記憶喪失の僕が、本当の自分を探す物語
神聖ローマ帝国、赤髭王 ホーエンシュタウフェン家 フリードリヒ1世の治世。
なぜ、僕は、奴隷にされていたのか。全く記憶がない。
そもそも、僕は、誰でどこから来たのだろうか・・・
6歳の少年の自分探しの旅が始まる。
気づいたら、僕は地面に座っていた。
ここがどこなのか、そして自分が誰なのか・・・わからない。
物凄く混乱している。呆然としていて、締め付けられるように頭が痛い。
涙で滲んでいるのか視界がぼんやりと靄がかかったようだが、すこし明瞭になってきた。すぐ目の前を馬車が通り過ぎていくのが見えた。車輪がガラガラとよぎっていく。
通行人が二人立ち止まった。
「あいつ、人さらいなんだって?」
「ここに座ってるガキ達をさらうために、親を殺したらしいな」
高い杭の上に、平らに馬車の車輪が置かれており、そこに手足が変な方向についた男が絶命寸前でくくりつけられている。城塞都市の門のすぐ前の十字路だ。
「もう死んだのか?」先程の男が続ける。
「そろそろだろうなぁ・・・。あの車輪刑っていうのは痛ぇらしい。いくら悪いやつでも、ひと思いにやってやったらいいのになぁ・・・」
歳をとった貧しい身なりの男が、連れの同じような風体の男に呟いた。
「そりゃそうだがよ、お前の身内がやられたなら、相手の手足どころじゃ済まさないんじゃねぇか?」
「確かにそれはそうだが、俺らにはどうしようもないじゃないか。騎士様でない俺らが勝手に復讐でもしようもんなら、俺らがあの上に乗ることになるからな。兎も角、あそこにずっと晒されるのも気持ちが悪りぃよ・・・こっちは毎日通るんだし」
「うわっ、今あいつ俺を睨んだぞ」
「おい、大きな声を出すなよ。びっくりするじゃねえか。気のせいだよ。き、の、せ、い」
「おい、そこに留まるな!」太い低い声が響いた。鎖帷子を着込み、金属製の胸当てをつけている騎士だ。門前の屯所から出てくると、立ち止まり、鋭い視線でにらんでくる。
「へぃ、すんません」
「すぐにいきます」二人の男は急いで立ち去っていった。
その時、僕の首の後ろで、カチっという音がし、僕の首から首輪状の金属が滑り落ちた。首輪の前方には鎖がついており、その鎖は手首の輪に繋がっている。
どういうわけか、首の後ろで止められていた留め金が外れて、前についている鎖の重さで滑り落ちてきたようだ。隣からも金属が落ちる音や、鎖のジャラジャラという音が聞こえてくる。横に座っていた、僕と同じぐらいの少年が、外れたと呟いた。
首や手首の皮膚が痛い。見回すと、どうやら少年ばかりが、5人はいるようだ。
次々と石畳に落ちる首輪が大きな金属音をたてたので、先程の騎士がその音に気付き、歩みよってきた。
僕は恐怖で震えて、歩いてくる騎士を見上げた。
もしかして、次に処刑されるのは、僕なのかもしれない。漠然とそんな恐怖が僕を襲う。
騎士は、僕たちの前に立ちどまり、見下ろして低い声のまま、抑揚なく告げた。
「奴は死んだようだな。ふむぅ・・・奴隷のあるじが死ぬと、その首輪は外れるわけか。伝説のサンティフィラ魔法らしいが・・・眉唾と思っていたが、実際にあるとは・・・不思議なものだ。やはり魔法の首輪だったのか・・・車輪刑よりも火刑の方が適していたか?」
騎士は、石畳に転がった首輪を拾いあげ、観察している。そして全員を見て、言った。
「あれだけ外そうとしても、ビクともしなかったのに。まぁ、めでたく首輪が外れたか・・・お前ら、よかったな。もうすぐ家に帰れるぞ」
処刑じゃないのか・・・よかった。 僕の心は、緊張の連続に耐えきれなかったのだろう。安堵感に包まれながら、僕は、そのまま気を失い、体を二つに折るように、前に突っ伏したようだ。
・・・
目が覚めたら、僕は、木のベンチに寝かせられていた。天井のない屋根裏が見える。日の傾き具合から、さほど時間が経っていないようだ。
ふと人の気配がする方向へ寝たまま首をむけると、先程の兵士が机について、何か書き物をしている。他の少年達は、反対側の壁のベンチに、所在無げに座っていた。人数が減って2人しかいない。
