003 聖女の力
「ほわぁああ」
我ながら情けない声を上げて、びっくりして後ろにひっくり返ってしまう。
だが衝撃は全く感じない。
それどころか驚くべきことに、闇猪は私とぶつかった後、十メートルほども跳ね飛ばされていた。
私は呆然としながら、よろよろと立ち上がる。
体のどこにも痛みはない。
闇猪の群れは一斉に私を見る。
(あれだけの勢いでぶつかられても、なんともなかった)
闇猪と正面衝突した私にダメージはほとんどない。
(それにあの……)
夢の中での赤ん坊の時の記憶
『機能ロック解除。神力無効を発動します。神々の力や加護は全て無効化されます』
確かにあの時も同じ声が聞こえた。
私に不思議な力があるのは間違いなさそうだ。
なにしろこの世界には魔法があるらしい。
だが私の力が具体的にどんなものなのかはわからない。
逃げても追いつかれるだろう。
わからないなりに、立ち向かうしかない。
そう決心した時だった。
「あれ?」
急に闇猪たちが光の繭のようなものに包まれる。
そして宙に浮くと、ふいに全て光の粒子となって、消え去った。
「セシル!」
私を呼ぶ声。
それは母のマリアだった。
「お母さん」
母は私とパメラの様子を見ると
「ちょっと待っててね」
そう言って、他の男の子達のところへと向かう。
最初に闇猪にやられた、最年長のコームの怪我が一番ひどいようだった。
血を流して倒れ、苦しそうにうめいている。
母は目を閉じると手をかざす。
するとじきに呼吸が通常に戻り、むくりと起き上がる。
「これはマリアさん、ありがとうございます」
コームは頭を下げる。
母は微笑むと順番に、どうやら治癒魔法らしきものをかけていく。
パメラも大きな怪我はないが、倒れた時軽く足をひねったようだった。
そして同じようにパメラに向けた手をかざす。
「いたく……ない!ありがとう、マリアさん。セシルもありがとう!」
パメラは笑顔でお礼を言う。
「最後になってごめんね、セシル」
「ううん。私は大した怪我はないし」
ただ少し腕が傷ついて血が出ている。
母は今までのように手をかざした。
「……」
母の眉が少し曇る。
私は腕の傷を見る。
私の傷はどうやら魔法では治らなかったようだ。
母は持っていた鞄の中から水筒を取り出すと、私の傷口をあらう。
続いて薬を塗ってくれた。
「大丈夫だった、セシル?」
「うん!ありがとう、お母さん」
「さすがは聖女様だ」
「聖女様の力だ」
子供たちは、はしゃぎ出した。
闇猪の事など、すっかり忘れたようだった。
(聖女……)
そうだ、思い出した。
なんで忘れていたんだろう。
魔を封じ、人々を癒す、特別な力を持つ者。
私の母マリアこそ聖女だったのだ。
「お届けもののついでに寄ってみたんだけど、まさかこんな事になっているとはね。でもよかったわ、間に合って。さぁ帰りましょう」
母はほっとした表情だった。
私たちは、村へ向かって歩きはじめる。
散らばってしまった木の実は、集められるものだけは集めて、袋に入れて運ぶ。
「これはこれは、マリア様」
出迎えた子供たちの両親に、母は事情を説明する。
「闇猪が?なぜ一体」
「わしらではどうにも。村長のところへ行きましょう」
「とにもかくにも、ありがとうございました」
そして私たちはそれぞれ昼食をとった後、皆で村長の家へと報告に行く。
村長の家は、村の中心の高台にあった。
瓦屋根の三階建ての建物で敷地も広く、屋敷と言った方が良いほどだった。
広間には既に大勢の人が集まっていた。
私たちは事情を話した。
私以外の子供たちは、恐怖で記憶が混乱しているようで、ところどころ要領をえなかった。
そのあたりは、私や母が適宜補う。
「なるほど。しかしセシルの落ち着きぶりは五歳だと思えませんな。さすがは聖女様のお子だ」
村長は髭をなでながらいう。
私はちょっと冷やりとした。
私の精神年齢は二十代なのだから、子供らしくないのは当然だ。
