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落ちてしまったこの国で  作者: 樽金橋
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3話

この世に生を受けて初めて目にした光景は、自分の誕生を喜ぶ母親の笑顔でもなく、生命の神秘を目の当たりにした父親の泣き顔でもなかった。


 下卑た笑みを浮かべた、醜悪な老人の顔であった。


 その顔を自分は生涯忘れることはできない。

 自分には生まれた瞬間からの記憶がはっきりと保存されていた。


 忘れられない幼少期の苦しみ。

 まだひとりで立つこともままならない時期に、投薬による実験が繰り返された。

 それは自分だけではなく、同じ頃に生まれた複数の幼児に対しても行われた。

 数日にわたって繰り返された実験により、多くの子供が死んだ。

 投薬により、肥大化する自分の肉に埋もれて窒息していく失敗作を隣で見せつけられる。

 やがて消えゆく彼の命の灯火が目に焼き付いて離れない。

 そんな光景が次第に日常となる。


 その度に泣いて、喚いた。

 生理的欲求によるぐずりではなく、はっきりとした命の危険に対する悲鳴。


 生まれて初めて授かった感情は、恐怖であった。



 ========



 瞼の裏を照らす白い光と、ぼんやり耳に入る声で目を覚ます。


 いつの間にか寝ていたようだ。


 早朝の気温に体を震わせ、自分が布団も掛けないで寝てしまっていたことに苦笑しつつ身を起こす。

 起きた視線の先、見慣れた蛙頭のニュースキャスターが原稿を読み上げている。

 どうやらテレビすら消していなかったようだ。

 そして部屋を照らす暖かな陽光。

 帰宅してから何も手をつけずに眠りについてしまった。


 やれやれと首を振りながら、着衣したままの装備から新しい装備へと着替えはじめる。


 昨日は帰宅してから荒れに荒れた。


 あんなに汚い言葉を発したのは何時ぶりだろうか。

 様々な感情に苛まれ、頬と枕を濡らし、気づけば意識を失っていた。


 もしかすると悪い夢を見ただけなのかもしれない。

 そんな淡い期待は、鏡に映る自分の頬に残された傷口により打ち消される。


 山羊頭に舐め回されて付けられた、まだ乾いていない傷口が痛む。

 何となく指先で触れてみると、案の定じくりと痛みが増す。

 そしてほんの少し──ほんの微かな好奇心で、血で滲んだ指先を舐める。



「………」



 僅かな鉄の味と不快感に顔を顰める。


 嫌な記憶が思い起こされるが、昨日のことは昨日のこと。

 仕事はどんな時も平等にやってくる。気持ちの切り替えは完了した。

 マインドをリセットし、普段通りに身支度をしたジュウは少し軽めの足取りで家を出る。



「うん、よく動く」



 腕をぐるぐると回し、普段より調子の良い自身のコンディションに満足そうに頷く。


 肉体の動きというより、魔力の巡りがすこぶる良い。


 昨日とはうってかわり、すっかり機嫌を良くしたジュウは鼻歌交じりにギルドへ赴く。



「待ってたニャン!」



 普段通り、受付に依頼書を持っていくと、いつもと違う担当が待ち受けていた。



「おはようございます……って、待っていた?」



 いつもの冷淡な対応とうってかわり、俺を歓迎でもするかのように、猫頭の受付が柔らかそうな肉球で手招きしてくる。



「にゃんにゃん♪ ジュウちゃんを待ってたニャン」



 あまりの好対応にジュウは呆気にとられてしまう。

 隙をつかれ、持っていた依頼書を取り上げられてしまった。



「このクエストはだーめっ」



 言いながらびりびりと依頼書を破いてしまう。

 にっこりと笑みを浮かべているが、それはどこか貼り付けたような表情に見えた。

 いいのかと思いながらも、対応できずに固まっていると、受付がまた別の紙をこちらへ差し出してきた。



「特別任務、来てるニャン♪」



 とくべつにんむ? とくべつな、にんむ……?