僕は騎士に視線を戻した。銀色に輝く半球型のヘルメットと籠手が机の上に置いてある。僕は、騎士が履いている金属製のブーツと、そのかかとに付いている金色の拍車が気になって、ずっと見つめていた。どこかで見たような記憶があるんだ。でも思い出せない。
騎士は、僕の視線に気づいたのか、こちらを向いて話しかけてきた。
「お、気が付いたか。そろそろ、修道院から神父さまが来て下さるから、お前達のことについて、これからどうするのか相談することになる。心配しなくても大丈夫だぞ。大変だったな」
先ほどの怖い雰囲気とは全く異なり、優しげに話しかけてくれる。
その時、開け放たれた屯所の入り口から、一人の司祭が入ってきた。ローブのような長い白い服で、白いフードがついている。神父様と呼ばれた男は、30歳ぐらいで、神父になったばかりの初々しさが感じられた。
「おお、これはドミニク神父様。ご足労いただきありがとうございます」騎士が笑顔で声をかけた。二人は以前からの知り合いのような感じだ。
「・・・やぁ、騎士オルドルフ殿。処刑は済んだようだね。見てきたよ・・・」
「はい、隷属の首輪とやらも外れました。異端審問官殿の予想通りのようで、問題ないようです」
「うむ。やはり、魔法の首輪だったのか・・・信じられないな・・・」
「はい、まだ信じられませんが、確かにあの男の絶命とともに首輪が一斉に外れましたので、審問官殿が言われるように、あの男が血の代償とともに悪魔と契約したのは、間違いないでしょう」
「そんなものを使うだけでも極刑に値するな。ま、そちの言うように、火刑でもよかったかもしれないが、あの子らの親殺しの刑が優先されたのだろう。法廷の決定に口は挟めないからな・・・外れた首輪は明日にでも教皇庁が回収するそうだ」
「かしこまりました。悪魔の道具など、あまり手元に置いておきたくないので、助かります・・・
処刑された男は帝国の民でしたが、村々を回る、行商人でした。解せないのは、ずっと奴隷売買を行っていたのではなく、思いついたように最近始めたようなのです。
少年奴隷が向うの帝国に高く売れることに目が眩んだのか、アマルフィかベネチアの商人に唆されたとしても、やり方が酷すぎますし、危険すぎます。
そもそもあんな首輪は、行商人には手に入れられないでしょう。一体どういうルートで手にいれたのでしょうか・・・悪魔の手引きでしょうかね・・・恐ろしい・・・」
若いオルドルフは、眉間に皺を寄せている。いつもになく饒舌だったが急に黙った。
オルドルフは、つい最近、20歳になり、騎士に叙任された。その前は公爵様の従者だった。ドミニクとは遠い親戚にあたる。彼は、公爵の護衛騎士の一人だが、この事件を管理するように指示されて動いている。公爵様も、異端審問官が絡むので、この恐ろしい事件には注目している。再発は避けたいし、審問官が気に入らないようだ。
すこし考えてから、ドミニクは若い騎士の問いかけに応えた。
「うーん。私も、わからないことだらけなのだ。異端審問官の、あの恐ろしい拷問でも口を割らなかったのだ。あの男が首輪の入手先としてサンティフィラとだけ口走ったそうだが・・・何らかの契約で口に出せないように縛られていたのかも・・・そんな契約ができるのは、そちが想像しているように、名をあげることさえ、おぞましい存在しかないだろう・・・まぁ、何か言えばその瞬間だけ審問官は拷問を緩めるから、痛みを逃れるために口から出まかせを言ったのかもしれん。
間違っても、悪魔とは言えないだろう・・・審問官殿は言わせたかったのだろうが・・・」
サンティフィラとは、地中海の真ん中にある大きな島という話だが、実際にたどりつけたものはいない。地中に沈んだという伝説の島の名前でもあるが、まだ存在していると信じている者も多いが、実態は全く分からない。
