・希望
今回長めです。
・希望
神無側区は広い。流石に二区併合した群魔ほどではないが、三分の二くらいある。
市が県代わりというか、街のスケールが元の世界に比べて一段下がっているので、あまり広くは感じないかも知れないが、幕藩体制だって外国の土地面積基準となると、普通に広い。
何て言うんだろうな。名前の規模は一段下がってるけど、実際の広さは段違いなんだよね。
つまり『ここから少し行ったところ』が、徒歩だと軽く一時間くらい、かかるってことなんだよ。まあ、一時間外を歩いたおかげで、頭が少し冷えたけど。
先にご両親の職場にお邪魔したが、二人ともパトリシアの喪に服しており、出勤してないしさせていないとのこと。この世界の人間を少しだけ見直したぞ。
俺の母国よりよっぽど人間的だ。まあそもそも今は休みの期間な訳だけど。
そして、視界の先に見えてきた素朴な石造りの一軒家が、パトリシアの家ということになる。貸家で春先まで借りている予定だそうだ。
白塗りの壁に、分厚い木製のドア。ノックしようとして、手が止まる。どういうふうに言えばいいのか、どんな顔をすればいいのか、分からない。
そのとき、ウィルトが俺の手にそっと触れた。
「サチウス。これからご両親にお会いします。私から話しますから、ディーとあなたは私の言葉に、不足があれば補足をして頂きたい」
「あ、お、お願いします」
見るに見兼ねたってことなんだろうか、それとも気を遣われたのか、ウィルトが先頭に立ってくれた。
珍しくあだ名で呼ばれたな。改めて二人を見ると、今回は二人とも狩衣に羽織姿と、正装をしていたことに今頃になって気付く。
「しっかりしなさいサチウス。きっと大丈夫だから。いきますよ」
静かに、しかし力強くウィルトは励ましてくれた。ディーも無言で背中を押してくれる。
そうだ、気をしっかり持て。俺よりも追い込まれている人に、これから会うんだから。
俺が息を整えるのを待って、ウィルトが玄関のドアに取り付けられていた、輪っかを掴むと数回ほど打ち付ける。
「ごめんください、こちらウルスラズさんの、お宅でよろしいしょうか?」
「はい、どちら様でしょうか」
玄関のドアを開けて中から姿を見せたのは、小柄な女性だった。パトリシアと同じく褐色で、背は俺より低い。
黒髪を後ろで結い上げており、橙色のカーディガンとエプロンに、もんぺといった格好で、全体的にふっくらしている。
目の下に隈があった。憔悴しているようで、事情が分かるだけに気の毒だ。
「私達は群魔区の役所の者でして、今日はウルスラズさんの移住願いが受理されましたので、お伺いさせて頂きました。こちらをどうぞ。紛失したら役所に届け出てください。すぐに再発行致しますので」
「はあ、わざわざご親切にどうも……」
返事はどこか上の空だった。普通こんな三人組が、ある日突然やってきたら、もう少し警戒しても良さそうなのに。
「それと、ご主人様はご在宅でしょうか?」
「ええ、主人が何か?」
奥さんがちらり、と家の中を見る。
内装は木製の壁と床、奥から暖気が漂ってくる。
暖炉でもあるのだろう。
「実はもう一件、お嬢様の件で、お話しをさせて頂かないと、いけないのですが」
「パトリシアの、なんでしょう。あの子はもう……」
娘の名前を聞いた瞬間、奥さんはとても辛そうな顔をした。うん、ちゃんとしたお母さんだ。
うちみたいな糞ッ垂れだったらと不安だったが杞憂で済んだ。
「とても大事なことですので、できればご主人様と、ご一緒に聞いて頂きたいのですが」
「お子さんは今、天使です。うちで保護しています」
ディーが後ろから口出しする。我慢できないというふうではなく、奥さんに最低限度の事情を説明するために、教えたといった感じだ。
案の定、きょとんとした後、奥さんは口をぱくぱくと開け閉めして、家の中へと駆け出して行った。
「ここからだ。気を引き締めろ。お前たち」
ウィルトの口調が変わった。まるで戦場にでもいるかの様な迫力だった。
どういうことか聞きたかったが、その前に奥さんともう一人、同じく小柄な男性が、血相を変えてやって来た。
「ヴァイン・ウルスラズさんですね。こんにちは。群魔区役所、戸籍課の者です」
「む、娘が天使になったって、ほ、本当ですか!?」
完全に気が動転している。奥さんにセーターの裾を何度も引っ張られて、ようやく我に返ると、俺たちを中へと案内してくれた。
*
奥さんの名前はレイスというそうだ。普段はお針子さんとして働いているが、服のデザインもたまにするらしい。レースの飾りが得意なのだという。
旦那さんの名前はヴァイン。貴金属や服飾品を手掛ける職人で、髪飾りの修行も兼ねて、ここ群魔に来たという。
邪魔にならないよう、短く刈った髪の毛は栗色で、パトリシアと同じ。目の色は家族揃って緑色。背は低いが筋肉質で、豆タンクとでも言おうか。こちらは灰色のセーターに黒いズボンを履いてる。
この人も顔に疲労の色があったが、弱っているという印象は受けなかった。
「先ずは、お嬢様のご不幸、お悔やみ申し上げます。そして、今は天使になりましたこと、ご報告申し上げます」
テーブルに着いたウィルトがそう切り出した。ご両親の顔から、苦しみみたいなものが、薄まっていくのが分かる。
案内されたリビングは玄関周りと違い、石やレンガの配分が増えていた。
というのも室内には、現在も赤々と火を灯す暖炉があったからだ。
