・敵は人間
・敵は人間
足元の岩場は起伏があり、雨で増水していることもあって、非常に歩きづらい。
海に来るということもあって長靴を履いて来たが、非常に厳しい。歩くことが厳しい。岸壁に手を這わせながら、なんとか目的地の近くまで、到着することができた。足と肺が痛い。
「ぜぇ、現実的には、苦情が舞い込んでから、はぁ、対処すれば、ぜぇ、いいんだけど」
「サチウス、深呼吸して。ほら、いち、に」
……………………よし。なんとか息が整ってきた。
お役所的に考えればその通りなのだが、俯瞰して見ると偽腐が壊滅する前から、苦情は出ていたことだろうし、当然ながら未解決の問題は、区画ごと俺たちに引き継がれる。
苦情を出した人はおろか住人さえいなくなっても、残された苦情に対処しなくてはいけない。借金も財産として相続されるのはこの世界でも同じだ。
世知辛いなあ。
「屠殺といい偽腐といい、市長もとんだ地雷を寄越してくれたものだな」
「同じ人間という建前は、それこそ末代まで祟る仕組みです。であれば、異なる人種、異なる種族であしらう他にない」
ミトラスが遠くを見つめて言う。魔物と一括りにされてこそいるが、彼らには同じ魔物だという、意識は薄い。
四天王を見れば、同じ生き物だと言うほうが無理がある。パンドラなんかは未だに生物といっていいのか困る。
「この辺りなの? バスキーさん」
「うむ。我がワイバーンたちの保護を行ったことで、個体数はいくらか回復させることができたが、諦めの悪い欲深者たちが、ここまで追って来たようじゃ」
道すがらに聞いたバスキーの説明はこうだ。
魔王軍が敗れ、豊かな懐と共に放浪生活を送っていたこいつは、件の高級枕が欲しくなったがワイバーン乱獲と、偽腐壊滅により、それが困難になったことに強い憤りを感じていたらしい。どうでもいい。
だが、こいつは手に入らないと分かるや増々欲しくなり、ワイバーンの保護活動を始めたのだそうだ。
その内容も単純で、密猟者を手当たり次第に襲うというものだった。以来こいつは農家と密猟者に狙われる日々を送っていたようだ。お金と命と尊厳がいくつあっても足りない暮らしをしている。
「価値のない命ほど蛆虫のように湧いてくるのが人間の恐ろしいところじゃ」
バスキーが吐き捨てる。
周囲には人影も、船も無い。
「本当はの、ワイバーンの数を増やしたら、その次はパンドラ君から金を貰い、この区を個人的に買い取るつもりだったんじゃ。そして我が復興させようとも、思っていた。ただ小僧がやる気になっていたのでな、手間が省けたわい」
「バスキーさんって、思っていたより良い所あるんですね。動機が不純だけど」
ディーは感心しているが、俺はウィルトの言葉を思い出していた。自分の欲しい物のためなら、数年待つくらい竜にはなんでもない。
こいつに至ってはそのために働くことも、何でもないということだ。善悪に疎いという前文付きで。それだけで肯定に踏み切れない。
「そんなことより、見たところ何もないけど」
「奴らの中に転移魔法を使う者がおる。ワイバーンを追ってここを嗅ぎつけたのじゃろう。さっきもなんとか追い払ったが。我一人ではとても手が回らん。この前も一匹連れて行かれてしもうた」
転移魔法は群魔区役所内ではミトラス、ウィルト、バスキーが使える。適正のある者でなければ覚えられないらしいが、それもそこまで珍しいものでもないのだそうだ。
「奴らは急に集団で現れ、ワイバーンを襲う。これを何とかせねばいかん」
「ていうか、ドラゴンは国に管理されてるんじゃなかったのかよ」
「サチコ君、ドラゴンとワイバーンを、一緒にしちゃいかん。後者は別に管理されておらんが、今でも高額で取引されるから人気も高い。本来は冒険者たちが、正規の依頼を受けて狩猟するものじゃが、冒険者でもなんでもない連中もまた、狙っておるのじゃ。そしてワイバーンの値段はそういった連中が罰金を払ってもお釣りがくる。ならず者共にとっては重要な獲物という訳じゃ」
俺の疑念にバスキーが非難がましく答えた。
なんていうか態度が一々おっさん臭いのが、何とも癪に障るんだよな。
「くそ、ザル法か。こっちにはいい迷惑だな。盗人が盗んだ金で罪を償えるとか、賄賂となんの変りもないじゃないか」
ぼやくとその後にミトラスとディーが続く。
「こんなことに加担する者の中に、転移魔法を使える相手がいる。そして一度に複数人で襲ってくる。行き当たりばったりの、食い詰め者ではないですね」
「魔法使いは専門職だから食いっ逸れることはまずないの。ちょっとした小遣い稼ぎで、犯罪に手を染めるなんてこと、まずありえないわ」
つまり、規模は不明だけど組織だって襲ってくるってことか。しかも相手は人間だ。対処に困る。
吐く息が白く染まり、ミトラスの顔にかかる。
「なるべく穏便にことを運びたいですが、叶わぬ場合は始末するしかないでしょうね。サチウス。島の警備とワイバーンの警護、どれだけの人足が必要ですか」
「殺害はできる限り避けたい。人間なんか食ってストリクスの羽毛の質が下がったら元も子もないからのう」
「今日はこのまま帰りたかったんだけどな。ワイバーンの警護はバスキーを含めて二、三人。周囲の警戒も同じくらいだろうね。もう少し多めに見たほうがいいかも知れんけど、何にせよ一度戻る必要がある」
バスキーの言葉は無視するとして、泊まりで警備するのか、捕まえるにしても縄の一つも必要だし、暖房器具も防寒具もテントもいるだろう。
人足だって必要だ。戦力にはならないが人命に関してはノーコストの俺も、出るべきだろう。先ずは何の準備が必要なのかを、洗い出すところから始めないといけない。
「……地道に海にばら撒いて行けばいいのに」
波の音と動物たちの鳴き声ということにしておきたい発言が、すぐ近くで聞こえてくる。そんな草むしりをするみたいに気軽に言わないでくれディー。怖い。
「それに魔法使いを捕まえて、元を辿って行けばきっと皆殺しにできますって!」
「うん、だけど、ほら、今回は安定志向だから……」
そんなことを言う彼女に、俺たちは曖昧な返事しかできなかった。
たぶんこの中では間違いなく、ディーがこの世界の人間的な思考を、しているんだろう。人間が獲物にする態度を彼女が人間にするのだ。相手を可哀想とは思わないが、俺はその場に居合わせたくない。
「次が来ないうちに、早く支度しに戻ろう」
「そうですね!」
そうして俺たちは一度群魔、ここも群魔だけど、拠点であるいつもの区役所に、戻ることとなった。勿論ディーも一緒だ。
もしも彼女をここに残していって、俺たちの準備中に密漁者たちが来てしまったら、帰って来たときにはスプラッターな光景が、広がっているかもしれないからだ。
「あたしなら別に大丈夫なんだけどなあ」
色んな意味でやる気になっているディーを説得するのは骨が折れた。こういう事案こそ、ウィルトやパンドラの出番なのではないかと思うと、なんだか急に、彼らが恋しくなった。
誤字脱字を修正しました。
文章と行間を修正しました。