人々は、実は海中にあり、許されたものだけに浮上するとか・・・常に霧につつまれ、1年に一度だけ霧がはれるとか・・・アマルフィの商人の中には彼らと海上でのみ取引できるものがいるとか・・・まぁ呆れる程様々な噂や憶測が飛び交っている。
実はサンティフィラの名を隠れ蓑にした悪魔の仕業なのかもしれないなとドミニクは思った。
「ビザンツ帝国にしろ、ムスリムの帝国にしろ、私たちのローマ帝国も、魔法の力がもしもあるのなら、味方につけたくて仕方ないのだ。
いや、むしろ敵に回したくないといったほうが正解だ。その力が悪魔に由来するものなら、近づくのは危険すぎるからな。悪魔の契約は、大抵20年契約らしいが、しっかり、契約したものは、代償を回収されるらしいからな・・・魂をだ。だれも地獄に墜ちたくないものな」
重苦しい雰囲気にオルドルフが耐えられなくなってきたようなので、ドミニクは話題を変えた。
「親が殺された子らは、不憫だな・・・迎えに来なかったということは身寄りがなかったのか」ドミニクはつぶやいた。
「はい、残念ですが、見つけられませんでした。村も引き取ることはできないようです。親が土地を持っていれば、引き受けることもありうるのだそうですが、彼らの親は必要な時だけ雇われる小作のようですし、畑どころか家も持たないので・・・」
オルドルフは、子供たちが聞き耳をたてているのに気づき、話を変えた。
「ところで、まだ被害の全容はつかめてないのです。近くの農村で、親達が殺されたところは、事件が明るみに出たのですが、実際のところ、誘拐された子供の総数はわかりません。すでに、港で商人に引き渡されてしまえば、もう手だてがないのです。
公爵様は、洗礼台帳と照らし合わせ、全員がいるか各教区で調べつくせと命じられました。ここだけの話、かなり難しい気がします・・・」
ドミニクは最後までは聞かなかったふりをして答えた。
「とりあえず、身元が判明して、引き取られた子らもいたようだし、あの男が死んでも、首輪が外れなかった子がいなかったのは、良かったじゃないか」
「おっしゃる通りです。親が殺されたのは、そちらに座っている2人です。そして横になっている子は身元がわかっていません」
ドミニクと呼ばれた神父は座っている子供らに憐みの表情をみせ話しかけた。
「心配しなくてもいい。今日から君たちは奉献の子として、教会の子となるのだ。私が君たちの親がわりだ。修道院には、孤児院があり、同じような子供達がいるし、望めば修道院から街に職人見習いに出ることもできるし、そのまま修道士見習いになることも可能だ」
実際、公爵直轄領の農村の子だが、親が小作人で、土地も家も持たず、子供が成人していなければ、村に居場所がない。洗礼台帳に彼らの名があったので、修道院が引き取れたが、台帳に名がなければ、普通は、異教徒として、そのまま野に捨て置かれることになるだろう。
乞食になって生き延びることは、ここ城塞都市でさえも、かなり難しい。修道院の孤児院でさえ、収容した孤児らが成人するまでの生存率は3割以下だ。神の栄光を示すために修道院を経営している我が修道院であるが、現実は甘くない。
ドミニクは農民の孤児を見ながら、彼らの未来を憂えた。
ドミニク神父様と騎士オルドルフの会話を、寝ながら聴いていた僕は、意識がはっきりしてきた。上半身を起こし、木のベンチに座りなおし、ドミニク神父を見つめた。
僕が起き上がったことに気づいた神父様が、僕を見つめ口を開いた。
「お主、具合が悪いなら、寝たままでもいいぞ。今日は君たちに聴きたいことが沢山あるのだけど、体調が悪いようなら、一旦修道院にいって、身を清め、食事をし、落ち着いてからからでもよい」
どう答えていいのか、よくわからないので、答えに詰まって視線を床に落としているとドミニクが僕に向き直り、訪ねた。
「おぬし、いま話しかけられた内容はわかるか?」訝しげな声だ。
「・・・あ、はい、わかります・・・」
少し考えて僕に向かってドミニクは言った。
