028 【恐怖が彷徨う館】その4 ~ソフィーズ・スニーキング・ミッション~
大理石の床を、革ブーツが音もなく滑るように進む。
ロビーの手前で一度停止し、壁に背を預けると、わずかに顔を出して辺りの様子を伺った。
危険がないことを確認するや否や、その人影は再び足音を殺してロビーを横断し、階段裏のデッドスペースへと滑り込む。
その一連の動作は、明らかに手慣れた者のソレだった。
手練れの斥候もかくやという身のこなしを見せているのは、ブラウバルト王国が第一王女、ソフィーリアである。
およそ王女が行うべき動きではない。
(……王女があんな動きに習熟している時点でおかしいんだけど、理由はなんとなく想像がつく。毎回こうやって教育係の目を盗んで、サボってるんだろうな……)
その血の滲むような(サボりの)成果を遺憾なく発揮し、俺たちは危なげなく目的地へと到達した。
「……ふぅー……」
深く息を吐き出しながら、ソフィーさんは汗で額に張り付いた髪を指先で払う。
「あのマリアの化け物は居ませんでしたね。これほど緊迫感のある隠密行動は久々です」
「ありがとうソフィーさん、お疲れ様。現役の斥候だと言われても信じそうな動きだったよ」
「どういたしまして。慣れていますからね」
なぜ慣れているのか、あえて問う必要はあるまい。
それよりも、あの化け物が来る前にさっさと用事を済ませてしまおう。
「ソフィーさん、悪いんだけど、もう少しだけ手を貸してほしいんだ」
「それはもちろん構いませんが……何をするのですか?……あ、まさか『手を貸す』とは、そういう隠喩で……?こんな物陰に連れ込んで男女が二人きり。もしや一人だけ連れ出したのはそういうことですか!?あんなことやこんなこと……さらに『化け物に見つかりたくなければ声を出すな』という禁断のシチュエーション!?いえ、私は断じてそんなプレイ内容など知りませんよ!あくまで小耳に挟んだことがあるだけで、そんな艶本など一冊も所持していません、本当です!……あっ、そういえば生命の危機を感じると種を残す本能が強まるとも聞きます。まさか章介さん、そこまで計算して……。いけません章介さん、私は王女です。そう軽々しく体を許すわけには。でも、もしどうしてもと仰るなら吝かではありません。興味はありませんが!全くありませんが!さあ、何をいたしましょうか!?」
「……ええと、本棚から本を抜いてほしいだけなんだけど……?」
「………そうですか………」
なぜか露骨に残念そうに肩を落とし、ソフィーさんは本棚の前へと移動した。
久しぶりに彼女の暴走に巻き込まれてしまった。
しかも、いつ化け物に見つかるか分からないこの状況で。
『小声で叫ぶ』という器用な真似をしていたあたり、完全に状況を忘れているわけではないのだろうが、せめて脱出するまでは勘弁してほしい。
ティオにも付いてきてもらえばよかったと、少しだけ後悔が頭をよぎる。
だが、それは一旦置いておこう。
俺が調べに来たのは、正面階段の裏にひっそりと設置された本棚――その裏側に隠されている、地下室への入り口だ。
この入口の有無によって、攻略ルートは完全に変わる。
ここの本を決められた順序で抜き取ると、棚がスライドして地下への階段が姿を現すはずだ。
しかし、それは【恐怖が彷徨う館】の一作目には存在しないギミックである。
本来ならば、何も起きないはずなのだ。
万が一に備えて退路を確保しつつ、俺の指示通りにソフィーさんが一冊、また一冊と本を取り出していく。
(もし、俺の嫌な予感通りにこのギミックが作動するなら――)
最後の一冊を引き抜いた瞬間、『カチリ』と乾いた金属音が響いた。
間髪入れず、年代物の重厚な本棚が、レールを滑る重苦しい音を立てて横へとスライドしていく。
――ゴロロロロ……。
目の前には、暗い口を開けた地下への通路。
想像は、確信へと変わった。
「ソフィーさん、さっきの部屋に戻――」
――コツ、コツ、コツ。
絶望の音が、鼓膜を打った。
ティオの待つ部屋へ戻ろうと声をかけかけた瞬間、ついさっきクローゼット越しに聞いた『悪夢の足音』が耳に届く。
俺たちの顔から、一気に血の気が引いた。
足音は、俺たちが来た方とは反対側の通路の奥から聞こえてくる。
ソフィーさんは腰を屈め、階段の影からそっと視線を投げた。
そこにいたのは。
