001 転生
「あなたはお姉ちゃんなんだから、お姉ちゃんらしくしなさい」
記憶に残る母の言葉。
私は良い子だった。
親に言われた通りに勉強をし、大学へ行き、地元の企業に就職した。
何の取柄もなく友達もいない平凡な23歳の女、神楽優衣。
それが私の名前だった。
私にはやりたい事があった。
あったと思う。
だが私には親に逆らう勇気はなかった。
物心ついたときには全てを察していた。
親に求められている自分を。
「女の子がそんな事したって仕方ないでしょ」
「やっても無駄よ。あなたなんかにできるわけないじゃない」
「そんなお給料安くてきついばかりの仕事なんてしてどうするの?」
自分がずっと親の言いなりだったせいだろうか。
私は誰かの役に立つ仕事をしたい、誰かが夢をかなえるのを手伝いたいという思いもあった。
しかし母に言われるたびに、私は一つずつあきらめていった。
傍から見れば順風満帆で、何の不安も悩みもない人生に見えたろう。
だが私の心は少しずつ死んでいった。
もはや自分が何を望んでいたのかわからないままに。
父も母も私の行動に満足していたようだ。
両親の愛情は妹にそそがれていた。
「あなたは妹の次でしょ。お姉ちゃんなんだから」
「お姉ちゃんなんだから我慢しなさい」
「あなたは地元の学校でいいでしょ。それにあの子が県外に下宿したいって言ってるから」
父や母に私への愛情がないわけではなかった。
ただ私が本当は何を考えているのか、何を望んでいるのか、興味がなかっただけだ。
自分は本当の意味で愛されていないし、誰からも必要とされていない。
私は心の奥にくすぶるどこか満たされない思いを抱えながら、ただぼんやりと日々を過ごしていた。
「無能な姉を持って苦労するね、あたしも」
「これ。まぁでも優衣は何の取柄もないからね」
笑いながら話す母と妹。
確かに妹は社交的で美人で、頭も悪くない。
だけどもし妹のように自由にできるなら私だってとずっと感じていた。
だがそういった悔しさすら次第にすり減っていった。
会社での私も、極めて扱いやすい人間だったろう。
「プレゼン資料お願い」
「家庭の事情でさぁ。これ頼むわ」
私は彼らの言うままに、全てを受け入れていた。
もちろん新入りなのだから断れるわけもなかったが。
そんな中でのわずかな気晴らしが、たまのお菓子作りと、web小説を読む事だった。
好きな小説はファンタジーで、異世界に転生するとか、婚約破棄されたけれど隣国の王子に見初められるとか、そういった類のものだ。
マンガやゲームは、そんなもの駄目だという両親の言葉で、小さい頃から買ってもらった事は無い。
特にお気に入りが、聖女の力をもつ女の子が不当に追放された後に活躍するとか、異世界に召喚されて活躍するという、聖女もののジャンルだった。
どの話も全部同じで、下らない願望を満たすだけの、低レベルで何の役にも立たないゴミ小説。
この手のものが、そう言われている事を私は知っていた。
だがその時の私にはそれが必要だったのだ。
その日の夜、いつものように残業で遅くなり、私は夜道を一人歩いていた。
ふと車道に目をやると、一匹の子猫がふらふらと道の真ん中をさまよっている。
野良猫だろうか、迷い猫だろうか。
私は車に注意しながら、車道に出て子猫を抱き上げた。
そして素早く歩道に戻る。
その間、子猫は力なく鳴いていた。
(この子を飼いたいな)
母に反対されるだろう。
いっそのこと、一人暮らしをしようか。
「あなたが家にお金入れてくれなきゃ困るじゃない。……への仕送りも大変なんだから」
母はいつも妹の件を持ちだしては、私が家を出て一人暮らしをする事に難色を示した。
母にとっては、自分が理不尽な事を言っているという思いすら浮かばないのだろう。
私にも言いたい事はあった。
だが母の顔を見ていると、説得するのも面倒になってしまう。
どうせ何を言っても母は納得なんてしない。
自分の感情が満足するまで怒鳴るだけ。
それがいつもの日常だった。
いずれはどこの誰とも知れない男とお見合いして、平凡な結婚をする。
多分私の人生はそんなものなのだろう。
私は抱えている猫をそっとなでた。
路地裏に優しく下ろす。
私は既に子猫を助けたことを後悔していた。
後ろから聞こえてくる鳴き声に耳を塞ぎながら、歩道を走り出す。
そして気付いた時には、目の前にトラックのヘッドライトが迫って来ていた。
もはやよけようもない。
おそらくは居眠り運転だったのだろう。
(ああ……こんなにあっけなく)
人生はこんなにも突然に終わりを告げるのか。
死の間際に人は、走馬灯の様に今までの人生の光景がフラッシュバックするという。
だが私の頭に浮かんだのは、ひたすら後悔の思いだった。
(こんなことなら、やりたい事をやって、やりたいように生きれば良かった)
もう少し勇気を出せば。
もう少し自分の意見を言えれば。
そして本当に自分が望む人生を生きられたら……
そして私の記憶はそこで途切れた。
次に思い出したのは、冷たい雨の降る森での記憶だ。
私は大きな木の下に寝転がっていた。
(なにこれ、どういうこと?)
