勢の、二人のマリア。
「……はぇ?」
呆けた声が漏れた。
嘘でしょう。あの重なり合った棚を、片手で薙ぎ払った……?
あの一つ一つの重量が数十、もしくは百キロ以上ありそうな棚を、一撃で……?
全身から、ブワッと嫌な汗が噴き出す。
通路を塞ぐものが無くなったマリア達が、瓦礫を踏みしめながら近付くのを見た私は―――弾かれたように再び駆けだした。
追いかけっこ(絶望)の再開だ。
「うわぁああああああ!!!嘘でしょ!!?あのマリア最新版じゃないですか!!?絶対に昨日のドラゴン戦の怪力のイメージが入ってますって!!しかも二体共!!捕まったら確実にミンチじゃないですか!!!?」
掴まったら『100%アウト』が、捕まったら『300%アウト』に進化していた。
私だけでも最悪なのに、ティオまで同じ恐怖を具現化させるなんて!
涙目で人生最高の逃走劇。
背後には二人のマリア。
「ほんぎゃあぁあああああああああああああ!!!!!!!!!!??!!!!!!!!!!?」
私は、絶叫とともに目的の部屋へと飛び込んだ。
―――【恐怖が彷徨う館】その8 へ。
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