032 十月祭
十月祭は、アニエス祭とも呼ばれる、ルディア帝国最大のお祭りである。
要は作物の収穫を祝う祭であり、それが聖女アニエスの生誕祭と結びついたらしい。
聖女アニエスは特にルディア帝国において、特別な信仰を集めている。
伝承によれば彼女は元々、信仰心は篤いが特別な力を持たない普通の女性だったはずだ。
だが彼女の祈りが天に届き、神々の力である神器を与えられた。
それにより魔神ザイターンを打ち倒し、神聖ルディア帝国が建国され、現在へと続くリヤウス教団の礎ともなる。
そのため死後は、古くからの神々をしのぐほどの信仰をあつめて、様々な事柄の守り神とされている。
いわく豊穣、家内安全、工芸、出産、はては商売繁盛など。
元々何の関係もない分野の守護神にもなっている。
偉い人というのは、死後も残業をしなければならず大変である。
もちろん故郷にいたときも、十月祭はあったのだが、帝都は規模が違う。
帝都はお祭り一色であり、当然それは学内も同じだ。
前世で言うところの、学園祭が行われる。
この時期は、一般客にも校内は開放される。
ところで帝都のお祭りとは何が行われるのだろうか。
「人気のあるのは、東方の雑技団や帝国歌劇団かな」
エマが教えてくれる。
この時期はあちこちに出店が並び、市が立ち、大道芸人の集団もやってくるらしい。
彼らにとっては稼ぎ時だ。
ぜひ帝都のお祭りも見てみたい。
とはいえ、私にはやることがあった。
「ちょっと今一つだったねぇ」
私はジルニの粉とリンゴ酢で作った炭酸水をソーダと名付けて売り出す予定だった。
エマの父親の伝手で、とある貴族に試してもらった。
評価は悪くないけれど思ったほどではなかった。
パンのように誰でも食べるものと違って、こういうものは、やはり上から広げた方がいいというエマの提案に従った形だった。
麦酒はあるが、一般庶民は現代日本のように炭酸水を飲む習慣はない。
貴族やは金持ちが好んでいるものが、手ごろな価格で庶民も手に入るという流れにすべきだという。
それにジルニの粉というものも、どのくらいの供給量があるものなのかもよくわからない。
急に需要が増えて足りなくなっても困る。
今のところは、リヤウス教団から手に入れているが。
貴族は、発泡性のあるワイン、つまり前世で言う所のシャンパンや、リンゴ酒に炭酸が含まれたいわゆるサイダー等も飲む。
むしろ好んでいるといっていいらしい。
だから凄く珍しいというわけではなく、単にアルコールが入っていないものと思われたのかもしれない。
炭酸水というものはこの世界にもある。
主に自然の湧き水を採取して、砂糖やはちみつを入れて飲むらしい。
だがとれる場所も限られている。
シャンパンも天然の炭酸水もどちらも主な消費者は貴族であるが、たまたまその貴族の反応がよくなかっただけかもしれない。
お酒を飲めない人だっているだろう。
とはいえ、大量に炭酸が含まれているわけではないので、前世の炭酸飲料とは違う。
私の作ったソーダは、普通の水とちょっと口当たりが異なる、すっきりとした飲み味の飲料だった。
一方でシフォンケーキは好評だった。
作る要領はスポンジケーキと同じだが、問題はシフォンケーキの型である。
ただそれは、エマの祖父のオラフが、私のまずい図面をもとに作ってくれた。
アルミというものはこの世界にはおそらくまだ存在しないので鉄製だが、それでも十分だった。
材料はエマの商会から入手した。
そしてエマの父親の伝手で、とある伯爵家に毎週ケーキを届けることになった。
値段は職人の一週間分の給料である。
いくら何でもふっかけすぎだろうと思ったが、そんなに安くて良いのかとむしろ喜んでくれた。
お金はあるところにはあるものであった。
東方派の教会が作っているという事で敬遠されるかとおもったが、そのような事もなかった。
やはり課題は炭酸水だ。
私は諦めきれずに、この学校での十月祭で売ることにした。
何しろここは、ほぼ貴族と金持ちしかいない。
誰かが良いといえば、あっという間に上流階級に広まるかもしれないのだ。
