・サチコの決断
・サチコの決断
役所へと帰った俺を待っていたのは、バスキーから渡された、移住手続きの書類の山を前に、嬉しそうに仕事に励むミトラスとパンドラだった。
「ただいま」
「あ、お帰りサチウス。早速で悪いんだけど、これ手伝ってもらえるかな!」
あまりに嬉しそうな顔をしているものだから、俺も断ることができずに、指し示された書類箱の一つを、覗き込むことにした。
「僕は認可の署名と捺印で手が離せません。サチコはその書類の補記をお願いします」
「仮にしくじったら直ぐに言えよ。オレが同じ書類を出してやるぜ」
甲冑姿のパンドラが親指を立てる。文書ソフトの『元に戻す』とコピー機の機能を併せたような能力という、書類仕事上類を見ないセーフティー要素を発揮できることが分かってからというもの、重要なデスクワークでは、外せない存在となっている。
しかも写しではなく本当に同じ書類だから、原本指定でも問題ないのだ。
「どれ……うん、色々間違ってるな」
ざっと手に取って見ると、必要事項の記入欄がズレていたり、名前の綴りが間違っていたり、役所の記入欄に書いてしまっていたりだ。
羽ペンに赤いインクを付け斜線を引く。そして正しく記入をし直す。
確認が必要そうな案件、家族の数のブレや、人間の街に生まれや住居の登録が元々ない者、また別の書類が必要な者とそれぞれ分けていく。
俺はこの世界に召喚された際の特典、と言って良いのか分からないが、この世界の識字については問題ないので、こういう仕事ができる。
「それにしても、今回はバスキーの奴に良い所を全部持っていかれたな。まあ、ほぼ全部一人でやったんだから、当然っちゃ当然だけどさ」
保留と補記を済ませた物を分けるために、箱を二つ引っ張り出しながら、俺は呟いた。
始めからバスキーの、手の平の上だったような気がする。
「良いときは良い方へすごい勢いで状況をぶん回すんだよあいつは。滅多にないけど。女に入れあげてもケチがつくのが基本だし。あまり買い被るなよ。常人ならその場に崩れ落ちるような借金を、擦り付けてくることもあるからな」
パンドラが抑揚の無い声で返事をした。返せるアテがパンドラだとしても、借金の返済に使われるのはかなり嫌なようだ。誰だってそうだろうが。
「あの竜なりに、僕たちを出し抜こうと必死だったんだと思いますよ。結果は彼主導の再開発を、僕たちが手伝った形ですが。どこかで下手を打ったり不運が重なれば、僕たちの再開発を、彼が手伝うことになっていたかも知れません」
「どう違うの? それ」
作業の手を止めずにミトラスに聞く。
今の補記内容は、振り仮名の未記入。相手側がこちらの言葉で、自分の名前をなんと書くのか、なんと言うのか知らない場合があるので、そこを記入する。
「彼の面子が立つかどうかですね」
「面子?」
順番が前後するだけで、そんなことってあるんだろうか。そもそも面子というのが良く分からないけど。
「これだけの魔物に声をかけたんです。それはつまり待たせた分だけ信用が失われ、相手を失望させることにもなり得るということ。これは想像ですけど、ワイバーンの件が無ければ、最初の視察の日に今日の結果を持ってくることも、出来たんじゃないでしょうか。それだけに、あの密猟者たちは彼にとって非常に煩わしいことだったんです。人死にが環境に与える影響も考えていたからこそ、長引いてしまった。もっと長引いて、僕達が街の整備を終えて、定員を定めてから住民の募集をかければ、声をかけた人魚たちの中でも、受け入れられない者が、出てしまったかも知れない。そうなれば、彼にかけられた期待や信用というものが失われる。助けようと思った相手に、そんな仕打ちをするなんて、バスキーは許しませんよ」
言われてみれば枕に執着していたのも、人魚たちにやらせるつもりだったんじゃないだろうか。
漁業だって漁師の位置に据える魔物となれば、当然水棲の魔物を宛がう算段だったに違いない。
「なんだ、仕事のことを考えれらなかったって、何げにちゃんと考えてるじゃないか」
