033 混乱
「な、なに……あれ」
私の口から思わず声が出てしまった。
校内の通路や広場で人々が、何やらどなったり、悲鳴を上げたりしている。
やがて人の群れは一斉に、正面の門や裏門の出口めがけて動き出す。
だが大勢の人たちが押し寄せたため、思うように身動きがとれない。
そして、黒い霧があたりにただよい、人々は気を失って倒れていく。
「いかん。みんな集まって!障壁を張る」
マルスが叫ぶ。
子供たちやファイーナを含め、皆一か所にかたまり、マルスが障壁を張る。
「しかし、一体なんで……」
周囲は大勢の人が突っ伏している。
だが中には気を失わずに動き回っている人間たちもいた。
彼らは門を目指すが、黒い霧に覆われ外に出る事ができなかった。
何かを叫びながら、魔法を使っていたが、黒い霧の障壁は破壊できない。
「ある程度の魔力があれば、睡眠の魔術にはかからないみたいだね。だけどこれだけ大規模な魔術となると、それなりの準備や魔術師の人数が必要なはずだが……」
マルスは顎に指をあてて思考をめぐらせていた。
確かにマルスの言う通りだ。
私は魔法を使えないが、魔術理論についてはそれなりに勉強していた。
反射的に腰につけた小物入れに手をやる。
孤児院の事件以降、私は常に何種類かの薬を持ち歩くようにしていた。
「そうだ。エマ!エマは」
「セシルさん!」
「マルスは子供たちを頼むよ!」
私はその場をマルスに任せて駆け出す。
多分エマなら気を失ってはいないはずだ。
私は大声でエマの名前を呼び続ける。
ふと一人の茶色の髪の女の子が目にとまる。
名前はわからないが、顔に見覚えがあった。
「エマ?エマならあっちの方に行ったわ。ローブを被った集団に脅されて、副監督生のクローヴィスさんと一緒に」
「ありがとう。みんなと一緒にいた方がいい。あそこの校舎の片隅の倉庫の所にマルスって子がいるから」
「ねぇ、なんなのこれ。なにかの出し物?」
「とにかく早く。ここにいない方がいいから!」
おそらくは同じ寮の女の子にそう言うと、私はエマがいるという方角へ走り出した。
時々立ち止まっては、倒れている人たちを調べる。
やはり皆、気を失ってはいるが死んではいないようだった。
試しに気つけ薬をかがせてみるが、反応はなかった。
「セシルくん!」
前方に二つの人影があった。
監督生のグレゴリと、公爵令嬢のリーリアだった。
私が近づくと、グレゴリはなにやら素早く懐にしまった。
リーリアは無表情に佇んでいる。
「グレゴリさん、エマを見なかったですか?」
「エマくんかな?さぁ見かけないが、それよりこの状況は一体どういう」
「ちょっと待って!」
私はこちらへ近づこうとするグレゴリに向けて声を放つ。
「どうしたんだね?とにかく一刻も早くこの異常な事態を解明するために力を……」
「何で短剣を隠し持ってるんですか?持ってるはずないでしょう、今日はお祭りなのに」
「いや、これは、本物じゃなくて……その」
「武器を持ち慣れない人の歩き方ですね。隠すのが下手すぎですよ」
「一体何が言いたいんだね、さっきから」
「私はね、目がいいんですよ。さっきの銀細工のペンダント。あれデギル教の紋章ですよね?」
グレゴリは笑みを浮かべる。
今までに見たことが無い表情だった。
「へぇ、勉強家だねセシルくんは」
「こんな状況なのに、あなたは落ち着き過ぎています。まるで何かを知っていたかのように」
今やグレゴリは、隠そうという気も無いようだった。
「それで?」
「私、調べたんです。あなたの実家のスミール家は、クレルモン公爵家の分家で親戚です。あなたはリーリアに何をしたんですか?リーリアが炎の力を失った事とあなたは関係あるはずです」
「なかなか想像力豊かだね。証拠はあるのかい?」
「いいえ。私にはあなたがどのくらいの魔力の持ち主なのかはわかりません。でも敵意があるかどうかはわかります。あなたの目的は何なんですか?」
グレゴリは私の問いに直接はこたえなかった。
「君には変わった力があるようだね。君の母は聖女だったね。教団の加護でもあるのかな?」