「ふむ。ということは、この帝国の民か。・・・金髪碧眼だな。ザクセン人か?バイエルン人か?どこに住んでいたとか、両親の名前とか、覚えているか。どんなことでもよい」
僕は返答に困ってしまった。本当になにもわからないのだ。
「・・・申し訳ありません。全くわからないんです」
「よろしい。お主の受け答えから察するに、農民ではないようだし、育ちは良さそうだ。教会や都市の行政官に寄せられている、捜索願いを当たってみよう」
「あ、そもそも、お主の名前は?・・・思い出せるかね?」
「いえ、それが全く分からないんです」
思いだそうとしているのだが、どんどん頭が痛くなってくる。
「どうだ?自分の名前じゃなくても親の名前だとかでもよいぞ、なにか思い浮かんだ名前はないか?」
「えっと、ウィンフリートかもしれません」
「うむ、確かにゲルマン人の名前だったな・・・ん?」
ドミニクは考えた。ウィンフリートは、確かサクソン人だった伝説の宣教師ボニファティウスの改名前の名ではないか。私も今はドミニクだが、修道院にはいる前は、ザイフリートだった。ドミニクは洗礼名でなく、修道名なのだ。
「それはお主の名前か?」
ドミニクの緑の目に見つめられて、僕は急に不安になった。
「あ、いえ、定かではありません。ていうかなんとなく浮かんだのですが、神父様を見ていたらザイフリートという名前が浮かんできました。でも、・・・よくわからないのです」
ドミニクはぎくっとした。この子は人の心を読んだのか?見つめ返すと困り顔になっている。なんか自分が苛めているような気がしてきた。いかんいかん、私は聖職者なのだ。
「ま、まぁいいだろう、いろんなことが短い間に起こったのだから、仕方ない・・・時間はたくさんあるのだから、そのうちしっかりと思い出せばよい」
「よほど怖い思いをしたのでしょう。いわゆる気の病でしょうかね」
騎士オルドルフが口をはさんだ。
そういいつつも、内心では、オルドルフは少年の言葉使いに驚いていた。とても6歳ぐらいの男の子の話し方ではないからだ。この子の賢さは異常かもしれない。とはいえ、邪悪なものは感じないのが救いだ。
あ、でも少女ならこれぐらいの会話をする子もいるな・・・女の子は精神年齢が高いというのは、わかる。いわゆるおませさんだ。オルドルフはひとりで納得していた。
「まぁ、こんな小さな子にはつらい体験だったろう。思いだしたくもないかもな」
ドミニクは、困りながらもオルドルフの気の病説に同意したようだ。
屯所の前で、気にしながら中をのぞいている、門番の姿に気づいたオルドルフは、閉門の時間が近づいていることに気づいた。オルドルフは騎士であり、屯所の所属ではない。処刑があるときにだけ、警備でくるだけだ。普段は領主である公爵の白の城壁の中に住んでいる。
この膠着状態のような雰囲気を終わりにしたい騎士オルドルフは、先程まで作成していた書類をドミニクに示した。
「さて、神父様、引き取り書にサインをお願いします。こちらです」
「うむ」ドミニクは差し出された羽ペンにインクをつけ、羊皮紙にサインをした。本来は親が引き取る際にサインをするはずだった。
オルドルフは、少年達をそれぞれ見つめ、
「さぁ、門が閉まる時間だ。いつまでもここにはいられないぞ。神父様についていきなさい」と諭すように話した。
僕ら3人は、屯所から出るように促されつつ、神父様のあとについていった。僕らには選択する権利はないようだ。神父様は人が良さそうだから、酷い扱いはないだろう。一抹の不安はあるものの、僕はついていくことにした。ほかに道はないものね・・・
外には、1頭だての馬車が置いてあった。幌はなく、荷台だけの短い馬車だ。御者はいないので、神父様が自ら御者を務めるらしい。
新規小説始めました。かなり1172年の南ドイツのリアルに足を置きつつ、二人の主人公が現実世界と、異世界で奮闘する予定です。
登場人物の設定をすこし変えアップしなおしました。
騎士の名前はミカエルからオルドルフに変えました。中盤でドミニク神父様と旅をする予定です。
宜しくお願いします。