 ぐるぐると頭の中でワードが繰り返される。



「にゃ〜……ジュウちゃん?」

「いっ、いえ、失礼しました」



 はっと我に帰り、ぺこぺこと眼前の魔族に頭を下げる。


 特別任務……ついに来たか。

 にやりとジュウは内心で満面の笑みを浮かべる。


 ようやくだ。ようやく今まで培ってきた成果が実を結んだ。

 評価を自分一人に集中させる為にパーティを組まず、無理をしてでも、ソロで依頼をこなしてきた苦労がやっと報われた。



「謹んでお受けします」



 特別任務は、文字通り特別な任務。

 ダンジョン攻略を主とした一般任務と異なり、魔族達が住まう都市を舞台とした任務を指す。


 これが上手く行った暁には、更なる厚遇が待っていると思うと、図らずも口の端が歪んでしまう。

 繕おうにもつい緩んでしまう口元を隠しきれず、震える手で依頼書を受け取ろうとした時だった。


 途端、何者かにジュウの頭を掴みあげられる。

 咄嗟のことでジュウは小さく呻くことしかできない。



「そのニヤけた面潰してやろうか家畜」



 掴まれた頭をグイッと引き寄せられ、眼前でドスの効いた低い声で凄まれる。


 声の主は、つい先程まで調子の良い口調でこちらに対応していた受付だった。



「がっ……も、申し訳ありません」



 態度の急変に、戸惑いを隠しきれないといった表情を浮かべるジュウは、状況の改善を図るべくひとまず謝罪する。



「たかが人畜生の分際でいい気になるなよぉ……」



 ジュウの耳元で低く囁く受付の瞳孔は、これ以上ない程に開いている。

 それはまるで、本能の赴くままに獲物を狩る獣のような様相であった。


 受付の分厚い肉球で覆われた手は、見た目とは裏腹にがっしりと器用にジュウの頭をホールドしている。

 鍛え上げられた筋肉で硬化した肉球が、彼の頭をぎりぎり締め上げる。



「決して……そんなことは……ありません……!」

「次また調子乗ったら毛玉にして吐き出してやるからなあぁん?」



 苦悶に呻くジュウの顔面に、捨て台詞と唾を吐き捨て、掴んでいた頭を解放する。


 強力な握力から解放されたジュウの頭は、重力に任されるままにカウンターへ鈍い音を響かせた。


 特別任務と聞き、つい緩みきった表情で依頼書を受け取ってしまったのがマズかった。

 一般の依頼とは異なり、重要度も責任も桁違いの依頼だ。おそらくジュウの表情から、緊張感の欠如と楽観的思考を認め、それを咎めたのだろう。


 いや、単に自分の表情が受付の気に触っただけなのかもしれない。

 どちらにせよ、それらしい理由を落とし込み、自分を納得させるのが精神的に楽である。



「はいっ、それじゃあお説教も終わったところで──」



 これまでの暴虐ぶりが嘘であったかのような、軽い調子での閑話休題。


 ジュウは改めて人間という種には()()が存在していないのだと悟る。


 人間が魔族に支配されて百年。

 当然、ジュウが生まれた時には既に、この国には人間の自由など存在していなかった。

 彼は生まれたその日から虐げられる存在として生きてきた。

 そんな世界で、ジュウは生きるものとしての自由を諦めなかった。生かされる為だけに有る保護法にしがみつき、意地汚く命を繋いだ。


 理不尽な環境に抗い続けて、ようやく彼は一つの結論に辿り着いた。



『決して抗うな。対応しろ。』



 魔族は市民階級ですら人間の力を凌駕する。

 そんな存在に力で対抗しても今の自分ではあまりにも無力だと、そう結論づけた。


 そのためジュウは今のこの状況を含め、魔族の気まぐれにどう対応するべきか、弱者として彼らのご機嫌伺いに全力を注いで生きている。

 傍から見てなんと情けない生き方だろう。



「特別任務の説明するけど、聞き耳はちゃんと立ってるかにゃん?」

「はい、しかと拝聴いたします」



 よろしい、と上機嫌で受付は話を続ける。



「今回の任務は大して危なくないにゃ──」



 出来の悪い生徒へ丁寧に諭すように、概要を説明する。


 任務の内容はこうだ。

 魔王君臨百周年を記念した魔王祭が行われる今年、普段より大規模に行われる催しの準備に、予想外に人手が不足しているという。

 開催まで既に半月もない。各関係者は急ピッチで準備を進めているという。


 今回ジュウに依頼された内容は、祭りで提供される食料の準備に手間取っている地域のお手伝いだという。



「てなわけで、至る所で人の手も借りたいって状況らしいニャン」



 わざとらしく困った表情を作る。

 やがてなにかに気づいたように、受付がジュウの背後に向けて手を大きく振った。



「きたきたー、こっちこっち」



 招かれてやってきたのは、受付と同じく猫頭の魔族だった。

 もっとも、受付の方は丸く穏やかな雰囲気の目付きだが、反対にその魔族はこちらを射殺さんばかりの鋭い目付きをしている。



「紹介するニャン、私の弟のアインにゃ」

「声でけぇぞ姉貴」



 アインと呼ばれた彼は、うっとおしそうにピンと張ったヒゲを撫でる。



「お目付け役として、アインがジュウちゃんに同行するにゃん」

「よろしくお願いします、アインさん」



 お目付け役だというアインに頭を下げると、早速下げた頭を拳で殴られる。



「"様"を付けろ人間」



 死なない程度に加減をした拳といえど、アインの一撃により視界に火花が散る。

 どうやら彼はかなり気位が高いらしい。

 初対面の魔族を前に、その容姿から性格を推し量ることを怠るのは命取りだ。

 そんなことすら今のジュウは失念していた。

 特別任務に浮かれて失態が増えてしまっている。


 改めて気を引き締め、今度は謝罪として頭を下げた。



「まあまあ、仲良くするニャン。とりあえずは同じ任務に同行する仲間にゃんにゃから──ほら、行った行った」



 先程の暴行を棚に上げて宥める受付は、自分の役割は終わったと言わんばかりに、ジュウとアインの背中を押して退出を促す。



「チッ、行くぞ」

「は、はい只今」



 受付を離れる彼ら──正しくはジュウの背中を肉球の手が掴む。



「ちょっと言い忘れてたことあるニャン」



 危ない危ない、と退出を急かした受付本人が少し焦ったように呼び止めた。



「えと、ジュウちゃんには『自分の立場を最大限考慮した行動』が求められるニャン」



 なにやら含みのある言葉に首を傾げたくなるが、とりあえず景気よく返事をした。



「よろしいにゃ、んじゃよしなに」



 手を振る受付へ頭を下げ、今度こそギルドを退出し、ジュウ達は任務へと足を進めた。

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