学園祭では当然ながら、恵まれない人に寄付するためのバザーも行われる。
本来はバザーで資金集めをしたいが、私たちが個人で行うためのコネもない。
協力してくれるのは、エマの父親くらいだろう。
私はエマと製法を工夫する。
レモネードとジルニの粉を混ぜる方法など色々試した。
ふわふわパンは相変わらず売れている。
飽きられないように、干し葡萄を入れたり、クルミを入れたりと工夫するようになった。
最近は、ガバロ団の人たちも手伝ってくれる。
ただこれ以上生産量を増やすとなると、専門のパン製造業者に委託するほかはない。
学校での十月祭では、演劇や音楽の演奏、様々な研究発表に講演会もあった。
私はあらかじめ、寮長のバート先生に話をしてみた。
「まぁかまいませんけど。うちは生徒の自主性を尊重しますので」
寮長のバート先生はどことなく投げやりな口調で言う。
というよりも、私たちは敬遠されているというか、ある意味見捨てられているのかもしれない。
一年生が何か主体的にやるというのは、あまりないらしい。
だがやっても良いというのはありがたい。
私たちは勇んで準備をするが、同じ寮で手伝ってくれる人はいなかった。
エマも学校の知り合いに頼んでみてくれたが、体よく断られたらしい。
みんなお祭りを楽しみたいのだから当然だろうけれど。
「僕は寮が違うんですけどねぇ」
「マルスしかいないの。お願い!」
というわけで、結局マルスにも手伝ってもらうことになった。
そして学園祭が始まった。
しかし当然ながら、私たちに割り当てられた場所は、校舎の片隅でまず人が来ない所だった。
テーブルの上には、カップやジルニの粉、レモン水とはちみつが、寂しく並んでいる。
「これじゃあダメだなぁ」
「私、人呼んでくる」
エマが言うので、お願いすることにした。
不本意ながら、背が高くてきつい顔立ちの私だと怖がられるおそれがある。
「はぁ……なんかごめんね、マルス」
「いやぁ、僕も暇なんで」
たまたまこちら方面に迷い込んだ男女の二人組がいた。
私は意を決して近づく。
「あの、こちらで新しいドリンクを作ったのでよかったら」
私としては最大限にこやかに話しかける。
そのカップルは驚いた表情で何やらもごもご言うと、そそくさと立ち去った。
なぜだ。
やっぱり私は怖いのか。
「セシルお姉ちゃぁああん」
その時やってきたのは、孤児院の子供たちだった。
ロンにクルト、女の子たち、付き添いでファイーナもいる。
私が招待したというか、良ければ来ないかと誘ったわけだ。
もちろん全員一度に引率はできないので、孤児院の半数くらいである。
残りの子供たちは、孤児院で職員と一緒にお留守番で、また後日ということになる。
「せっかくだから、飲んでいって」
私は子供たちにソーダを振る舞う。
子供たちは、おいしいおいしいと言いながら、喜んで飲んでくれた。
子供たちにも評判がいいとなれば、ソーダも捨てたものではない。
私はもう見慣れてしまったが、子供たちにとっては、学校の中は新鮮らしい。
あたりをキョロキョロと見回しながら、わいわいと話している。
遠くから聞こえる、楽器の音や人々の歓声。
行き交う人々もみな笑顔である。
門番や警備の人間もいるが、真面目に仕事などするはずもなく、お酒を飲んで酔いつぶれている。
平和で穏やかな光景だった。
この国は、ここ百年戦争もない。
貧富の差はあれど、神々に守られた豊かな国。
このルディア帝国に害をなす人間たちがいるはずもない。
そのはずだった。
その時急にあたりが暗くなる。
空に黒い霧が現れ、あたりを覆う。
私は素早く周囲を見回す。
どうやら校門や塀の外も霧で覆われているようだった。
そして学校の敷地の上に白いもやが集まり、やがて一つのものを形作り、声を発した。
「はじめましてと言うべきかな。どうか喜んで欲しい。君たちはあらたな時代の生贄になるのだ」
宙に浮かんだ映像。
それは巨大な人の顔だった。
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