異世界から転生してきたなんて、この人達には想像もつかないことだろうけれど。
「セシルが助けてくれたんです。ありがと、セシル」
パメラが私に言う。
「全然!当たり前のことしただけだし」
「セシルすごくかっこよかったよ。あの大きな獣が遠くにはね飛ばされて。あれが聖女様のご加護?」
「そうだね。うん、そんな感じかな」
私はとりあえず、当たり障りのないように答えた。
「しかしこんな所にまで闇猪が現れるとは。そういえば、最近あちこちで嫌な噂も聞くのぉ。まさか……いや」
村長はそこで言葉を濁した。
とりあえずは当面森へは近づかない事。
自警団や狩人の力も借りて、見回りをすること。
領主へ報告すること。
今ここにいない者を含めて村人全員に以上の事を知らせること。
これらを決めて、話は一区切りついた。
「では、お祈りの時間ですよ」
母の言葉で一同は祈り始める。
主神たるリヤウスとその眷属の神への祈りだ。
その後母がリヤウス教の聖典の一節を朗読する。
今日は女神ダナがどうやって人々に穀物をもたらしたかについてだった。
こういった会は確か、月一回くらい行われていたはずだ。
そして母の話の後、皆にお菓子とお茶が配られ雑談の時間になる。
「最近はこういったお茶も手に入るようになりましてな。それにしても、マリア様にはお礼の申しようもありません」
「とんでもないですわ、全てはリヤウス様のお導き。それに皇帝陛下も、民のためにずっと様々な施策を行っておられますわ」
「いやいや」
そういって村長は話しはじめる。
新しく水路が引かれ、母が最新の農法をもたらしたこと。
母の作る薬に助けられていること。
学校へ行ける子供が増えた事。
様々な事柄で、領主と相談や交渉がしやすくなったこと。
「本当に前は遺跡がある以外、何もなかったですからねぇ。マリアさんが来てから、この村も変わりましたね」
村長の奥さんも、笑顔で言う。
私はセシルの記憶を探りながら、村人達の話に耳を傾ける。
母はどうやら、リヤウス教団の本部から派遣されているらしい。
この村にはまだ教会が無く、私の家が伝道所という事になっているが、集まりや催しは村長の家が使われる。
教団の中でも階級があるようだが、聖女というのはその中でも特別な地位を占めているようだ。
もしかすると、リヤウス教団の成立やこの国の建国伝説にかかわる事なのかもしれない。
聖女は宗教的な指導者というだけではなく、時に医師、技術指導者、魔物討伐等の様々な役割をこなし、人々から尊敬される存在であるらしい。
(聖女っていいな)
私も人並みに、看護師や幼稚園の先生に憧れたこともある。
そんなものはやめなさいという母の一言で、憧れは終わりを告げたが。
とはいえ誰かを助けたい、誰かの役に立つような事をしたい、という思いはずっとあった。
それは自分の人生が思うにまかせない中で生まれたネガティブなものだったのだろうか。
そうとばかりも言えないと思う。
元々有名になるとか、自分が表舞台に立って活躍したいとかいう思考は薄かった。
ただ新しい人生を得たのだから、どこへ行って何をするのも、自分で決められるのだ。
その考えは、私には非常に魅力的に思えた。
この世界は魔法があるわけだから、まずは魔法を使えるようになりたい。
いつも読んでいた物語のような聖女になるというのはどうだろうか。
その時どこか暖かい思いが沸き上がってきた。
それは前世の記憶を取り戻す前のセシルの思いだった。
そうだ。
セシルは母が大好きであり、母にあこがれていた。
大きくなったらお母さんのようになりたい、と言っていた。
そしてその小さなセシルの思いと私自身の思いはその時一つになった。
(私は……聖女になりたい。お母さんみたいな)
それは私がこの世界で初めて抱いた密かな決意だった。
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