第2節 修道院へ
やっと、孤児院へ向かうことになります。
この城塞都市は、公爵の領地で、司教も公爵の弟です。文中で明かされますが、ドミニクも公爵の一族なのです。
子供たちを乗せた馬車は門からまっすぐ城塞都市の中心部へ向けて走っていった。ずっと先の丘の上のほうに、高い城のような白い建物が見える。領主の居城だ。
しばらく石畳に揺られていると、大きな広場に出た。他の二人は農村から出たことがなかったのか、初めて見る街並みや高い建物に驚いている・。目を見開き、口をあんぐりとあけたままだ。悲しみを一時でも忘れるのはいいことだろう。しかし、その表情は、バカっぽい。すこし慎みというか、修道院に相応しい立ち居振る舞いを、教えなければなるまいなとドミニクは思った。
まぁ、子供らしくて可愛いとは思うが・・・例の少年を見てみると、彫像のように座り、無表情だ。驚く素振りも見せない。それが却って内面の深さを想像させることになっている。
大聖堂が広場の正面に見える。そこに向かうのかと思いきや、広場を右に斜めにわたっていき、今までよりも細い通りに入っていった。子供達が怪訝な顔をしているのに気づいたドミニクが笑いながらいった。
「あはは、さっきの大きなお御堂に行くと思ったかい?あれはカテドラルで司教様がおられるところだよ。
うちの修道院は町はずれの貧民街に面しているんだよ。孤児院を開くのに適したところだろう?
教区の民は貧しくてお布施が少なくても、心配しなくてもよい。あ、子供はそういうことは心配しないか・・・まぁ、さる高貴な女性が私たちを支援してくださるからな。孤児院では、聖母様に祈るだけでなく、そのお方の為にも神様にお祈りすることになっている」
これはラテン語でいうなら、プレカリア・オブラータというシステムだ。
寄進に対して、修道院は義務を負うことになる。この場合、土地をいただいたが、それに対しずっとその高貴な女性のために、祈り続けなければなくなる仕組みだ。
そのレディとは、元公爵夫人だ。この城塞都市の領主のお母様で、司教様のお母様でもある。実はドミニクの曾祖母でもある。貴族の血脈の濃さが垣間見れる事例ではある・。わが修道院長も実は叔父だ。私も叔父も直系ではないが・・・
ともかく、高貴な方は、こうやって人を使って天に徳を積むのだな・・・ドミニクは自分で積むしかない・・・しかし、地獄に墜ちないために善行をするのなら、本末転倒だとも思う。
通りを進んでいくと、馬車の揺れがひどくなっていった。石畳が痛んでいるようだ。左右の建物もだんだん寂れて、道行く人々の服もみすぼらしくなってきた。城郭都市の壁が見えてきたところのどん詰まりに孤児院はあった。
修道院は石づくりで道路に面して細長い。
通りに面した外壁の一部が口を開けており、門のようになっている。木でできているごつい扉が開け放たれたれたままになっており、そこをくぐると、大きな中庭があった。
そのまま中庭を横切り、行き止まりを更に右に曲がって、そこでドミニクは裏口のようなところに馬車をとめた。
「さぁ、まずは井戸のところにいこう」
馬車から降りた僕たちは、神父様の後について歩いていく。そこには井戸があった。
「水を汲んで、各自体を顔だけでなく全身を洗うように」
どうしていいものか迷っていると、一人の子がすっと井戸に近寄り、つるべを落として水を汲み始めた。他の一人はおいてあった手桶を三つ傍にもっていった。いい連携だ。よく見ると似ている二人だ。ドミニクが尋ねると二人は兄弟らしい。そういえば、騎士オルドルフとはその辺の情報のやり取りはしていなかったことに気付いた。
「神父様、大きなたらいとかありますか」手桶を用意した子が尋ねると、神父様がたらいを運んできてくれた。
二人はたらいに水をどんどん溜めはじめ、かなり溜まったところで、潔く服を脱いでいった。
「これぐらい水を溜めたから、もう浴びていいよね?」
下着も脱いだ二人はすっぽんぽんで所在無げに立って、訴えている。