「まあそんな訳で、彼は面子を保てて、僕たちは彼に大枠を埋めてもらい、残すは後詰めと細かな修正くらいです。人数は増えましたがその反面、僕たちが周知するよりも早く、抵抗もなく招き入れることができた訳ですから、上手くいったといっていいでしょう」
ん? なんだ、何か引っかかるぞ。
なんだかまるでバスキーのやることを、分かっていたみたいな口ぶりだ。
「ミトラス。お前もしかしてバスキーが動いてることを知ってたのか?」
「一応は。でもまさかこんなに上手にやるとは、夢にも思いませんでしたけどね」
書類にサインをし続けながら事も無げに言い放つ。分かってて泳がせてたってことなんだろうか。こいつが魔物っぽいとこ見せるのも、久しぶりだな。
「なんかなー」
「どうしたんです?」
今回の一件を振り返ってみると、俺はほぼいいとこなしだ。
皆がお見舞いに来てくれて嬉しかったし、バスキーのおかげで仕事も楽ができた。しかしそれだけで今回仕事をできたかというと、そうでもない。
この後の処理が残っているとはいえ、和服以来のスピード解決だ。役所の仕事に達成感を求めることが、間違っているとは言えど、もう少し何かできることがあったのではなかろうか。
「俺今回いいとこ無しだったなーって。そろそろ修行でもしないとまずいかなあ」
「お、やる? 修行。そうかサチウスもとうとう修行するかあ」
なぜかパンドラが食いついてくる。
なんでお前がそんなに嬉しそうなんだ。
「別にいいじゃないですか。荒事で活躍するサチウスなんて、誰も望んでいませんよ。今の優しい、普通のサチウスじゃないと僕は嫌です。それよりもまだまだ仕事は残ってるんですよ。偽腐も改名しないといけないんですから」
しれっと我侭にラブコールを混ぜて来るなよ恥ずかしい。でもそうか。これはいよいよ本腰入れないと、ヒモに堕ちる日も遠くないな。何か考えないと。
でもその前に街の改名しないと。
「前は妖精町だったけど今回はどうする? 人魚町、は駄目だな。もうある」
「癪だがバスキーの顔を立てて竜人町なんてどうだ」
俺とパンドラが言うと、ミトラスは興味がないとばかりになげやりに言った。
「じゃあそれで」
どうも仕事を取られたことで、モチベーションが下がっているようだ。自分で名付けたかったのかも。
仕事が早く少なくなる度に、やる気が無くなっていくのは、こいつの本当に悪い癖だ。
「じゃあ、偽腐区改め群魔区竜人町ということに決定しましたっと」
既に署名と捺印された書類に名前を書き込む。これで名実ともに偽腐は群魔の一部ということだ。
神無側市群魔区竜人町か。
うん、それっぽいんじゃないかな。名前の由来も中々しっかりしてる。
「やっぱり今度はちゃんと僕たちでやりましょうね。つまんないし」
ミトラスがぼそりと言う。後頭部からむっつりとした空気が伝わってくる。
ああ。本当は悔しかったんだな。
それからというもの、しばらく竜人町は区の財政を圧迫したが、春を迎える頃には復活した漁業と、形になったジャイアントクラブ漁、ストリクスの残した羽で作られた高級枕で、冬の一シーズンに限り他の区の黒字を、軽く上回るほど成長するようになっていた。
竜と鳥は海を渡り、人魚たちは海を越えて、やって来る。そんな潮騒に賑わう景色が、群魔区にまた一つ加わったのであった。
「来年は安定化に注力しますよ!」
「そんなこと言ってるとまた厄介ごとが舞い込むぞ」
そんなふうに話している二人を見て、俺は思った。やはり少しずつでいいから、体を鍛えよう。でないとそのうち、本当に厄介ごとに殺されてしまうかもしれない。
俺は決意を固めると、残った書類仕事を続けた。
まあ決めはしたけど、善は急げと言うけれど、せめて年納めまでは、今の俺のままでいてもいいはずだ。
―了―
これにて5章は終了です。
ここまで読んでくださった方
本当にありがとうございます。
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文章と行間を修正しました。