私は声をあげようとした。
だが赤ん坊のような泣き声しか出ない。
トラックにはねられた事は覚えていた。
だが、頭を動かし周囲を見ても、ここは病院のベッドの上ではなかった。
どうやら産着にくるまれてはいるらしい。
(死後の世界?いえひょっとして私は生まれ変わったの?)
何とか両手を動かして、目の前にかざす。
小さい紅葉のような赤ん坊の手だ。
もしかすると私はまだ、病院のベッドで夢を見ているのだろうか。
その可能性の方が高そうだと、ぼんやり思った。
(困ったなぁ。どっちにせよ、どうしようもないけど)
だが私の困惑とはかかわりなく、危険はせまってきた。
黒い影のようなものが何体か、私に近づいて来る。
どう見ても友好的な人達ではなかった。
意識が混濁した私が、医師や看護師を見間違えているのだろうか。
そうだったらいいな。
私がそう思った時だった。
影が鋭い声をあげた。
何を言っているのか全くわからない。
そして数体集まった影が、何やら呪文らしきものを唱えはじめた。
(これってヤバくない?)
生まれ変わったばかりだというのに、また命を奪われるのだろうか。
その瞬間、私の頭の中に突然声が響いた。
『機能ロック解除。神力無効を発動します。神々の力や加護は全て無効化されます』
(え?なに?)
どうやら目の前の影がしゃべっている、わけのわからない言語と違う。
私の頭の中に直接語りかけているのは、日本語の合成音声のように聞こえた。
そして影たちから、巨大な炎が私をめがけて発射される。
(あ……また死んだ?)
だがその炎は私の目の前で急に消滅した。
影たちがざわついている。
更に次々と、炎や氷や土の塊のようなものが飛んでくる。
しかしそれらは全く同じように、私の体に触れることなく、唐突に消え去った。
影は驚いているようだが、私も驚いていた。
何が何やら全くわからない。
夢でなければ、これは魔法で、ここは魔法のある異世界なのだろう。
魔法が駄目なら、直接危害を加えるしかないと思ったのか、影たちは近づいてきた。
何でただの赤ん坊の私がこんな目に合わなければいけないんだと、私は急に腹が立った。
もし喋れるなら、「理不尽だ!」と言ったに違いない。
前世でいったいどんな悪い事をしたんだと考えてみたが、とりあえず何も思い当たらなかった。
年齢=彼氏いない歴というのは、悪い事ではないだろう、多分。
だが私に近づいてきた影たちは、魔法の炎や氷と同じく、一瞬にして消滅する。
(た、たすかった……の?)