おいおい隠せよ・・・見たくないから・・・不思議なもので見たくないものほど見てしまうというのは、人間だからなのだろうか。
「うむ、じゃ先に洗ってなさい」
見たくもないものを見ながら、呆然と立っていると、神父様が僕についてくるように合図した。
「まだ服を着ている君は、着替えを取りにいこう。こっちだ」
屯所ではおぬしと呼ばれていたのだが、今は君に変わった。どういう心境の変化なのだろうか。
神父様は、井戸を囲む中庭に、いくつかある建物の扉の一つを開き、中の戸棚を指さし、僕にいった。
「ここにあるの三組を持って行って皆で着替えなさい」
「はい、わかりました」
僕は中に入ってきれいに畳まれて並べられている白い服を3着とった。
「あとそこの右に布があるので、それで体を拭くとよい」
「ありがとうございます」
「じゃ、私は少ししたら迎えにくるので、井戸の横で待つように」
神父様は中庭を出てどこかへ歩いていった。
僕は二人のところに戻ると二人ともすでに洗い終わっていたようで、濡れた体でまた先程までの服を着ようとしている。やはり、水が冷たかったようで、少し震えている。猫が期待しているときに尻尾をびびびっと動かす感じだ。あれ、僕は猫を飼っていたのだろうか・・・
「あの、着替えだそうです」
「え、すごいな、服がもらえるのか?」
「なんだか、上等な服みたいだ。新しい服なんてもらったことがないよ」
二人はあちこちに継ぎのあたった汚い服をすてて、僕が持っていた服を奪うように取った。このままだと濡れたまま服を着そうだ。
「これで体を拭くようにって」急いで僕は二人に布を渡した。
神父様が戻ってきた。
「おや、まだ洗ってないのかい」
「すみません」
僕は焦って服をぬぎはじめた。上着を脱ぐと皆が僕をじろじろと見始めた。
「おい、おめえ、あちこちに痣があるじゃねえか」
「本当だ。あいつにやられたんじゃないの?」
あいつとは、車輪刑にあった例の男だ。つまり犯人だ。僕は驚いて自分の体を見た。確かに両肩、手首、そして胸のあたりに青い丸い痣のようなものができている。大人の親指ぐらいの大きさだ。
「あ、本当だ。なんでだろう。わからないよ」
「ズボンも脱いでみろよ」
恥ずかしいが、言われるまま脱いだ。
「足首の横にも内側にも痣があるぞ。おめえ本当に痛くねえのか?」
「痛くないよ」
僕はたらいの中に座り、布を使って体を洗い始めようとした。言われるまで痣があるなんて思ってもいなかったので、すこしショックだった。
ともかく、裸を皆にじろじろ見られながら、体を洗うなんて、どんな変態プレイなんだ。こんなことになるなら、先に洗ったほうがよかった。
子供達が騒いているので、ドミニクも気になったようで、近づいてきた。
「どれどれ、見せてごらんなさい」
ドミニクは心配そうに痣をのぞきこんで、痣の検分を始めた。少年の肌は透き通るように白いので青い痣が猶更痛々しく感じる。
「触ってもいいかい」
「あ、はい」
ドミニクは痣をすこし押しながら訪ねた。
「どうだ。痛くはないか」
「ええ。大丈夫です」
「そうか。打ち身でもないようだ・・・」
肩をきつく掴まれてできたような痣のようだが、それなら、肩の背中側にも、他の指の跡も残るはずだと思った。しかし後ろ側は綺麗なものだ。ドミニクは混乱した。経験のない事象だからだ。特に変なことはないだろうし、病気でもないだろう。生まれながらの痣というのも聞いたことがあるが、こう左右対称で整然と並んでいると、人為的なものを感じてしまう。
ま、命にかかわるようなものでもなさそうだ。まぁ悪魔が豚の蹄にある小さな穴から内部に入るという話があるが、痣であって穴ではないし、大抵、人間の場合は口から侵入されると聞いたことがある。考えすぎだろう。あの男が魔法の首輪なぞを持ち込むから、惑わされるのだな・・・そこでドミニクは思考を停止した。
「ま、洗ってしまいなさい」
「はい」