私は距離とタイミングを計っていた。
グレゴリなどいつでも制圧できる自信はある。
だがこの男を倒して事件が解決するとは限らない。
後ろにいるリーリアも気にかかる。
その時再び異変が起こる。
空に出現したのは今度は無数の蛇鳥の大群だった。
「もういちど聞くよ。あなたは一体何をしようというの?」
「おっと、おかしな事を考えない方がいい。あのエマという娘は、君の友達だったよね?」
「あなたは…」
「悪事を働こうというわけじゃない。正当な権利を回復するだけの事さ。僕とそして……まぁいい。この女は君にあげるよ。どうも僕の思ったようには操れなくてね。さすがはクレルモン公爵家の令嬢といったところかな」
いつのまにか、グレゴリの頭上には巨大な黒鳥があらわれていた。
そう言うとグレゴリは、巨大な黒鳥に乗って飛び去っていく。
だがそれを追っている暇はなかった。
「リーリア!リーリア!」
私は彼女の肩をつかんで揺さぶる。
まだ目の焦点が合っていない。
ここに彼女を放っておくわけにもいかないし、マルスたちの事も気になる。
エマはクローヴィス皇子と一緒にいるらしい。
どうやら皇子と一緒に人質にとられたのだろう。
とするならすぐに殺される事もない。
それに魔力と武勇に優れた彼の側にいるなら安全だろうと思うしかなかった。
蛇鳥たちは周囲を飛び回り、動いている人間を見つけると、毒霧を吹きつける。
皆、次々と気を失っていた。
蛇鳥は、数が多くなればやっかいだが、さほど強力な魔物ではない。
今動ける人間は、それなりに魔力があって魔法も使えるはずだが……
しかし考える間もなく、蛇鳥はこちらに飛んでこようとする。
「ごめん!」
私はリーリアをお姫様だっこで抱え上げると、走り出した。
飛び掛かってくる蛇鳥たちをリーリアをかかえたまま蹴り飛ばす。
私一人で、これだけの数から皆を守るのは無理だ。
一刻も早くマルスと合流すべきだった。
それでも目につく限りの蛇鳥は、当たるを幸いとなぎ倒す。
「セシルさん!」
リーリアをかかえてマルスたちのいた所に戻ると、さっきの茶髪の女の子が倒れている。
他の人たちは一見したところ、特に変わりがない。
「無事でよかった、マルス、ファイーナさん、みんなも。その子は大丈夫?」
「ファイーナさんも障壁を張れるので何とか。この子は死んではいないようです。ただ僕もファイナーさんも治癒魔法は得意ではないので」
それでもマルスの言葉には冷静さがあった。
私は彼に言って、私の腰の物入れから解毒薬を取り出してもらう。
マルスがその女の子に薬を飲ませ、さらに治癒魔法をかけたが目を覚まさない。
「駄目ですね。リーリアさんは大丈夫ですか?」
マルスは少し心配そうだった。
「多分。でも蛇鳥はそれほど強くないのに、何で」
「どうもおかしいんです。他の人たちも蛇鳥くらいなら撃退できるはずなのに。さっきから感じているんですけど、どうやら魔法を弱める結界が張られているようで」
魔法を弱める結界というのは、確か剣術実習の時にも体験した。
「そうだ!監督生のグレゴリだよ。あいつが黒幕だよ。デギル教のペンダントを持ってたんだ。リーリアにも何かしようとしてて」
「グレゴリさん?確かクレルモン家と親戚関係にあったようだけど…」
それだけでマルスは何かを察したようだった。
「おそらくは、この学校のあちこちに、魔法陣が設置されているのだと思います。それを通じて魔法を発動したり、魔物を呼び出したり、結界を発動したりしているのでしょう」
ファイーナが言う。
「確かにね。学内の人間であるグレゴリさんなら、気付かれずに仕組んでおく事はできるか。でも何故」
「今はそんな事を言ってる場合じゃないよ、マルス。まずは魔法陣とやらを破壊して、皆を逃がすか応援を呼ばないと」
私の言葉が終わるか終わらないかの時、腕の中のリーリアがぴくりと動き、目を開いた。
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