前髪の隙間から青い瞳を爛々と輝かせ、口角を三日月のように吊り上げたマリアさんの姿をした怪物。
――そして、ソフィーさんと目が合った。
「ひゅっ……!?」
彼女の喉から、押し殺した悲鳴が漏れる。
それが、開戦の合図だった。
『ほんぎゃああああああああああああああああ!!!!!!!!!!??』
鼓膜を劈く絶叫と共に、二度目の鬼ごっこが始まった。
野生の草食動物じみた瞬発力で駆け出したソフィーさんは、化け物とは逆方向、元来た通路を激走する。
背後からは、獲物を見つけた肉食獣のような速度で、こちらを仕留めようとする化け物が迫る。
瞳孔の開ききった能面のような顔も怖かったが、口元を大きく歪ませながら追いかけてくるのはまた別種の、生理的な恐怖を煽る。
さすがは鋼のメンタルを持つ彼女たちすら震え上がらせる、恐怖の具現化。
このゲームをクリアできたら、もう大抵のホラー映画はあくびをしながら観られるだろう。
それ程洒落にならないレベルで恐ろしい。
「しょ、しょしょ、章介さん!ど、どど、どこへ逃げれば!?」
「ソフィーさん落ち着いて! 左に曲がってティオのいる部屋に飛び込んで!」
「わ、分かりました!私だけがこんな恐怖を味わうのは不公平ですものね、安全なところでぬくぬくしているティオを道連れにするのですね!?死なば諸共ということですね!?」
「違うけど!?そこでやり過ごせればセーフゾーンができるからだよ!?……ティオォォォ!!クローゼットに隠れる準備をしてくれぇぇ!!」
相変わらずティオにだけは辛辣だ。
さっきジャンケンで負けたのを根に持っているらしい。
俺は必死にツッコミを入れながら、先を待つティオへ指示を飛ばした。
これだけの騒ぎだ。
間違いなく、彼女にも状況は伝わっているはず。
角を曲がり、目の前に見えたドアを壊さんばかりの勢いで開け放つ。
「急いで!」
声の先では、すでにクローゼットの中に身を潜め、半開きの扉から必死に手招きするティオの姿があった。
勢いのまま中に飛び込み、同時に扉を閉める。
――コツ、コツ、コツ……。
暗闇が俺たちを包み込んで間もなく、再び恐怖の足音が部屋を満たす。
やがて徘徊する足音が遠ざかると、重苦しい静寂が戻ってきた。
扉を開けると、一度目の再現のように、ソフィーさんが床へと転がり落ちた。
ティオが軽く体を揺すってみるが、ピクリとも動かない。『これはしばらく無理だな』とティオは首を振ると、水晶へと話しかけてきた。
「それで章介さん。確認したかったことは分かったの?どうだった?」
「ああ、分かったよ。通路の先が崩れていた理由も、昨日ソフィーさんが調べた時に玄関が開かなかった理由も。ティオが踊り場に上がると同時に化け物が現れた理由もな」
「ホント?じゃあ攻略は進められそうかな?ソフィーの犠牲も無駄にならないね」
「……まだ死んでいませんが?」
死体のように動かなかったソフィーさんだが、どうやら喋るだけの気力は回復したらしい。
起き上がる元気はないようで、仰向けのまま視線だけをこちらに向けている。
回復を待ってもいいが、説明を聞くだけならこのままでも問題ないと判断し、俺は確信した事実を共有し始めた。
「分かったことを説明する。まず、通路が瓦礫で塞がっていたのが最初の違和感だった。本来、あの通路は突き当りまで通れるはずなんだ。そこで俺はある可能性に思い至って、階段裏を確認しに行った。そして案の定、そこには地下への入り口があった」
「……?地下? でも、章介さんの最初の説明だと、このゲームの館って地上三階建てだって言ってなかったっけ?」
「そう、正にそこなんだ。一作目に地下室はない。……地下室が登場するのは、二作目からなんだよ」
「えっ、じゃあ私たちが今いるこのゲームって、実は二作目だったってこと?」
問題はそこだ。
単純にこのゲームが二作目だったというのなら、話はまだシンプルだった。
だが、俺はこの館に入った瞬間から一作目だと確信していた。
タイトル画面がそうだったのはもちろんだが、それ以外にも明確な根拠があったからだ。
それを踏まえた上で導き出される結論は、一つしかない。
「俺たちが今いるこのゲーム――【恐怖が彷徨う館】の一作目と二作目が、バグって混ざり合ってやがる」
読んでいただきありがとうございます。
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