042 アリス
「あなたは?」
「あ、あの、アリスですっす。先輩と同じ赤の寮の一年生で」
そういえば、見覚えがあるような……気もする。
新入生紹介の時に会ったのかもしれないが、記憶にない。
「ごめんなさい、よく覚えてなくて。同じ寮ならこれからも会うね。よろしくね」
私はできるかぎりのにこやかな表情をつくる。
「い、いえ。セシル先輩は、有名人っすから」
私を見るアリスの目には、どことなく憧れの色がうかがえる。
なんでそんな目で見られるのか、身に覚えはない。
確かに私は高等学院で一番背の高い女なので、その意味では目立つ。
人違いをしたというわけでもなさそうだ。
「そんなことないよ」
私の答えはいささか平凡すぎたかもしれない。
「で、でもすごいっすよ。学年最優秀で、青のベストも貰って、。あの、あの……この学校に来る人ならみんな知ってるっす!」
いつの間にそんな事が広まっていたのだろうか。
私は彼女を見つめる。
小柄で金髪、尖った耳という、典型的な長耳族の特徴をしている。
東方の訛りがあるので、ルディア帝国の出身ではないのかもしれない。
「ありがと。それで、あなたもこの本を?」
私は『ゲオルグとエリザベート』と題名のついた本を指し示す。
「あ、い、いえ。と、とんでもないっす。どうぞ、セシル先輩」
「私はいいよ。あなたが借りて。ちょっとした気晴らしになるかもしれないと思ったけど、よく考えたら、今はそれどころじゃないしね」
「あ、ありがとうございますっす。あ、あの……わたしこういうの好きで……いや、あの……セシル先輩は聖女科を目指すんですよね?頑張ってください!」
頭を下げて礼を言うアリスに、私は手を差し出した。
何となく彼女がそうして欲しがっていると思ったからだ。
アリスは頬を真っ赤にしつつ私の手を握る。
そしてぴょこりとお辞儀をすると、本をかかえて去っていった。
これ以上やる事も無いので、私も図書館から立ち去ることにする。
同じ寮のアリスとは、また会う事もあるだろう。
彼女は私が聖女科を目指すことをなぜか知っていた。
確かにそう公言したこともある。
それにこの学校の成績優秀な女性というのは、聖女科を目指すのが当たり前なようなので、そのせいかもしれない。
そして翌日、私はクラリッサ孤児院を訪れた。
「お久しぶりです、ファイーナさん」
「まぁ、こちらこそ。お世話になっております、セシルさん」
職人たちが歩きまわり、工事の音がする。
すっかり見違えるように綺麗になりつつある。
結局、孤児院での奉仕活動の授業は、一年生で終わった。
パンやケーキや薬作りが一段落すると、私自身がする事といえば、子供たちに勉強を教えたり一緒に遊んだりするくらいだった。
「すっかり綺麗になりましたね」
「おかげ様で、寄付も順調で、子供たちも学校に通えるようになりまして。これもみんなセシルさんのおかげですわ」
「とんでもありません」
所属する教区からの予算も十分におりるようになり、運営に不足はない。
様々な特産品の販売のおかげで、教会や孤児院自体の知名度も上がっているらしい。
私のやった事も、多少は何らかの意味があったのだろう。
だとしたら嬉しくはある。
だがもはや私のできる事もない。
多少の寂しさはあるが、孤児院がうまくいっているなら、それは良いことなのだろうと思う。
「パンやケーキの販売は順調なんですか、ファイーナさん」
「ええ、おかげさまで」
私はもはやあまりかかわってはいないからよくわからない。
レシピを買い取りたいとか、権利料を払うから作らせてくれという話もあるらしい。
薬を作って売るとなると、人員や資格者の問題も起こるという。
「なるほど」
「最近そういった話も増えて。私たちで決められる事ではないので、どうしたらいいかと思ってまして」
そのあたりは私が後日、エマの父と話をするということになった。
あれは私と母の連名になっているので、母にも相談しなければならないだろうが。
帰り際に、私は孤児院の子供達に挨拶をする。
「お姉ちゃん、もう来ないの?」
「また遊びに来るよ」
「そっかぁ。忙しいもんね。セシルお姉ちゃんは聖女様になるんだよね?頑張ってね」
「ありがと」
何か小さい子にも気をつかわせてしまったようで気が引ける。
奉仕活動の授業は、一年生で終わっている。
たが子供たちといるのは楽しいし、単なる授業で出会った人達、という以上の親しみの感情もある。
あまり難しい事は考えず、これからも顔を出すようにしようと思った。
そしてその日の夜、私はいつものようにエマの部屋でおしゃべりしていた。
「みんな元気だった?ごめん、いけなくて」
「ううん、エマも忙しいだろうから」
今日はエマは、祖父のオラフさんのところへ行っていたらしい。
「ロンも元気だったよ」
エマは孤児院にいた子供の名前を出す。
この四月から、オラフのところで働いているらしい。
ガバロ団の事件や、十月祭の事件でも、彼がかかわっていた。
もう随分前のような気もする。
(月日はすぎていくんだなぁ)
年寄りじみた感想が浮かんでしまう。
この世界に生をうけてから十五年、この学校に入学してから一年。
だが前世の二十三年間より、ずっと充実した人生に思える。
「ところでさ、ちょっと面倒なことになっててね」
私はエマに事情を話す。
「そうなのセシル?魔術の単位の授業は関係ないはずなんだけど。ちょっと納得いかないよね」
「うん。まぁでもしょうがないかな。それで、どの授業をとろうかなぁって。今も結構いっぱいいっぱいだし」
エマと話すことで、自分の考えがまとまるし、少し気が楽になるようにも感じる。
前世でそんな事は覚えがない。
友達と呼べる人間もほとんどおらず、相談できるような人もいなかった。
もし誰か心の中を打ち明けられる人がいれば、何か変わったのだろうか?
「それとさ、図書館でさ」
私はアリスの事を話す。
「へぇ。やっぱり最近、ロマンス系の物語って人気あるんだ」
「みたいね。それより何で私の事を知ってたのかな?」
「セシルは有名人だし。それに、みんな密かにセシルの事を誇りに思ってるんだよ」
「え?そうなの?」
「ほら、私たちの寮ってさ。平民とか人族以外の種族が多いじゃん?」
エマの話によると、今は形骸化しているとはいえ、以前は種族や身分で入る寮が決まっていたらしい。
その名残や意識がまだ残っているようだ。
昔は魔術や武芸、勉学などで寮対抗戦というものもあったが、余計な対立を煽るということで廃止されたという。
確かに言われてみれば私のいる赤の寮はは、長耳族に矮人族、獣人族の子供もいるし、貴族より平民の子が多い気もする。
あのグレゴリも貴族ではあるが、主流から外れた人間だ。
私も外見は鬼族に似ているらしいし。
何かといえば人族や貴族に下に見られている者が多い赤の寮の生徒たち。
その赤の寮の私が、学年最優秀生徒として表彰された。
そのことで、ある種溜飲を下げている者もいるという。
「でもクローヴィス皇子はなぜこの寮にいたの?」
「皇子は特別だよ。皇帝家は様々な種族の権利を守り、争いを調停し、保護する者という意味合いもあるからね」
アリスは誰かから聞いて事情を知っていたのだろうし、こんな事は当然の常識なのだろう。
前世から思っていたが、私は鈍いのかもしれない。
皆が当たり前に知っていて常識以前としていること。
それをどうやって知ったらいいのか、いまだによくわかっていない。
とりとめのない思いに整理のつかぬまま、私は結局、応用魔術実習Ⅰの授業に出ることになった。
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