何が起こったのかはわからない。
どうやら私の命は無事なようだった。
私は安堵のため息をもらし、ああよかったと、言葉を発しようとした。
「ほ、ほぎゃぁあ……ああ……ああ」
だがそれは赤ん坊の泣き声にしかならなかった。
ともかく危機は去ったが、私の安全が保証されたわけでもない。
こんな森の中に放置されていては、どのみち命を落としてしまうだろう。
しかし私の安全は一人の女性の形をとってやってきた。
森の小道から、長い白のローブを着た人影が近づいて来る。
それは若く美しい金髪の女性だった。
とりあえずは、助かったのだろうか。
「ほぎゃぁあ……あぁ……ほぎゃ……ほぎゃ」
助けてと言ったつもりの声はまたしても、赤ん坊の泣き声だった。
その女性はゆっくりと私を抱き上げた。
美しく優しい水色の瞳が、記憶の底に焼き付いている。
そして――
「……セシル、セシル……大丈夫?」
私を呼ぶ声。
日本語ではないが、言っていることはわかる、不思議な感覚だった。
目をあけると、夢の中と同じ金髪と水色の瞳があった。
「お母さん」
私が発した言葉も、聞いた事の無い異国の言語だった。
「急に熱を出して、ひどくうなされていたのよ」
母は私の額に手を当てると何事か念じていた。
やがて一つため息をつくと、横のテーブルからお椀をとり、スプーンで中身を掬うと私の口元に差し出した。
「さぁ、これをお食べなさい」
私はそれを食べ、続いて差し出された吸い飲みの中身を一口飲む。
「私、なんか言ってた?」
「うなされていただけよ。熱はもう無いみたいね。ゆっくり休めば大丈夫よ」
「うん。ねぇお母さん。寝る前に聖女様のお話をして」
私の口から自然とその言葉が出た。
「セシルは聖女様のお話が大好きなのね。じゃあちょっとだけよ」
母は話してくれた。
魔を祓い、人々を癒し守り、人々のために尽くす聖女の物語。
聖女アニエスの物語を。
それは三千年前。
魔神ザイターンとその眷属がこの大陸を支配し、世界は闇の中にあった。
だが聖女アニエスの祈りが天に届き、神々より十二の神器を授けられ、ザイターンを打ち倒す。
そうしてこの国が建国されたのだ。
前世の記憶を持つ私にとってはどこかで聞いたような話だった。
だがセシルは聖女たちの物語を聞くのが大好きだった事も思い出す。
「私も、大きくなったらアニエス様みたいな聖女になりたい」
私自身が何か意図して言った言葉ではなかった。
それは幼いセシルの心に、ずっと育まれていた思いだったのだろう。
「きっとなれるわ、あなたなら。さぁもう今日はお休みなさい」
母は私が眠りにつくまで、ずっと手を握っていてくれた。
そして翌日の目覚めは快適だった。
体に熱っぽさも感じられない。
扉を開けて、母が入ってくる。
「セシル、もう大丈夫?週末お友達と遊びに行く予定はどうするの?」
そういえば、そんな予定があったような記憶が蘇ってくる。
「行くよ!もう何ともないから」
「そう。じゃあ早く顔を洗ってらっしゃい」
「うん」
喋っているのは明らかに日本語と違う。
だがそれを理解し、自然と話す感覚は奇妙なものだった。
私はベッドから起きて、洗面所へ向かう。
鏡の中には、五歳の女の子の顔がうつっている。
黒髪に茶色の瞳。
どことなくきつい顔立ち。
私が見たものは、あれは夢じゃない。
前世の記憶、日本の風景や様々な出来事、命を落とすまでの記憶をまざまざと思い出す。
そして転生して、赤ん坊の状態で森の中に捨てられていたことを。
そして女の人に拾われたことを。
夢の中のあの水色の瞳の人が、私の育ての母マリア・シャンタルに違いない。
現世の私の名前は、セシル・シャンタル。
神聖歴2980年4月6日生まれで、現在五歳になったばかり。
神聖ルディア帝国ロレーヌ伯爵領、カンブレーの村に住んでいる。
(でも、なんだかなぁ)
生まれ変わって新しい生を貰ったのに、文句を言っては罰が当たる。
今回こそ人生を最初からやり直して、やりたかった事だって何だってできるのだ。
とはいえ……
(うーん。なんかいまいちじゃない?)
決して醜い顔ではない。
だが転生というと普通は金髪美少女に転生して、イケメンの公爵だか王子だかに、なぜか溺愛されるものじゃないだろうか。
少なくともこんな田舎の村の冴えない少女に転生するケースは少ないだろう。
web小説の読みすぎかもしれないけれど。
(それに何か牙が生えてるし)
私は口をあけて、鏡の中の長めの犬歯を見る。
見た目は普通の人間のように見えるが、転生したからといって人族であるとは限らない。
前世の記憶を取り戻すまでの私はどうだったのだろうか?
母マリアから何か言われたか、記憶を探ってみる。
だが何も思いあたることはなかった。
私が森の中で拾った子だとも、言われた事はない。
とりあえず、前世の記憶も赤ん坊の頃の記憶も、今は黙っていた方がいいだろう。
私は桶の水で顔を洗い、木の葉で歯を磨く。
まだ朝早いが、身を切るような寒さは感じない。
今は四月で、季節は春だったはずだ。
私は洗面所から食堂へと向かう。
既に朝食の準備はできていた。
「全能なるリヤウス神よ。今日も御恵みを感謝致します」
お祈りを唱えてから食事にとりかかる。
食事の内容は、黒パンに野菜のスープ、キャベツの漬物といった、この辺りの農民が食べるものと変わらない。
食べ終わると、私は少しためらったが、思い切ってたずねてみる。
「お母さん」
「なぁに、セシル?」
「あのさ……なんで私には牙が生えているのかな?」
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