僕は三人に背を向けてから下着を着たまま、たらいに座り、手桶で水をくみ、体を洗った。
それから布で体を拭き、与えられた白い服を着た。神父様と同じようなデザインだが、裾は太ももまでしかない。腰を紐で縛るようになっている。フードがついていて、羊の毛で編まれたもののようだ。
もともと履いていた下着は、びちょびちょなので、硬く絞って持って歩くことにした。直接ズボンなので、なんか気持ち悪い。ズボンはズボンというより長い靴下のようなタイツだった。
「布は洗うので、一度返してもらおう。あと下着は今度用意しておく」
僕らは布を神父様に渡した。
ドミニクは布を受け取りながら、僕の布だけあまり汚れていないのに気付いて、ちょっと布を眺めていた。
「今まで着ていた服は、思い出もあるだろうから、取っておいてもよい。私物は最低限なら持つことが許される。おっと、もうご飯の時間だぞ。あ、いや終わってしまったな、4人で食べよう。さぁついておいで」
ドミニクはついてくるように踵を返し、歩み始めた。ドミニクは、考えながら歩いていた。
やっと最近慣れてきたが、修道院は時間に厳格な生活をしている。朝は3時半には起床だし、夜は8時には就寝だ。先ほど席を外したのは、夕食に間に合いそうもないので、当番の修道士に夕食を残しておいてもらうように、頼みにいったのだった。
例の記憶喪失の少年の一件で時間をとってしまい、食事に間に合わなかった。本来なら規則違反だが仕方ない。1日目から規則正しい生活など、少年らには難しいだろう。
そう、規則正しい生活が心の平安を生み、穏やかな感情を持ち続けることが天国に近づく近道なのだ。完全なる道徳の道というのだろうか。
もともと研究熱心で気が向くと寝ないで本を読んだり、論文を書いたりするドミニクには難しい道だ。心の平安どころか、あの少年への好奇心がどんどん芽生えてくるのを感じていた。
不思議な子だ。そもそも記憶を失うなど、本では読んだことはあるが、実例は始めてのことだ。
あの白い肌は大理石のように美しいのに、あちこちの痣がすべてを台無しにしている。一瞬でも少年の肌に心を惹かれてしまったことが、ドミニクを苦しめていた。あとで聴罪をお願いしている神父様に告解をしなければならないだろうか・・・なんということだ・・・いやソドミーではない。少年の美しさは、神の真善美に通じるのではないか。だからこそ惹かれたのではないだろうか。
中庭の回廊を巡りながら食堂へと少年達を連れて行く間、ドミニクは逡巡していた。でもあのうなじは・・・ギリシャ彫刻のようだった。嫋やかな柔らかさ・・・おっと、いかんいかん。しかし、あのぷくぷくした頬っぺたは、つんつんしたくなる・・・
食堂にはいると、長いテーブルの一番手前に4人分の食事が整えられていた。燭台はまだ消されておらず、明るいままだ。少年らに座る場所をそれぞれ示し、席につかせた。
「さて、いただきましょう」
農民の子二人は風のようにテーブルにつき、手づかみで食べようと手を伸ばそうとしたが、私の咳払いで、はっと我に返った。
「食前の祈りを唱えましょう」
4人でお祈りを唱えた。私は意識を例の少年にむけながら祈っている。祈り終わると、彼らにいった。
「いただきましょう。修道院は修行の場所だから、食事の間も沈黙して食べるように」
農民の子らは、しゃべる余裕もなく、食べ物をかき込みはじめていた。メニューは硬いライ麦パンとチーズ、肉がほとんどない冷めたスープ。あとは一杯の赤ワインだ。
ドミニクは考えていた。あの少年の祈りは、声に出されたものだった。農民の子らはほとんど言えなかった。あの少年はラテン語をしっかりと発音し、私の声に唱和できていた。十字架のしるしも美しく完璧にできていた。優雅で上品な切り方だった。
自分も貴族の端くれだから、あの少年の立ち居振る舞いが、貴族のものだと感じる。自分が御ミサ当番のときには、こんな少年に従者をお願いしたいものだ。
