17日目 温泉文化論
いつもの部屋で、僕は雑誌をめくっている。
先輩は知恵の輪をガチャガチャと揺らし、冷蔵子さんは黙々と本を読んでいる。
平穏な日常というのは、こんな感じなのかもしれない。
「あっ、解けた」
どこか弾んだ声で先輩が言う。
確かに先輩の持つ知恵の輪は、2つに分かれている。
だが僕の目には、どう見ても知恵の輪が原型を留めてないように見える。
……深く考えるのは止めよう。きっと、その方が良いはずだ。
知恵の輪を解いた先輩は、くるりと僕の方を向いた。
「ねえねえ、それ何の本?」
「ああこれですか? 温泉の本ですよ」
温泉、という言葉に反応したのは冷蔵子さんだった。
読んでいた本から目を離し、ちらりとこちらを見る。
……温泉が好きなんだろうか?
それとは対照的に、先輩は何だかうんざりした顔になった。
「温泉~? 私、温泉って嫌いなのよね」
「へぇ。温泉が嫌いって珍しいですね」
「だって、知らない人と一緒に入るのよ? 恥ずかしいじゃない」
なるほど一理ある。
僕にしたって、温泉に入る時はタオルで前を隠したい。
温泉の礼儀としては、湯船にタオルをつけてはダメみたいだが。
やはり恥ずかしい物は恥ずかしい。
「確かにちょっと恥ずかしいですね。露天風呂とかは、僕もちょっと無理です」
「あまり温泉をバカにしないで欲しいわ」
そう冷たく言い放ったのは、冷蔵子さんだった。
その瞳は、いつに無く熱い。
常にクールな冷蔵子さんなだけに、その変貌ぶりは際立っていた。
「温泉は日本の誇る文化よ。恥ずかしくなんか無いわ」
毅然として言う冷蔵子さん。
彼女の口から日本の文化、なんて言葉が出るとは思わなかった。
何となく、イメージ的に。
「意義あり! 他人の前で肌を見せるのは恥ずかしい事だと思います!」
なんだか先輩は対抗意識を燃やしているようだ。
引くべき所で主張し、自重すべき所で自重しない。
そんな先輩の姿勢に憧れる。
先輩の「肌を見せるのはエッチだと思います!」論に対し
果たして「温泉は日本の文化やで!」論の冷蔵子さんはどう返すのか。
冷蔵子さんは余裕綽々の表情で言った。
「恥ずかしいなら、水着を着ればいいじゃない」
……おいそれはマナー違反じゃないかYO!
何で「してやったり」みたいな表情してんのこの人!
ダメだよそれ! 温泉の文化としてアウトだよ!
「温泉は素晴らしいわ。あの広い湯船を泳ぐ時、日本に生まれて来た事に喜びを感じるわ」
泳いじゃダメだろ!
か、完全にアウトじゃないかこの人。
他の温泉好きな人から怒られるぞ……。
先輩の方を見ると、なにやら「ぐぬぬ……!」と呻いている。
いや、あれで論破され無いで下さいよ先輩!
先輩が負けると、冷蔵子さんの主張が認められちゃうんですよ!
がんばれ先輩! 温泉の文化を守って!
ゆらりと先輩は立ち上がった。
それを真正面から向かえる冷蔵子さん。
ごくり、と僕の喉が鳴った。
先輩が、ゆっくりと口を開く。
「お……」
「お?」
「温泉たまごは、ただの半熟たまごよ!」
そう叫ぶと、先輩は「ひーん」と泣き声を上げながら部屋を飛び出した。
後に残るのは僕と冷蔵子さん。
静まり返った部屋の中で、冷蔵子さんはポツリと呟いた。
「勝った……!」
今の展開で勝ち負けが決まったの!?
何の勝負だったのか、果たして何が勝ちだったのか。
とりあえず温泉で泳ぐのは止めた方がいい。
そんな事を僕は思った。