「ほ、本当に、う、うちの娘が、天使に、なったんですか」
「はい、今は役所で保護しています。まだ自分が天使になったとは、よく分かっていないようですが、ここの住所はちゃんと覚えていましたよ。利発なお子さんですね」
旦那さんの問いに、ウィルトがさらっとパトリシアを褒めながら、笑顔を見せる。
こんなの今まで見たことない。
「ただ高くまで飛んだところ、下を見たら怖くなってしまったらしくてですね、固まって墜落したようで、そのせいで翼を怪我してしまいました。幸いにも治療は済んだので、今は安静にしています」
これはウィルトが親御さんに説明するため、事前に考えたカバーストーリーだ。
本当のことなら説明してもいいだろうと言ったが、子どもを亡くした親に追い打ちをかけろというのか、と説かれて黙らされた。
「ああ、あの子ったらまったく、天使になっても心配をかけて」
「でも、本当に良かった。先月あの子に先立たれて、何も考えられなかった……それが、それがこんな形になって」
二人の顔に生気が戻ってくるのが分かる。
嬉しいんだ。この人たち、いや、天使を信じる人々にとっては、天使になるってことは、その場で生き返るとか、異世界じゃないけども、転生するってことに近いのかも知れない。その人のままで。
そりゃ嬉しいよな。
「医者からは運動療法の指示書も出てます。なんでしたら、このまま役所に行くか、でなければ御嬢さんをお連れしましょうか!」
俺が期待を膨らませて先走ると、しかしご両親は互いに顔を見合わせて、首を振った。さっきとは違い、はっきりと意思が表れている。
「お気持ちはありがたいですが、今の私たちのこの様では、あの子に会わせる顔がありません。ちゃんと親の顔に戻してから、会いに行きます」
「申し訳ありませんが、それまではあの子をよろしくお願いします。そうだわ、あの子の着替えを……今は背中に翼があるんでしたね」
断られてしまったが、彼らは喜んでいる。引き下がるしかないだろう。
だけど分かったことがある。パトリシアはこの人たちの生きる希望なんだ。それだけでも、確かめられて良かった。
「分かりました。ですが、なるべく早く、会いに来てあげてください。あの子はまだまだ子どもです。親が恋しいことに変わりありません。何か託けか、渡す物があれば承りますよ」
俺がそう言うと、二人はあたふたと部屋を出ると、幾つかの荷物を持ってきた。多い。
「パティの、あの子のために作った飾りです。持って行ってやってください」
文明から考えても非常に精巧かつ頑丈そうな皮張りのケースを渡された。
テーブルに置いて、上面を持って開けると、中には息が止まるような、宝飾品の数々が詰まっていた。
「あの子の服に、縫ってあげようと考えた図柄です。どうか見せてあげてください」
奥さんのほうは、明るいキツネ色をした、屋根付きバスケット。
中には細かく編まれたレースのワッペン。色々な形があり、見慣れないせいで上手く形容できないけど、温かみがある。それと裁縫セット。
そうして二人から『よろしくお願いします』と頼まれて、俺たちは手土産と共に退出することとなった。
雪の残る道を歩きながら、さっきまで浮かんでいた自分の笑顔が、徐々に消えていく。
「善い親御さんじゃないか」
「そうだね……そう思う」
ディーとウィルトの三人で、すぐに帰らず、しばらく歩き続けた。途中で、パトリシアの家を振り返る。
ドワーフの保護者たちの話し声が、今もまだ、耳に残ってる。
「……なんとかしてやりてえよ」
言ってどうなるものでもない。
吐き捨てるしかない。
もう少しだけ歩いたら、帰ろう。二人が気を遣ってくれてるのは分かるけど、いつまでも付き合わせる訳には行かない。
そう思って、立ち止る。
帰ろう、そう声をかけようとしてウィルトを見た。
碧い眼が俺を真っ直ぐ見つめていた。
彼だけじゃなく、ディーも。
「その言葉、本当ですか」
「……ウィルト?」
その響きは、冷たく重たかった。誤魔化しや前置きを許さない視線があった。
下がり眉のせいか、いつも悲しげな表情の下にある物憂げな三白眼が、真っ直ぐこちらを射抜いていた。
「その心が本当なら、あなたが本当にそう願っているなら、手が無いこともない」
俺はもう一度ウィルトの眼を見た。試そうというんじゃない。厳しいけれど、突き放そうという敵意じゃない光。
初めて見る眼だった。
「ある。頼む、あの子を親元に帰してやるには、どうしたらいいんだ」
「……帰ってから教えます。ディーは私の我侭に付き合わなくてもいい」
ディーは無言で首を振った。彼女も手を貸してくれるようだ。いや、もしかしたら皆、そうだったんじゃないか。そんな気さえしてくる。
「でも、ウィルトさんはいいのか? その、自分の宗教なのに」
「別に。ただ、よりを戻すかどうかはあの親子が決めることです。そこで選ばれなければ、それまでだということを、忘れてはいけない。いいね」
そう返すとウィルトは手招きをして、呪文の詠唱を始めた。役所に戻るようだ。
俺とディーは彼の傍に近付き、服の裾を掴んだ。
不思議だった。こんなに真剣なのに、こんなに真面目なのに、全く怖くない。
俺には理由が分からないけど、何故だろう。今は、ウィルトが見せた厳しさが、とても頼もしく思えた。
お父さんの服装を書き忘れていたので追加しました。
誤字脱字を修正しました。
文章と行間を修正しました。