ローマの神学院にいた時、お手伝いした枢機卿様の御ミサの、美しかったことを思い出した。そう、先唱で唄われる枢機卿様の美しい歌声にゾクゾクし、答唱できる助祭であることの歓びに打ち震えたものだった。枢機卿様と一緒に聖なる言葉を唱えられる至福の瞬間だ。うっとりしてしまうのだ。あのお声こそ神の賜物だと心から思う。ミサこそ天に繋がっていることを感じる瞬間であり、それが美しければ美しい程、天で行われている天使たちの賛美に繋がることができるのだろう。
ドミニクはふと我に返った。農民の子らはとうの昔に完食してしまったようで、皿をなめてる。おいおい、それはやめてくれ・・・
「おかわりあるぞ~」
太い声に皆驚いて入り口を見た。誰の声だか私にはすぐわかったが。
下働きの助修士エリアスがスープの鍋をもって食堂に入ってきていたのだ。
「おやおや、坊主達、お行儀が悪いぞ。そのままお皿はテーブルの上に置こう。スープはなくならないから大丈夫だ、そして座って、手は膝の上だ!」
頬に刀傷があるエリアスが、たしなめるように笑顔でいった。笑顔が一番怖いですエリアス殿。農民の子らは皿を手に持ち立ち上がっていたが、エリアスの顔を見てお皿を落としそうになっていた。ビビッてる。かわいそうに。
「エリアス殿、申し訳ない」
「神父様。修道士様達はお勤めがありますからな。これは私の仕事ですぞ」
エリアスは片方の足を引きずりながら鍋を抱えて近づいてくる。エリアスは第2回十字軍に参加した騎士だったという話がある。足を引きずっているのも、その時の戦傷らしい。
敗軍としての聖地からの帰路は想像を絶する苦難の旅だったのではないか。私は実家の兄たちのような騎士の生き方は向いてないし、エリアスのように聖地で戦うなんて想像もできない。
聖職につけてよかったのだろうといつもエリアスを見てそう思う。エリアスは自分の過去は語りたがらない。修道士になることも拒み、自ら進んで助修士として雑役を引き受けている。
いつだったか、エリアスが短刀を護身用にもっているところを見たことがある。修道院で武器を携帯することは禁じられているが、修道院長が目こぼしをしているらしい。武人が武装していれば、用心棒として安心だからという理由で。その短剣は異教徒が使うような曲がった剣だ。院長によれば、聖地で兄弟の契りを交わした異教徒からもらったらしい。
ふと我に返り周囲に目やると。よほどお腹が空いていたのだろう。2人の少年は3杯目をかき込んでいる。エリアスは知らないうちに音もなく退室していた。例の少年は、静かに残った赤ワインをチーズとともに飲んでいる。呑兵衛オヤジみたいだぞ。
3人が満足したところを見計らって、食後のお祈りを唱えた。
また、ドミニクは、少年の祈りの声を聴いていた。この子は異教徒であるはずがないな・・・しかも、しっかりとした教育というか、躾けを受けているようだ。ここの修道院の奉献の子達よりもよくできていると感じる。この子がこのまま孤児院に留まるなら、司祭の道を歩ませたいと思った。まぁ、立派な家の息子のようだから、ここに留まることはないだろうな。
今夜は、もう遅く、孤児院の子たちも寝静まっているため、3人には、修道院の客室で寝てもらうこととした。朝3時半からの霊的読書など無理だろう。明日は起きれるようになるまで、自由時間とすることを告げた。
「新入りの少年たちは、お勤めが免除されているが、私はそうではないのだよね・・・」
今日は全然本が読めなかった。アウグスティヌスの告白録だ。
最近、マニ教の影響を受けた異端が、増えていると聞く。アウグスティヌスは、若い頃、マニ教の影響を受けたということで、読み返しているところだった。。
時間的には、冒頭から、まだ一日が終わっておりません。
12世紀は、まさに西洋中世の黎明期でした。すでに2回めの十字軍がおわっています。私が好きな、有名な中世推理小説の主人公修道士カドフェルは、十字軍の戦士だったという設定です。すこしいただいちゃいました。
6月4日 2話を一話にまとめます。




